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4‐2 ニーディアとセレナの話



 ベリアット侯爵夫人への誤解は解け、ルグミアン帝国の動きはそのころにはひとまず沈静化していた。きみがストネル王国に帰る理由はなかったが、ニーディアが無事に産まれたことによりひとつのジンクスができていた。


 きみの故郷なら赤ん坊が無事に産まれてきてくれる、という。


 だからきみがストネル王国に帰ると申しでたとき私は止めなかった。むしろ、いってきてくれ、と進んで送りだした。──私もまた、ひとりめの子を失ったことが消えない傷となっていたのだろう。


『ははうえだけでいくのですか?』


 ディナーの席でそのことを告げられたとき、ニーディアはびっくりした顔でそう問いかけてきた。『ニーディアがいたらマレリーナが大変だろう?』私は大人の理屈で彼を諭し、一度母親の顔をちらっと見たあと、わかりました、とニーディアはものわかりよくうなずいた。


 私たちが結婚して六年目の秋。


 きみは膨らんだおなかをかかえてストネル王国へと帰郷し、私とニーディアは『白い小鳥の家』に残ったのだった。


 どうして彼をもっと気にかけてやれなかったのだろう。


 母親と引きはなされた子供がさびしくないわけがない。それは私自身身をもって知っているはずだったのに、ニーディアは大人びた子だからだいじょうぶだ、と決めつけてそれ以上深く考えようとしなかった。彼が乳母によく懐いていたのもあるが──それは言いわけでしかない。


 マレリーナにお手紙を書こうと言えば、彼は母親が安心するようなきちんとした手紙を書いた。


 きょうはどうしても帰れないからひとりで食事にしてくれ、と言われても文句ひとつ言わず私を送りだした。


 完璧な、ものわかりのいい私たちの息子。


 セレナが産まれてからも彼はなるべくそうあろうとしていた。ニーディアは兄になったんだ、これからは(セレナ)を守ってやってくれ、という私の言葉に真剣な顔でうなずいてくれた。


 過剰な願いだとどうしてわからなかったのだろう?


 あの日は朝から雪がちらついていた。めずらしく時間があいた私は『白い小鳥の家』の居間へといき、暖炉のまえで読書をしていた。きみはソファで赤ん坊のセレナをあやしていて、ニーディアは隅の机で簡単な計算問題を解いていた。


 そして彼はふと顔をあげて、『あの』と私たちに呼びかけた。わからないところがあったのだろう。


 だがその直後にセレナが大声で泣きわめいて、『すまない、あとにしてくれ』と私はセレナのまえへと行って彼女をなだめることに必死になった。きみも似たようなもので、


 ──セレナがようやく泣きやんだあとでニーディアがいないことに気がついても。

 いつ彼が部屋をでていったのかすら、私たちは知らなかった。


『ニーディア……?』


 私は急いで侍女たちに宮殿のなかを捜索させた。けれど、どこにも彼はいないという。


『ちゃんと探したのか?』

『は、はい。クローゼットのなかまできちんとお探ししました』


 侍女たちはお互いの顔を見てうなずきあう。


 宮殿のなかにいないとしたら──外?


 私はぎくりとして窓の外を見る。音もなく降っていた淡雪は質量を増し、地面は白く覆われはじめていた。


 ──こんななかでていった?


『あなた……』


 きみが青ざめた顔で私を見る。私は『外を見てくる』と言って、側近があわてて持ってきた外套に袖を通すと外へと飛びだした。


 子供がひとりで城外へでることはできない。だから城壁の内側にいるのは間違いないが、それだって範囲が広すぎる。ましてやあんな小さな子ひとり!


 私は白い息を吐きながら雪のなかを駆け、ニーディアの名前を呼んでまわった。だが足跡ひとつ見つからない。


 せめて建物のなかにいてくれればいいが。


 じっとりとした雪はみるみるうちに私の体温を奪っていく。このなかで震えている我が子の姿を思いえがき、私は『ニーディア!』と大声で叫んだ。


『ニーディア、どこにいったんだ。でてきてくれ!』


 不安はやがて自己嫌悪も引きずりだした。


 私があの子を見ていなかったからだ。どうして部屋をでていったときに気づかなかった? 父親失格だ!


 いや、きょうだけじゃない。私は優秀なニーディアを尻目に目が離せないセレナばかり気にしていた。彼が傷つくのも当然だ。父の呼びかけに返事をしてくれないのも。


『ニーディア! 私が悪かった、だから』


 だから、どうか無事でいてくれ。

 祈るような想いで叫んだとき、視界の隅でなにかが動いた。


 私ははっとしてそのほうを見る。


 母が棲んでいる塔。その扉の隙間からこちらを窺うように、ニーディアが顔を覗かせていた。


『ニーディア……』


 私は力を振りしぼって彼のもとまでいった。扉を開き、床へと膝をついて彼を抱きしめる。


 彼の体は細かった。そして、つめたく冷えきってしまっていた。


 すまなかった、と私は言った。


 そのつめたさに。その細さに。


『セレナのことばかりでおまえのことを気にかけてやれていなかったな。さびしかっただろう』

『……うん』

『こんなに冷えて。ああ、手も真っ赤じゃないか』


 私はニーディアの体を離し、彼の手を取って両手でこすった。その様子をじっと見つめたままニーディアは『セレナがいればぼくはいらない?』と涙声で尋ねてくる。


 そんなわけないだろう、と私は彼の顔を覗きこんで言った。


『ニーディアもセレナも私たちの大事な宝物だ。そんなこと言わないでくれ』

『ほんと?……』

『ああ、ほんとうだよ』


 私は彼の頭をなでる。


 それがきっかけになったのか、堰を切ったようにニーディアは泣きはじめた。産まれたばかりの赤子のように。大声で。





 私の外套を着せた彼を抱っこして『白い小鳥の家』まで帰る途中、私は彼にどうしてあの塔にいたんだと尋ねてみた。


 咎められたと思ったのか彼は身を縮こまらせる。『叱ってるわけじゃない』と私は諭し、なにか理由があったのか、と優しく聞きなおした。


 ニーディアは答えた。なんとなく──と。


『なんとなく、あそこがほっとしたから』


 彼に私の母親の話はしていない。それでもなにか通じるものがあったのだろうか。


 しんみりするような不思議な気持ちになりながらサロンにもどると、きみはセレナをアンニカ夫人に預けてニーディアを抱きしめた。


 母親のまえではやはりかっこつけたいのだろうか。『寒かったでしょう、ニーディア』と言われて『心配いりません』とニーディアは答えた。


 ぎゅっ、と。母のドレスをにぎりしめながら。


『……そうね。あなたはつよい子だもの』


 でもおかあさまが寒いの、だから一緒に暖炉のそばへきて、と言われてニーディアはこくりとうなずいた。きみは微笑みながら彼の頭をやさしくなでて、私に目くばせをしたあと、ニーディアを赤々と燃える暖炉へのまえといざなったのだった。

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