13 『生き残りしザクセンの民』
そしてしばらく時間が経ち、俺達は夜の闇に紛れ森の中へと降り立った。
魔族領と人々に呼ばれる地域の中心に位置するこの森は、未だ人の手が入らぬ鬱蒼とした雰囲気を保っている。
目的地はもう少し進んだ場所。俺は絹川を小脇に抱えたまま、森の中をゆっくりと進んでいく。
「あの……ハインツさん? この体勢って結構辛いものが……」
「少し静かにしていてくれ。気付かれる」
腕の中の少女から抗議が聞こえるが、あえて無視して先に進む。無力な人間には危険度の高い生物がはびこるこの森を、しかもこんな闇夜の中歩かせるわけにはいかない。それにこの状態ならばお互い顔を合わせることが無い。今の顔を、見られたくはなかった。
暗闇の中をしばらく進み、程なくして目的の場所へとたどり着く。幾人かの話し声と、不確かに揺れる松明の明かりが俺達にも届く。
「もう始まっていたか……」
「あれ……。何をしているんです?」
俺は答えない。絹川もそれ以上口を開くことなく見守っていた。
視線の先には大人2人分ほどの大きさの石碑があり、数人がそこに何事かを刻み付けている。いずれも頭の先からすっぽりと覆うローブを羽織っている。ゆったりとした動きから全員がそれなりの年齢を重ねているとわかる。
事実、彼らは老人と言われる者たちがほとんどで、中には100近い年月を見てきた者だっている。
「あそこにいるのは、各集落で指導者的立場にいる者たち。長老とか、長と呼ばれている者だ」
「魔族のお偉いさん、って事です?」
そのまましばらく見ていると、ようやく最後の1人が作業を終えたようだ。彼らは互いに頷きあい、言葉を交わす。
「終わった、か? みな。書き漏らしは無いな?」
「大丈夫だ。この1年に生まれた者、死んだ者。広げた田畑。すべて抜かりはない」
「こちらも大丈夫だ。村を移動した者も全て刻んだ」
「ならば早く宣誓を終えて戻るとしよう。長居をして怒りに触れるわけにはいかぬ」
1人の男がそう促すと、黒い人影はそれまで何かをしていた石碑に向かい膝を付き、深々と頭を下げた。そして誰ともなしに語り始める。
夜の闇に潜む何者かに願い乞うように、地に伏せた姿勢のままの声が響く。
「我ら、生き残りしザクセンの民。制約に従い此処に義務を果たす。
この地に生まれ、この地に生きるを誓う。
この地を離れること無きを誓う。
この地にて死ぬことを誓う。
我らザクセンの民を守りし、あまねく死をもたらす魔王よ。
我らの行く末を守りたまえ。
我らが何者も侵さず、何者にも侵されぬよう守りたまえ」
最後の1人が口を閉ざした後、元の静寂が場を包んだ。衣擦れの音一つ立てることなく人影は地に伏せている。
風が吹き木々が騒ぐ。遠くで獣の鳴き声が聞こえた。
息をするのも躊躇われるほど重々しい時間が過ぎ、やがて人影は立ち去った。残されたのは闇の中でもなお存在を主張する無機質な石碑と、その前に立つ俺達だけ。
刻まれた文字を指でなぞりながら確認していると、後ろから絹川の声が聞こえる。
「えっと。まず驚いたのは、ハインツさんが魔王って呼ばれてたことなんですけど」
「だろうな。……俺はただの魔族じゃない。この地の人々には魔王と呼ばれる存在だ」
「王様がなんでそんなに身軽に動いてんですかとか、それにしちゃ配下の人とか見ないんですけどとか、イロイロ思う事あります。まぁ、私の常識で話してもしょうがないんでしょうけど……。
それにしてもハインツさん。こんな風に魔族の人達を統治していたんですね」
「統治だなんて大仰な事はしていないさ」
「でも、要は人口調整なんでしょ? 人口の増減と生産量を報告させて、食料不足にならないように管理してるんですよね。立派な統治だと思いますけど……」
「どちらかと言えばな、増えすぎないようにしているだけなんだ。
魔族領は広く農地として使える土地もまだまだ豊富にある。だが俺は開墾を許さない。これ以上この地に増えることを許可しない。
魔族はな。人族よりも長命でその分出生率の低い種族なんだ。個体数が同じでも必要な食料の量は変わる。だから時には田を広げることも認めるが、不要と判断したら潰させている」
「えと。理由、聞いても良いですか?
それにあの人たちの言葉。あまりその……、穏便に聞こえなかったです。死をもたらすとか。敬ってるって言うよりなんだか恐れてるみたいな……」
「そうだろうな。まず間違いなくその想像は正しい。
さて……。それじゃ、約束どおり話そう。俺がこれまで何をしてきたのか。どう生きてきたのか」
石碑に刻まれた文字は読み終わった。それでも俺は絹川に背を向けたままだ。
周囲に人の気配は無い。仄暗い森の奥深くには、今は俺とこの少女しか存在しない。
息を吸い。そして吐く。
「まず、これはもう既に気づいているのかもしれないが……。俺にはこの世界に生まれる前の記憶がある。
お前たちと同じ世界で生きていた、日本人としての記憶だ」
生まれ変わる前については特に話すような事がない。俺はどこにでも居るサラリーマンで間抜けな事故で死んだ。特に何かを残したわけでもなければ、誰に悲しまれたと言うことも無いだろう。
……親? 俺が成人する前に死んだよ。2人とも。病気でな、あっけないモンだった。……別に気にすることはないさ。だいたい、何年たってると思うんだ。今じゃもう顔もろくに思い出せないんだ。
それはそれとして。とにかく俺は死んだと思ったらこの世界で生まれていた。最初は何がなんだかわからなかったよ。生まれたばかりの赤ん坊の頭ってのは、どうにも考えることに向いてないんだ。自分に生前の記憶があるってことをきちんと理解できるまでたしか5年くらいはかかったと思う。
気持ちの悪いガキだったと思うぞ。現在の記憶と過去の記憶がごっちゃになって日常的に意味のわからないことばかり言っていたからな。
はっきり前世を理解してからは更に悪い。自分自身の死の記憶までしっかりとありやがるんだ。何をやっても虚無感が先に来て、自分から何かをするってことができなかった。親切にしてくれるヤツも、育ててくれる親も、どうせいつかは死んで居なくなるんだって思うと関わるのが嫌になった。
そしてそれ以前に、記憶自体が自分の妄想なんじゃないのかとも疑った。自分の頭の中で思い描いただけの想像に引っ張られて、生まれ変わりだなんて口走るおかしなヤツなんじゃないかってな。そんなおかしなヤツが感じている事も、見ているモノも、全部が俺の空想の産物なんじゃないかと思えたんだ。
疑いようもなく鮮明に思い出せる過去があったから、今の全てが疑わしく思えた。つまり、当時の俺は決定的に自分に根拠がなかったんだよ。
だがそれでも俺を見捨てないでくれた人たちがいて、数年がかりで普通に暮らしていけるくらいにはなった。そしてその頃に思ったんだ。元の世界に居た自分のことをどうにか消化することはできないだろうかって。そうすれば俺は、この世界の住民として生きていけるってな。
そのために元の世界の存在を確かめることからはじめようと思った。この記憶が自分の妄想の産物なんかじゃなく事実として存在したモノだってことを確かめることができれば、俺は自分自身に迷うことがなくなる。前世なんて空想にとらわれている頭のおかしなヤツじゃなくて、少し違う世界を知っているだけのヤツとしてこの世界で生きられるって思ったんだ。
もちろん誰に聞いても地球なんて星は知らなかったし、そもそも別の世界が存在するなんて概念すらなかったよ。けれど俺は、ここと元の世界には絶対に何らかの繋がりがあると思っていた。
根拠は、俺の記憶だ。
何の繋がりも存在しないなら、そもそも俺がこの世界で生まれ変わることすらありえないだろう? そこに何らかの関係性があるから俺はこの世界に生まれることができた。この記憶を手がかりに、元の世界を確かめることができるはずだって考えたんだ。
気づいたか? そうだ。あの魔法を作るに至った最初のきっかけは、単に俺自身の不確かさを何とかしたいって個人的な理由からだったんだ。
そして俺は魔法に没頭した。この世界に存在する超常の力を使えばきっと元の世界にたどり着ける。そうすれば俺はここでちゃんと生きていけるって思ってな。
そこからはとんとん拍子だった。俺はどんどん魔法にのめりこんでは頭角を現し、神童だ、天才だともてはやされた。少しだけだけれどこの世界で生きるのが楽にもなった。
そして同時に、色んな相談事を受けるようにもなっていた。
最初は、単なる人間関係の悩み程度だったんだ。もともと町の有力者の子どもだったし、天才の誉れ高いガキだった俺の言葉にみんなが耳を傾けはじめた。
この世界に必要とされてる。受け入れられてる。そんな気分に囚われた俺は生前の知識を元にした助言を繰り返し、それがだんだん規模が大きくなって、ついには町の運営にまで口を出せるようになった。
それでも教えたのは些細な事だと思ってたんだよ。ほんの少し能率が上がるやり方とか、ほんの少し使いやすい道具。けれどそんなちょっとが積もりに積もって、いつしか俺の暮らしていた町は国と呼べるほどに発展していった。
しばらく時が流れて、ようやく召喚・送還魔法に目処が立ちそうになった頃。既に大国の体を擁し始めたこの国は、領地拡大の野心を抱き始めた。
一度高度な文明を手に入れてしまったこの地の人々は、自分達を世界を支配するに足る種族だと思うようになっていた。優れた肉体、優れた魔法。そして他の国家では追従できない高度な技術。これらに裏打ちされた種族としての自信が、この国の人々に侵略行為への根拠を与えてしまったんだよ。
国中が侵略に向けて高まっていくのに気づいて、俺は必至に止めようとした。俺はそんなことのために技術をもたらしたわけじゃない。知識を与えたわけじゃなかった。けれどだれも俺の話に耳を貸さなかった。どれだけ説得しても無駄だった。
むしろそれまでさんざん俺を持ち上げ来た奴らはこぞって手のひらを返したよ。国の発展を妨げるのかってな。
そんな中、あの魔法は完成した。




