1 戴冠式の話(Mallerina)
「……言えませんでした」
ふたりが部屋からでていったあと、私はあなたにそう言いました。
ああ、とベッドの傍らに立っていたあなたは涙を堪えながらうなずきます。
「ふたりは私の病気が治ると信じているのに。──一緒にいられるのは春までだなんて……」
「……いいんだ、マレリーナ」
「真実を告げると決めたはずなのに。私は……!」
ふたりに嘘をついてしまった。
そのことがふがいなくて、やるせなくて、私の両目から涙があふれました。あなたは私のそばへくると私を抱きよせます。
「いいんだ、マレリーナ。あれは必要な嘘だった」
「ですが、」
「ふたりもきっとわかってくれる。だから気にしなくていい」
私はふたりがくれた瑠璃色の小石を胸のまえでにぎりしめました。
すべて夢だったらいいのに。私が不治の病になったことも、かれらを──大切な家族をみんな置いていかなければいけないこともすべて。
それよりも、とあなたは私をきつく抱きしめたまま言います。
「私たちの話をしよう。特別で、ありきたりな夫婦の話を────」
戴冠式はおごそかにおこなわれました。
場所は私たちが式を挙げた大聖堂。国内外の代表たちが見守るなか、王冠はあなたのおとうさまからあなたへと引きつがれました。
『父に従わぬ』純金の王冠をあなたの頭に載せ、王位を退いたおとうさまは低く唸るように言いました。『そのような息子が存在してもよいのだろう。これからはおまえたちの時代だ』
戴冠式用の椅子に腰を下ろしているあなたはおとうさまのお顔を見上げ、わずかにうなずきました。
おとうさまと決別するように。あるいは、人生で初めて向きあうかのように。
そしておとうさまは新しい王が誕生したことへの祝辞を述べましたが、ほんとうに新国王が誕生したのはあの数瞬だったと私は思っています。
そのあとであなたは城へもどり、二階のバルコニーから広場に集まった国民たちに向けて王としての挨拶をおこないました。隣で聞いていた私はよく憶えています。まだ幼かったニーディアとセレナは国民に顔を見せただけで城内にもどりましたが。
『──私は』
リトナーク王国軍の制服に着替えたあなたは凛として美しく、同時に国王としての覚悟を身にまとっているようでした。リトナーク王国の国花をイメージした白色のドレス姿の私は、あなただけを死地に立たせているような気がしたほどです。
もっとも国民たちには式典の際の正装以上の意味はなかったでしょう。かれらは新国王の誕生に両手を叩いて喜び、口々にお祝いの言葉を叫んでいました。
あなたはそれを笑顔で受けてから、私は、と話しはじめたのです。
『私は、いままで国のために尽くしてきたつもりだった』
自国の情勢をよく知り、他国との連携を取り、一番の懸念であるルグミアン帝国の動きを警戒する。ほかにも王太子としてやれることはすべてやっていたつもりだった。
『そのうちのひとつがここにいるマレリーナとの結婚だ。彼女と婚姻を結ぶことで、リトナーク王国はストネル王国と結びつきができる。私にとって彼女の結婚はそのためのものでしかなかった』
けれど。
実際に彼女と過ごすうちに、それは変わっていった。
『私は──マレリーナを心から愛しはじめるようになった』
あなたがスピーチでそんなことを言うとは思わず、私は思わずあなたの横顔を見ました。あなたの顔は真剣で、場を和ますジョークかと思った国民たちも笑顔を引っこめてあなたの話に聞きいります。
『ストネル王国の王族の女性であればそれでいい。ほかに、結婚相手にはなにも望まない。それだけの話だったのに、私はいつからか彼女以外の相手など考えられなくなっていた。
彼女も王太子妃から王妃となった。彼女の働きは私よりも諸君のほうが詳しいかもしれない。私には崩せなかった某女王陛下の牙城を崩し、陛下をもってして『親友』と呼ばれるほど親交を深め、我が国の女性の地位向上に力をそそいできた。彼女がよき王太子妃であり、これからはよき王妃となることはだれの目にも明らかだろう。
私が側室を持たないことに不満の声があったことは知っている。だが、私はもうマレリーナ以外の女性を愛せない。
幸いにして私たちはふたりの子宝に恵まれたが──もし私たちが子供をなすことができなくても、それでよかったとすら思っている』
王族にとって血を残すことは使命のようなものです。
それを否定するような発言に国民たちはざわつき、記者たちは飛びつくようにペンを走らせましたが、『なぜなら──』あなたの次の言葉を聞いてすぐに静かになりました。
『なぜなら、私は王太子妃ではない素顔の彼女を愛したからだ。
そして私もまた、王太子としてではなく素顔で彼女を愛してからだ。
ただの男と女の間に子供ができなかったとしてだれが咎めるだろう。そう思ったとき、私は自分が重大な過ちを犯していたことに気がついた。
私はこの国のために尽くしてきた。
だが、国民たちのために動いていたかどうか。
国のために政治をおこなえばそれは必然的に民たちのためになるだろう。だがそれは理屈でしかない。私はほんとうに──あなたたちに向きあっていただろうか。国民ではない、ひとりの人間としてのあなたたちを愛することができていただろうか。
慣習に従う。それも大事だ。だが、私たちが地位や職務を離れてただのひとりの人間となったとき、その慣習は果たしてどこまで必要なのだろう。それは愛する妻をないがしろにしてまで守らなくてはならないことなのだろうか?
否、と私は言いたい。
ひとりの王としてここにいるために。ひとりの男として、あなたたちを守るために。
私は──新しい歴史をここから作っていくことを宣言する』
広場は水を打ったように静かになりました。
けれど、あなたが毅然とした動きで一礼をすると。
拍手と喝采が湧きおこって。ユーリク王万歳、と国民たちが笑顔で唱和する声で広場は満たされました。
──あんなにつめたかったあなたが。
結婚式の日のことを思いだし、私はつい涙ぐみました。それに気づいたようにあなたは私を振りむき、優しく微笑して腕をさしだしてきます。
私は涙をぬぐってあなたの腕を取りました。
そして広場へ向けて手を振ると歓声はさらに大きくなります。
ユーリク王、万歳。マレリーナ王妃、万歳。
新しいリトナーク王国、万歳……
いまでもまぶたを閉じればあの日のことが鮮明によみがえります。
おとうさまに課せられた慣習に苦しんでいたあなたがあのようなことを言うことができた。妻としてとても誇らしかったわ。
王となったあなたはいままで以上に忙しく国内外を飛びまわり、習慣にしていた家族でのディナーもなかなかとれないほどでしたが、そんなあなたを支えられるだけで私は幸せでした。
いつか、家族四人でどこかに旅行へいこう。
私たちがさみしくしていると思ったのでしょう、あなたはそう言ってくださいましたね。
実現できるかどうかはわからない。でも、私とニーディアとセレナはちゃんと計画を立てたのですよ。ふたりは行きたい国がよく変わったから、変わるたびに、何度も。
子供たちにつきあいながら、私はこれはどうせ夢でしかないと思っていた。楽しい計画を立てることが目的の、夢。
でもあなたは本気で旅行にいくつもりだったのでしょう?
まとまった時間が作れたら。すぐにでも。
ねえ、あなた。その引きだしを開けて。
『旅行計画』と書いたノートが入っているでしょう?
私たち三人で立てた計画です。たくさん、いきたい国を選んでおきました。
一生かけてもいききれないほどです。
ねえ、あなた。
私の病気が治ったら、みんなでいきましょうね。約束よ。




