08 『悪党の夜』
十日後の深夜、俺は夜の街中を一人歩いていた。
夜の闇に紛れるよう暗い色のコートを身に纏い、時折すれ違う酔っ払いの視線を避けるように、人気の無い裏道を選んで進む。
目的の場所は、そこそこ人口の多いこの町で一、二を争う高級な宿で、今の俺のような怪しげな人物が表から入ろうとすれば、すぐに強面の護衛が飛んでくるほどしっかりとした店だ。そんな店だからこそ、予め店主に金を握らせてさえいれば、他の客の目に留まらぬよう裏から忍び込むことも出来る。
裏口に立っていた男に手紙を見せると、無言で中へ入るように促され、そのまま男に連れられ薄暗い廊下を進んで行く。おそらくは従業員用の通路なのだろう、どこかしこに荷物が積み上げられている。足の出し方にすら迷うほどごちゃごちゃとした廊下を進み、やがて一つのドアの前に出る。薄暗い中、音の出ないよう、ドアを軽く叩いた男は「出て正面。それ以外には行くな」と、短く呟く。俺が頷いたのを確認すると、ドアの取っ手をなにやらいじりだす。腰に下げた鍵束もドアに備え付けられた錠前もフェイクで、その動作こそが本当の鍵なのだろう。
二つ、大きく数えるほどの間を開けて、ゆっくりとドアが開かれる。そこから差し込む光に誘われるようにドアを潜ると、足元に毛足の高い絨毯を感じた。ここは既に本来の客が利用するエリアなのだろう。ふと後ろを振り返ると、既に今来た入り口は閉ざされている。物音一つ立てず、ご苦労な事だ。
ため息を飲み込み、眼前の扉の前に立つ。華美に走らぬ落ち着いた細工の施されたそれは、この宿の歴史と、そこを訪れる客の品格を声高に主張するようで、ある種の威圧感すら感じる。
ゆっくりとノックする。はじめに三回、次に二回。そしてまた三回。すぐに物音が聞こえ、ドアを挟んだすぐ向こうに誰かの気配を感じる。中に居るのは一人か? 話し声は聞こえない。
糸目を切るようにうっすらとのぞき窓が開かれ、押し殺したような声が耳を打つ。
「…………合言葉は?」
「んなもん決めてねぇよ」
「ノリ悪っ!」
「もぅ、こういう時は『山・川・豊』でしょ、普通」
「ネタのチョイスが古すぎる。てめぇ、ホントはいくつサバ読んでやがる?」
鉄の骨組みに植物の皮を編みこんだ椅子に腰掛けた絹川を横目で見ながら、羽織っていた外套を壁のフックにかける。なおも文句ありげにこちらを見ているが、お前の阿呆な遊びに付き合っていられるほど暇じゃねぇんだよ。
「他の二人はどうした?」
「既に自分のお部屋でお休み中ですよ。流石に疲れちゃったんだと思います、今日は一日走り回ってたみたいですからねぇ。私も日が暮れるまで聞き込みに行ってたんですよ? もぅ、足が棒になっちゃいました」
「そいつは一大事だな。人体の植物化とは、学会に発表できる事態だ」
「労いやがれって言ってんすよっ!」
茶化したのは俺が悪いが、そんなふうに、実際に「ぷんすか」と声に出されてもまったく反省する気にならん。オノマトペは口に出すもんじゃないぞ?
部屋に用意されていたカップに二人分の茶を淹れ、互いの前に並べた。差し向かいに座った俺達の間には、うっすらと湯気の立つそれとは別に、一枚の羊皮紙が置かれている。
四隅に太陽や月の絵柄が記されたそれはこの地方の地図であり、見る人間によっては黄金以上の価値を持つ貴重な物だ。その地図、中央よりやや右に描かれたラッセルという町の名前を中心に、丸とも四角とも言い難い歪な枠で囲われているのが、俺達の現在地であるナザン地方である。
基本的に一つの主要都市は従属する十から二十の村を有する。
農村はそれだけで存続することは出来ず、生活に必要な物資の何割かを輸入に頼る。金銭的余裕のあるどこかがそれを賄うようになると、近隣の村々もそれに追従するようになり、結果として近隣一帯の物資が集中する窓口が出来上がる。そしてそこが町へと発展する。
その時点で村と町の金銭的体力には違いが生じ、それは決して覆る事のない格差となる。確かに町は、輸出のために村の生産する農作物を必要とするが、それは何もその村の物に限った話では無いからだ。買い付け先はいくらでも在る。町に集中した力を貶めることは、属する村が一気に反旗を翻しでもしない限り無理な話。情報技術の低いこの世界で、距離的に隔絶された村々がそれを行えるはずなどありはしない。かくして村は、自分達が生きていくために町の生活を支えるという生き方を余儀なくされ、抗いようのない主従の関係が決定付けられるのである。
誰かが栄華を極めるとき、他の誰かが辛酸を舐める。これは、どうしようもなくこの世の習いという物だ。
そんな社会構造を内に含んだこの地図には、現在、所々に小さく印が刻まれている。俺は、三色ボールペンで書き辛そうにそれを行う絹川を見守る。
「ここと……。あと、ここ。……だいたいこんなもんでしょうかねぇ」
「抜けはないか?」
「私の気が確かなら」
「せめて記憶と言ってくれ」
印の刻まれた村は既に十を超えている。コイツ等がこの町にたどり着いてからまだそれほどたっていないというのに、既にこれだけの村を確認済みだという。いくら人並みはずれた身体能力を持つ勇者といえど、原始的交通網しか存在しないこの世界で、短期間にこれだけの移動を行うのは骨の折れる作業だっただろう。素直に頭が下がる。
「で、ここまでに有力な手がかりは無し、か」
「ですねぇ。それっぽい人を見かけたかもって位の目撃証言ならあったみたいなんですけど、現在の宇佐美さんに繋がるような情報は無しです。そもそも、和泉君も百合沢さんも、どう見たって余所者全開じゃないですか。まともに相手してくれる人を探すだけで一苦労ですもん。効率的にってワケにはいかないです。
ハインツさんが調査に協力してくれれば、そのあたりも上手いことできるでしょうに……」
「無茶言うな。俺にも王都でやらにゃならん事があるし、俺クラスの人間が頻繁に城を開けるのは対外的に危険だ。こうやって様子見に来てるのだって、結構危ない橋渡ってんだぞ?
それに、お前達を自由に行動させる為にも、城の人間を誤魔化し続ける必要がある。そんなの俺しかできんだろ」
「それはわかってますけど……。なんというかこう、手詰まり感がですねぇ」
「今は少しでも手がかりを集めるしかない。大変だとは思うが、堪えてくれ」
「はぁい。……ったく、王女様がもちょっとまともに判断してれば、こんなことしなくて済んだでしょうに」
「そいつは完全に同意だが、そもそも論というヤツだな。今更言っても仕方あるまい」
口元をへの字に曲げながら、なおも「わかってますよう」ぶつくさと不満を洩らす絹川である。流石に疲労がたまってきているようだ。一番肉体的負担の少ない、この町での情報収集に当たっているコイツですらこの有様なのだ、他の二人もそう遠くなく限界が訪れるだろう。
あの時、俺達に対し宇佐美の失踪への関与を認めたメリッサ王女だが、そこから得られた情報はあまりにもささやかな物だった。宇佐美の現在地はおろか、彼女の目的、具体的な行動予定に至るまで、メリッサ王女は何一つとして把握していなかったのである。
「こうなると、この地方に来てるって言う証言すら怪しくなってきちゃいますよねぇ」
「流石にそこまでとは思いたくないがな。それに、王都の街門調べなおしたら宇佐美と思われる人物の外出記録が出てきたのは間違いないし、宇佐美の身分証は王女名義でこの地方向けに発行されていたんだ。この辺りに居るって大前提はそのままで良いだろ」
「あぁ……王都の人たちの旅券って、向かう地方ごとに変えてるんでしたっけ。めんどっちいシステムだなぁと思ってましたけど、こういう時は便利ですよね」
「何時の世も、為政者が恐れるのは住民が勝手に移動する事だからな。個人行動の多い俺にとっても迷惑な方策だが、いざとなるとありがたいもんだ」
「しっかし……。なんで王女サマは、こんな投げっぱなしな状態で協力なんて出来たんでしょうねぇ。普通もちょっとくらいは把握しときたいもんじゃないです?
勇者のやることに間違いはないと思ったのじゃ~とか言ってましたけど、それってただの思考停止でしょうに」
「それだけ追い詰められてたって事なんだろうよ。もともと、メリッサにかけられてる期待は大きくなかった。次期王の座にしたって磐石とは言えない状態だったからな。だが、あのまま無難に選定の時を迎えたとしても、次の王になれるくらいの位置には居たんだぞ?」
「あれら、そうだったんですか。私はてっきり、もっとダメダメな感じなのかと……」
「そもそもこの国において、王の個人能力に依存する部分なんざ殆どないんだ。ぶっちゃけ誰がやろうとほぼ同じとしか言えん。大切なのは、国民に愛され敬われる存在になれるかどうか、国の利を損なわない人間かどうか、だ。アイツはツラの作りは上等なんだから、それだけで十分だったんだよ」
「うわぁ。なんかすっげぇ非人道的発言に聞こえますね、ソレ。なんにせよ、焦っちゃったうえの判断ミスって事なんでしょうねぇ」
「その結果が、勇者召喚に始まる大それた動きだ。しかも太鼓叩いて始めたにもかかわらず、未だまともな結果は出せていない。それどころか、無駄飯喰らい抱えた挙句に新たな外交問題まで発生させてるってのが現状だ。死に物狂いでワラ掴んだとしてもしょうがない」
「そういうことでしたか……。ホント、しょうがないですねぇ」
揃って苦笑いを浮かべてしまう。俺にせよ絹川にせよ、口に出さずともわかっているのだ。
もしも俺達が勇者の邪魔をしていなければ、魔族に対する大きな戦果を上げることも、異世界の文化を取り入れた大発展も出来ていたのかもしれない。そうすればこの国は、列国に対して強く自分達を主張することができ、今頃メリッサは稀代の名君候補として称えられていたかもしれなかった。つまり、あの王女を追い詰めてしまったのは俺達だ。
だからと言って、今更路線変更するつもりは毛頭ないのだけれど。
「考えてもしょうがないことは置いておこう。それより、今は宇佐美の行方だ。お前の方では何か情報はないか?」
「ほいさっさ。っても、これといって役に立つお話は無いんですけどねぇ……」
町の人々が寝静まった後も、俺達は額を寄せ合って話し続ける。
日の当たらない場所ではかりごとを行うのは、悪魔か悪党と相場が決まっている。つまり自分達に相応しい。
そんな自分を揶揄するように、くだらない冗談を交えながら、俺達の夜は更けていった。
果たして宇佐美は何をしようとしているのか?
主人公二人はこの先生、きのこることができるのか!?
かみんぐすーんでお待ちくださいませ。




