◇66迷宮への招待1
白いニナに合わせてピンクとラベンダー色の小花をアクセントにあしらう。少し儚い感じながら、どこか凛としつつも可憐な雰囲気にまとまった。
用意してもらった小さな籠に、水を張った陶器の椀を入れ、ブーケをきっちりと納める。サイズはぴったり。小振りなので、持ちやすく邪魔にならない。
籠を手に取り確かめると、おもむろに、彼女が予想もしなかっただろう言葉を投げかけた。
「よければ受け取ってくれるかしら」
無表情のまま目を見張り、ブーケから私へと視線を変えたキャサリアの長い睫毛がぴくぴくと僅かに震えている。
「もしよければ、だけど。あの、キャサリア?」
やっぱり、こんな子ども騙しの手作り品、人にあげるなんて無謀だったのかも…気を悪くしたのだろうか。失敗、だろうか。
沈黙が怖い。
やがて、俯いたままブーケ入りの籠を抱いたキャサリアは、ぼそぼそと、ありがとうございます…と言った。
良かった…
横を向きながら御礼を言われたが、まさか、いや、照れているなんてことは…ないだろう。いきなり花を貰って多少は驚いたかもしれない。何が彼女の感情を波立たせたのかその理由はわからないが、でも、とにかく喜んではもらえたようだ。
表情は見えなかったが、どうやら怒った訳ではないらしいし、とりあえずは第一関門通過というところだろうか。
キャサリアにブーケをあげてから毎日毎日、私はブーケを一つずつ作っている。
花を沢山用意してもらえるおかげで、なんちゃってなフラワーアレンジメントでもそれなりに格好がついたものが出来た。余った花で、手の平サイズの小さなコサージュを沢山作ってみた。ランソ君にあげたり、庭師さんにも渡してもらった。大きさは違うが、こんな感じのものを作るのだと、わかってもらえただろうか。
「お待たせいたしました」
「ありがとう、クラウス」
騎士のクラウス・バウワーは毎朝、ニナ専用温室や庭で採取された花を庭師から受け取り、王の温室で待つ私とキャサリアに届けてくれる。庭師から花を受け取り花瓶に活けるのは本来は侍従や侍女の仕事で、当然、騎士の職務ではないはずだが、私と接する人物が限定されている関係上、気の毒なクラウスは使い走りもやらざるを得ないことになっている。
「アストリット様」
「何でしょう、クラウス」
花をバケツごとキャサリアに渡して、クラウスが私に聞いてきた。抱える程の大量の花と、水のたっぷり入ったバケツはかなり持ちにくいだろうに、やすやすと二人は受け渡している。一瞬、花屋かと錯覚しそうになる光景だ。
「こちらの花でよろしかったでしょうか?足らなければなんなりとお申し付け下さい」
「ありがとう。十分過ぎるくらいですよ。これだけ花があると、余った花でブーケが二つくらい出来そうですね。もう少し少なくてもよいくらいですよ」
温室の柔らかい光にほんのりと髪を輝せ、相変わらず可憐なキャサリアが、私の言葉を聞いて進言してきた。
「姫様、恐れながら申し上げますが、ユシグ様…陛下にお贈りになられてはいかがでしょうか。たいそうお喜びになられるかと存じます」
そう考えるよね…
私はにこやかに首を振った。こちらの世界は向こうとほぼ同じジェスチャーだから助かる。いちいち考え無くてもいいから。
「それは私も考えていますが、まだもう少し…練習してからにしたいのです。私が作っているのはブーケ、という花飾りです。陛下にも昔、何度かお贈りもしましたが、あの頃の調子がまだ取り戻せないのです。しばらく練習が、必要ですね。陛下をがっかりさせたくないの」
キャサリアに懇願するように、付け加える。
「だから、もう少しだけ、待って?」
首をゆるりと僅かに傾けてじっと彼女を見つめる。そうして強調する。この一連の行為は、ユシグへの贈り物の為の、予行練習なのだと。
今、ブーケの出来を昔アストリットが作ったものと比べられるのは避けたい。ユシグは催促はしてこないが、知ればきっともっと見たくなるはずだ。でも、今はまだ、まずい。
キャサリアはアストリットの『お願い』には弱いらしい。うっすら頬を赤くした彼女の、どことなく不機嫌そうな表情を確認して得心する私をよそに、キャサリアは口許を引き締めたまま言ってきた。
「承知致しました。姫様のお気持ちも考えず、出過ぎた事を申し上げてしまいました。申し訳ございません」
「いえ…いいのよ」
今度も無事お許しが出た。泰然と微笑む私にキャサリアは無言で頭を下げた。
私の居住スペースはユシグの居住区内にある部屋だ。その廊下にある花瓶は本来ランソ君が管理している。
あのびっしり詰め込まれた様子を見ているだろうに、私の装いにはうるさいキャサリアが何も言わないことからして、この世界では花を飾って楽しむ文化はないのでは、と思い、キャサリアに聞いてみたら、案の定その通りだった。庭は綺麗に整えられているようなのに、わざわざその花を使って花瓶や花籠といったベースに工夫して彩りを添える習慣自体が無かった。いや、むしろ、綺麗に剪定された色とりどりの鮮やかな離宮の庭を見たら、分からなくもない気がする。あれだけ美しい自然美を作れるのならば、わざわざ摘み取って部屋に飾るのも無粋、というものなのかもしれない。キャサリア曰く、花瓶に花を飾る風習は神殿だけらしい。が、お世辞にも発達しているとは言い難い。
この花で溢れる神殿でそういう文化が育っていないのなら、花の少ない市街地ではなおさらだろう。ブーケなどを喜びそうな女子は沢山いそうだけども、花を栽培して売っているとしても、あまり一般的ではないようだ。
アストリットが、男に連れられて行った市場でも、花屋は見かけなかったような気がする。
それに対して神殿には、花材には事欠かないが、あいにくそれを愛でるような人物がいない。
初めは思いつきだったが、意外と滑り出しは順調だ。後は、このまま、違和感を誰も覚えず、目的を果たしてくれればいい。
「ところで、話は変わりますが、騎士のあなたに余分な仕事をさせて申し訳ないですね、クラウス」
「いえ、とんでもございません」
「庭師の方にもよしなにお伝え下さい」
「はい」
だいたい二日から三日に一度の割合で、廊下の花瓶が花と共に変わっていた。おそらく神殿のフラワーベースは一斉に変えられるのだろうと思う。
ユシグの個人的スペースは彼専用の居間と寝室、書斎の三つだが、このうち書斎以外には入ったことがある。すべての部屋には置かれていなかったが、廊下の一つを含めて合わせて花瓶は三つあった。花は全てニナ一択。さすが、アストリットに固執しているだけはある。花まで姉の趣味に合わせるのか。
「そういえば、今日は少し、戻ってくるまでに時間がかかったようですね。何かありましたか?」
「何か、ですか?」
私の言葉に微笑したクラウスはどこかミカエルを彷彿とさせる。
「ええ」
「そうですね…」
10代の若さゆえの勢い…ともすれば落ち着きのなさにつながりそうなところが、ギリギリの線で抑えられている。あの金髪の魔人の、底知れない空気を思い出してぞくりとした。クラウスに漂う優雅な気配に不穏なスパイスを少々。すると不思議、両者は近似している。やはり、親戚に違いない。クラウスは考える仕種をしてから、私を見た。
「特に何もございませんが、そうですね…確かにいつもより時間がかかったようですね」とニナを見て呟くように言った。
「次回は違う花も用意していただけますか?今日は二つブーケを作りますので、一つを見本として、庭師の方に渡してもらえますか?ちょっと小さい見本になりますけど」
クラウスはキャサリアを見た。キャサリアが頷いたのを確認してから、彼は請け合ってくれた。
ホッとした顔を誤魔化すように私はお茶の用意をキャサリアに頼んだ。緊張した。
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ランソ君がやって来た。花籠と美少年というのは、絵になる。
「呼びたててごめんなさい。久しぶりね、ランソ君」
「とんでもございません。私こそご無沙汰致しておりました。お呼び下さって、誠にありがとうございます。恐悦至極にございます」
「固い挨拶はいらないですよ、さあどうぞ。今日はランソ君は私のお話し相手に来てくれたんでしょう?」
笑って、ランソ君に座るように勧める。テーブルに置かれた籠にアレンジメントした花を興味深げに見つめるランソ君に聞いてみた。
「お花は好きかしら、ランソ君?」
「はい、見事なニナでございますね。この美しさは、まるで夢のようでございます」
ランソ君の口調は、私の背後に控えるキャサリアを気にしてか、硬いままだ。へりくだりすぎていて、なんだか話がしづらいが、用意してもらったお茶を二人で飲みながら、神殿の温室や庭の花についておしゃべりをする。
「アストリット様のお作りになる花籠は素晴らしゅうございますね」
「ありがとう。ランソ君も廊下やお部屋の花瓶にお花を飾っているのですね。いつも綺麗にしていて、素敵ですよ」
私の口調もこの間ランソ君と話した時とはうって変わって、アストリット風に丁寧なものになるが、ランソ君は気にした様子もなく、誉め言葉に恐縮して肩を竦ませた。
「廊下の花瓶や陛下のいらっしゃるお部屋の花瓶に花を飾るのですが、その…上手く出来ているとは、とても申せません。陛下の御目汚しにならないかと、誠にお恥ずかしい限りでございます」
「そんなことはありませんよ。ニナをふんだんに使っていて、見応えがあるかと思いますよ?」
あれはあれで一つの完成形だろう。私としてはランソ君が私の中途半端なフラワーアレンジメントにそれほどの価値を見てくれたほうが驚きだ。
キャサリアがいるので異界人の花嫁候補の話が出来ないが、和やかに会話は弾んだ。ランソ君はフラワーアレンジメントに興味深々な様子で幾つか質問もしてきて、お茶の時間はあっという間だった。実際にお茶に手を付けたのは私だけだから、見ようによっては主人の気晴らしに付き合う従者にしか見えないのだろうが、他人と話をするのもよい気分転換になる。
ランソ君の様子から、以前のアストリットについてはあまり知らないような印象を受けていたが、話してみるとやはり彼は行方不明になる以前の彼女を知らないみたいだった。
まだユシグ付きになって日が浅い部類に入る10代前半の彼が、政治的なことに疎くても納得がいく。むしろ、だからこそ王の側付きに選ばれたのかもしれない。
そして数日後。
廊下の花瓶の前で、私は待ち望んでいた確信をようやく得たのだった。




