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◇52過去との邂逅1

遅くなりました。すみません。

ゆっくりと目を開ける。


(……どこ?)


そこには天井はなかった。

本来あるべきはずの天井は見えなくて、私の目に飛び込んできたのは、樹齢を重ねた天蓋…光を複雑に揺らめかせ散らせている美しい景色。


耳に流れて来るのは、爽やかな風に洗われて緑が揺れ、若葉を着けた瑞々しい枝がそよいでいる音。

万華鏡の光と木葉ずれのざわめき。

…まるでゆりかごにいるみたいに優しい心地だ。こんな安らかな景色、最後に見たのはいつだったか…。


(最近はずっと庭にも出られなかったし…じゃなくて)

そうだ。ユシグは…私に何をしたんだろうか?

確か、あの記憶の塔で私は気を失ったような…そんな気がする。

と、頭を巡らせかけ、はっとする。明らかにここは屋外だ。どこなんだろう。


(…ええ!?)


と、慌てて身を起こした。とんでもないことになっている、その事態にとりあえず反応してしまう。よくわからないが、こういう状態はよくない。

いったい何があったのだ。


「起きたか…おい、大丈夫か…なんだ?ヒトの顔じっと見て…」


私をどうとったのか、男は心配そうにみつめてくる。見た目…兵士か戦士かという出で立ちは、何処かでみたような気がする。服に負けていない筋肉質の体格。

甲冑こそ着けてはいないが、胸当てや脛当てなどのガードによって、研ぎ澄まされた刃のような恵まれた体は戦闘的な印象を強く与えてくる。

(…この人は誰?)



「おい、大丈夫か?」

私を本当に心配してくれているようだから、悪い人じゃないみたいだが…誰なんだろうか。

張りのある声は思ったより若い…どこか体育会系っぽい男くささのある彼は、いわゆるイケメンの部類に当たるだろう。

彼の口調や態度が醸し出す空気から、私の知り合いみたいだが…全く覚えがない。

自慢じゃないが、私はこのテの大人の男、に好かれるタイプじゃない。

色気がないし、可愛げもないからだ…が、それよりもこの人は私を知っているのに私は知らない…こういう時どういう反応をしたらいいのか非常に困る。


「どこか痛むのか?」


「いえ…なんともありません」



慌てる私に穏やかに微笑するその人に、勝手に頬が赤らんでゆく。


「ひ、ひざ枕してくれてたんですね」


そう、なんで膝枕なんだ…と思わず言いそうになった私を押し留めたのは、バツが悪そうに頭を掻く彼の、申し訳無さいっぱいの声だった。



「あー…いや、…俺のせいだから」


「え…」


「悪かったな。すまん」



叱られた大型犬のようにぺこりとうなだれている。どういうことだろう?


「いえ…大丈夫ですよ?頭を上げて下さい」



何があったのかぜんぜん覚えてないが、体はどこもなんともないから特に気にする必要はないと思う。


「あの…いったい何があったんですか」


「覚えてないのか?」


「はい…」

「本当に、気分は悪くないんだな?」


「それは大丈夫です…」


「ならいいが。遠慮しないできちんと言えよ?医者に念のために診てもらうように手配はしておくからな」


事情はわからないがここはお礼を言うべきところなのだろうか…?


「ありがとう…」


「いや」


ワイルドな微笑が返ってくる。むせそうな色気。たぶん10代の女のコなら一発だろうがあいにく私は…


(…私は?)


「まーうん、あれだ。なかなか可愛い寝顔だったし。もっと見てたくもあったかな」


「は!?」


羞恥心に顔が赤くなる。火が点いたみたいに頬が熱い。


「赤くなるんだな…この程度でその反応」



にやりと笑われた。


「うん、ますます赤いな…食べたくなるんだが」


歳がいもない自分自身の反応に動揺する私を眺め、満足げに彼は頷いている。

見た目年令、20代くらい、のこの男性…『寝ていた』…ってことは、この人の膝の上でグーグー寝ていたと、そんな厚顔無恥な真似をしていたのか?

なんてことだ。気が遠くなりそうだ。


(イケメンの膝枕って…)


待て。いやいや、感触をもっと味わうべきだったのかもしれない。滅多にない機会だし。ちょっともったいなかった…のだろうか…


恥ずかしすぎるせいで自分でも考えてることがわからなくなってきた。


「ま、とにかく気がついてよかった。あんたの寝顔も見飽きないけどな…」



女性に慣れているらしい彼の軽口から気を逸らそうと俯いてみる。目を合わせてはいけない。からかわれるだけだし、なにより、なぜ膝枕していたのかは、不明なままなのだ。しかも私はこの人の名前も知らない。

名前を聞くこと自体、おかしいだろうから今さら聞けやしない。だから私は困るしかない。非常に困った。


深い緑の陰が、けだるい午後の時間を感じさせる。


誰なんだかわからない人とこうして不自然に過ごす…とても奇妙だ。


また再び、困惑するような事態に陥るようなことだけは避けねばならないと思う。


私は黙って彼が何か話すのを待つことにした。なんでこんなことになってしまったのだろう。


…と思い浮かべて、私は心の中で首をかしげた。



(…?)


自分で自分の思考がよくわからない。



訝しげに私を見る彼に顔を向け、安心させるように微笑を浮かべてみせた。

ふっと、心に引っ掛かるものがあった。



よくわからない。


変な感覚だ。


彼を見つめる。ようやく出てきた声はまるで自分の声とは思えないほど、彼に媚びるような響きを含んでいて、喋りながら私は自分に違和感を感じていた。彼は私の声の変化に気づいていないみたいだが。

どうかしていたのだろうか、私は。


「夢をみていたみたい…」



「へえ?どんな」

興味津々に聞いてくる彼に、思い浮かんだことを口に出そうとして、止まる。


(あれ?…もう思い出せない)


「うん…だめだ、思い出せない」


私が笑うと、ほっとしたように息を吐いた彼は、大丈夫かとまた尋ねてきた。


「…すまなかったな」


「いいえ」


そんなしんみりと優しく声かけられると調子が狂う…と、微笑しかけ私は戸惑った。髪を撫でられているのだ。

これは…ちょっと、いや、かなり照れくさい。


「あの」

「ん?」

ん?って…

その微妙に鼻にかかった返事はどうしたんだろうか。

彼らしくもない。


(彼らしくもない?)


まじまじと肩ごしに見つめる。私は木にもたれて彼とは腕と腕とが触れている。こんな木陰で寄り添い合うように座っているなんて。


誰かに見られたら、まるで恋人どうしみたいな印象を与えるんじゃないかと思う。

…まあ、誰もいないからそんな心配もいらないかもしれないが。


「あの、謝らないで下さいよ。どこもたいした怪我してないですし、多少のことは承知の上です」


「そうじゃない」


「え?」



「鳩尾を強く…かなり手加減はしたがつい手を出したのは仕方なかった。それについては謝る気はない。謝るのは…」


顎に触れた彼の手がこちらをよく見ろというように引き寄せてくる。


「あんたをナメてたことだ」


深い緑の瞳。唇には穏やかな微笑。

緑の瞳が、澄んだ眼差しで私を映している。

改めて見る彼の体格はやはりかなり良くて、戦士らしくがっちりしている。


少し長めの首筋までの金髪と優しい緑の瞳が精悍な印象を和らげることなく、彼をより情熱的に見せている。


どきっと、した。


(…なんでそんな顔してるの)


胸が勝手にざわめいた。


私の変化には気づかず彼は語った。


武術の稽古をしたいと頼んだ時、彼は複雑な表情を浮かべたが、最終的には折れてくれた。

彼は、私に甘い。


彼に言わせれば、もっと上手がいる、らしいが、そう考えるのは少し神経質ではないかと私は呆れている。口にはださないけど。


「俺の申し出を…受けてくれる?アストリット」


もちろん。


私は満面の笑顔で頷く…


(あれ?)


頷こうとした。


「どうした?」


「ううん、いえ…」


「答えはノーなのか」


「違うの、そうじゃなくて…」


よくわからない。私は彼と何の話をしていたのだろう?今、かつて彼と話した…その大事な話を再びしているのだと思う。この雰囲気からそうなんだと分かる。なのに、私はその話をすっかり忘れているみたいで、彼が何を言っているのか理解が追い付かないのはそのせいだ。

彼には申し訳ないが、私は上手く説明出来なくて困ってしまった。なぜ思い出せないのか、もどかしい。すぐそこまで、記憶は確かにあるのは分かるのに。



しかし、いつまでも返事を保留にはしていられないことも分かっている。私はずいぶん彼を待たせていたのだ…きっと。彼の控え目な言い方から察するに想像に難くない。


出来るだけ、明るく私は答えた。


「お申し出、喜んでお受けします」


「よかった。ヒヤッとしたぜ?妙な間があったから」


望んでいた答えに彼はほっとしつつ、少し恨めしそうに、にやりと笑った。すっきりと整った男性的な顔立ちに映える、いかにも男くさい、セクシーな微笑だ。また不覚にもどきどきしてしまう。


「…ごめん、ちょっとボーッとしてた」


「ひでぇ。まあいつもお前はぼんやりとしてるから仕方ないか」


「それこそ、ひどいよ?」


なんの話か忘れていた自分のほうが余程ひどい。


「アストリット」


「はい…ロジェール」


今度こそ、心からの笑顔で見上げると、彼は大きな両手で私の頬を愛しげに包んで言ってきた。


「愛している…アストリット」


ああ。私はどうかしている。こんな嬉しいことを忘れていたなんて、頭がどうかしていたのだろうか?


(そうだ…私は彼に結婚を…申し込まれたんだ…これからも大好きなロジェールと一緒に居られる…)



じんわりと染みる彼の言葉に私は感激と照れくささで胸が高鳴るのを自覚した。

染みのように広がる、不安と奥底に燻る胸騒ぎ…

それらを押しやるように、私は愛しいロジェールとの未来を夢見ようとただ黙って彼を見つめていたのだった。

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