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◇33もう森になんか行かない

本日もミカエルさんとの昼食会が終わり玄関フロアまで見送った後、そのまま陽射しの中に出ることにした。

室内へ引き返してゆく侍女のキャサリアは相変わらず声をかけてもガン無視だ。ミカエルさんの前ではニコニコしているのに二人きりになると無言になるんだよな…。


たぶん、ミカエルさんのファンなんだろう。

キャサリアはまだ10代か20そこそこみたいだし、異界人の私に不信感もある上に、ミカエルさんがらみで余りいい印象を与えていないんだろうとは思う。


彼女のミカエルさんを見る瞳と私を見る瞳の温度差ったらない。

いちいち他人に敬遠されたくらいで傷つくほど繊細には出来ていないしそんな歳ではないけど。彼女は私の面倒をみるという仕事は嫌々ながらもきちっとこなしてくれているし。何も愛想までふるう必要はない。ただね…


私に警戒心を持つ必要はないだろうに…それともミカエルさんと話す相手には全てあんな感じなんだろうか?

ミカエルさんは宮殿や街でも広く仕事しているらしいからキリがないと思うんだけどね…。


まあいいか。それこそ私には関係のない話だ。


外国のインテリア雑誌にでてくるような硝子のはめ込まれた扉のむこうをぼんやりと見やると、並木道の緑の頂きが誘うようにさわさわと靡いている。


大理石で作られた静謐なエントランスを抜け、足元が見えるかどうかの長さのあるロングスカートの裾を踏まないように、ゆっくりと歩いてゆく。貰った服はどれも裾が長いワンピースドレスで、ふんわりとしたシルエットが上品な着心地のよいものばかりだ。

足捌きがね、違うんだよね。本物の上質シルクに麻かレーヨンみたいな何かが混ぜてあって、サラサラツルツルなのに肌に冷たくない素材感で、凄く病みつきになる気持ちよさ。ロング丈でも足の動きは快適だ。

いつも姿勢正しく歩けば、裾を踏んづけることはない。あ、階段の時はスカートを少し摘まむことを忘れないようにしなければ。これは慣れてないと忘れがちだ。


ミカエルさんいわく、彼の好みに合わせたとのこと。ぱっと見シンプルながらも地味じゃない高級な品だというのがよくわかる。



高かっただろうこれは。


騎士って、中世も現代も貴族階級になるんだろうか。

ほら、アーティストとかがイギリス女王から賜ってるのをニュースでみた記憶がある。この世界でもそうなんだろうか?騎士イコール下級貴族みたいな?それにこの暮らしぶり。神官王に下賜された離宮での優雅な生活。頼んでもいないのに贅沢な生地を使った服を何枚も用意してくれる。迷いこんだ利用価値もない異界人に。


ミカエルさんってお金もちなんだろうか…?お金も地位も顔も性格も基準値オーバーってどんだけ超人なんだ。

今はそのおこぼれというか余波というか、親切心にありがたくすがらせて貰います。

お世話になりっぱなしで何かお礼が出来たらと思うけど…行く末不明な迷い人にそんな機会がくるのかどうか…。


私は木陰を歩いていく。


爽やかな風が暖か過ぎる陽射しに心地いい。

こんな日がたっぷりあるなんていいところだ。

これが地球でただの旅行だったら最高なのに。


ユラドーマも地球と同じで日本みたいに四季がある所とそうでない所があって、ユマは春と秋が長くて冬でも雪は滅多に降らない程暖かいとか。

夏は少しは気温は高いが湿度は低い為意外と過ごしやすいとのこと。

いまの季節は、日本でいうと晩春から初夏といったところか。


玄関付近は馬が通るので土を固めてあるのだけど、道から外れると芝が広がっていて清々しい。


屋敷の周りには庭が作られていて花や植え込みがある。

見ているだけで飽きないけど庭のむこうは森なんだよね。


…行ってみようかな。ミカエルさんに止められている訳でもないし。宮殿に近付かなければ大丈夫なんじゃないかな。私は庭の一角からそっと森へ入って行った。

…後から考えるとそれが大きな間違いだったのだけれど。



汗ばむ手前ぐらいの陽気。鳥の羽ばたきや緑がそよぐ音が風に溶けて流れてゆく。

自分の髪も肩下までの長さながら風に靡いて涼しくて気持ちいい。風は緑を含んだ澄んだ匂いがした。


歩いてゆくとちょうどよい木立の群生をみつける。

少し低めのサクラみたいな樹木が並んでいる。

下草もふわふわでいい感触だ。

今日はここを通ったら引き返そう。

そう決めた私は一歩、樹木に近付いた――その時グッ、と何かに肩を捕まれる感触がした。



「待て」


またいきなり掴んできた。今度は手首だ。


心臓が冷えた。

ミカエルさんの声じゃない。第一、彼ならこんな振る舞いは主義に反するだろう。


「――ふ…ぅっ…」


どう反応すべきかわからずヘンな息を吐いて振り返ると相手はまじまじと見返してきた。


「それが異界流の挨拶なのか?」



見覚えがある…逆立てた部分と流された部分が狼みたいな印象の肩までの紅い髪。

細められた猫みたいな金の瞳は珍しい獲物でも見つけたかのように、揺らめいている。


男は黙って手を私の腰に廻すと掴んだ右手をぐいぐい引っ張って駆り立てていく。


「ちょっ…」


「さっさと行くぞ。ヤツらのテリトリーに入るな」


あっというまにサクラもどきの木立から離れて拓けた場所にいた。


「ここまでくればいいだろう」


「あの…確かお会いしたことありますよね」


「そうだが?」


煩そうに見てくるのは、あのトリップ時に出くわしたミカエルさんの関係者。美形軍団の一人だ。あれ以来誰にも会ってないけどまさかこんな所で再会?するとは。


私が掴まれていたままの右手を丁寧に外すと、彼はじっとまた見つめてくる…いや睨まれているんだろうか…?

端正ながらもまるでスポーツ選手のように厳しい顔付きをしているこの人も、ミカエルさんとは別の意味で表情が読めない。


とりあえず腰に廻した手というか腕を離して欲しい…。


密着状態のまま固まって、何とか切り出そうと口を開きかけたその時。


「…何もわかってないようだな」


「は?」


眉根をしかめた彼は私のマヌケな返事にさらに眉を寄せた。


「あいつらのテリトリーに入って何をするつもりだったか知らんがそんな軽装では無謀だろうな」



「…テリトリー?」


彼の答えは簡潔だった。


「耳を澄ませろ」


言われた通りにしてみる…


「まあこれだけ離れたらもう聞こえないか。少し戻るか」


「ちょっ…」


ぐいぐいまた右手を掴まれて木立の近くまでやって来た。


「聞こえないか?」


「…」



あ。

確かに。何かブーンというような超音波的な微かな低周波が聞こえる。


「ミナガバチというミツバチを捕食する獰猛なハチだ。ああいう腐りかけの木のウロに巣を作る。今の時期は特にエサ集めと巣作りに気がたっている。そんな格好で近付けば一発だ。


刺されたいのなら別だがな」



淡々と説明しながら、ふ、と微かに…かなり微かに笑ったようだった。

怜悧な顔立ちの、ふいの揺らぎに私は意味もなくたじろいだ。意外にこの人は見かけより若いのかもしれない。


「……ありがとう…ございます…」


ハチの巣に向かってたところを助けられた訳ですか。

つくづく、私ってこの人たちからみたら迷惑かける存在……申し訳ないです…。


「いや…礼には及ばない」

いたたまれなさに俯く私はまた、ぐいと腕を掴まれた。


「え?」


そういえば腰に廻された手はそのままだった。いったん距離が離れていたのにいつの間にかまた密着状態になっている。



戸惑う私にかまわず、鍛えられた筋肉の硬い感触が覆いかぶさるように伝わってきた。


…え?


「…ちょっ」


…抱きしめられてる!?


「いい気持ちだ…」


私の腰から背中へと彼の大きな両手が這うように上がり、彼は場違いにもうっとりと呟きを漏らしている。

オーデコロンとは違う香りに鼻腔を掻き乱されて私は混乱していた。

自分とは違う暖かい体熱に、被さってくる彼の荒い息が顔に当たって。



…荒い息?


って、興奮というか欲情してるんですか?


どういうこと?


どういう状況だこれ。


顔が見えない彼は、真面目な口調で言ってきた。


「…キスしたくなったな」


は!?いきなり何ですか!?

片手が後頭部にあてがわれ持ち上げられ腰を密着させられ…何も言えないままに。


「ん…んんっ!!?」


わからない。

これが挨拶?このファンタジーな世界流の。

ほとんど、いや完璧にセクハラだから。

いきなり唇を貪られて舌を絡めるわ吸い付くわ唾液を流し込むわ…


思いっきりベロチューされた。


「んんんっ!!?」


しかもこの男、めちゃくちゃキスが上手い。腰が砕けそうだ。


いくらイケメンだからってこれ…セクハラというか痴漢…迷惑行為じゃないのか…?


慌てふためいて現れたキャサリアのおかげで、それ以上の行為には及ぶことは免れた。


「ミカエルにひとつ貸しを作っておくのも悪くない」

と…意味不明なことを言ってきた。しかも自分の唇を名残惜しそうに拭いながら。


「おい、女」


「…な、何ですか」


「美味かった」


「は?」


「だからなかなか良かったと言っている」


ニヤリと不敵な微笑。

…やっぱり見かけ通りの狼男に違いない。

なんてヤツだ。


「勝手に出歩かれては困ります」


私を見るキャサリアの冷ややかな視線が痛い。


「すみません」


居候の身で異性問題なんて叩き出されても仕方ない行為にひたすら小さくなる。

名をセラフィムというらしいこの要注意人物。


あの時…この世界へのトリップ?時のメンバーには、まだ一人にしか会っていないという事実を…この時の私は後から考えると、あまりにも軽く受け止めていた。


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