2 私たちの子供の話(Eurich)
ねえ、あなた、と私の提案を聞いたきみは言った。
「私はもうすぐ死ぬのですね」
きみの瞳に先程までの自暴自棄な色はなかった。私の瞳を春の湖面というのならば、湖が焦がれてやまない空のような、清涼な。
そんな目できみは私を見たから。
私も、うなずかずにはいられなかった。
「もって春だろうだと……ドラー医師は言っていた」
「そうですか」
きみは応え、窓の外に視線を向ける。
これまでずっときみにはなんでもない病気だと嘘をついていた。きみ自身が嘘だと気づいている、そのことに気づいていても。
無意味な嘘だった。けれど、必要な嘘だった。
私の口から真実を聞いて。それでも静かに、きみは裏庭を見ていた。
それなら、ときみは地面から芽吹きはじめたメイデン・ベルを見渡しながら言う。
「彼女たちが咲くころ、私は永遠の眠りにつくのですね」
きみがニーディアを身ごもったのは、私たちが結婚して三年目の春だった。
きみは表面上はいつもと変わらずふるまっていた。明るい笑顔。優しく聡明な会話。けれど、その胸にはくびきのように『もし産めない体になっていたら……』という不安が突きささっていたにちがいない。
私にできることは国王派からきみを守り、ふたりの未来を信じることだけだった。
アンニカ夫人をはじめ、きみの侍女たちは世界中から妊娠しやすくなる方法を集めてきていたようだね。男である私には踏みこみすぎた話だから様子を窺うことしかできなかったけれど、そうやって親身になれる侍女たちがうらやましかったよ。
彼女たちの支援のおかげもあってきみはふたたび子供を授かった。そして私に言った。
この子はストネル王国で産みたいのですがよいでしょうか、と。
三ヵ月まえにシムルカ皇帝の暗殺未遂騒ぎが持ちあがっていた。寵姫派がやったと目されていたが、寵姫派を排除するための皇帝派の自作自演だという声もあり、ルグミアン帝国は緊張を極めていた。いつ内乱が起きてそのとばっちりがこちらにきてもおかしくなかった。
距離的にはリトナーク王国よりもストネル王国のほうがかの帝国よりも遠い。けれど、きみが懸念していたのは戦乱の火の粉がふりかかることではなかった。
暗殺。
その二文字を、きみはリアルなものとしてとらえていた。
塔にこもりきりの私の母──王妃のかわりに政をおこなっているのはベリアット侯爵夫人だ。ジャレオンは彼女の長男であり、ほか、王となしたとされる子供が下に三人いる。公然の秘密というやつだ。
──私たちに子供ができず、私が継承権を剥奪され、我が子が王になるほうが彼女にとっては嬉しいのではないか?
初めての子供が流れて以来、きみと私は国王派のつめたい視線にさらされてきた。味方よりも敵が多いなかでそんな考えを思いついてしまうのは仕方のないことだった。
心配はいらない。きみのことは私が守る。
故郷で出産するというきみにそう言えたらどれだけよかったか。だがルグミアン帝国の動きが不穏ないま、外交は王太子としての私がもっとも優先するべきことであり、そしてそれをないがしろにすればきみどころかこの国さえ失ってしまうかもしれない立場に私はいたのだった。
ほんとうはきみをずっとそばで守りたかった。きみと私の子供が産声をあげるところを一番に見たかった。
私は父親としての願いを押しかくし──わかった、ときみの里帰りの手配をした。
私が王族でなければきみのそばにいられたのだろうか。考えても仕方のないことを考えながら。
シムルカ皇帝との手紙のやりとりは間隔をあけつつもつづいていた。他国の王太子である私に心情を吐露するはずもないが、それを考慮しても彼の文章は落ちついていて、とても暗殺されかけた七歳の子が書いているとは思えないときがあった。
私はきみの勧めにしたがって中庭の果樹の様子だの迷いこんだ小動物の様子だのを書いていたが。時々、大人なのになぜこんな甘い空想めいたことを書きつらねているのだろうと考えるときもあったよ。
きみが出産のためにストネル王国に帰ったことを私が教えると、彼は手紙にこう綴ってきた。
『運命とは、すべての物事があるべき場所におさまることです』
彼の耳にも、リトナーク王国の王太子妃がひとりめの子供を不慮の事故でなくしたことは届いていただろう。
赤子が産まれるまえに亡くなったことを運命として受けいれ、次の子供が産まれることもまた、運命として受けいれる。
幼帝の人生観を私は感じ、ここまで達観するまでに彼がどれだけの目に遭ってきたのかと思うと私は寒々としたものを覚えたのだった。生半可な器では耐えきれなかっただろう。
だが、彼はあとで私にこう語った。もし私から届いた手紙がなければ、自分は自らを殺すか側室派をすべて処刑していただろうと。
私のペンを通してきみが紡いだ甘い空想。
そこにシムルカ帝王は『希望』を見たのだった。真っ黒く塗りたくられたように見えるこの世界に、まだ汚れていない色があると彼は信じることができたのだった。
もしもシムルカ帝王が自ら毒を飲まれていたら──当然、寵姫派が権力を握る。戦争は免れない。
また、寵姫派をまとめて処刑していたとしても……完全に根絶やしにすることは不可能だ。隠れて支持していたものたちが口実ができたとばかりに反旗を翻し、彼は帝位を追われ、やはり側室派が実権をにぎって戦火が広がっていたはずだ。
ほんとうに不思議だ。他愛のないあの言葉たちが、戦争を結果的にとめたなんて。
けれど、あのときの私にはそんなことはわからなかったしきみにとって恐れるべきは内部にいる敵だった。ベリアット侯爵夫人と、その取りまき。
きみのためになにができるか考えた私は。
彼女と、一対一で話ができるよう申しこんだのだよ。




