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◇54過去との邂逅〜3

思っていた以上にユシグの力は強く、細い少年染みた体のどこにそんな力があったのだろうか。

私を睨むように見据えたまま、私の両手を一つに纏めると頭の上へ持ち上げる。


「ん…ん!?」


ユシグの顔が近付き私の口を塞ぐ…いや、口づけをされたのだと混乱した頭で理解した。

舐めるように、弄ぶように、私の口腔内をユシグの舌が這う。

蕩けた頭で考えられなくなった頃には、 ユシグの手が私の体のあちこちを撫でるのを遠くから眺めるような心地で、私はされるままになっていた。


着ていたドレスは乱れ、ほとんど服としての機能を果たしていない。

胸と下半身を、ユシグの唇と指が攻めるように蠢く。

「姉上…」


悩ましげなユシグの声。

彼の存在に私の全身が震える。


「ユシグ…やめなさい…」


いったい、どういうこと?

人として間違っている。


そう問い詰めたいのに、私の喉からは弱々しい声しか絞り出てこない。


怖いから?違う。


「俺は貴女がいないと気が狂います。貴女のことしか考えられない…俺を…許して下さい…姉上…」


とうの昔に。

私はユシグのために存在していたのだから、彼の想いを拒むことは出来ない。歪んでいるのだろうが、それが私の生きている理由だ。


「姉上…」



私を組み伏せているはずなのに、少し長めに伸ばした茶色の前髪からこちらを見ている彼の大きな瞳は、儚い。孤独を悟りつつも恐れている…彩られていたものが示すのは、『怯え』。


子どもの頃に見た。すがるような眼差し。


なぜそんな目で私を見るんだろう?私がユシグを見捨てる…なんてまさか思ってやしないだろう。でもこの瞳は、見覚えがある。

思い出すと苦しいから、気づかない振りで、私は逃げるように彼に微笑してみせた。どうしようもなく嫌な人間、狡い大人だ。


「ユシグは…私をどうしたいの?」


呟くと彼は。

何とも言えないカオでさらに私を深く抱き締めた。


***



ユシグはそれから一週間姿を見せなかった。

どう反応していいのか分からないので、彼が来ないことに内心ほっとしていた私だが、ただユシグが来なくてもロジェは変わらず訪れた。


温かな彼の笑顔が私に向けられる度に私の胸は痛む。

会わせる顔が無かった。もう私には彼の妻になる資格はないのだ。実家が子爵であるらしいロジェが、貴族の例に洩れず正妻には完全なる純潔を求めるのは…当然のことだ。私の浮かない顔を察したロジェに何度か何かあったのかと聞かれたが沈黙を守った。


彼に婚約の破棄を言わなければならないが、言えば彼はどんな反応をするだろうか。婚約破棄が残念だという気持ちは少しはあるが、それよりもロジェの反応の予測が私を落ち込ませるのだと言ったら…薄情なのだろうけど。


でも実際、彼はどう言うだろう?

私を責め、軽蔑するだろうか。理由を聞かれるだろうが、本当のことは言えない。


ぐるぐる、思考だけが空回りしてゆく。


『姉上…ずっと俺の側にいて』


すがるようなユシグの瞳。


ロジェとの婚約破棄を言い出さねばならないのに、私の脳裏にはユシグのあのときの姿ばかりが映り、ますます私は塞ぎ込んだ。


『俺を愛してよ』


心の叫びを聞いた気がした。彼は寂しかったのだ。


あれは、かなり衝撃だった。

そんなに、寂しいだなんて私は姉なのに…知らなかった。

弱々しいユシグの表情を見ているうちに、私は自分の心がある形をなしてゆくのを感じていた。ほんの、僅かな変化とも言えないような変化。

私を求める彼に、ただ黙って頭を撫でてあげた。


ソファからベッドへ私を運んだ後も、ユシグは私を離さなかった。私を優しく扱おうとしていたのだと思う。何度もユシグの舌を迎い入れた私の体は彼の動きの一つ一つに淫らに反応したのだから、彼を悪人に仕立て上げても自己欺瞞に過ぎない。

…最後まで行ってもいいかな…なんてうっすら思ったりした。結局初めてどうしで感情ばかりが先行して、結果、一線は越えていないのは事実だけど。


あの時。

ユシグは、いったいどんな気持ちだったのだろう。



例え結婚したとしても、私たちの絆は変わらないし、何かあれば私は一番にユシグを助けに行く。ユシグが既に私の力など必要としなくても、弟のために何でもしてあげたいと思っていた。

なのに、私が結婚することでユシグがどんな気持ちになるのかなんて考えもしなかったのだから、私は勝手な人間だ。なんて傲慢な…情のない人間だろうか。



ユシグが…誰かを愛するまで私はここにいるべきだ。そうわかっていたはずなのに、ロジェに手を差し伸べられて浮かれてしまった自分が浅ましくも愚かに過ぎる。


***


さらに何日も私は塞ぎ込んでいた。


ロジェ―ルが会いに来てくれたが気分が優れないと言っては部屋に引き込もって、逃げた。ひたすら自分を責め、これからどうしたものかと考えをまとめようとない知恵を絞る。が、当然何も浮かばない。

逃げ回っていても、いずれはきちんとロジェールに向き合わなければならないのは分かっている。


私はどうしたいのだろう?

そこがぶれていては、ロジェールに謝罪することもおぼつかないだろう。

誰も知らない地方で身分を捨て、姿を変え、生きてゆく…そんな選択肢がかつてあったが。今、私はこの塔に居座り、王家の醜聞と裏で重臣たちに嘲られながらも生きている…いったいなんのためだったのか。


ユシグの父親である先代王は亡くなり、母親である王妃は精神を病みとうの昔に…ユシグを産んだ数年後に亡くなっている。



ユシグは母親に忌み遠ざけられていたのだ。

私はいったいどうしたらいいのだろう。



文机の辞書。その中に無造作に挟んだ写真を手に取る。カラーだが、僅かに色褪せた私たち家族の写真。

年月の流れを阻む気がしなくて、あえて聖紋は施してはいない。その3つの写真を机に並べる。


一枚は、私に支えられ、微笑んでいる黒目黒髪の異界人のまだ若い母の写真。


その右に並べた写真は、子どもらしい天真爛漫さでニカリと笑う2歳のユシグと彼を困り顔で抱き締めている幼い私のだ。この頃からユシグは美しかった。宗教画の天使そのまま…いや、それ以上か。


一番右には、10歳ほどのユシグが先代王と共にどこかの建物の前で佇む姿が写っている写真。正式に次期王位継承者として位を戴いた後の、父王とユシグとの公式行事におけるツーショット写真は珍しい。正確にはこれはユマの広報の切り抜きなのだが、先代王の写真は彼が存命の頃から手に入らなかったので、私にとって名目上の父親にあたる人の顔は、この写真でしか知ることは出来ない。

しばらく眺めていたが、また無造作に三枚とも辞書へ鋏む。


会ったこともない父親を恋しいと思ったことはない。

不思議なひとたちだ。

母親も含めて、愛だ恋だと生々しい。どうしたらそんなに真剣になれるのだろう。異世界から召喚された母親のお腹に既に私がいて、ユシグの父となる人物は腹をたてたそうだが筋違いだ。

帰りたいと泣く母親は、ユシグを産んでもこの世界に適応出来ずに心を病んだ。全てが仕方のないこと。名目上の父親は私を忌み、母親は恋人を想い悲しみ、ユシグは母親に拒絶された。

仕方のないことだ。


はじきだされた私たちは、たった2人だけで生きてゆかねばならなかった。


不幸ではない。


必要があったからこそ私たちは濃密に結び付いたのだ。幸福でないだから不幸だ、とは限らないのが不思議。

でも、楽しかったのだ。ユシグに貰った本を読み、僅かにその感想を話したり、庭を散歩したり。ささいな日常だけど穏やかな日々は私の宝物だ。


塔の窓の蒼空が遠く遥かな世界を呼び起こす。


この塔で弟やロジェールに大事にされ、何不自由ない幽閉生活を送っていた私は、慢心していたのだ。


このままの生活がずっと送れると思っていた。そのツケをいま払わなければならない。

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