第219話 女神達の秘密~春と夜の女神:後編~
楽園で殺され――落ちた先の世界……つまり冥界でも兄は力強く生きた。
悪食と呼ばれるほどに全てを喰らい、天を睨み、神々を底の世界から睨み上げ――。
遂に死者の世界を支配し君臨した。
それが兄レイヴァン神が冥界神となったとされる逸話。
だが兄は大魔王ケトスが世界を滅ぼした時に共に滅んだはずだ。
しかし……まつろわぬ女神達は大魔王ケトスによる滅びからも逃れ、生きていたのだ。
ならば――世界と共に消えていたと思われた兄が生きていても、不思議ではない。
既に女神という例外があるのだから。
そして一つの例外があるのなら可能性は無限に存在する。
観測する前ならば、魔術でその可能性を実現させることとて可能だろう。
私は皆に兄の逸話を告げ、理論上はあり得ると式を浮かべて語っていたのだ。
「見る前ならば可能性は無限に存在する。そして可能性があるのならば、魔術でその可能性を掴むことができる。実際は既に消えてしまっていたとしても、観測者側からの可能性があるのならば――たとえゼロでもゼロではなくなる。ゼロでないのなら……どうとでもなってしまうのが魔術。それも一種のシュレーディンガーの魔猫、とでもいうのでしょうかね――」
仮にあの大魔王ケトスの世界崩壊で兄が生き延びたとしたら。
何をするだろうか?
おそらくは、弟たる私を勇者に殺させた世界を嘆き。
泣いた魔猫に同情をし。
一つの答えを導き出したのではないだろうか。
兄もまた魔性。
魔性とは感情を制御できない存在。
そして感情とは心であり、魔力と直結する概念。
だから。
「兄もまた、世界のためにこう願った。世界を滅ぼし全てを冥界に落とし支配することで平和を齎す。冥府による安寧と平和を決意し、動いていた。その先兵の一柱としてあなたが選ばれたのですね、夜の女神ペルセポネーよ」
夜の女神が朗読じみた口調と共に、スゥっと枯れ木のような腕を伸ばし。
『然り――汝が勇者に殺された、あの瞬間。魔猫ケトスは泣いた。それは終わりの始まり。北欧に伝う最終戦争の際に鳴らされるギャッラルホルンのように。黙示録に刻まれし終末を告げる管楽器のように……。汝の死は、世界の終わりを告げるに等しき、鐘の如き響き』
相変わらず少し古く硬い言い回しを好む、独特な感性と語りを持っている神である。
これも彼女の個性だが――。
「可能ならば皆さまに分かりやすくお伝えしていただきたいのですが」
『善処はした、なれど朕の言の葉はこうであれ――と、そう歪められておる』
冥界の女王ならば荘厳な語り口調だろう。
そう人類に思われたからこそ、彼女はこのように語るのだ。
これも女神達が願いによって召喚された存在である裏付けに思えるが――ともあれ。
「――あなたがどう指示を受け、どう動いていたのか。それは知りませんが……何故今はこうして世界の存続に協力しているのでしょう。そこが分からないからこそ、衝突が起きる可能性がある。皆もあなたを敵と判断したらいいのか味方と判断したら良いのか、分からなくなっていると思うのですが」
『そうであるな――』
先ほどまでアシュトレトが操作をしていた、モニター化した宇宙空間を操作し。
夜の女神は僅かにくぐもった声を漏らす。
『朕は冥府の地にて、大魔王ケトスにより世界と共に滅ぼされたレイヴァン神の魂を、現世に戻そうと魔力を注ぎ込んでいた。長きに渡り、力を注いだのじゃ。三女神から戯れにこの混沌世界を創らぬかと誘われた際も、嗚呼、この世界の力を少しずつ、少しずつ、かの神の再臨のための力にできると悟り――頷いたのだ』
昏きオーロラ色の空には、世界創世の瞬間の景色が流れ始めている。
多くの女神達が集い。
それぞれに持ち寄った世界の欠片を、無ともいえる混沌の坩堝に流し込み。
全員が全員、女神としての権能を発動。
そして起こる現象は、神が意図的に発生させる超新星爆発。
そのエネルギーこそが始まり。
世界を創り、命の素となる物体を生み出すきっかけとなるのだろう。
この景色は神話そのもの。
観戦席にて、偶然この光景を眺めていた聖職者にとっては絶大なアドバンテージ。
何よりも貴重な情報を得られたことだろう。
なにしろ世界誕生の瞬間を、創造神から伝えられているのだ。
手を合わせ、涙を流す神官の姿も数人観測できる。
……。
これは、後でこの光景を誰でも閲覧できるようにしておかないと、後に利権に使われそうである。
まあ、その辺りは文官と相談するとして。
私は静かに夜の女神の語りに耳を傾ける。
『この世界の一大陸を居場所としながら、朕はこの混沌世界で得た力をレイヴァン神再臨のために注ぎ続けた。無論、この世界には害がないように配慮してな――滅びた世界の、滅びた神の再臨には長い時が必要であった。それこそ、この混沌世界の終わりを眺めるほどの時間がかかると、朕は覚悟をしておった。だが、それでも良いと思った。それで良いと感じた。何故ならば、かのレイヴァン神が目覚めたその時こそが世界全てが破壊される日。生きとし生けるモノ全てを殺し、自らが冥界神となった世界で、誰も、何も、傷付かない優しい世界を創る……その願いが果たされてしまうのだから』
どう言い繕ったところで、滅びは滅び。
全てが冥界に沈んだ世界で、無限に、平和に生きる事が幸せかどうかは……。
アシュトレトが言う。
『――というか、貴様。よくぞまあ、妾たちにも気づかれぬように力を送れたものじゃな』
『ぬしら三女神は強大な力を持つ故、道を這う弱きモノに気付かぬ性質がある。故にこそ、朕は弱きモノを運び手として、力を動かしておった。ただ、それだけの話よ』
眺めていた炎舞君が口を挟む。
『三女神様は父と同じ弱点を有している、というわけですね』
『ふむ、まあそうさな――いちいち足元を這うアリなど気にせん。そこを突かれたと。妾達もまだまだ甘いということか』
……。
私の脳裏には一つの仮説が浮かんでいたが――。
「まあ、三女神の弱点はともかくとして。いったいなぜ、その計画は途中で頓挫したのでしょう。今もなお世界は滅びてはおらず、そしてあなたは滅ぼすどころか世界のために動いている。何か理由があったとしか思えません」
『途中で――世界を滅ぼす存在となる筈のレイヴァン神を、横から呼び起こしたものがおったのだ』
「あなたですら時間をかけずには再臨できない存在を、呼び起こす……ですか。いったい何者が……」
本当に分からず眉を顰める私に、あぁ……と気まずそうにするのは燃える炎の髪を揺らす青年。
「炎舞さん? 何かご存じなのですか?」
『その、なんといいましょうか――はい。それは父と、我々の世界の、魔王陛下の仕業かと……』
言って、炎舞君が取り出したのは歴史的な大事件を記した逸話魔導書。
貴公子はその一節を開き。
映像化。
まるで――私の母スノウ=フレークシルバーが、試験管の中で兄を作り出した時のような、そんなホムンクルスともいえる人影が魔術液の中で浮かんでいる。
液に浮かぶ兄と同じ人物……その試験管に反射し映るのは……私とうり二つの魔王。
……。
頭痛を押さえるように眉間に手のひらを当て、私が言う。
「大魔帝ケトスの飼い主たる、異界の私がやらかしたのですね」
『はい……おそらくは夜の女神様が再臨しようと力を送っていたレイヴァン神は、創生されたホムンクルスの肉体と同調。その肉体をベースに自らを再構築……大魔王ケトスの滅びからも逃れていた”魔術の存在する遠き青き星”に降臨。そのまま神は滅びても、滅びずに残っていた楽園を乗っ取り……世界を破壊するために動き出していたのです』
外の世界では有名なエピソードなのか、グーデン=ダークが相槌を打つように蹄を叩き。
『ははーん、なーるほどなるほど。大魔帝殿が暴走したレイヴァン神と戦い、その裏で三獣神や大魔帝ケトスに協力していた神々と人類が、異世界転生現象を起こしていた世界の意思……ニャンコ・ザ・ホテップと戦った。あの事件のことでありますな』
炎舞君が言う。
『ええ――オレ……いえ、ワタシはまだ当時生まれていませんでしたから、話に聞いているだけでありますが。なぜレイヴァン神の魂がホムンクルスに宿ったか、その理由の謎は深くは解明されておりませんでしたが――或いは、これが原因だったという可能性も高いかと』
やはり様々な逸話。
様々な戦いがどこかで繋がっているのだろう。
私が言う。
「――世界とは、広いようで狭いのでしょうね」
女神アシュトレトが炎舞君に顔を向け。
『して、大魔帝ケトスと戦ったレイヴァン神はどうなったのじゃ。妾はその辺りの話を知らぬのだが』
『既に記録クリスタルとして閲覧できるようになっております、もっとも記録クリスタル自体は父が消耗品として使ってしまったので……そのレプリカとなり、こちらの魔王城に保管されておりますが……』
『ふむ、後で見せて貰うとして結論を述べよ』
『端的に言えば、レイヴァン神は我が父たる大魔帝ケトスの戦術を見誤り、白兵戦を仕掛け敗北。和解したものの力を使い果たし、百年の眠りについたとの事です。ワタシもその時にはまだいなかったこともあり、詳しくは……』
存外にちゃんと話を聞いていたのだろう。
炎舞君の沈黙を拾うように、ナウナウが熊猫の手を伸ばし。
『えーとね~、眠りながらも~、夢世界に干渉できるから~。それでね~、盤上遊戯は~、楽園の神々のせいで盤上遊戯に変えられた人間が夢見る世界だからね~、夢世界なんだけど~。そこでね~、レイヴァン神はね~、この僕と戦ったんだよ~!』
またあらぬ方向から変な話が飛んできた。
ムルジル=ガダンガダン大王が帽子と共に、うにょーん。
ナウナウに目をやり。
『ふん、忙しい時期に干渉してきたあの男か――』
『今度また戦うことになったら~、ボコボコにするんだ~!』
『……よさぬか、あの者は余の臣下たるクローディアの魂を導いた者。多少の恩がある』
珍しくジト目でアシュトレトが言う。
『まったく意味が分からぬが……あの慈悲深い男の事だ、眠りながらも異世界で人助けをしておったという事か。レイヴァン神よ……たしかに楽園にいた頃も、無類のおひとよしであったが――なんとも……要領の悪い男よな』
『人が良いからこそ、その善意が暴走した時に恐ろしいのであろうて』
『まあ……平和を作るために全てを殺すとなると、どう考えても暴走しておるか。大魔帝ケトスが止めたからよかったものの、もし止められなかったら、今頃妾達も滅んでいたのであろうな』
様々な世界を交錯する逸話の数々。
それらを束ね知識とすれば、アダムスヴェインの幅がかなり広がりそうだが。
ともあれ。
「夜の女神よ、あなたは再臨させるはずの兄を失い……ホッとしたのでしょうね」
『……そうなのやもしれぬ』
それは滅びを選ばずに済んだ事か。
それとも、恩人たる男に世界を滅ぼさせずに済んだ事か。
それは分からないが――。
それが夜の女神の物語なのだろう。
混沌世界から力を吸い、世界を滅ぼす神の降臨を願っていた。
それは、負い目と契約のため。
けれどその契約はレイヴァン神の突然の失踪で幕を閉じる。
彼の神は大魔帝ケトスと戦い負け、正気を取り戻す。
言葉にしてしまえば、ただそれだけの秘密だ。
けれど。
夜の女神にとっては、長い長い物語。
だから。
「ずっと、一人で抱えていたのですねペルセポネー」
『朕は、世界を裏切っておった。其れなのに何故、そなたはそれほどに優しき顔をする』
「あなたが悩み苦しんでいたことが、手に取るようにわかるからですよ。ご苦労様でした、兄のために……動いてくれていて。兄を思ってくださって――少なくとも、転生する前の、三分の一となる前の私なら、そう言ってあなたの頬を撫でていたのでしょうね」
言いながら、私は宇宙に手を伸ばしていた。
私の魔術ならば、別空間であっても干渉できる。
だから――誰にも気づかれぬうちに、彼女だけに分かるように。
私はヴェールの下。
揺れる女神の瞳から流れる涙を掬い。
ありがとうございました、と小さく感謝を述べていた。
夜の女神は一瞬動きを止め。
言葉を漏らしたのだろう。
ヴェールは僅かに揺れていた。
宇宙に風はない。
言葉も届かない。
けれど――。
彼女がなんと言ったのか。
それを聞いていたのは、私だけだ。




