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◇49題名のないミステリー〜4

静謐に沈んだ暗い森…その鬱蒼とした緑を抜けて行くのは、重厚な造りの一台の黒馬車だ。


あれから着替えを大急ぎで済ませ、ユシグと二人きりで、私は向かい合わせに座って馬車に揺られている。


(気まずいなあ…)


行き先も教えられず、ただ揺られているという状態のせいか、乗り心地はお世辞にも良いとは言えなかった。道が悪いのか、はたまた馬車のスプリングか何かが前時代的なのかわからないが、やたら揺れる。左右に、上下に。内臓が口から出ちゃうんじゃないかと心配になるような、変則的な震動だ。前回、馬車に乗せられて私がユマに連れて来られた時は、意識がなかったみたいだが、これではそのことに感謝しなければならないだろう。



王様の馬車でも、神殿の敷地内の道でも、こんなに揺れるのだから。もし正気であればさすがにリバースは確定だったに違いない。


(ずっと向かい合わせだけど、こんなに揺れるんじゃ…話なんて出来ないから、まあかえって良かったのかも…)


しかし、思わぬ激しい揺れに気持ち悪くなりそうなのに…外を見ることも出来やしない、というのはストレスだ。


というのも小窓はたった一つだから。御者と連絡を取る為の、御者の背中側に面した小さな窓。たぶん防犯上そういう造りの馬車なのだろう。御者はというとキャサリアが務めているのだが、てっきりミカエルさんが手綱を握るかと思っていた私の予想は裏切られた。騎士はいかなる時も護衛に専念するらしい。よって、残念ながら馬車に並走して白馬に乗った王子然としたミカエルさんの姿は見えない。すごく様になっていることだろう。喋ると私の心臓を縮ませる特技を持つ御方だが、ファンタジーな世界にしかいない雰囲気の人だと感心してはいる。

金髪で美形で、あんなに体格がいいのに、奇跡のように身軽。優雅な身のこなしとはどういうものかが、ミカエルさんやユシグを見て分かった気がする。


ミカエルさんはセクハラの目撃者で、会えば気まずくなくもないが…それはそれとして、自分の知らないところで事態が進んでいることに、私は苛立っていたのかもしれない。見たいというより、見られないという制限に対してだ。


(…あんな醜態さらしておいて、ミカエルさんの乗馬姿が見れなくて残念とかって、どれだけふてぶてしいんだろ…私…)


…馬車が出発してから、とりとめのない雑念にはまり込んでいたが、とうとう観念してゆっくりと顔を正面に向けることにした。



いい加減見ない訳にもいかないだろう。いつまでも目をそらしているのは不自然だ。


平気な訳じゃない。

人前で…しかもミカエルさんの前で胸…を弄ばれて平気なはずがない。

私にだってプライドぐらいある。

この世界では処女かどうかが重要なのか知らないが…例え処女じゃないからだとしても…あんまりな扱いだと思う。

顔をみるとさっきの王様の蛮行を自動的に再生してしまうから、見たくなかったのだ。

我ながら、子どもじみている反応だと呆れるが、思い出していろいろとまた…思いたくないのだ。もう何も思いたくもないし、自分の反応で新たな問題を引き起こしたくない。


では、腹を立てているのかと言うと、それは少し違っていると…正直に認めないといけないだろう。


(ショックはショックだけど…でもなんていうか…)


そんな落胆と嫌悪よりも、もっと認めなければならない感情が胸の中に芽生えてきているのを私は感じていた。


そう、私は戸惑っていた。


薄暗い明かりが、シルク張りの車内に優艶な紫の光と陰を作る。


見上げると冷徹なまでに透き通った美貌がそこにあった。

秀でた鼻梁、深く影を落とした睫毛…すべて究極のパーツが美を主張するために天の配剤でバランスを保っている…見ているだけで爽やかな色香にあてられそうになる、繊細なのに鮮やかな美貌だ。


(まるで生きている彫刻みたい…)


うっかり魅入っていたら、こちらも見もせずにふいに意味深に…唇だけで微笑されてしまった。


(…なんなの?私に笑った…じゃなく思い出し笑い?)


…やけに機嫌がよい様子だ。そんなに王様の気が晴れる要素が、さっきの出来事の中にあったのか?そうは思えないけれど。第一、私にセクハラしたところで、王様にはどうということもないだろう。私は十分イヤな気分を堪能したが。


(ホント、何なの…)


ただの身代わりの私は、王様の感情をぶつけられて戸惑っていた。

まだ体だけを求められるほうが、どこか納得出来たに違いなかった。



私の体なんて大したものじゃないが、ユシグの愛する姉にそっくりなのだとしたら、それはそれで価値があるのだろうと納得するしかない。


「なんだ?」


今度ははっきりと、見つめられて、微笑まれた。


(…えっ?)


不覚にも、どきりとした。


(…ん、ああ…そうか)


「なんでもありません」


笑みを向けられて、私は自覚する自分を感じた。


馬車の振動に負けないようにとっさに唇に浮かべていたのはどんな表情だろうか。


忘れていたかった事実だがこの男は、私の中身…私自身には興味がないのだ。

セクハラしておいて私がどう思おうが、彼は関心がないのだ、と嫌でも思い知らされる、見る者を骨の髄まで蕩けさせる微笑。


私の預かり知らぬ他の欲望も含めて、彼は姉に対するいろんな欲を、姉の変わりに私にぶつけて悦に入っているだけなのかもしれない。

それならば、わかる。王様に何をされても嫌悪しきれない私が、数真に囚われているように、ユシグも姉から離れられないのだろうから。

二人に何があったのか、わからない。もしかして、私が数真を失ったように…彼もまた自分の姉を失うにいたった何かしらの過去が、あるのだろうか?


私はユシグの姉ではない。身代わりにすらなれない、生きているお人形だ。


だから、私のこんな心の動きにも無頓着で、平気な顔でセクハラ出来るのだろうか。

セクハラした相手の気持ちなどお構いなしに、魅力的な顔で笑えるのは…そうだからなのだろう、きっと。ユシグは私を…道具にしか見ていない。

一見、嫉妬めいた言動も所有権と占有権の自己表明みたいなものなのだろう。私への執着、じゃない。


…不毛だと思うがついつい考えはまた巡ってしまう。私は紫色の光と陰を見つめながら、ふと思い出してしまう。

悲しいとか虚しいとかの感傷は要らない。

もうここに来てから十分に味わった。

感傷は言わば、食後のデザートみたいなものだと思う。ある程度満ち足りているから味わえる…だからお腹が空き過ぎた時に甘いものを口に入れても、大して美味しくもない。余計に空腹を感じるだけだ。


私はここにいる。


誰よりも一緒にいて欲しい、あの数真のいない世界で、一人なのだ。誰がいたって、あの数真じゃなければ意味がない。いないのと同じだ。数真を探しにきたのに、見つけるどころか…数真がいない喪失感をより深く味わうばかりだなんて、皮肉すぎるじゃないか。



この世界でその存在を感じることはなかった…


同じ顔を持つ、この男を除いては。


ユシグ。ユマを支配する神殿の長。神官王。


どこから見ても美しいこの男は、私に自分を愛せと言った。


(愛する…か)


胸の中で呟くと、トロリと拡がる濃密な響き。とらえどころがなく、甘いのになぜか苦しくて、苦い闇に埋もれそうな感覚…に溺れそうになる。


あと二ヶ月半でどうしろというのだろう。

いや、時間の問題ではない。


数真の私への執着、私の数真への執着。

この気持ちを、いとしさ以外にあたると分類されてしまえば、愛するなんて…途方もないことに思える。








***


「御気分は?」


差し出された手を借りて、降り立つとミカエルさんが直ぐに聞いてきた。


「いえ、大丈夫です」


後ろから、ユシグが楽々と馬車に付けられた簡易階段…タラップを降りている。横目で伺うと、ミカエルさんから離れた私は、キャサリアの姿を探すことにする。また王様に難癖をつけられてはたまらない。

制服を着た人に馬車を任せたキャサリアは、私たちに近づいてきたところだった。

いつもの黒いメイド服を毅然と着こなした、あいかわらずの美少女ぶりだが、厳しい瞳を…どうやら私に向けているみたいだった。


「もっとしっかりとおかぶり下さい」


つかつかと近づくといきなり手が伸び、マントのフードをぐいっと直されてしまった。

そんなやりとりを眺めていた王様がキャサリアに声をかけている。


「…かえって怪しくはないのか?」


「主よ。王の前で風体を隠す者は通常ならばおりませんが、王が望まれた場合は別にございます。ですので、フードについては怪しむ者はいないでしょう」


「ミカエル、そうなのか?」


「はい。キャサリアの申す通りです。多少にかかわらず王のお相手の素性は詮索されましょうが、お気に入りの娼婦だとでも噂をながせばよろしいでしょう」


「お気に入りの…ねぇ…」

ちらりと値踏みする目線を送られたが、ミカエルさんの言葉に不満があるみたいだ。


(すみませんね。どうせ貧相な体つきですよ…)


「まあ…ミカエル、お前に任せたぞ」


「承知しております」


そこまでして私を何処に連れてきたのだか聞いてみたいが、歩き出す三人に置いていかれないように、私はとりあえず足を進ませた。三人とも足が速い。こっちが一歩行く間に三歩進んでる歩幅間隔だ。

なんだか神殿のような石造りだが…少し違っている気がする。あの神殿みたいに中庭や正門がある感じはしない。もう少し、こぢんまりとしているというか…フードが邪魔で視界が悪く、思うように確認出来ない。


人の気配はしないが、顔を見られるのは後々面倒なのでここは文句は言わず、しっかり深く被っておくことにしなければならないだろう。いきなり誰が現れるのか、よくわからないし用心しておいたほうがいい。


慎重に、大敵の石畳に足を取られないように運ぶ。

神殿の床よりも表面が滑らかでないから、やっぱり神殿とは違う建物なんだろう。


「ぼんやりしないで下さい」


「…へ?…あのちょ」


「ミカエル様ではなくて、ご不満ですか?」



小声でキャサリアに囁かれ、ぐい、と手を引かれた。意外に力が強い。しっかりと握り締めた掌は一回り私のよりも大きい。


「王の前で思わせ振りなマネはお止め下さい」


「……は?」


「思わせ振りにお二人を見ないで下さい…と言ってるんです。貴女、態度に出過ぎですよ…」


反駁したいがキャサリアの冷ややかな眼差しに私は黙り込んだ。


「いいですね」


「…」


「さっさと歩いて下さい」


ボソリと吐き捨てるキャサリアに手を引かれて幾つもの回廊を通り抜けてゆく。一つの塔は内部で別の塔へと繋がっている構造らしかった。

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