11-16 シュバルドベルツ帝国 深夜の鍛錬
今日は良い日だったな……。
心強い知り合い『愛の蜜』が味方になってくれて、真にも久しぶりに会えた。
光ちゃんという新たな流れ人とも出会えたし、美味しいラガーが沢山手に入った上に、食事も飲みも相当に楽しかった。
大満足の濃厚な一日に、きっと皆もそれぞれの部屋で気持ちよく眠れていることだろう。
そんな日は俺もゆっくりと惰眠を貪り、できればお昼前くらいまで熟睡と行きたい所なのだが……。
「ふっ! はっ! はぁっ!」
深夜の誰もいない演習場で二本の剣を振るう。
シロの鍛錬が終わるのを見計らって出てきたので一人だ。
酔ったまま鍛錬……なんて、叱られるだろうしな。
まあ、シロには気づかれているかもしれないが、腕が上がらなくなるまで何度も何度も剣を振るう。
「っ……だあっ!」
腕が上がらない……と、自分で感じてから何度振るえるのか。
それなりに扱えるようになってきたと思う『マナイーター』と『陰陽刀 -陰-』だが、それがとてつもなく重く感じる。
どこまで振るえるかを確かめていき、本当の限界が訪れると手から剣を落としてしまい、汗だくのまま地面へと仰向けで倒れこむ。
「はぁー……はぁー……はぁ……」
酔いもあるせいか、やはり普段よりもずっと振るえない。
息もあがり、目の前の大きな月を見上げつつぼーっとして、そういえばなんで月があるんだろうとか考えていた。
地球には太陽と月があり、そのおかげで朝と夜がある訳だがここは異世界だ。
……まあこの世界も似たような月と太陽があるのだろうなと、自己完結しようとした際に頭上から影が差してきた。
「こんな日の、こんな時間に一人で鍛錬か?」
息が上がっていたのですぐには返せず、話せるようにと大きく息を吐き、少しずつ呼吸を整えていく。
「……そちらこそ、なんでこんな時間に、起きていらっしゃるんですか?」
月を隠すように俺を見下ろすシシリア。
月の光によって着ている服の端がきらきらと輝きつつ、ネグリジェのように薄い布地が、その中のシシリアのボディラインを浮かばせている。
随分とまた、凶悪なまでに男の視線を奪う寝間着であった。
「なあに、なにやら気配を感じたものでな。それと、敬語はいらぬと言ったぞ」
「酔っていたので覚えてないかと思って……」
「たわけが。我とて冒険者であり、現皇帝の姉だぞ? 酔ったくらいで記憶をなくし、動けなくなるほど柔な鍛え方はしておらぬ」
「なるほど……ごもっともで」
アイナ達もそうだが、シシリアも戦闘系。
ああいう心得はしっかりしているものなのだろう。
特に、女性冒険者ならば当然といった表情である。
「それで、秘密の鍛錬か? わざわざこんな日のこんな深夜に?」
「あー……少し食べ過ぎたから体を動かそうと思って?」
「はっ。そんなものは明日やるタイプだろう貴様は」
良く分かっていらっしゃる。
今日やらなくてもいい事は、明日以降に回すタイプですはい。
「……まあ、シシリアやアイナ達と一緒だよ。酔った状況でどれだけ動けるか確かめるには、いい機会かなと思ってさ」
「はぁ……あれだけ有能な護衛を一般人が引き連れておいて日中以外にまだ鍛えるか……。はっきり言うが、お主に才能はないぞ。隠れてもおらぬ」
ズバッと言いますねえ……。
まあ知っているし、この世界では油断や慢心が死に直結する事も少なくないので、善意からくるものだろう。
「それは始めたころからわかってる」
「そうか。ふふ。しかし貴様、我を騙したな?」
「騙す? え? 何が……?」
騙すだなんて人聞きが悪い。
全く心当たりが無いんだが……。
「出会った時、お主は向上心が無いように見せたではないか。体も鍛えていなかったが……ほれ。今は随分と引き締まっている」
「ひん……っ! ちょ、いきなりお腹を触るなよ!」
「何を生娘のようなことを。む、本当に結構硬くなったものだな……」
服をめくり、俺の体をぺたぺたと触るシシリア。
汗もかいているし触り心地は悪いはずなのだが、ペチペチ、スリスリと本当に遠慮がない。
以前のこちらの世界の食材が美味しすぎてちょっとぷにった体ではないからどちらかと言えば異性に見てほしいくらいなのだが、ちょ、や、そこから下は腹筋ではないので手を滑らせないでください!
「ふふふ。どうした? 動けないのか? これは良いな」
シシリアの笑みが肉食獣のそれだ!
しかし、どこかで見覚えが……はっ!
ウェンディが四つ這いで俺の上に覆いかぶさる時の顔と一緒である!
これは危険だ!
「ちょ、さ、再開しますので!」
「むう……なんだつまらん」
危ない危ない。
成すがままにしていたらあそこから主導権を握られてなす術がなくなるところであった……。
物理的にも精神的にも拒否ができなくなるところだった!
「そうビクビクするな。しかし、結構長いことやっていたようだな。ほれ、汗がついてしまったぞ」
「拭いてくださいよ!」
慌ててタオルを渡すのだが、なぜ他人の汗が手についてにこやかなのだろうか。
シシリアはにこやかなままに汗を拭いていたのだが、突然目つきが真剣なものへと変わり、俺の方へと視線を向けた。
「……どうして、無茶をしてまで鍛えるのだ?」
落ち着いた口調であり、真剣味のこもった問いだ。
表情からも、つい先ほどまでの冗談のようなものではないのが伝わってきてドキッとしてしまう。
「奴らの口からは言いづらかろう。だが、我ははっきりと言わせてもらう。お主がいくら鍛えても、我くらいの、いやBランク冒険者程度の実力者が相手でも言葉通り秒殺されるだろう」
「……だろうなあ」
アイナ達やフリードとの鍛錬で痛い程痛感しているよ。
あれはあくまで鍛錬であり、もし本気であったら……と何度思ったことか。
たとえ知られてはいない不可視の牢獄で初撃を防げたとしても、すぐに対処されてしまうことだろう。
それだけ、戦闘を生業とするものとはレベルどころか、畑が違うという事は分かっている。
「このままじっくりと鍛えていけばそう遠くない未来に街のゴロツキ程度ならば楽に片づけられよう。だが、ゲルガー公爵が刺客を放つならばお主が対処できるレベルを超えているだろうな」
「……そうだろうな」
近々の話で言えば、間違いなく敵になりうるのは公爵だ。
そして、金はなくとも公爵だ。
貴族の位って言うのは、それだけで価値あるものであり、旧知の仲というものもと思う。
そんな男が刺客を放つならば、それ相応の力を持った者になるはずだろうな。
「今無茶をして鍛えても無駄だとは言わぬ。だがな……無茶せねばならぬほど、お主が切羽詰まる必要はないのではないか?」
シシリアの表情からは責めているようなものではなく、純粋に俺の心配をしてくれているのだと理解できる。
昼間は普通通りに過ごし、深夜に鍛錬をしていれば当然睡眠不足も重なって身体は壊しやすくなるだろう。
特に、俺のように体力のない一般人であればなおさらだ。
もしかしたら、俺は気づいていなかったが察されたのかもしれないな。
でも……。
「どうして、か……。そうだな……良い女が傍にいるとさ、男は良い男になりたがるんだよ」
「むぅ?」
俺が深夜に鍛錬をした日に、俺の寝所に誰も潜り込んで来ないのは、恐らくゆっくり寝かせてくれているのだろう。
何日も過ごしていれば、皆が気づいているのに気づいていないふりをしている事も分かってくる。
本当に良い女達が俺のそばにいてくれているのだ。
「俺といて幸せだって、いつも笑顔で支えてくれて、心配して見守ってもくれる。そんな良い女の為なら、良い男はどんな無理も無茶もするもんだろう?」
「……たわけが。良い男は良い女に心配をかけぬ。我に心配されているようでは、良い男では無かろう」
「見解の相違だな……。つまり俺は、シシリアにとっては良い男じゃないんだろうな」
「ぬかせ」
くっくっと笑顔を見せてくれるシシリア。
どうやら、深夜の鍛錬を止める気はなくなったらしい。
当然だ。俺は良い男になろうとしているのだからな。
「満足のいく答えだったか? ……それじゃあ、本当に再開するからまたな」
「うむ。はぐらかされた気もするが、まあ良しとしよう」
「…………」
えーっと……。
何でこの人動かないんだろう?
「どうした? 続けよ」
「あー……うん」
見てるつもりなのか。
まあ……いいか。
才能が無いのはわかられているし、今更お粗末な素振りをした所で恥ずかしいことなどないしな。
「ふっはっ!」
うーん……恥ずかしくはないけど視線が気になるな……。
いや、駄目だな。余計な事は考えずに深呼吸をして集中しよう。
すぅ…………はぁ…………。
「やれやれ良い男か……格好つけよって……。あ奴らは、この男のこういうところに弱いのだろうな……。まあ、我も例外ではないが……」
「ん? 何か言ったか?」
声を出したという事はわかったが、集中したばかりなのでちゃんと聞き取れなかった。
小さかったが、アドバイスでもしてくれたのだろうか?
「なんでもない。ほれ、もう100程振るえたら我が背中を流してやるぞ。言っておくが男の背中を流すなど、初めてだからな」
「はは。そいつは光栄だ。……眠くなったら早く寝た方が良いぞ。明日も忙しいんだろう?」
「なに、そんな事で体調を崩すほど柔ではない。それに、酒が入っている状態で素人が武器を持つのは危ないからな」
「あー……それは確かに。助かる。まあ、見てても面白いもんでもないと思うけどな……飽きたら寝ろよ?」
さて、もう一度集中っと……。
「お主が良い男であろうと努力するから、周りの女も良い女であろうと努力するのだが……。ふふふ、本当に、誑しというにふさわしい男よ……」
ん? またなんか言ってる……。
まあ、いいか。とりあえず、集中集中。
でも、言われた通りあと少ししたらやめておこう。
事故でも起こすと、流石に皆に勝手な鍛錬は止められるだろうからな……。
※
これは……まずいのでは?
まずいよな。まずいだろう。まずいと思う。というか、まずいね。言い切れる。まずいよ!
「ふっふっふ。何を生娘のように恥ずかしがっている」
「いや、あの……前くらい隠しません!?」
「隠す? 我の体にだらしのない部分などないぞ。ほれ、引き締まっているであろう? 尻もお主の好きな胸も鍛えておるから垂れてもいない。隠す必要があると思うか?」
確かに見事な体なのは認めますし、素晴らしい肉体美で芸術と見まごうばかりではありますが、暴力的過ぎる!
見たい……もしシシリアが恋人だというのならば瞬き一つせず目に焼き付ける程に見たいけど血圧上がるわ! 鼻血出るって……。
「そ、それは勿論素晴らしいと思いますが、そのタオルは何のために!?」
指の隙間から見える今手に持っていらっしゃり、クルンクルンと回しているその白い布は体に巻き付けるためにあるはずですよ!?
「この布か? これはお主の背中を洗うためにだ」
「さっきの話マジだったんですか!?」
「当たり前だろう。冗談で言って良い事と悪い事があるのだぞ。アレは男に言って良い冗談では無かろう? なあに、釘は刺されておるが、アイリスも背中を流すくらいは許してくれるだろう」
期待させておいてこんにゃろー! って事ですか!?
思いませんよあの会話でそんな事思いませんよ!
普通に社交辞令的な細流に浮かぶ木の葉のごとくスルーして流しましたよ!
「ははーん。あれだろう。我が力加減を間違えぬか不安なのだろう? なあに任せておけ。初めてではあるが……。我は基本的に天才なので上手く出来るだろう!」
「なんかそういうタイプには見えますけども! 争点はそこじゃない!」
酔ってるんですか? 実はまだ酔っていたんですか?
この人は天性で最初からある程度出来る上に、コツさえつかめばあっという間に出来てしまう人種だとは思うけれど!
背中洗いに才能を見出すってどこで使うんですかね!?
あ、いやでも俺の撫で術はなかなか天性の才能かもしれないし、見ただけでスリーサイズがなんとなくわかるのも天性の才能かもしれない。
しかも一般的にはどこで使うの!? って感じのものだけど、俺はかなりありがたく使えているし……もしかしたら背中洗いの才能も――。
「ほーれ動くな。泡が作りにくいだろう」
「ッッッ!!!!!」
縮地ですか!?
ああああー! ぐにーって! 背中にぐにぃぃいいい! って!!
洗う背中に大きな大きなおっぱいを押し付けてホールドしたら洗えないのではないでしょうかっ!
まさか乳洗いですか!!? アイナよりもボリューム感のあるそれで俺の背中が洗われてしまうんですか!!?
「あ……動くでない。こすれるだろうが……」
何が、だなんて野暮なことは言えない!
だが、お風呂の熱気と現状にだばだばっと汗が噴き出てきている。鼻血出なくてよかった!
治まれ我が血流よ! くっ……解き放ってはダメだ!
一点集中などしたら……自我が……!
「んん……滑るな。ほれ、泡を作っているのだから動くでないと言うに……」
動くなも何も動けません!!
そして! もう振り向くことも立ち上がる事もできません!
「お、観念したのか。うむうむ。大人しくしておればすぐに終わるからな」
こっちの気も知らず、悠長に鼻歌などを歌いながら上機嫌に背中を流すシシリア。
こっちは前屈みのまましばらく動けず、背中を洗われる感触など意識しないまま終わりを迎え一安心……とは行かず、一緒に風呂に入るか、と言ったシシリアの誘惑になんとか耐え、鍛錬の疲れと気疲れによりいつもよりも早く、深く、眠りにつくのであった。




