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◇57過去との邂逅〜6

優しい手つきに私はほぐされ、翻弄され、彼を容易く受け入れて一緒に上り詰めてゆく。



…彼を愛していないのに。


皮肉な囁きが体を駆け巡る。どうしようもなく高まってゆく私の熱を、嘲笑うのは私自身の醒めた声。


愛していないのに、体は欲望に慣らされる。それが、ずれとなってぽっかり開いた空間に放り出された気分になる。


苦しい。


世界がわからなくなる。


そんな風に足掻くのも欺瞞なんだろうか。

正直なところ、よくわからない。

今までぼんやりのんびり生きてきた私などに、何が正しいのかなんて、わかるわけがないのかもしれない。

でも、会いたい。私の欲に汚れた心は、密かに渇望する。


ロジェールの愛撫を受けながら、瞼を閉じる…


待っていたかのように鮮やかに、白いしなやかな頬のラインが、記憶の底からゆっくりと浮かび上がる。まだ細さの残る肩に中性的な気配を漂わせた首筋、彼はこちらを振りかえる。


私を厳しい目付きで無言で見据える少年。その穏やかな茶色の瞳に、私は一瞬怯む。でも。


会いたい。


許されるのならば、ユシグに。弟に。


会いたい――



***


港近くの小さな村。ユマから遠く離れたこの村に、留まり続ける理由を初めて知った時、まさに晴天の霹靂という勢いで私は大袈裟に驚いてしまった。


少し考えればわかりそうなものなのに、全く思いもしない言葉にうろたえていたのだから、こんな時にまた自覚する。私はやはり頭が良くない…まあ今さらなのだが…


彼は涼やかに海を眺めていた。私の様子を観察しているくせに、まるで頓着していないのは相変わらずだ。初めて二人で宿に泊まった時の、硬質な物言いはすっかり影を潜めて久しい。以前の陽気なロジェールはだが、以前と同じ過ぎて違和感があった。


もっとも見た目は変わらない。白い旅装、肩まである金髪は風に流れて映えている。しなやかな豹に似た、筋肉質の彼を際立たせる、かなり目立つ鮮やかな出で立ちだ。目立ちすぎている気がする。


「大陸に渡ろうと思う」


「え…え!…?」


突拍子もない言葉に持っていた首飾りを落としそうになるのをなんとかこらえて見上げると、私の反応に満足げに笑顔で答えながら男が振り返るところだった。

相変わらずの爽やかな風貌に、通りすがりのご婦人がちらりと目に留めて行きすぎるのを見てしまった。何度目になるのかなど、とうに数えてもいない。


「アズ」


「は…い」


「船の手配が出来た。明日出港する」


「…」


船って。大陸へ渡るための…なのだろうか。

そして、いつの間にか愛称で呼ばれていることに気づいてしまった。私の名前は特殊だし、アズならばこの辺りではよくある名前らしいから、その呼び名は理解は出来る…。


私は彼を困惑して見上げていたのだろう。彼は不思議そうに聞いてきたのだった。


「どうした」


「いえ…大陸、ですか」


大陸。この地方よりさらに広く未知なる世界。


「嫌なのか?」

「急なので…」


誤魔化すようにあやふやな言い方になってしまった。船の手配の為にこの村に滞在していたのかとは、さすがに私も口にはしなかった。でも、ロジェールの真剣な緑の瞳を見て確信していた。私を町に連れていかなかったのは、一応、探索に警戒をしてのことと見なしていい。


彼は私の返答をどうとったのか、仕方ないな、という表情で軽快に苦笑してみせてきた。


「大陸にはまだ神殿の力の及ばぬような未開の地もあれば、強力な大国も数多ある。行ってみてもいいだろう…それが気に入ったのか?店主、いくらだ」



「へえ、300ユラです」


呆然とする私を他所に商談は成立し、私から首飾りを受けとった髭の立派な店主は器用に布切れに包み、彼に渡した。青い空の色が簡素な屋台の屋根から容赦なく日差しを撒き散らし、風は浜風なのか、魚が腐ったような変わった匂いを僅かに乗せてくる。


涼しいけれど少し髪や肌がベタつくのもあり、正直苦手な匂いだ。なのに、いつの間にかあまり気にならなくなっていることに気づく。

「アズ」


この人の笑顔も苦手だ。


「大陸へ行こう」


眩しい暖かさで私を包み、何も言えなくさせてしまう。

ずるい、と思う。


「アズ…愛しているよ」


「…」


「答えてくれないのか、つれないな」


苦笑するロジェールは気にしたふうもなく、ごく自然に私の手を取り、雑踏を歩き始める。ぶつからないように気遣いながらのエスコートは相変わらずだ。



決してほだされた訳じゃないのだ。


だけど、邪険に手を振り払えなくなっている自分がいる。

ユシグが好きだと解ってしまってから。

弟を、一人の男性として愛していると気づいてしまったから、私は。

私を愛しているというこの人の手を振り払えない。



理由は…分かっているが解りなくはない、けれどこの男はそんな私の気持ちを知っているような気がした。いつもの、知っているが頓着しない…という態度だ。

強く手を握られ、眩しい笑顔に私は卑屈に微笑を返す。



いっそのこと、大陸でこの男から逃げて新しい人生を始めてみたらどうだろう?などと、馬鹿な夢想にまた馳せそうになった。


「アズ、何を考えている?」


なんでもない、と私はまた微笑を重ねた。卑屈に卑屈を重ねる。客の懐を嗅ぎ付けるのに長けた、老獪な客引きみたいに、意味のない笑顔。


疲れる。

この人といる私は、まるで、客の前でネタが尽きて途方にくれる旅芸人だった。

なぜ好かれているのかわからない。彼の言葉を信じる信じない以前に、私は彼を愛していないのだ。


なのに毎夜のように体を求められて答えてしまう。矛盾している自分がいる。

遊女よりも、罪が深いだろう。


ロジェールは知らないのだ。私が彼に抱かれるとき何を思っているのか。


…誰のことを思い浮かべて登り詰めているのか、を。

知らないからこんな笑顔で私を苦しめているのだろう。知っていてこれならば、ずいぶんな仕打ちだ。確かめようがないが…


考えすぎて黙り込む私の腰を彼は抱き寄せて、耳元で優しく囁いた。


「暑くなってきたな。宿に帰ろう」


「…え、え」


昼間から色気を撒き散らす彼から目を逸らす。


やっぱり私の気持ちを知っているような気がした。


もっと早くに色々なことを考え、整理しておくべきだったのだと思う。


まさか旅の終わりがこんな形でやってくるなどと、私はまるでこの時、考えてもいなかったのだ。

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