第53話
昼食を頂いた後の修行には美沙も合流する。今朝彼岸の神棚へ向かう為に用いた登山コースを再び登り始めた。
十五分程走った所で違うルートに入った。彼岸の神棚はこのまま進んだ岩肌の見える峻峭な岩山を登るルートを行くが、今回は森の中を突き進むようだ。
岩山はまだ木々がない分道が分かりやすいが、森は困る。木の見分け方なんて分からないし、分かったところで目標にもなりゃしない。
二人とも、一体何を目標にして走っているんだろう……? などと考えながら追いかけていると、どうやら目的地に着いたようだった。
木々が十重二十重に覆い被さるように生い茂っている為、まだ日が高い時間だが辺りは薄暗い。
時折差し込む木漏れ日に照らされ、十メートル四方の白い岩で出来ている真四角のステージが鎮座している。
樹海の最奥という表現がぴったりのこの場において、真っ白のステージは浮いている以外の何者でもなく、ただただ不気味である。
「はい、到着ー。ここが第二の修行場『無力の岩床』だよ。ここでは全ての権能がひっぺがされた状態になるからね」
空也さんが説明しながら白いステージに飛び乗った。美沙も恐る恐る足をかけると、途端にその表情を歪ませた。権能をひっぺがすって、一体何なんだ?
「あー、キツい……前来た時は月ヶ瀬の血の力だけだったけどそっか、ステータスも取られるのか……渉さん、この白い武闘場の上だと月ヶ瀬の異能やステータスと言った特殊能力が全て封印されるんです。感覚が一気に変わるんで気をつけて下さい」
「……待て、ステータスが使えなくなるのか? じゃあマトモに立てるかどうかも怪しいぞ?」
これはマズい、聞いてないぞ。
広島城でヘカトンケイルの亜種と戦おうとした瞬間あかりからのバフの供給が途絶え、体が重くなった事がある。
バフが途切れただけでもかなりの負担だったのに、今回はそれに加えてステータスそのものが使えなくなる……そうなると俺はどうなってしまうんだろうか?
「はい、恐らく最初は自重を支えられなくて倒れるかと思いますけど……でもその分成長しますよ、強制レベルダウン状態で経験値貯めてくようなモンですから」
「渉君はこれまで、困難をステータスの力でゴリ押しして来たよね。それを悪いとは言わないが、加護の力に頼らない自分だけの力を磨いておいて損はないよ」
俺は二人に手を引かれ、ゆっくりと石段を登り……白いステージに足を付けた。途端に体から力という力が全て抜け、糸の切れた操り人形のように膝からくずおれた。
倒れる俺を二人が支えるが、力強さはない。やはり特殊能力がなければ普通の人間相応になるんだろうか。ともあれ、俺が硬そうな岩床と強烈なキスをせずに済むように、ゆっくりと下ろしてくれた。
「どうスか? 立てますか?」
「最初はゆっくりでいいからね、まずは加護無しの体の感覚に慣れるところから始めよう」
二人が声を掛けてくれているが……四つん這いの姿勢のまま、なかなか立てない。体が重いどころの話じゃない。
俺もステータスを付与された半年ちょっと前まではこの体だったはずなんだが、こんなに動けない物だったか……?
産まれたての子鹿のように震えながらも、どうにか十分以上の時間をかけて立ち上がる事が出来た。
「お、立てたんスね。上出来っス、あたしなんて最初に来た時一時間は大の字のままで動けませんでしたからね」
「じゃ、渉君は無理せず休憩を取りつつ、この武闘場の外周をゆっくり歩こうか。みーちゃん、僕達は内側で軽く組み手だ」
俺の様子を見守っていた二人だったが、俺が安定して立てるようになると中央で組み手を始めた。
ゆっくりと歩きながらその様子を見ていたが、「軽く」とは一体何だったのか。動きが格ゲーじみている。
お互い負傷を厭わないフルコンタクトの空手……いや、空手なんだろうか? 色んな武術の構えや技が混ざったような独特な動きをしている。
カポエイラのメイアルーアジコンパッソみたいな蹴り技を見たかと思えば八極拳の裡門頂肘が飛び出したりと……いや、マジで何なんだ?
俺には理解出来ない組み手を尻目に、リハビリのようなウォーキングを続ける事二時間程。俺もようやく普通に歩けるようになり、何なら小走りでの周回が可能になった。
「よーし、それじゃあ渉君も一旦休憩しよっか」
空也さんから声がかかり、俺もリング中央に集まって腰を下ろす。美沙が水筒のカード化を解除して空也さんに渡しているのを見て、俺も自分の水筒を取り出した。
「みーちゃん、腕を上げたねぇ。独学でそこまで出来るようになったんなら、いずれちーちゃんを抜く日が来ないとも限らないねぇ」
空也さんが唐突に美沙を褒めた。美沙はきょとんとしていたが、やがて笑顔を浮かべて返答した。
「ありがとうございます、渉さんの為に頑張って来ましたから。父上こそ、途中の訳わかんない動き……アレ何なんですか?」
「ああ、アレ? カラリパヤトゥだね、インドの武術だよー。去年ふらっと立ち寄った時にちょっとだけ教えてもらったんだよね。なかなか面白かったでしょ?」
「……あの、ちょっといいですか?」
ここで俺は小さく手を挙げて割り込んだ。
「何かな?」
「月ヶ瀬って一体何なんですか? カポエイラや八極拳の動きが垣間見えたり、かと思えばカラリパヤット……一つの武術を極めるとか、そういう奴じゃないんですか?」
空也さんと美沙は顔を見合わせていたが、美沙が何かに思い至ったように解説し始めた。
「えーと……誤解されがちなんスけど、月ヶ瀬に決まった武術は無いんスよ。月ヶ瀬の異能はとにかく強くなる奴なんで、ブーストがかかった身体能力で敵を倒せるなら格闘技だろうと刀剣術だろうと何でもいいんス。異能を制御するための技術は叩き込まれますけど、言ってしまえばそれだけっス」
「そだね、瞬間的な肉体の強化とか殺気のコントロール、神経加速とかそんな感じだね。歴史だけは長いから浸透勁だとか人体破壊のツボだとか飛ぶ斬撃なんかの要決も伝わってるけど、伝授は希望者だけって感じだね」
ちなみにあたしは刀も格闘技も独学っスけどね、とドヤ顔をする美沙の横で、空也さんの表情が少し曇った。
恐らく美沙は誰かに師事して学ぶ事を選ばなかったんじゃなく、学ぶ機会を与えられていなかったんじゃないだろうか?
美沙の力は生まれて間も無く、空也さんの意向によって封印された。そして武術や月ヶ瀬の力を諦めるように仕向ける指導方針を取っていた。
みーちゃんとして俺に出会い、封印を解除して、空也さんが方針を転換するまでの十数年間……きっと、俺には想像の付かない苦難があったはずだ。
そんな想像をしていたせいか、俺の表情も空也さん同様曇っていたのだろう。美沙がすすーっと近寄って来て隣に座り、にこにこしながらひっついて来た。
「えへへー、父上父上、渉さんはこういう人なんですよ、あたしを分かろうとしてくれる人なんですよ!」
父親の目の前でイチャイチャするのはやめてほしいんだけどなーとでも言いたげな空也さんのジトッとした視線をまるっきり無視して、美沙は俺に寄りかかって体重を預けてきた。
「そりゃあ、一人で勉強するのは大変でしたし、吉島ダンジョンに通ってた頃は絶望の真っ只中でしたけど……そんなあたしを救ってくれたのが渉さんだし、今ちゃんと報われてるからどうだっていいんです」
「毎回思うけど、ただ傷の手当てしただけなのに何でそこまで懐いちゃったんだろうな……ひよこの刷り込みじゃないんだぞ」
その後空也さんから「親の前では節度を持ったお付き合いをするように」とのお叱りの声が飛ぶまで美沙は俺に甘え続けていた。
俺達はゆっくり休憩した後、再びトレーニングを開始した。
この変な武闘場にも慣れてきた事もあり、軽めのジョギングでしばらく周回していたら腹筋と腕立て伏せもメニューに加えられた。
俺が基礎トレーニングに励んでいる間も、空也さんと美沙は組み手を続けていた。
そうして約半年振りのしんどい筋トレでたっぷりと汗を流し、日暮れ前に無力の岩床での修行を終えた。
「じゃ、後はお風呂入ってご飯食べたら今日はおしまいだねー。渉君はここから降りる時に気をつけてね、ステータスとか一気に戻って来るから」
空也さんからそんな風に声を掛けられた事もあり、俺は恐る恐る白い武闘場を降りた。
地面に両足が付くのと同時に、俺の体を押さえ付けていた何かが一気に外れる感覚が全身を襲い、たった数時間だけではあったが失われていた力が急激に戻って来た。
まるでオープンワールドゲームの最序盤でステータスをカンストにするチートコードを適用したかのような……この凄まじい万能感は少しクセになりそうだ。
試しに思い切りしゃがんで垂直にジャンプしてみたが……自分の身長を大きく超えて十メートルくらいは飛び上がった。え、俺ってこんな跳べたっけか?
予想よりずっと高く跳んでしまった事に驚いて着地に失敗してしまい、少し離れた落ち葉の吹き溜まりに墜落した所を美沙と空也さんに助けられ、二人からしこたま怒られてしまった。
「ダメだよ! 感覚切り替わった時が一番危ないんだからね! 僕ちゃんと注意したよね!?」
「渉さん、ふざけるのは一番ダメっスよ。強くなった気がして無茶したくなる気持ちは分からないでもないっスけど、本当に危険っスから」
ちょっと跳んでみただけでかなりキツめに怒られてしまったのは少し不服ではあるが、もし落下先が武闘場の上だったらステータスが無い状態で十メートルを落っこちる訳で、そうなれば大怪我は不可避だ。
一メートルは一命取る、十メートルなら十倍は死ぬ。迂闊な行動を取った俺にも落ち度はあるので、二人にはしっかりと謝っておいた。
§ § §
気を取り直して俺達は一路ベースキャンプに戻り、お風呂用品を持って神水の坩堝……昼前に俺が飲ませてもらった湧水の出所へと向かった。
彼岸の神棚や無力の岩床へ向かうルートとは別の道を十分程走った所に、天然石で出来ている広さ十メートル程の巨大な石風呂が鎮座していた。
縁は膝丈程度の高さだが、まるで田舎の五右衛門風呂のように中が深い石風呂には、近くの岩肌の切れ目から湯気を伴ったお湯が滝のように滔々と流れ込んでいた。
硫黄の匂いはしないし無色透明である事から、昼前に飲んだ物と同じ湧き水がどこかで加温されて注ぎ込まれているのだろう。
この御山がダンジョンと同じ性質を持ち、外部から持ち込んだ物や破壊された物が一日そこらで復元する事から考えて、誰かが人工的に誂えた物ではないはずだ。
ならばこの温水を供給するメカニズムや石造りの浴槽は自然に生成された事になる。何とも不思議で神秘的だ。
人工的なボイラーも無く、循環濾過装置も無く、塩素系の消毒も入浴剤も入っていない……温泉法に照らし合わせると認識の誤差はあるかも知れないが、これは源泉掛け流しの純温泉と呼んでも差し支えないだろう。
温泉好きを公言し、色んな温泉やスーパー銭湯に行くのが趣味の俺としても、こんな秘湯に巡り合う事なんてそうそうあったモンじゃない。
年甲斐も無く、少しワクワクしてきた。
「ここが神水の坩堝だよー。このお風呂、御山の管理を任された八代目が見つけたらしいんだけど、まるで坩堝みたいに縦に長い造りになってるからそう名付けたらしいんだよね。五右衛門風呂みたいな形状だけど、石川五右衛門が生まれるより千年くらい昔の事だしねー」
「洗い場は決まってないんでどこででも好きに体洗っていいんスけど、人工物を水に浸けると神水がただの水になっちゃうんで、湯船にはタオル含めて持ち込み厳禁っスからね。シャンプーとかボディソープもしっかり洗い流してからっスよ」
一通りの説明が終わると二人ともさっさと道着やインナーを脱いで、木の桶でお湯を汲んで体を洗い始めた。
俺も遅れるわけにはいかない。隅っこに着ていた物を投げ捨てるように置いておき、入浴のルーティーンをこなす。俺は頭から先に洗う派だ。
シャンプーで頭をわしわしと洗い、ハンドタオルでボディソープを泡立ててしっかりと体を洗い、美沙に言われた通りに何度もお湯を被って泡を流した。
俺が体を洗い終わる頃には、既に二人とも湯船に浸かっていた。
俺も男だ、美沙の姿が気にならない訳がない。だが空也さんの目もあるし、そもそも風呂場では他人の裸をジロジロ見ないのがマナーだ。
俺は言いつけ通りタオルをその辺に置いておき、一糸纏わぬまさしくスッポンポンのままで浴槽へと入る。
「あー……こりゃあいい湯だ、生き返るようだ。今日一日の疲れが抜けていく気がするぞ」
温度は少し高めだが、疲れた体にはそれが心地良い。昼に飲んだ時から知っていたが混じりっけのない軟水で、炭酸泉のようなシュワシュワとした感覚もない。
泉質としては単純温泉だろうか、これはこれで入りやすくて良い。欠点は浴槽が深すぎて足が付かない立ち泳ぎ状態なのが少し落ち着かない所だろうか。
空也さんは湯船に横たわってぷかぷか浮いているし、美沙は浴槽の縁を掴んで沈まないようにしている。
「でしょー? このお風呂が御山での修行で唯一の楽しみっスからねー。打ち身や切り傷、心身の疲労にもよく効くし、筋肉痛や内臓系の疾患なんかもすぐ治るし、アンチエイジング効果もあるっスよ。……アンチエイジング効果が出すぎちゃったのが父上やちー姉様なんスけど」
「やー、年単位でここに籠ってるとお風呂も飲み水もここ頼りになるからね。そうするとこんな風な見た目になっちゃうってさ。渉君も半年くらいここに住んでみる? 十歳くらいは若返るかもよ?」
けらけら笑いながら空也さんが提案してくるが勘弁して欲しい。
ここに来たのは原初の種子の扱い方のヒントを得る為であって、びっくり人間になりたい訳ではない。
……しかし、五十代なのに若々しいという言葉では表現できない非現実的な見た目の由来はこの水にあったのか。
飲めばたちまち若返る変若水伝説に類似した話は日本各地に存在するが、実際に若返ったと言う話は聞いたことがない。
よもやこんな所に実物があろうとは……それどころか、なみなみと湛えて風呂にまでなっていようとは誰も思いもしないだろう。
「いえ、遠慮しておきます。会社の人間とかびっくりするでしょうし」
「そっかぁ……でも、渉君とみーちゃんには年齢の開きがあるし、僕は伴侶に先立たれて泣くみーちゃんを見たくないんだよ。ここの水もうちの門外不出だけど、渉君は大事な娘のお相手だからね。存分に活用してってよ」
その話を持ち出されると、やはり辛い。年齢が一回り以上離れているだけに、どうしても年齢差の問題は無視できないし、空也さんとしても気になる所なのかも知れない。
俺は「ありがとうございます」とだけ答えて、深く潜って頭の先まで温泉に浸かった。
§ § §
「さて、こんな感じの流れを一ヶ月続けていく訳だけど……渉君、大丈夫そうかな?」
風呂から上がり、ベースキャンプで夕飯を頂いた後、空也さんから声をかけられた。美沙はテキパキと夕食の後片付けを済ませている。
空也さんの寝間着は常在戦場とでも言わんばかりに道着のままだ。美沙はむっちりとしたまんまるのひよこがこれでもかとプリントされている薄手のパジャマ、俺は無地の短パンTシャツと三者三様だ。
俺は正直な感想を空也さんに伝える。
「彼岸の神棚のあの黒い水は地獄のようにキツいですけど、他は何とかやっていけそうです」
「そっかそっか、じゃあ一週間くらいは地獄が続くかもしんないから、気合い入れて頑張ってねぇ」
空也さんがポンポンと背中を叩く。え、アレ一週間続けるつもりなのか!? どうやっても避難が間に合わず飲まれてしまうアレを!?
「あの……それ、マジで言ってます?」
「マジマジ、あの水から逃れられたら第一段階終了だからね。まずはどうやったら逃げ切れるかを考えながらやっていこうね」
空也さんは自分の寝床へと向かった……とは言っても、俺達のようにテントを使うわけではなく、寝袋に入りボンサックを枕にして野宿のように寝るようだが。
美沙はとっくに片付けを終えて自分のテントに戻っており、俺だけぽつんと取り残された形になっている。
明日もあの痛い水に追いかけ回されないといけないのか。しんどい、ただただしんどい……これは美沙の作る食事と絶品の風呂が無かったら逃げ出しているレベルだ。
「……寝るかぁ」
俺は観念して、自分のテントに入って寝支度を済ませ、明日からの修行に一抹の不安を覚えながら床に就いた。
風呂のおかげか、日中しっかりと体を動かしたおかげか、はたまた黒い水に飲まれる痛みで思いの外神経をすり減らしたせいか……昨日よりも心持ち体が軽くなったような気がして、寝つきはとても良かった。
……延々と黒い水に追いかけられる夢さえ見なければ、最高だったのだが。




