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オススメ短編・中編

夫が白い結婚を宣言してくる予定の侯爵夫人ですが、初夜に前世の恨みを叩きつけてもびくともしません。なのでちょっとだけ嘘をつく

作者: 砂礫零

 ―― やったじゃないか!


 ジュリアは内心でガッツポーズを決めた。

 自身の結婚式の最中のことである。


 ―― 自分が転生者だったことにジュリアが気づいたのは、たった、いま。夫となる人と一緒に神父の前に立ったときだった。

 親どうしが決めた政略結婚。これまで1度も出会ったことのなかった夫は、見る者すべてが言葉を失うほどの美貌の持ち主だった。

 ジュリアもまた、そのご尊顔を目にしたとたん 『イケメン!』 という今世ではじめて聞くワードが脳内に充満し、その場で固まってしまったのだ。

 そして思い出した。(おのれ)が99歳で大往生をとげたのち、神様から使い途(つかいみち)が謎なチート能力をもらってこの世界に転生してきたことを。

 ここは前世のジュリアがひ孫とプレイした乙女ゲーム 【令嬢ジュリアの白い結婚】 の世界。

 いまジュリアの横に立っている花婿は、ゲームの攻略対象のひとりだ。ゲームでの呼び名は、リオ。

 正式な名前はヴァレリオ・アレッサンドロ、身分は侯爵、職業は騎士団長。かなり有能で部下からも慕われている。

 ジュリアが今世、夫となる人について知っていることはこれだけだったが、ゲームの公式設定ともしっかり合致している。

 【令嬢ジュリアの白い結婚】 のリオといえば、前世のジュリアの推し中の推しだったキャラなのだ。

 とは言ってもこのリオという男、実はとんでもなく酷いキャラである。顔はいいが結婚前から愛人を持っており、新婚初夜、一方的に 『白い結婚』 を宣言。妻には指1本触れず、形だけ(いたわ)りのセリフを残して愛人の待つ別棟へ去っていく、という。

 おかげで前世ではプレイヤーたちから 『顔だけ』 『ハラ()』 もしくは 『美麗ゴミ(ビレゴン)』 と悪し様に罵られてきた。

 そんなキャラがなぜ推しになったかといえば原因は、ジュリア (前世) が経験した最低の結婚生活のせいだ。

 そう、ジュリアにとって夫婦生活はトラウマの原因であり、呪われるべきものなのである。

 それに比べれば、好みの顔を拝めたうえに夫婦の義務を果たさなくて良い 『白い結婚』 はむしろ天国。大歓迎だったのだ。

 

「―― 病めるときも健やかなるときも、共に支えあうと誓いますか?」


「「誓います」」


 隣に立つリオと声を(そろ)えるジュリアの(ほお)は、自然に緩んでいた。

 

 その夜 ―― ジュリアは夫婦の寝室で夫の来訪を待った。万が一にも()()()を起こされないようネグリジェは着ず、きちんとしたデイドレス姿である。

 ジュリアはワクワクしていた。

 なにしろこれから、前世でひ孫と遊んだゲームの美少女ヒロインとして推しキャラを間近で拝めるのだ。そのうえ、ゲームと同じセリフを言える。

 ジュリアは脳内で、リオとの会話をシュミレーションした。


 リオ 『君を愛することはない! (中略) 白い結婚にしよう (後略)』

 ジュリア 『よろしゅうございます。わたくしは、おっしゃるとおり自由に過ごさせていただきます』 


 もしこの世界がゲームと同じなら、こう返事することによりジュリアは 【スローライフ / お仕事コース】 に入れるはずだ。

 そしたらその後は、恋愛イベントをなるべく発生させずにノーマルエンドを目指せば良い。

 このエンドではリオも、愛人に逃げられるだけで没落はしない。そして恋愛はないままに優しくなっていくのだから、ジュリアとしてはこれ一択なのだ。

 

 ―― 女優さんになったみたいで、楽しいねえ。


 ふふっと笑い声がジュリアの口から漏れる。

 そのとき、寝室のドアがノックされた ―― リオだ。


 ジュリアの今世の夫は、ゲームで見たよりも緊張しているようだった。

 リオはまず、新妻がネグリジェ姿でないことに驚いたらしい。秀麗な眉をひそめ、少し冷たさを感じさせる切れ長の目でジュリアをまじまじと見つめた。

 だが特にコメントはなく、ゲームどおりの発言がなされる。


「君は、俺に愛人がいることは知っているだろう?」


 なんだか申し訳なさそうねえ、とジュリアは思った。前世のゲームでは、もっと突き放した感じだったけれど。

 ―― これが声優さんと本物との差、なのかねえ……?


 ともかくも。この次がいよいよ、リオというキャラを象徴する例の酷台詞(ヒドゼリフ) ――  『君を愛することはない!』 『白い結婚にしよう。君の立場は尊重するが、あくまでも形式上の夫婦だ』 『疲れただろう。今日はゆっくり休みなさい』 の3本立てを、(ナマ)で拝聴できる瞬間(とき)だ。

 特に3番目は、他のユーザーからすれば初夜する気のなさを気遣いで誤魔化すクソ発言だが、ジュリアにとっては推しイケメンからの貴重な(いたわ)りの言葉。

 なにしろジュリア、前世では誰からも(いたわ)ってもらったことがなかったのだ。弱音の1つも吐かず、ニコニコとよく働くおばあちゃんだったので。


 ―― もっと前に転生したことに気づいていたら、録音の魔道具を用意したのにねえ…… まあ、全集中して聴くよ! 耳が善ちゃんになってくれたら、いいのにねえ。


 だがジュリアがいくら待っても、テンプレのセリフがリオの薄く形の良い唇から吐かれることはなかった。

 なんとリオは、ジュリアに向かって勢いよく頭を下げたのだ。


「すまなかった!」


「…… はあ!?」


 思わず前世の素が出てしまったジュリア。

 軽く咳払いして、ごまかす。


「どうされましたの、旦那様?」


「ううっ……」


 とたんにリオは、苦しげな表情で胸を押さえる。

 ジュリアは心配になってきた。


「もしや、心臓に持病がおありですか、旦那様?」


「うっ…… いや、大丈夫だ。それより、婚前に愛人だなんて、嫌だっただろう、ジュリア」


「はあ……」 別に。むしろ安心だと思ってましたよ、さっきまで。


「君はこれまで寛容でいてくれたが、いつまでも甘えているわけにはいかない! きっぱり別れてきた」


「はあ!?」

 

 ジュリアは思わず立ち上がり、リオの肩を揺さぶっていた。


「じゃあ 『愛することはない』 は? 『白い結婚』 は? 『ゆっくり休むといい』 は、どうなるんだい!?」


「そんな最低なことを、愛する妻に言えるわけがないだろう!」


「はあ!? なんだって!?」


「愛人などというモノとは結婚式の前に、キッパリ別れた! さあ、愛し合おう!」


 リオは半ば緊張し半ば夢を見るように微笑み、両腕を広げてジュリアをハグしようとした。

 リオに他意はないだろう。だがジュリアは本能的に身をすくませる。

 

「お断りだね!」


 ぱんっ

 ジュリアは反射的に、迫ってくるリオの頬にビンタをくらわせていた。身を(ひるがえ)し、ドアのほうへと逃げる。

 なかなかいい音はしたもののリオはこう見えても鍛え抜かれた軍人であるため、頬を張られたダメージは大したことなさそうだ。

 だが、心のほうはかなり痛手を受けたらしい。ジュリアを見つめる瞳が、湖面にゆらめく月のように潤んでいる。

 

「なんで、殴られるの俺!?」


「うるさいね! 夫になった程度で初夜できると思わないことだね、気持ち悪い!」


 つまりは前世の恨みとトラウマが暴走してしまったのだ。あと、推しをキャラ崩壊させた罪も重いが。


「わたしゃ 『白い結婚』 希望なんだよ!」


「…… え? なんで……?」


 リオの切れ長の目が、ハムスター並みに丸くなった。


 ―― なんでかと問われれば、先にも述べたがその理由はひとえに、前世の結婚生活にある。

 親が勝手に決めた結婚で、()()()()()()夫は出征、戦死。残されたのは、遺品のアイドルのブロマイドと義両親、そして初夜の一発でできてしまった子どもだけ…… といえば、大体の察しはつくだろう。

 そもそも前世の夫が結婚を決めたキッカケは、出征するからだった。死ぬかもしれないから、己の代わりに両親を支える人と、童貞脱却の思い出とを作るため、急いでジュリア (前世) を(めと)ったのだ。

 その発想だけで 『ハイ終了!』 と叫びたくなる案件である。


 ―― けど、もっと許せんのは、初対面の好きでもない夫に無理やり組み敷かれたことだねえ。で、更に許せんのが、ものすごく自分勝手で下手クソで痛かったことだわ。

 思いやりゼロの交渉って、現代風(いまふう)に言うなら、家庭内暴力とかハラスメントとか犯罪とかなんじゃ、ないんかねえ……


 ジュリアはしみじみと己のトラウマを振り返り、確信しなおした。

 そうだ。前世でジュリアが 『リオ様』 推しになったのは、彼が妻を抱こうとしないからこそだ。


 ―― 愛人への気持ちしかないと言われればそのとおりだが、ともかくも 『リオ様』 は、初対面の好きでもない妻には()()()()()()()()()。潔癖で一途で誠実だ、夫と違って。


 ―― しかもイケメンなうえ、さりげなく(いたわ)りの言葉をかけてくれるような思いやりもある、夫と違って。


 ―― 『リオ様』 の態度のせいでヒロイン()が使用人から迫害されるんだって? ふん。

 いじわるな使用人なんか、嫁をナチュラルに奴隷扱いする(しゅうと)(しゅうとめ)と比べたら赤ん坊(あかんぼ)みたいなもんだわね。


「わたしゃね 『リオ様』 との白い結婚生活を楽しみにしてたんだよ…… なのになんだい、急に180度キャラ変だなんて。裏切りも(はなは)だしいよ」


「へ……? もしかして、ジュリアたそって……」


 リオの謎めいた(みどり)の瞳が、まっすぐにジュリアをとらえた ――


 少々の話し合いの結果。

 リオとジュリアはなんと双方ともに転生者であり、前世では乙女ゲーム 【令嬢ジュリアの白い結婚】 のプレイヤーだったことがわかった。

 リオの前世はジュリア推し。今世では結婚式の3日前たまたま街でジュリアを見かけたとき、あまりの尊さに失神しかけて前世の記憶が蘇ったそうだ。

 と同時に、己がリオに転生したことを悟って絶望もしたらしい。

 なにしろリオというキャラは本人ルート以外では徹頭徹尾ジュリアに嫌われまくる運命だ。しかも他のルートでジュリアがハッピーエンドを迎えたときには、リオはザマァされるか自滅するかの二択しかない。己の不幸が推し(ジュリア)の幸せなのだ。

 だが 『美麗ゴミ(ビレゴン)』 ことリオに転生してしまった以上、推しと一緒に幸せになりたい、など図々しすぎてとても言えない。

 ともかくもまずはできることをしよう、とリオはその足で愛人の元に行った。そして、土下座しまくり一生遊んで暮らせるだけの慰謝料を支払って、別れを告げたのだという。

 ちなみに愛人は慰謝料の金額を見て、あっさり了承したのだそうだ。

 なお余談だが先程リオが苦しそうに胸を押さえていたのはジュリア(推し)からの 『旦那様』 呼びで死にそうになったから、とのこと。


「俺は、ゲームのリオとは違うんだ。ジュリアたそ、ごほんっ、ジュリアとは夫婦として愛のある関係を築きたいと思っている! だから、しししししょ、初夜、しよう!」


「嫌だって言ってんだろ。性急だね、まったく」


 ジュリアは大きくためいきをついた。

 リオの外見は文句なくミステリアスな超絶美青年。なのに言ってることが盛りのついた野生猿だ。残念すぎる。だいじなことだから2度言うが、ほんと、キャラを壊さないでほしい。


「わたしゃ、中身は99歳のおばあちゃんなんだよ。ガチの枯女というやつだわね。白い結婚で上等、大満足」


「俺は中身は19歳だ! ちなみに君がジュリアたそである限り、中身がどんな悪女だとしても愛してる! あと俺も中身は童貞だが覚醒前に愛人と鍛えていたおかげで、性技にもソコソコ自信がある! 初夜しよう!」


「論外。わたしゃ中身も 『リオ様』 がいいねえ。そもそも、(こっち)に性欲を持ち込んでくるなんて 『リオ様』 失格だよ、あんた」


「……」


 リオは少々、息をのんだ。己の強引さに初めて気づいたようだ。おそるおそる、ジュリアに問いかける。


「…… 俺。もしかして、ジュリアたそを怖がらせてたの?」


「察しがいいじゃないか。あんたのせいで、トラウマがしっかり蘇ったさ、そりゃ」


「そっか、ごめん……! あの、俺は絶対、ジュリアたそに無理強(むりじ)いはしないから…… だから、嫌わないで……」


 ガックリうなだれ反省しつつも 「ジュリアたそとの初夜……」 と涙ぐむリオことアレッサンドロ侯爵、中身19歳ガッツキ盛り。

 あらやだ、ちょっと可愛いわ、とジュリア、中身99歳おばあちゃんは思った。ひ孫がひとり増えたみたい。


「じゃあ、チャレンジ期間を設けるっていうのは、どうだい?」


「初夜してくれるの?」


「違うねえ。チャレンジっていうのは、あんたが頑張って、わたしを()()()にさせる、ってことだ」


「具体的には?」


「さあねえ? 愛人との経験にでも聞いてみたら、どうだい?」


「そんなことはしない。ジュリアたそはジュリアたそだから。いちからしっかり向き合うから」


 あらやっぱり可愛いねえ、とジュリアは思った。でも 『たそ』 って、なんなのかねえ?


 チャレンジ期間はゲームと同じ3年間と決まった。

 その間に進展がなければ離婚してもいい、とジュリアが言うとリオは泣きべそをかいて、すがりついてきた。

 他の攻略対象といい仲になってもいいから離婚しないでほしいらしい。まあ、ジュリアとしては他の攻略対象など、どうでもいいのだが。


 それからのリオは他の攻略対象が入りこむ隙間がないほど、ジュリアをベタベタに甘やかし始めた ――


「ジュリアたそ! ねえ、これ、開けてみて?」


「バレッタ? ってこれ、真珠じゃないか。こんな高価なもの、わたしにゃもったいないよ」


「だって、清楚で上品で凛としてて、ジュリアたそにピッタリだと思ったんだよ。それとも…… 嫌い?」


「ううっ……」


 きれいな球形の、優しい光沢を帯びた白が連ねられた髪飾り。本当はひとめで気に入った。

 こんなふうにリオは、ジュリアの好みを徹底リサーチしたサプライズプレゼントをしょっちゅう、してくれるのだ。プラス、出張時には小まめに手紙もくる。

 そして出張のあとは騎士団で恒例の飲み会にも参加せず飛ぶようにして帰ってくる。お土産もって。

 これだけでもジュリアにとっては初めてのことだ。なのに、それだけじゃなかった。

 休日にはリオは 『ジュリアたその胃袋を(つか)むんだ!』 と懐かしい前世ふうの手料理を振る舞ってくれる。

 なんでも前世リオの趣味は料理だったそうで、しかも転生時もらったチート能力で醤油と味噌とマヨネーズと天然ダシの(もと)を少量生産できるため、見た目も味も絶品だ。

 そのうえ夜会のたびに張り切ってジュリアのドレス選びに付き合ってくれるし、舞踏会ではずっとジュリアをそばから離さない。おかげで社交界ではすでにオシドリすぎる仲良し夫婦と認識されてしまっている。

 もちろん当然のごとくリップサービスも盛り込んでくる。朝から晩まで隙あらば 『愛してる』 とか 『大好き』 とか 『きれいだ』 とか 『最高にかわいい』 とか 『頭が良くて努力家なところは尊敬してるけど、もっと俺を頼ってくれてもいいんだよ』 とか言ってくれるのだ。

 それも上っ面ではない証拠に、ジュリアの些細(ささい)な変化を見逃さず、細かくほめたり心配したり気を遣ったりしてくれる。それはもう、前世の家事・子育て・介護(3 K)ワンオペですっかり大雑把(アバウト)な性格になってしまったジュリアが申し訳なく思ってしまうほどに。

 それでもリオは 『ジュリアたその、そういうおおらかで気が強いところ大好き』 と、超絶イケメン顔でほほえむのだ。

 ジュリアが記憶・認識している家父長制が強い時代の男性像とは、あまりにも差がありすぎる。

 あるとき 「ほんとに前世、日本人?」 と聞いたら「ジュリアたそを攻略するためなら、この程度」 と真面目に返された。


「それに全部、本当のことでしょ」


「とか言っちゃってもさ。結局、本音は初夜したいからなんだよねえ?」


 ジュリアはあくまで突き放したふうを装う。

 ―― この段階で、チャレンジ期間(白い結婚)1 年が経過している。

 当初は 『盛りのついた山猿、若干ひ孫』 とリオのことを斜め上から見ていたジュリアだが、甘やかされ続けた結果、しだいにほだされてきていた。

 あらやだ、99歳のガチ枯女が、なにを期待してるんだい。

 そんなふうに思っても、身体はまだ19歳の乙女。

 最近なにやら、99年分の前世の記憶が薄れてきた…… というか、知識としてはあるのだが、感情のほうが伴わなくなってきた。

 早い話が、ジュリアは次第にリオにときめき出したのである。

 もっとも、リオの目的はやはり 『初夜しよう!』 なのだろう。あれ(結婚式の夜)以来、2度と言ってこなくはなったが、本音はそのはず ―― そうとでも思っとかないと、なしくずしに()()()になっちゃいそうである。

 そんなの、チョロすぎじゃないか。


「わたしゃね、初夜したいだけの男になびくようなタマじゃあ、ないんだよ」


「初夜したいのは、ジュリアたそのことが大好きだからだ! 中身99歳も尊敬してる! ほかの悪女じゃいやだ!」


「なんで悪女なんだい」


「あっ……」


 そのあとリオはなにやら必死に言い訳したが、ジュリアはもう聞いてなかった。ふんだ。

 ただちょっと思った。

 慌てて必死になってるリオも、かわいいねえ。


 2年目。

 ジュリアはますます、迷いだした。

 リオは最近、なんだかますますイケメンだ。瑕疵(かし)があるとすれば、油断すると 『たそ』 呼びが出ること程度だ。

 でもそんなのが気にならないくらい、リオの誠意と愛情はもう、疑いようがなくなっている。

 それになんだかリオのことを 『ひ孫のひとり』 とは思えないようになってきた。

 それよりもっと身近で、もっと大切で、もっと……


「どっ、ドキドキなんてしてないよ、わたしゃ!」



 ―― そしてもうすぐ、3年目の結婚記念日がやってくる。

 その日までに何もなければ約束どおり、リオとジュリアの結婚はいったん白紙に戻るのだ。

 いまのところ、リオとジュリアの関係は手つなぎ止まりで、いっこうに進展していない。

 リオとしても焦っているのだろう。

 最近は、騎士団の辺りから 『団長、剣聖目指してるってよ』 という噂が流れてきている。職務中にひたすら無双しながら 「まだ俺はなにひとつ達せていない!」 と叫ぶのが、どうやら団員たちからすっかり誤解されているらしい。

 また、リオの寝室からは、寝言でジュリアの名を呼び 「離婚しないで……」 とすすり泣く声がほとんど毎晩、聞こえてくるようになっていた。

 つまり、リオがすっかりジュリアにベタ惚れなのは、もはや誰の目にも明白なのである。

 なのに、リオはいまだ強引にはジュリアを求めてこない。おそらく前世のせいでトラウマ持ちになったジュリアに気を遣いすぎているのだろう。  

 しかし一方、ジュリアのほうとしては ――

 そろそろグイグイ押してきてほしい、と思うようになっていた。

 『離婚してもいい』 なんて今では、冗談でも言いたくない。それくらいには、リオのことを好きになってしまっている。


「まさか 『白い結婚』 で、こんなに悩んじゃうなんてねえ…… どうしてくれるんだい、まったく」


 ジュリアにだって、リオの誠意や愛情は、もう充分すぎるほど伝わっている。

 ならばここは思い切って(みずか)らグイグイ行くべきなのかもしれない ――

 だが残念なことにジュリア (前世) は、(つつ)ましさが良しとされていた昭和初期生まれだった。

 大往生したときには時代とひ孫にあわせてかなりアップデートされたひいおばあちゃんになっていたとはいえ、根っこはそう簡単には変われないのだ。

 枯女や白い結婚希望は宣言できても、その逆は、どうしても言えない。恥ずかしすぎて。


 ―― もう一押し、なにかキッカケが、ほしいよねえ。


 いつしかジュリアは、そう考えるようになっていた。

 そのキッカケはある日、突然やってきた。

 観劇の帰り、リオにエスコートしてもらって街を歩いているとき不意(ふい)に、ジュリアは思いあたったのだ。


 この時期。この景色。この時間帯。このシチュエーション。

 リオも気づいたらしい。ジュリアの手をぎゅっと握りしめる手が、かすかに震えている。


「ジュリアたそ、ここ」


「うん、アレだよねえ」


 前世のゲームでいえば 【リオ / 溺愛コース】 のクライマックスが、近づいている ――

 やだよもうもう、 『溺愛』 だなんて…… などと照れている場合ではない。

 なにしろ、このクライマックスで、リオは襲ってきた()愛人からジュリアをかばって刺されてしまうのだから。

 もっとも、刺し傷はごく浅いものであり、それでリオが死ぬことはない。

 そう。このイベントは、リオとジュリアが事件をキッカケに愛を確かめあう()()のために発生するものなのだ。

 そして()愛人は、貴族を傷つけた罪で逮捕され、鉱山送りになる ―― 

 つまり、ゲームにおいては 『邪魔者を永遠に排除できてメデタシメデタシ』 というイベントでしかないのである。

 しかし現実は、そうもいかない。

 考えれば考えるほど、ジュリアは()愛人が不憫(ふびん)になっていた。


 ―― だってねえ…… ある日突然、慰謝料積んで一方的に別れを切り出されて、以後は見向きもされなくなったらさ。そんなの、裏切りでしかないよねえ。

 それで人を恨んで、ここまで思い詰めちゃうなんて…… 可哀想じゃないか。貴族に危害を加えれば死罪になることもあるって、知らないはずはないのにさ……

 

「 【溺愛コース】 だなんて。もっと早くに気づいておけば、良かったよ」


「ごめんね、ジュリアたそ…… 俺のせいで」


「いや、わたしも()かったよ」


 しょげるリオ。ゲームの内容は知っていたのに、リオもジュリアもこれまで、ゲームと同じイベントが起こる可能性を考えていなかったのだ。

 3年の白い結婚生活が、どのルートからもあまりに外れすぎていたせいで。


 もちろんこれから、例のイベントが本当に起こるとは限らない。()愛人は慰謝料の額に納得して円満に別れたはずなのだから ――

 けれど、ジュリアの嫌な予感は消えるどころか、ますます強まっていく。


 ―― お金なんかじゃ、本当には解決できないよねえ。わたしだって、前世の結婚生活のトラウマなら、何億円積まれたって消えたりなんか、しないよ……

 ひ孫まで生まれて結果オーライって、言えないこともないけどさ。それとこれとは、別だよねえ。


「ともかくも、なんとかしなきゃね。このまま、()愛人が逮捕なんてされたら、寝覚めが悪いよ」


「うん。俺、もう1回ちゃんと、話をつけてくる……!」


「ちょっとお待ち! この脳筋が!」


 だがジュリアが止めたときにはすでに遅く、リオはエスコートを解いて駆け出していた。

 ジュリアは舌打ちをして後を追う。

 

 ―― まったく。ゲームの 『リオ様』 なら、もっと冷静に落ち着いて対処してくれるのにねえ。いかにも騎士団長らしくさ。


 しかしいま、傷ついた姿を絶対に見たくないとジュリアが思ってしまう相手は、ここにいる、ちょっと頼りなくて割かしヘタレで、けれども真面目で優しいリオなのだ。これでも実力と人望を兼ね備えた騎士団長だというのが、信じられないけど。

 

 ―― ともかく。なんとかしなきゃ、だねえ……


 ジュリアは必死で考えた。

 もしこの先がゲームどおりだとすれば、()愛人の襲撃は、次の曲がり角だ。

 イベントが本当に起こってからでは遅い。ゲームではリオは、出会い(がしら)に刺されていたのだから。

 未然に防がなければ ―― と思っても、良いアイデアはなかなか降りてきてくれない。

 焦りばかりが、ジュリアのなかでどんどん大きくなっていく ――


 曲がり角までもう、あと、3歩。あら黒猫ちゃん、じゃなくて、あと、2歩。どうしよう。

 もう、あと、1……


 ―― そうだ、アレがあったよ!


「 【聖なる縁結びディスティニー・フォース】 !」


  赤い髪を振り乱し、()愛人が飛び出してきたのと、ほぼ同時。

 ジュリアは()愛人に向け、手をかざした。

 転生したとき授けられたきり、すっかり忘れていたチート魔法 ―― 光と闇がジュリアの手からほとばしり、巨大な渦となって()愛人を取り巻く。

 渦のなかからは、()愛人の悲鳴がはっきりと聞こえてきていた。


 ―― やっちゃったけど、大丈夫なのかねえ……?


 渦がすっかり消えたあと。

 ()愛人は、その場に凍りついたかのように動きを止めていた。

 そばの石畳には使われなかったナイフが落っこちている。そのミルクティーの色の瞳には、もはや、ジュリアもリオも、映されていない。

 ()愛人の眼差しは、ただひたすら ――


 にゃあん


 足元の黒猫に、吸い寄せられていたのだ。


「んまぁぁぁあ! なんてかわいいの! 素敵! 天使! いえ神! 愛してる! ああああ、もう、あなたさえいれば、ほかは何にもいらないわ!」


 にゃあん


「そう、そう! あなたも、そうなのね!」


 にゃあん


「わかったわ! あたしと一緒に、ずうっと一緒に、幸せに、暮らしましょうね!」


 にゃあん


「はあい、抱っこしますよ…… ああん、(ぬっく)ぃぃぃ! んんん、(やぁ)らかぃぃぃ…… この重さ、さ・い・こ・う……! はっあああん……」


 ()愛人は黒猫を両腕のなかにすっぽりとおさめ、去っていった。とろけたアイスクリームみたいな、満面の笑みとともに。

 ジュリアはほっと息をついた。

 リオは立ちすくみ、呆然と()愛人の後ろ姿を見送っている。

 今度こそ()愛人にしっかり納得してもらえる償いを、なんとしてでも……

 そう考えていたに違いない頭には、()愛人の急な方針転換が受け入れられないのだろう。


「いったい、いまのは、なんだったんだ……?」


聖なる縁結びディスティニー・フォース ―― 対象に運命の出会いを授ける、チート魔法だよ」


 転生時に神様からこの能力をもらったときには、いったい何に使うんだとジュリアは正直、思った。

 たしかに前世では頼まれて見合いの世話をしたことが何度もあったけど、だからって今世でまで、そんな力は必要ないだろう。

 授けるのが運命の出会いであるだけに、今後は一切、ほかの出会いがなくなってしまうのもどうかと思うし。

 魔法の有効範囲も1体限定で、とっても微妙だし。

 だが一見は役に立たなさそうなものでも、使えるときには使えるのだ。


「危なかったねえ…… なんとかなって、本当によかったよ」


 ジュリアはリオの大きな手に、自分の手を重ねた。

 初めて手をつないだときよりももっと、全身の血管が、速く、強く、脈打っている。

 そしてジュリアは、ちょっとだけ、嘘をついた。


「あのね、リオ…… この魔法、なんだか、わたしもついでに、かかっちゃったみたい、なんだよねえ」


「知ってる」


 リオがジュリアを抱きしめる。心臓の鼓動が伝わってくる、あたたかい腕のなか。その鼓動と温度が、お腹の奥までしみわたっていくようで。

 ジュリアはそっと、目を閉じた。

♣ リオは 『悪女』 を 『癖はあるが芯のある強い女性』 といった意味合いで褒め言葉として使っており、本人には悪口のつもりはないのです……


読んでいただきありがとうございます!

普段は長編を書いています。

年の差婚がお好きなかたはぜひ、下のリンクボタンからどうぞ! ワケありイケオジ×心の声が聞こえる元聖女です。


★作品の執筆にあたり砂臥環さまに相談に乗っていただきました。心より感謝を申し上げます★

 砂臥環さまのマイページはこちら

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― 新着の感想 ―
砂礫零 様 最後まで読んで、タイトルの「ちょっとだけ嘘をつく」がここに繋がるのか…!と一気に胸を持っていかれました。 元・愛人さんが黒猫を抱きしめてとろけていくシーンで、シリアスだった空気が一気にほ…
いにしえの古カビ生えたおたくとしては、本人の前でたそ呼びする1点がもうキツくてキツくて…………… いい子ですし他の部分はとっても素敵だと思ったんですけど、たそ呼びをやめてくれ(´;ω;`)
キャラがとても素敵。 聖なる縁結びの設定が優秀! 最初から神様がジュリアにかけたのかもしれないと思うとニヤニヤします。 面白かったです!
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