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◇51題名のないミステリー〜6

ここは、そう…王族にしか開けられない場所だ、とユシグは話す。


「姉上は王族である身を隠すように世捨て人のごとく生きてきた。それこそ、王族であることを忌避して。そんな彼女がこの塔へ来たのは…覚悟あってのことだろう」


懐かしそうにユシグが言う。


複雑に内部は幾重にも螺旋し、お互いの空間が結び付き、離れてゆく。いくつもの塔を移動して初めて来られる為に、誰かれとは入れない、いわゆる禁忌のひとつなのだ…と。


記憶の塔と言うらしい。


見た目は普通の塔だが、人の意識や記憶を歪ませ、操作する作用があるのだとユシグは簡単に説明してくれた。名前からして怪しい上に、ユシグの話は私を不安にしかさせないものだった。

だが、この時の私は…連れてこられた空間のあまりの茫漠とした様に度肝を抜かれていたので、例え詳しく教えられても、残念ながらよく理解は出来なかったし、ユシグも深く教えるつもりはないみたいだった。


自分の置かれた状況と立場への危機感の欠如。私の精神に影響していたんだと思う。要するに私は訳が解らぬままユシグの話に耳を傾けていた。よく考えれば間抜けな話だ。



「姉上はこの塔で消えた」

「…いなくなったのですか」


「いや…消えたんだ」

(…消えたって…繰り返されても…)


表情を確認する勇気がなくて、そのまま胸に顔を付け話を聞き続ける私に比べ、ユシグは何か考え込んでいる様子だ。


数真と同じ顔の別人に抱き締められ、聞こえてくるのは囁くような彼の声。これが、なんともいえない気分にさせてくる。



「姉上は…消えた」


(だから、消えた、って…どういう意味なんだろう…)


悲しみ?それとも怒りなのか、ほんの微かにユシグの声が震えている。絞り出すように肺から掠れた空気がこぼれ、ユシグは苦しげに呟いた。


「消えたのは…彼を失ったからだ。永遠に…」


(…彼?)


そこで唐突に、彼は言った。

「意味はわかるか?遠慮はいらぬ。言え」

「…どこかへ行かれたか…それとも亡くなられたと、いうこと…ですか?」


誰なのか聞き返すことも出来ないまま、主語をぼかして口を濁すと、ユシグは幾分調子を取り戻して、私に笑いかけるように息を吐いた。


「言いにくいことをはっきり言うな、お前は」


(自分が言った癖に…)


背中を愛しげに撫でられる。


「俺は愚か者だな。お前は姉上じゃないのに、側に置いている。お前の中に姉上を探してしまう。違うと分かっているのに、別人だと思い知れば知るほど、お前の中に深く姉を求めてしまう…」


それは私だってそうだ。

言葉が鈍い棘となって突き刺さる。


似ているのに違う。



数真とは違う男。




「それで…姉上様はどうされたんですか…」


それでも聞かずにはいられない。

あっさりと事実を述べてきたその声には、さっきまで確かにあったはずの感情が欠落していた。


「どうにもならない。俺がここで処分した男を追って消えてしまった…この場所で」


(どういう意味…?いや、なにが言いたいんだろう)


いや、なんて考えればよいのか。ユシグは本当に言葉が足らない。

人のことは言えないが、余計なことは聞かれもせず喋る癖に、あらためて、いったいどういうつもりなんだろうと不思議な戸惑いに包まれる。



「何を見ている?」



気づけば、私はユシグの胸に両手を置いて、彼を見上げていた。

彼は優しく微笑し、こちらを見る瞳には慈愛の情が満ちている。


「不思議そうに俺を見るんだな…そうおかしいこともあるまい?俺はこんなにも…」


彼は私の腰に回した腕を強めた。


(…うっ…!何?)


「痛いか…?」


感情のない呟き。


「あの男は姉上を異界へ連れ去ろうとした…その相応の報いを受けただけだ。資格を奪い、体の自由を奪い、ここから一生出られない術をかけただけのこと。命を絶ったのは奴の弱さだが、結果として俺は…」


結果として俺は。

自分の姉の、婚約者を殺したのだよ、と……


微笑を浮かべていうべきではない言葉を浴びせられる。


私は。



(…どうリアクションしたらいい…?)



見詰めたまま動けない私をやんわりと抱く。微笑を浮かべ、あやすように頭から背中へと撫でられ続ける。気持ち悪い。


嫌な感触、なのに。


動けない。


見たくないのに無理矢理吸い寄せられてゆく。


「だから、『姉上?』」



いきなり呼び掛けられ、ビクリと肩が跳ねる。


じっとりと背中を愛撫される手付き。


ユシグは冷たく微笑した。


(ユシグの様子…変だ)


何回も、姉上、と呼び掛けられ、嫌味を言われたことは今までにもあった。


(なんだろう…怖い…)


…こんな話をなぜ私にするのか、なぜ私を嫌いながらも拘るのか…


それは今は触れてはいけない気がする。道徳心が薄いと非難されようが、世界が違えば文化も違う。

立場も違えば、適用される法律も倫理観も普遍性なんてない。

施政者であるユシグが縛られる法も何も、私は知らない。

だから、非難は出来ない。

顔も知らず、その背景も知らない婚約者を憐れむ気持ちの薄い私が、ユシグを非難し、恋人たちを擁護する…申し訳ないが無理だ。そんな気になれない。


でも…。


ポツリ、と不思議そうな響きが私を現実に引き戻す。穏やかに微笑する美しい男。


「人を、その人たらしめているのは何だろうな?」




ユシグの側から離れたい。


「…俺は姉上に会いたい」


(今すぐに…離れたいよ)


自分が自分でなくなる… そんな根源的恐怖感に、かたかたと震えてしまう。どうしようもない。みっともないのだろうが、止められない。嫌な予感が胸の奥でどんどん広がって息苦しい。



「お前がいてよかった。姉上の入れ物があればあとは中身を入れればいい」


ユシグはひっそりと笑む。まるで陰った月のように…眼差しは優雅で声は甘い。


(入れ物ってまさかね…まさか…)


「俺が憎いだろう?」


蕩けるように甘い、低く掠れた声に背筋が震えた。

いったい、彼は誰に言ってるのだろう?

私に?それとも…。



ユシグから淡い光が零れ始め、その髪が、瞳が、輪郭をぼやかせた。


光が、眩しい。



眩しくて頭がぼんやりとしてくる。

乗り物酔い止めを…飲み過ぎた時みたいだ。



「随分待ったんだ。なかなか帰ってくれないから俺がどれだけ心配したと思う…?姉上は俺を困らせる天才だな…」



言葉がうっすらと輪郭を失ってゆく。

苦笑めいた声、私に預けるように頬を寄せている、その重苦しい感触だけが私の胸の奥へと広がって。




遠く。聞こえる。



「姉上…逢いたかった…姉上…姉上…」


腕の力の入れ方、キスの方法も…

有り体に言えば、深く体を重ねてしまったからこそ全くの別人だとわかるのだ。

体から伝わる温かさは同じ。顔や声、性格の方向性も…

こんなに似ているのに、なのに、違う。




この、思わせ振りな、優しすぎる抱擁も、キスも、私には意味は持たないのだと思った。私に意味付けることが出来るのは数真だけだ。

数真…私の存在する唯一の理由。




―『お帰りなさい…姉上』


遠く。懐かしそうに囁く声。誰なんだろう。


私はその人を知っているのだろうか。



(………数真…)



『たすけて…かずま…』



明るい色彩にはじけてゆく女性の笑っている姿を見た…そこで私の意識は暗転した―――


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