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3 ベリアット侯爵夫人の話(Eurich)



『王太子殿下、ごきげんよう』


 ベリアット侯爵夫人は黒髪に青い目を持つ三十代の女性だ。夫はすでに亡くなっている。


『本日はお時間をとっていただきありがとうございます』

『そんなにかしこまらないで。紅茶でもいかが?』

『いえ、今日は茶を飲みにきたわけではありませんから』


 彼女の私室は城の一角にある。深紅でまとめあげられたその部屋は官能的で、彼女の体臭と混ざりあった香水の香りに満ちていた。

 ──いつでも清潔にしていた母とは正反対だ、と私はソファに腰を下ろしながら思った。


『あまり時間はないようね』


 彼女は結いあげた髪に原色の生花を飾り、胸元を大きくくつろげた深緑色のドレスを着ていた。このまま絵画として飾っても文句のつけどころがない完璧な装いだ。


 私の正面に座り、『本題に入っていただける?』とベリアット侯爵夫人は言った。


 私はうなずく。


『ルグミアン帝国の動きをどう見ますか?』

『戦争も面白そう』


 彼女は艶めくくちびるを曲げて笑う。『飢えた土壌に血をやるいい機会だわ』


『──本心ではありませんよね?』


 ふふっ、と彼女は声をあげて笑った。ええ、もちろん。


『戦争で肥える国と痩せる国は決まっておりますわ。資源が乏しい我が国はもちろん後者。回避できるならそれに越したことはございません』


 冷静な分析だ。私の父は彼女の美貌以上にこの頭脳に惹かれているのだろう。安易にシムルカ皇帝がかわいそうだと言わないようなところにも。


『あなたなら戦争を止めるためにどうなさいますか?』

『皇帝派と側室派を潰しあわせて国力を下げさせればいいの。皇帝派が勝てばそれでよし。側室派が勝ったとしても、激しい内乱のあとなら容易に倒せるわ』

『……なるほど』

『皇帝派を暗殺しろ、なんて答えがでてこなくて安心したかしら』


 表情にださないほどの冷静さは私も持っていた。『どういう意味ですか?』


 ベリアット侯爵夫人は肩をすくめて苦笑する。


『私が王太子妃殿下を暗殺しようとしているという噂が立っていることは存じておりますわ。産まれた子供に爪を立てようとしているのではないかということも』

『そのような不遜な噂をするものが城内にいるのですか。厳しく罰しましょう』

『腹芸は苦手なのね。王太子殿下』


 彼女の爪は鋭くとがっていた。その爪で彼女は自分の髪をかき、『よろしいのですよ、単刀直入におっしゃっていただいて』とやや退屈したように言う。


『私の妻と子供に手をだすな、と』

『…………』

『でも、みなさまもうすこし考えてもらいたいものですわ。私が第一容疑者候補にあげられているときに行動するとお思い? それも国王陛下にとってはかわいい義理の娘と孫を害するなんて。陛下はあなたとあなたの奥さまに冷酷なことをおっしゃったでしょうけれど──実の孫の顔を見たら溺愛するにちがいありませんわ』

『たとえあなたでも……』

『ええ、たとえ私でも害をなしたら赦さないくらいに。

 ──信じられないのなら誓約書でも書きましょうか?』


 私がなにか答えるまえに夫人は立ちあがり、書き物机のまえに座ると便箋に羽ペンでさらさらとなにかを書いた。そしてもどってきてテーブルの上にそれを置く。


"私、ヴィロー・ベリアットはマレリーナ・ラムズイヤー夫人とその子供にたいして一切の手出しをしないことを誓います"


 私は彼女の顔を見た。ベリアット侯爵夫人はソファに座りなおし、『よろしいですか、王太子殿下』と余裕たっぷりに言った。


『噂はジャレオンさまをはじめ、あなたのごきょうだいが私の子供であるという推測にもとづいて立てられています。ですが、それはただの妄想でしょう?』

『ジャレオンはあなたの子ではないと?』

『ええ、もちろん』


 膝の上で両手を重ね、ベリアット侯爵夫人は宣言する。


 裁判所で宣誓でもおこなうかのように、毅然と。


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『…………』

『もうよろしくて?』


 私はうなずいた。


 公妾。父の愛人。母を塔へ追いやった張本人。思いえがいていた像は、私の頭のなかで勝手に創られたものだったことを自覚しながら。


 私は彼女のことをもっと残酷で意地汚い女だと思っていた。だが。


 目のまえにいる彼女もまた──この国の慣習に苦しんでいるひとりでしかなかった。


 立ちあがった私に対してベリアット侯爵夫人は美しい礼をする。


 その手の甲に彼女自身の爪が食いこんでいるのを。私は、王太子として礼儀正しく見ないふりをした。

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