6-3 温泉街ユートポーラ 帰還しました
ああ……懐かしき我が家だ……。
門を抜け、庭を通り玄関を開く。
「お庭の手入れ、やり直さないとですね」
「だな。まあ明日になりそうだが……」
「はい。まずはお家のお掃除からですね」
出かけている間の管理をダーマに頼めばよかったと今更ながら思うが後の祭りである。
やはり半月近く家を空けていると、少し埃が積もってしまっていた。
「まずは寝床からかしらね」
「そうだな。最優先で寝る場所は確保しようか」
「ご主人は休んでていいっすよー! 自分達でぱぱぱっと終わらせるっす」
「そういうわけにも行かないだろう。流石に自分の部屋と錬金室くらいは掃除するって」
「でしたら私達がご主人様の部屋はお掃除いたしますので、ご主人様は錬金室をお願いします。私達の生活を支える大事なお仕事部屋ですからね」
快適な仕事は快適な空間からだからな。
流石に埃被った部屋で仕事はしたくないし、お言葉に甘えさせてもらうかね。
……帰ってきたのだからやらなきゃいけない仕事が沢山あるしな……。
まずはヤーシスに卸すバイブレータと、冒険者ギルドに卸すポーションの作成をしなくてはならない。
まるで連休明けの仕事前のような気分だ……。
「よし。それじゃあ各自ウェンディの指示に従って大掃除だ。それが終わったら買い物に行って夕食。街の皆に顔をだすのは明日にしよう」
「了解っす」「ああ、わかった」「はいはい」
「ん」「かしこまりました」
各自がそれぞれ掃除道具を手に取り、行動開始である。
俺は地下へと降りながら、王都を出た時の事を思い出していた。
出発は早朝。
まだ日も昇りきらぬ程早かったにも拘らず、多くの人が見送りに来てくれた。
隼人達は勿論の事、フリード、メイドさん達やアイリスにアヤメ、そしてテレサと副隊長までもが見送りに来てくれたのである。
今思えば王都では随分と知り合いが増えたもんだ。
隼人は少ししたらダンジョン攻略に行くとのことで、暫くは会う事も難しいかもしれない。
まあでも月光草は隼人達にも俺達にとっても必要になるだろうし、取ってきてくれるのなら早めに越した事は無いだろう。
あの大会を経て、より安全に重きをおいて考えるようになったからな。
あんな風に巻き込まれる思いは二度とごめんだが、俺の意思でどうにかなるものでもないのだ。
その為にも早めに人数分の霊薬は揃えておきたいものだ。
だが、警戒をしすぎれば日々に緊張が生まれて身動きが取れなくなってしまうので、程ほどにだな。
アイリスにも心配はないって言われているし、ある程度は今までどおり俺は俺としてこの世界を謳歌しよう。
そういえばアイリスは少ししたらアインズヘイルに来るらしい。
俺の家にも訪れるとのことなので、それまでに新作のアイスでも考えておくとしよう。
テレサ達とは王都に行かない限りは会えそうにないのだが、任務でこちらの教会に来る事もあるらしいので、その時は歓迎しようと思う。
なんだかんだ大問題もあったが、王都は王都で結構楽しかったな。
お金も随分と儲かっているし、これはそろそろ真剣に働かない為の算段をするべきだろうか?
いやまあ、錬金は仕事ではあれど趣味に近く、楽しいので別に続けても良いんだけどさ。
でもほら、昼間からお酒を飲んだり、一日中ぐうたらして過ごしたりって贅沢に憧れはあるんだよ。
なんとなく一日を過ごすんじゃなくて、意図してぐうたらして過ごすんだよ。
世間は働いている人ばかり。
それなのに俺はごろごろして過ごすんだ。
ああ、贅沢だなあ……。
多分シロならば分かってくれて俺と一緒にだらだらしてくれるはずだ。
まあでも、最早自分一人の生活ってわけでもないからな……。
ひもじい思いはさせられないし、お金稼ぎは大事だよね。
錬金室は思ったとおり結構埃を被ってしまっていたので、高いところから順に埃を落としていく。
そして落とした埃なんかを取り、あとは濡れ拭きである。
当然掃除を始める前に例の空気清浄装置は起動済みだ。
錬金室の掃除が終わると、綺麗になったブラックモームの皮で出来ている椅子に腰掛けてみる。
久々の感触だ。
そして、長旅の疲労感と座り心地の良い椅子がいつの間にか俺の瞼を閉じさせて夢の世界へと誘い始めた。
いやいや、今寝るのはまずいよな。
夕飯の買出しや夕飯の準備、それに寝るのならベッドで寝ないと疲れは取れないし。
明日は帰ってきた事を伝えに色々なところに行かねばならないし、お土産も持って行くつもりなのだ。
ああ、でも抗えない。
この眠気、最高に気持ちいい眠り方だ。
うとうとを通り過ぎた先の、目を開ける力も湧かない状態。
寝ちゃ駄目だって気持ちは最早、弱小勢力となってしまっているのだ。
寝ちゃー……だめだー……。
「すぅ……すぅ……」
頭が働かなくなり、寝ていないはずなのだがいつの間にか、寝息を立てるように落ち着いた呼吸になっていた。
そんな働かない頭が、部屋の中に何者かの気配をかろうじて察知した。
「……様子を見に来たんだけど、寝てるのね」
この声はソルテか?
何時の間に……いや、もしかして寝てたのか?
起きてたつもりだったんだけど、気づかなかったって事はいつの間にか寝てたのかもしれない。
「……寝てる、わよね?」
前髪をさらりと触られた。
なんとなく、視線を感じる。
……あまり寝顔をじっと見られてると思うと、少し恥ずかしいな。
ここは起きているというべきであろうか。
いや、俺が記憶の無い寝ているときにソルテが何をするのか気になるし、少し様子を見るか。
「えい」
「ぷうあ」
頬を突かれた!?
痛くはないが、変な声が出てしまった。
やばい、これは気づかれたか?
まだだ、まだチャンスはある!
「えいえい」
「んあ、あー……」
「うふふ。変なの」
よし。
今度は寝言っぽく言えたぞ!
それにしても、人の顔で遊んでおいて変なのは無いと思う。
この犬……寝てると思って調子に乗りやがって。
「疲れてるのかしらね……。起きそうにないわね」
そうだよ疲れてるんだよ。
長旅だったからお疲れなんですよ。
「……ねえ。大事な話があるんだけど」
ん?
なんだ?
声のトーンが一瞬で変わったぞ。
「違うわね。……聞いてほしい事があるんだけど? うーん……お願いを聞いてほしいんだけど? わがままをかしら……?」
なにやらぶつぶつと呟いているのだが、なんだろう。
「はぁー……。黙って出て行くのは気が引けるし、またすれ違って勘違いされるのは嫌だからちゃんと言わなきゃなのに、いざ言うとなると緊張するわね……」
「……」
「……愛想、尽かされないかな……?」
んー……よし。
ここはこのまま黙って寝たフリが吉だろう。
俺空気読めるからね。
あと、演技力に自信が無い。
今起きたら絶対にばれる。
「……ちゃんと、しないとね」
「んん……」
「本当、起きないわね……実は起きてるとかやめてよ?」
はい。
起きてまーす。
「ソルテ? 何をしているんだ?」
「!? なんだ、アイナじゃない。驚かさないでよ」
「主君は……寝ているのか。どうした? 悪戯でもしていたのか?」
「そう。全然起きないの」
また頬をえいえいと突かれる。
いや、普通なら流石に起きるよ?
何回も頬を突かれたら、流石に誰だって起きると思うよ?
でも、なんか真面目っぽい話を聞いたあとに今更起きても、どんな顔すれば良いのかわからないんだよ。
「こ、こら。せっかく寝ているんだから起こしたら可哀想だろう」
「ええー。だって夕ご飯の買出しもあるし、起こさなきゃしょうがないじゃない」
「それはそうだが……」
「ねえ、キスしてみよっか?」
「なっ!」
なっ!
「昔話にあるでしょ? 眠り続けているお姫様をキスで起こす話」
「それは勿論知っているが、主君はお姫様じゃないぞ?」
そ、そうだ!
確かにお前達よりも弱くて、か弱くて、貧弱だけどお姫様ではないぞ!
「そんな事言われなくてもわかるわよ。でもほら、起きないし私達二人しかいないし、チャンスじゃない?」
「そんな寝こみを襲う真似……」
「しないならいいわよ。こんな恥ずかしい事、起きてたら出来ないしね」
え、ちょ。
いいのか?
甘んじて受けるべきか?
それとも直前で起き……いや、だからばれるっての。
「待てっ!」
「……なに?」
「いや、その……私も……」
「ふふ、冗談よ。だって私、ファーストキスもまだだもん。やっぱり初めては主様からして欲しいわよね」
「なっ……! からかったなソルテ!」
「普段乙女ソルテとか言ってからかってくるお返しよ」
「それはレンゲだ!」
「アイナも横で笑ってるじゃない!」
「呼んだっすかー? あー二人ともサボってるっす! ウェンディー! 二人がご主人といちゃこらしてサボってるっすー!!」
いちゃこらなんてしてないよ!?
俺寝てただけじゃん!
……フリだけど。
「あらあら。お二人には罰が必要ですね」
「な、なんでよ! 私の担当場所は終わらせたわよ!」
「ああ、ソルテの担当場所だが、細かい所に埃が残ってたから、呼びに来たのだ……このままじゃウェンディに怒られるぞと」
「え……」
「ソルテたんいくらご主人を独り占めしたいからって掃除を雑にするのは良くないっすよー」
「してないわよ! 本当に気がつかなかっただけなの!」
「はい。それではソルテさんは罰としてお買い物役から外します。アイナさん、レンゲさん、シロと私の4人の中から二人、ご主人様とお買い物に行くとして、それを決めてからご主人様を起こしましょう」
「ちょ、ちょっと私も入れてよ!」
ぷはあ。
ようやく出て行った。
それにしても寝たフリって結構大変なんだな。
呼吸とか行動とかも意識しないとおかしくなるし、なによりも起きるタイミングがわからない!
「さて……どうしたもんかね」
「ん?」
さっきの様子をまとめると、
・ソルテがなにやら真剣な様子。
・出て行く。
・すれ違い、勘違い。
・ちゃんとする、ねえ……。
ん? あれ、誰か返事した?
「主?」
「シロさん!? いつからいたの!?」
「最初から。ソルテが入ってくる前」
ええ……。
いや、えええ?
「ど、どうやって……?」
「普通に? 主寝てたから机の下で驚かそうと思って隠れてた」
いや、俺で陰になっていたとしても気がつかないものなのか?
「ソルテ達、どこか行くみたい?」
「そう……なるよなあ。でも、何処行くんだろ」
「んー、多分強敵と戦いに行く」
「やっぱりそんな感じか……」
「ん。でも、主の好きにすればいい。止めても良い。行かせても良い」
「んんー……」
覚悟は決まっているような感じだったんだよなあ……。
だからこそ起き辛かったわけだし。
そりゃあ、止めたいのが本音だけど、これが三人が出した乗り越える為の試練なのだろうさ。
どうにか安全に彼女達の行く末を見守り、危険だと分かれば止められる都合の良い方法は無いものか……。
「……とりあえず、せっかく事前にわかったんだし、考えるだけ考えとくか」
「ん。シロが出来る事なら、何でもするから」
「なんだかんだシロも心配なのな」
「……あの三人も主のもの。だからシロが護るのは当然」
少し頬を染めたシロ。
仕方ない。今回はそういうことにしておこう。
さて、どうしたもんかな……。
再度椅子に深く腰掛け、天井を見上げる。
シロは定位置といわんばかりに膝に乗り、身体を預けて二人でウェンディ達が戻ってくるまで、考えながら待つのであった。




