2-3 最愛の妻を失った夫の話
──親愛なるユーリクさまへ
はじめまして。私はストネル王国の第一王女、マレリーナ・ストエカスです。
国同士の取りきめにより、私はあす、あなたの妻になります。
社交界などでお顔を合わせたことはありますが、一対一できちんと話すことはいままでありませんでしたね。ですから、はじめましてでよいと思います。
ユーリク・ラムズイヤーさま。
あなたはどのような方なのでしょう?
噂ではとても頭がきれる反面、非情なところもお持ちになっているとか。端麗な容姿なのに親しくしている女性もおらず、女嫌いなのではという噂まで立てられているそうですね。
ほんとうのところはどうなのでしょう?
私の母などはいまから心配して、いつでも帰ってきていいなどと言っています。私がつらい目に遭うともう決めつけてしまっているかのようです。
ですが、私は心配していません。
だって噂は噂ですから。この目でたしかめるまでは私は信じません。
それに、ね。冷淡に見えるひとほど情が深いということもよくある話でしょう?
案外、そちらのほうがありえるのではないかと私は思っています。あなたはきっととても優しいひと。私はそう思っています。
ですがこれは政略結婚ですから。表面上さえ仲良くやってくれればいいとも私は思っているのですよ。もし、あなたが私のことを好きになれなかった場合に。
私はなにも文句を言いません。
あなたが私をきらっても。側室の女性を何人作っても。
だって、そっちのほうが。
お別れがさびしくないでしょう?
私はどうしてだかそれが心配なのです。まだ会ったことさえないあなたがどのようなお方かということよりも、あなたと別れのときがくることが。
不思議ですね。
この結婚は、始まるまえから終わりの香りがしているみたい。
……いいえ。種明かしをしてしまいます。
私は、お医者さまに三十歳までは生きられないだろうと言われたことがあります。
子供のころのお話です。いまはもう、体が丈夫になって変わっているかもしれません。でも……
私はきっと、あなたより先に死にます。
そのときあなたはどうするのでしょう?
あなたはきっと情が深いひと。妻を亡くしたとき、とてもとてもかなしむでしょう。
それは私にとってもつらいことです。
あなたが私を好きにならないよう、嫌われるようなそぶりをしてみましょうか。私はあなたに愛されたくない。そんなつめたい言葉でも言ってみましょうか?
……いま、手紙を書く手を止めて練習してみました。
だれかを傷つけるのはとても難しく、つらいことです。私はうまく言えるでしょうか。
それに、面と向かったあなたが思っていたより非情ではなかった場合もあります。
だれかに裏切られた経験から他人につめたくしているとか。王太子という立場から安易にひとを信用できないとか。
そんなときは私はあなたに嫌われることをやめて、あなたの孤独によりそおうと思います。
愛されなくていいの。ただ、あなたのさびしさをすこしでもやわらげることができたらそれで充分。
でも、もし、夫婦として暮らしていくなかで。
あなたが私を愛してしまったら。
私が死んだとき、あなたが生きていけないほどのかなしみに襲われたら。
私と、離縁してください。
もちろんルネリ教は離縁を認めていません。だから、気持ちの上でです。
私をあなたの妻ではなくしてください。そして。
ほかに愛する女性を────作ってください。
ええ、そう。きっとそのほうがいいわ。
私よりもきれいで優しい奥さんを作ってください。そして、私といたときよりもあなたはもっと幸せになるの。そうしてください。
私はきっと、あなたより先に死んでしまうけれど。
私のことなんてすぐに忘れて。
大切な女性と、新しい生活をはじめてくださいね。
1811年 3月5日
マレリーナ・ストエカス
それは私にとって信じがたい手紙だった。
だが何度読みかえしても内容は変わらず。疑いようなく、妻の字だった。
「父上……、」
手紙になにが書いてあったのか聞きたそうにニーディアが私を呼ぶ。すこし待ってくれ、と彼に言ってから私は再び手紙を読みかえした。
けれどやはり内容は変わらない。
結婚式前日の妻が書いたと思われる手紙。そこには……、彼女が自分は若くして亡くなることを知っていたということと、自分が死んだら離縁してほしいということが書かれていた。
彼女を失った私が、かなしまないために。
「そんなこと……」
できるはずがない。妻を亡くしたからといって新しい女性を愛するなどと。
──彼女は私を想って言ってくれているのだとわかっているが。
マレリーナ以外の女性など、私には考えられなかった。
……きみだけだ。マレリーナ。
私が愛する女性は、生涯できみひとりだけだ。
どうしてわかってくれなかったんだ……!
私は手紙をニーディアに渡す。
彼もそこに書かれていることに驚いたようだ。懐かしい母親の字を見て目に涙が浮かび、それを何度もぬぐいながら読みおえたあとで彼は「──母上は」と言った。
「この手紙を書いたことをお忘れになっていたのでしょうか」
「……どうだろうな。毎日慌ただしかったし、その可能性もある」
「これは僕の想像ですが、」
私は彼の顔を見る。
マレリーナの面影を残す息子は、手紙を見つめたままつぶやいた。
「母上は──もしかしたら、この手紙を父上に読んでほしくなかったのかもしれません」
「……どういうことだ?」
「あえて渡さなかったのかも、と思ったのです。
もし母上がご自身が長くないことをご存じでしたら、父上のためにこちらを渡そうと考えたでしょう。ですが母上はだれにも手紙を父上に渡すよう頼まなかった。
それは……父上にこの手紙を読まれたくなかったから。ずっとずっと父上の最愛のひとでいたかったからではないか、と思ったのです」
「────」
「ご自身が息を引きとったあとも。父上とはなればなれになったあとも。
ずっと、父上に愛されていたかったからではないかと」
──私が死んだあと、あなたはどうするの?
ふいにマレリーナの声を聞いた気がした。私ははっとしてベッドのほうを見る。
──私が死んだら、あなたはべつの女性を愛するのでしょうか
──それでもかまわない。でも、私は
マレリーナは私を見てさびしそうに笑う。
──あなたのことを、永遠に愛しています
「……マレリーナ……」
それは、いつでも文句を言わず私を支えてくれていた妻が言った最後のわがままだった。
まだ私の妻になるまえに彼女が書いた、未来の夫を想って綴った最後の手紙。彼女はそれを渡さなかった。
つまりこの手紙に書いてあることは────
────すべて、真逆。
「……私もだよ、マレリーナ」
私は永遠に。
きみを、愛している。
それから私は自らの勤めを再開した。
迷惑をかけた。私が頭を下げると、ジャレオンは『きょうだいならふつうのことさ』と気さくに片手を挙げて応えた。
家臣たちも私を責めるようなことはなにひとつ口にせず、マレリーナさまはとても素敵な方でしたから、と言った。このときは私もかれらの言葉を素直に受けいれられた。
──そうだ。マレリーナは、とても素敵な王妃であり妻だったのだ。そして、
「母上が話してくれた物語を書きとめることにしました」
マレリーナが亡くなってかなしいのは私だけではない。子供たちも同じだ。
けれど辛いのは自分だけかのような顔をしていた私を責めもせず、ニーディアは私にノートを見せた。眠れない夜、マレリーナが話してくれた物語を書きとめたノートを。
「こうしていると母上がそばにいる気がするのです」
「そうか……」
「セレナがもうすこし大きくなったら。僕から、彼女に読み聞かせてあげるつもりです」
私はうなずき、いい心がけだ、とニーディアの頭をなでた。
いずれセレナも自分の母親が天国へ旅立ったことを実感として知るだろう。そのとき、兄が語る"物語"が彼女のキャンパスに素敵な色を描いてくれればいいと思った。
──マレリーナ。きみと私の子供は、立派に成長しているよ。
私が知らないうちに季節は夏の終わりへと変わっていた。
『白い小鳥の家』の裏庭で咲きほこっていたはずのイエロー・スプラッシュは生命を謳歌してあとは朽ちてゆくだけとなっている。
普段なら無残に見えるうなだれたその花たちが、私にはとても愛おしかった。そのぶんだけかれらは自分の生を生きたのだから。
もうじき、裏庭には面影桜が咲く。東洋から輸入した慎ましい薄桃色の花だ。
名前は東洋の国の伝説による。帝がある晩、亡くなった妻をひとりで忍んでいると庭にひとの気配がする。不思議に思って帝が見にいくと、妻が月光の下でさびしそうに佇んでいた。
あっ、と思って声をあげると彼女は消えてしまった。
帝は庭へと降りて方々を探したが妻はもうどこにもいない。
夢を見ていたのか、と首をひねったとき彼は気がついた。妻が立っていたところに小さな薄桃色の花が咲いていることに。
彼はこの花は妻の化身だと信じ、面影桜と名づけたという。
この伝説がどこまで事実に基づいたものかはわからないが──。
同じようなできごとが私にも起こればいい、と願わずにはいられない。そしてどうか。
私は元気でやっていると、彼女に伝えられますように。




