乙一 『夏と花火と私の死体』
今回は、乙一さんのデビュー作『夏と花火と私の死体』を紹介します。まず、皆様に知ってもらいたいのは、この作品は乙一さんが、十六歳のときに書かれたということなんですね~。
信じられますか、いや、読んでいない人の方が大多数でしょうから、信じるも、信じないもないと思いますが。とにかく、十六歳が書いた作品にしては、完成度が高いってことですよ。
確かに、まだあどけない描写やセリフ回しがありましたが、伏線の張り方。ストーリーの完成度。情景描写などなど、とても十六歳が書いた作品だとは思えません。
私もつい最近、数か月前に乙一さんのことを知ったので、詳しくないし、偉そうなことは言えないのですが……。乙一作品は今回がはじめてですからね。
どういう経緯で知ったかと言いますと、"文章力„というものがあるじゃないですか。そう、物書きなら誰でも一度は、気になったことがあるのではないでしょうか?
その文章力のことで調べていたときに、文章が上手い小説家ランキングというものがあって、ヒットしたのが乙一さんだったんですよ。文章なんて人それぞれですから、決して比べるものではないんですよ!
だけど、やっぱり文章力とかっていうキーワード。自分が書く立場になったら気になるんですよ。自分の文章はどうなんだ? くどく、読みずらく、ちゃんと相手に自分が表現したいことが伝わっているのかな……? って。
文章力って、結局何なの? と自問自答していました……。で、文章力にも色々な、種類があるんだなって気づきました。
一目で、誰が書いたのかわかる文章や。
ストーリー構成にとんだ文章を書く人。
独特な例えや比喩、言葉の選び方が上手い人。
はい、つまり、一概に言えない、ということです。
何でも一概にものごとを考えるのはダメですよ~。
寛容に、多様に、仏さまのような広い心で、皆さんも考えましょうね。
自分の伝えたいことが、伝わっているのであれば、ストレスなく読みずらくない文章であれば、それはすべて上手いと言えるのです。結局たどり着いた真理は、ありきたりな答えでした。
だって、そうでしょ。漫画家さんにも上手い人、そうでない人がいますけど、それはその人の個性なんですから。絵が上手いだけでは、漫画家にはなれないのと同じです。
やっぱり、その人個人の。個性が大事なんですよ。その個性が、作品に合っているかどうか、フィットしているかどうかなんだと思います。
そんなことを書きましたが、個性がない人はどうするんだ。って話ですよね。かくいう私も、自分の文章に個性ないな~と気落ちしていた今日この頃です。
と、話は反れてしまいましたが、それで、Sランク、Aランク、Cランクって作家の名前がランク分けされているサイトを見つけたのです。
その中で乙一さんの名前がかなりの確率で、Sランクに認定されていたんですよ。
乙一さんってそんなに文章が上手いのかって、気になって、気になって、仕方なくなって、昨日読んでみたのです。で、やっぱり読むならデビュー作からだと思い、『夏と花火と私の死体』を真っ先に読みました。
デビュー作には、その人の表現した世界や、言ってしまえば、すべてがあらわれるって言いますでしょ(笑)。
まず書き出しは、こうはじまるのです。
『九歳で、夏だった』ってね。
これを読んで確信しました。上手い! って。突拍子ですが、伊坂幸太郎さんの『重力ピエロ』の書き出しはこうです。
『空から、春が降ってきた』
どうでしょうか、インパクトがすごくあると思いませんか? やっぱり書き出しは大事ですよね。
よく文学作品は書き出しが命と言われます。書き出しがダメなものはもう全体がダメだと。そしてダメな書き出しの例でよくあげられるのが、会話文で始まる書き出しなんですよ。
物書きの中には、書き出しさえ決まれば、あとはすべて決まったようなものだという人もいるとか、いないとか。だから、それだけ、書き出しにはその作品のすべてがあらわれるってことなんですね。
私も毎回書き出しには悩んでいます……。私の場合、とにかく情景描写から入るのが鉄則みたいになっています(笑)。かといって、書き出しにルールがあるわけではありません。
面白ければ、読者の心をつかめる書き出しであれば、それでいいのです。かの、アメリカの文豪マーク・トウェインは『トムソーヤの冒険』で、このような書き出しをしているくらいです。
「トム!」
返事がない。
「トム!」
返事がない。
「どうしたんだろう、あの子ったら? ねえトムや!」
返事がない。
どうですか? まるで、コメディーみたいな書き出しでしょ(笑)。会話文ではじまる書き出しが駄目だというなら、トムソーヤの、この書き出しは駄目だということになります。
けれど、この書き出しは、テンポもいいし、何より読者の心をつかむと思いません? トムってどんな奴なんだろう、いったい何をしている場面なのだろう? ってね。
何より大切なのは、ルールに囚われず、自分がいいと思った、読者様の興味を引く書き出しであるかどうかなのだと思います。
ものすごく、話がそれてしまいました。では、『夏と花火と私の死体』のストーリーを簡単に紹介します。
主人公は五月という、九歳の女の子なんですね。この、五月ちゃんは健くんという、二歳年上の男の子のことが好きなのです。
主要登場はすごく少なくて、五月、健、健くんの妹の弥生ちゃん、アイスクリーム工場で働いている、緑さん十九歳。あと66という村に住みついた、白い雑種犬です。
弥生ちゃんは兄である、健と結婚したいとおもっているんですよ。けれど、兄妹では結婚できない。そんなある日、五月ちゃんが健くんのことを好きだと知ってしまうんですね。
で、五月ちゃんだけ、健くんを健くんって呼んでいるのに、弥生はお兄ちゃんとしか呼べない……。と、やきもちを焼いてしまうんです。はい、シスコンが喜びそうな展開ですね(笑)。それが、悲劇のはじまりになるとはつゆ知らず……。
登っていた樹から、五月ちゃんを突き落としてしまうんですよ……。はい、その通り、五月は死んでしまいました。主人公が死んじゃったんですよ。
ファンタジーではないから、何か不思議な力で生き返られるわけでもありません。ドラゴンボールなんてないから、神龍に生き返らせてもらう事もできません。
この作品の見どころは、死んでしまった五月ちゃんの死体を、弥生ちゃんと健くんが隠すという物語なんです。倒叙小説のかたちをとった、サスペンスなんですね~。
これくらいなら、まあ、ありそうな話なのですが、この小説を特殊たらしめているのは、死んだはずの五月ちゃんの一人称で語られる、というところにあるのです。
死んだ五月ちゃんが幽霊になって、天から光景を解説しているのではなく、五月ちゃんの神視点で語られるのです。それなりに、小説を読んできたつもりですが、こういう種類の作品ははじめてでした。
こういう、作法もあるんだなって、小説の可能性を再確認しました。最後のオチも、当時十六歳が書いたとは思えない、思いたくない、インパクトのあるものでした。
長くなってしまったので、これくらいにしましょう。しばらくは、乙一さんの作品を紹介します。ありがとうございました。




