09 『崩壊の秒読みが』
今まさに、俺達のまいた種は完全にその芽を生やした。
この世界で発生した宗教であり、この世界の人々が作り出したアルスラ教。それ自体を否定することは俺には出来ない。『神の意志』と『宗派の方針』。そいつが同じ方向を向いている限り、俺には打つ手が無いのである。
だが、いつかの俺が述べたように、『神の意志』がなんたるかを決めているのはあくまでも人だ。神自身との直接的なやり取りなど到底不可能な人類にとって、『神の意思』とは、つまりは神の代弁者である人間の言葉に他ならない。
あくまでも人間にすぎない代弁者が言った言葉を、それでも神の言葉だと認定する為に必要なもの。それは即ち権威である。教祖、法王、教皇……こんな肩書きを持った権力者が代弁者となり、これこれが自分の聞いた神の言葉でございと言うことで、初めて神の意思は人の耳に届く。
そして先ほどまで、この場における権力者……つまり神の代弁者とはホロン枢機卿であり宇佐美だった。だからこそアイツ等の発言が神の言葉となり、現在のアルスラ教の方針である他宗派への弾圧が、神の意志であるように見えていたのだ。
しかし今、そんな二人以上に神の意志を代弁するに相応しい存在が現れた。
それは、ここ数日ひたすら神の意志がどこに向かっているのかを表現し続けた、和泉、百合沢の二人であり、さらにはその勇者達と行動を共にし続けたメリッサ王女だ。少なくとも今現在の王都に限って言えば、最も女神アルスラエルの意志に近いと認識されている人物はこの三人なのである。
そしてその三人がアルスラ教団の掲げた方針に異を唱える。この場に居る誰もが、この人こそが女神アルスラエルの代弁者だと目している存在が、アルスラ教団とは違う方向を向いているのだ。
果たして周囲は、どちらが正しいと判断するだろうなぁ? なぁ、何処かからこの様子を覗き見ているに違いない、クソッタレの女神サマ。アンタはどっちだと思うね?
アンタというクソ女神は、確かにこの世界の女神信仰と重なっている。更に確固とした意志や人格を持っていて、僅かとはいえそれを他者に伝える手段も持っている。だからこそ見失っていたんだろう?この世界の人々が信じている女神アルスラエルと、実際に存在するアンタとの間には、それでも絶対的な違いが存在しているということを。
この世界の人が信じるアルスラエル様とは、実在するアンタのことじゃない。あくまでも、女神アルスラエルという偶像に過ぎないんだ。
だからこそ、『人々の思うアルスラエルの教え』と、『実際のアンタの意志』との間に明確な違いが発生してしまえば、必ずどちらかが排除される。アンタという存在が、女神アルスラエルから切り離されることになる。
そうなって初めて、俺は正面からアンタという存在を叩き潰すことが可能になるんだよ。
「答えられぬか、ホロンよ。ならば妾が代わりに答えてやろう。
神聖なるアルスラ教の教義を歪め、それどころか女神アルスラエル様のご意志すら貶めようとした者。女神様の教えを、自分達に都合の良い排他的な寛容主義に捻じ曲げてしまった存在。……それこそ、現在の教団指導者。つまりはお主じゃ、ホロン枢機卿よっ」
「ち、違うっ。私は教団に伝わる教えを曲解などしていない!」
「ほぅ……。ならば何故、本来この世界に生きとし生ける全ての者への慈悲と寛容をもって善とするはずの女神アルスラエル様が、どうして他の神や宗派、あまつさえ多種族に至るまでの排斥を掲げるというのじゃ? 道理に合わぬではないか」
「それはっ! アルスラエル様のご慈悲は、あくまでも我々に向けてのモノだからだっ。卑しき他種族や、野蛮な邪神を崇めるような不届き者に、アルスラエル様の恩寵が与えられるはずが無い!」
「それが……そのような狭量な慈悲がっ! 恐れ多くも女神様の御心じゃとおぬしは言うのか!? それこそ、己が都合の良いように教義を捻じ曲げた結果じゃろうがっ」
「違うっ、……違うっ! 貴女は何にもわかっておらぬ、王女メリッサよ。私は確かに女神のご意志に触れたのだ。そして、ここにおわす宇佐見様がそれを保障してくださったのだ! だから……だから私は間違ってなどおらぬっ!!」
年齢も背格好すらも数倍大きな年上の男に対し、真正面から断罪するメリッサ王女。対するホロン枢機卿も、口角から泡を飛ばしながら王女の考えを否定する。
つまりだ、美しく年若い王女が全人類に対する寛容と慈悲を主張し、ド派手な法衣に身を包んだオッサンがそこに選民思想で対抗している図なのである。
考えるまでも無く、どちらが民衆に歓迎されるかなど明白だ。字面だけでも判断できる。
「ねぇ、ハインツさん。あの二人が言い争ってる事ですけど、ホンとのところはどうなんです? あの女神サマを崇める宗教って考えたら、オジサンの方が正解って気もするですけど……」
「さぁなぁ。俺は神サマ本人じゃねぇからわかんねぇよ。っても、今現在に至るまで信仰されてる女神アルスラエルの教義が、慈悲とか寛容をお題目にしてることにゃ間違いはない」
「となると……。あっ、もしかしてアレですかねぇ。もともと存在したアルスラ教をあの女神サマが乗っ取って、自分自身もアルスラエルって名乗りだした、とか。……どです? ありそうな話じゃないですか?」
「そうかもしれんし、違うかもしれん。そもそも、アルスラ教がいつ頃からこの世界に存在するのかすら、俺にも良くわからんのだ。少なくとも原型みたいなもんは、数百年以上前からあったみたいだしな。
だが……あの魔族との戦争以降、クソ女神がこの国のアルスラ教にちょっかい出し続けてるってことにゃ間違いはない。逆にいえば、わかってんのはそれくらいって事だ」
「ふみ……。そだっ! 経典みたいなんは残ってなかったんです? 一時期から内容が変わってたりすれば、それが証拠になると思うんですけど」
「残念ながら無いな。現存してる経典で一番古いヤツは、今から百年ちょっと前に書かれたモノ。内容だって今出回ってるのと大して変わらんのだ。クソ女神の干渉を裏付ける証拠にはならんな。ちなみにその経典だが、今は俺んちの書庫に刺さってる。」
「なんで持ってんスか! ……あぁ、なぁるほど。既にハインツさんも、思いついてたでしたか」
「まぁな。……伊達に年喰ってねぇって事だ」
「無駄に、の間違いじゃなくってです?」
「シメるぞ?」
「すんません」
ようやく配置につき、舞台の上の大騒ぎをこっそりと眺めながら俺達は話す。
確かに、あのクソ女神が本来のアルスラ教を乗っ取ったってストーリーはしっくりくる。だがそんなベッタベタな展開は、そこらのジュブナイルにでも任せておけばそれで良い。だいいち、気まぐれにちょっかいかけていたあの女神の存在が、いつしかアルスラエルの大本になってたって展開も有りえるんだ。
宗教というものが、沢山の人達の漠然とした概念が纏まってできるものである以上、果たしてどれが本当の歴史なのかはわからない。それを証明する文献すら残っていない現実では、たとえあの女神自身にだって、確かな事実の証明なんざできっこない。
俺としては、この世界の真実が、あのクソ女神とアルスラエルを切り離してくれれば、それだけで充分だ。
なおも「違う、違う」を繰り返していたホロン枢機卿は、いつしかがっくりと膝をついた。対するメリッサ王女は、悠然とそれを見下ろしている。もはや誰の目にも、真実がどちらの頭上に輝いているのかは明白だ。
今ここに『正しいアルスラ教のあり方』は決定した。もはや誰が出てこようとも、女神アルスラエルのご意志をひっくり返すことなど出来ないだろう。
そして、これまで不気味な沈黙を保っていた……紛れもなく本物の、あのクソ女神の勇者である宇佐美梓が動き出す。
「本当に小賢しいマネをしてくれる……。まさかこんな形で真実が捻じ曲げられてしまうとは思ってもみなかったわ……」
「まぁ言うか、宇佐見殿。そなた等の発言こそが、真実に弓引くものであろう」
「フンッ。アルスラ教会の神輿にすぎなかったオマエごときが、偉そうなことを……。どうしても王になりたいと泣きついていたのは、はたして誰だったかしらねぇ?」
「そ、それはっ! それは、妾が不見識であっただけの話だ。この国の王としての本道に還った今となっては、そのような戯言に惑わされる妾ではないっ」
「まぁ良いわ。精々この国の傀儡となって踊っていなさい。オマエのような小物の人生なんて、私にはアリの一生以下の興味しかそそられないもの」
数日前までの自分の行いという泣き所を突かれたメリッサだが、それでも宇佐美に向かって吠え立てる。だが、この期に及んで悠然と構える勇者は、そんな王女を無視するかのように舞台の中央へと進んでいく。
王女の傍に控える騎士達も、そんな宇佐美にある種の危険を感じてはいるのだろうが、それでもその歩みを止めることは出来ずに道を開けた。
宇佐美のあの態度……コイツは思った以上に進行が進んでいるということか? 俺は会場の隅に視線を向け、その場に居るはずの者達に意識を向けた。
「宇佐見殿よ、何をするつもりじゃ? 今更そなたが何をしようと、この場が覆ることは――」
「黙りなさい。オマエの不愉快な言葉を、これ以上聞くつもりはないわ」
気丈にも宇佐美に立ちふさがろうとしたメリッサを一蹴し、宇佐美はその場に居る全ての人間の視線が集まる場所に立った。ゆっくりと唇の端を持ち上げ、そして言い放つ。
「……もう、良いわ。ずっと目をかけてあげていたけれど、もうこんな国どうだって良い。貴方達の好きになさい」
「なんじゃと? そなた、どういうつもりじゃ」
「説明する必要なんてないでしょう? ……でも。ま、ちょっとくらいサービスしてあげましょうか。誰が考えたかしらないけれど、この私をここまで邪魔してくれたんですもの。ご褒美ね、これは」
煌びやかな甲冑に身を包んだ宇佐美は、それでも物音一つ起こさずに、スッと片手を挙げる。……って、不味い、あの馬鹿なんて真似しやがるっ! 宇佐美の右手に集まりつつある魔力を察知した俺は、慌てて行動開始の合図を送る。頼むから間に合ってくれよ?
「オマエ達が余計なマネをしてくれたおかげで、この、勇者宇佐美の発言力は地に落ちたわ。でも、それも所詮この小さな国の中だけのお話。別の場所に行けば、依然として勇者のネームバリューは有効よ? なにせ、どこかのおバカさんがあちらこちらで触れ回ってくれたものねぇ。それに、どこの国にだってワタシの神殿はあるんだし、邪魔の入らない場所を探すのにも苦労しないわ」
「何の話じゃ……? いや、しかしそなた、まさかこの国を出ようと言うのか?」
「当たり前でしょう? こんな気色の悪い価値観に汚染された国、一秒だって早く出て行きたいもの。ついでに軽くお掃除もしてあげるわ。美化活動、好きなんでしょう?」
ニンマリと笑う発言の真意は、それを聞いた民衆には理解されなかった。それは本当に幸運極まりない事だ。何せコイツは、今この場にいる全員を焼き殺すほどの魔力を練り上げようとしている。そんな事実が伝わってしまえば、一瞬で阿鼻叫喚の大パニックとなったハズなのだ。
「貴様……、許さぬぞ。いくら王としての本道を外れておった妾とて、この国の人々を危険に晒すようなマネ、黙って見過ごすと――」
「あぁ、止めようったって無駄よ? オマエ達みたいなザコが、このワタシをどうにかできる訳ないんだから。嘘だと思うなら止めて御覧なさいよ。勇者として極限までスペックを高められたこの身体、止められる者など居る訳がないわ」
だがそれでもメリッサは、目の前に居るこの少女が発する、吐き気を催すほどの悪意を感じてしまう。魔力を見る目を持たずとも、何らかの危険がそこに存在することを嗅ぎ取ってしまったのだろう。
そして王を目指していた少女は、即座に立ち向かおうと一歩踏み出す。だがそれでも、まさに生物としての次元が違うプレッシャーの前に、それ以上足を進めることは出来なかった。
ギリギリと奥歯を噛み締めるメリッサが、己の無力を悟り、思わず視線を落としかけたその時。王女は自分の視界の影に、サッと影がかかったことに気がついた。
「いや、残念ながらここに居るぜ?」
「そうね、私たちが止めるわ」
王女を、そしてこの場に居る全ての人々を護るかのように、二つの人影が壇上に現れる。
光を背にしたその姿に剣はなく、身に纏う物すら、輝く鎧に身を包んだ宇佐美とは比べ物にならぬほど庶民的な服装である。――されど、それでもやはり。
その姿は誰もが見まがう事無く、まさしく勇者のそれであった。
……そして、最後の幕が上がった。
宇「ワタシを止められるものがあるか」
和・百「ここにいるぞ!」
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○本作のスピンオフ的短編
『日の当たらない場所 あたたかな日々』
http://book1.adouzi.eu.org/n4912dj/




