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◇31目眩それとも何処かへ落ちてゆく〜2

私はいつの間にか気を失ってしまったようだった。

金髪美形と話をしようとした途端、急に意識が途切れたのだ…なんだか寝ぼけていただけなような気がする。

長い、意味不明な夢をみていただけなのだろうか…


でも。

辺りは静かだった。外国の貴族の館の一室みたいな豪華な内装は、薄い壁紙を張ったビジネスホテルのそれとは明らかに異なる。壁のあちこちに施されたレリーフ。

極上な肌触りのシーツに毛布、リネンの寝心地は最高だが、もしホテルだとしたらこんな田舎にこれほどの設備を持つ高級ホテルはないだろう。

少なくとも聞いたことはない…

だだっ広いベッドルームに降り注ぐ青い闇の光に魅入る。


外から入る月の光は淡い光で闇を照らし、纏められたままのカーテンや毛足の長い絨毯に幻想的な影を落としている。


ひどく、静かだ。


誰もいないかのような無音に背中がぴりぴりとする。ここはどこなんだろう…私はそっとベッドから降りた。

シャラッと微かにきぬ擦れの音がして、ふんわりとした絨毯の感触が素足を包んだ。


嫌な予感がする。


もしかして…

私はとんでもないところにいるのかも…しれない。


ブーツとコートこそ着けていないけれど服装は家を出た時のままだし、鏡にうつる自分の姿も変わりはない。

不安げな顔でコンソールの上にある大きな鏡を見ていると、鏡の私の後ろにふいに美形が現れた。


長い金髪に碧眼、目の覚める美しさ。


あの金髪美形だ。


「お目覚めのようですね」


振り向いた私に微笑を送ると手慣れた様子でソファのある間へと誘う。

ベッドルームの隣へ移動すると、向かい合わせの4人掛けのソファの片方へ金髪美形が座るので、仕方なく真向かいに座る。


「あまり驚かれないのですね」


金髪美形の微笑にはどこかからかいが含まれていた。サシで美形と相対するのは緊張する。


「何からお話すればよろしいですか?」


そう柔らかく尋ねてくる。

こういうのって、困る。

こちらの出方で態度を変えるつもりなのだろうか。だとしたらヘタなことは聞けないし。


ここはどこですかと聞いたら思い切り引かれそうだ。そういえば。たしか気を失う前に、日本ですかとこの人に聞いたのに。まだ返事がないんだった。


いや、その前に。

あのままあの場所にいたら、町の人たちに魔女扱いされて危なかったかもしれない。群衆心理…集団心理がどう暴発してもおかしくない状況だった。

誰かが何かを言えば、事態はどう転んでも不思議はなかったのだ。


私はお礼を言うべきなのだろう。たぶん。


「その。危ないところを有り難うございました」


助けてもらったのか記憶もなくよくわからないため、曖昧な言い方になる。日本語ってこんな表現でも話せるから便利だな…

そういえば、さっきの町の人といい、叫んでいた馬上の男といい、みなさん外人なのに日本語が上手だ。


もしかしたら、映画村か何かに迷い込んだのだろうか?日光江戸村、ハリウッド版みたいな。

最近のニュースをあまり見ない私が知らないだけで、ここはそういう娯楽施設なのかも。


自己紹介をしてさりげなく相手の情報を引き出してから何をどう聞くべきか考えようか。


…。


「私は…」


あれ?

なんだっけ。


「私の名前…」


焦る。だってなんで自分の名前が解らないの?

金髪美形の目線が愁いを滲ませているのに気付く…こちらが泣きたいくらいだ。


「やはりあなたが理を曲げてしまわれたのですね」


「…コトワリ?」


「いえ。あなたは軽い記憶喪失に陥っているようです。無理に思いだそうとなさらないように。私はミカエルと申します」



金髪美形はミカエルさんという名前なのか。


「名前がわからないのは不安でしょう…ましてや貴方は異界渡りでこちらへ来られたばかりですし。少しずつ状況をご説明いたします」


異界?


「あの…」


「なんでしょう?」


「異界…って言われましたよね?」


ミカエルさんの清らかな笑顔に一瞬詰まった。

嫌な予感に後押しされて言葉は勝手に…こぼれてきた。


「ここはなんというところですか」


期待していたのかもしれない。

聞いたことのある地名、知らないうちに新しく出来たオープン前の高級ホテル、リゾート施設…。

そんな答えを期待していた私は、金髪美形の端的な答えに無言になったのだった。



「ここは、ユラドーマ大陸の聖なる神殿宮に続く…いわゆる白の館です」



◇◇◇



言葉を失った私をしばらくそっとしておいてくれたミカエルさんは。

やがて、こちらへ皿を近づけると呟くように促した。


「…ありがとうございます…」


「どうぞ温かいうちに」


勧められるまま口に含んだスコーンみたいなお菓子はサクサクした香ばしい口当たり。なのに全然味がわからなかった。


ミカエルさんの言うとおり自分でも落ち着いていると思っていた。

でも…異世界って。


あまりにも安易じゃないか?

私は、…探しに来たんだ。

カズマ。

私の弟。

とても大切な人。


よかった。どうやら記憶がないのは一部みたいだ。今までの生育歴、仕事、友人、交友関係に抜けはない。数真とのあれこれも。


しばらくもそもそと美味しいはずのスコーンを食べていた私は、思い当たって質問した。


「異世界…っていうことは、ミカエルさんは私のいたところをご存知なんですね」


そうだ。

ここがユラドーマとかいうところなら、その住人であるミカエルさんはなぜ異なる世界があるって言い切れるのか…?


それは、つまり…


私の言いたいことを理解したミカエルさんがにこりと頷く。


「ええ。貴方のいた世界…チキュウからは何人もユラドーマへ渡って来られています」



チキュウ、って。


チキュウ…地球?



「あの」


どういうことなんだろう。地球なんて言い方、まるでここが全く別の世界みたいだ。


「足、冷えませんか?」


「…え?」


「どうぞこちらをお使いください」


差し出されたのは、ふわふわの毛皮のルームシューズ。そっと足元に跪き、ミカエルさんは私の足に触れないように、シューズを足下へ優雅な仕草で滑らせてくる。

ミカエルさんの優しい声が響いている。


「サイズは合いそうですね。よかった」


「はあ。ありがとうございます」


なんなんだこの人は。紳士というか執事というかまるでお姫さまに仕える騎士みたいな完璧な所作じゃないか。


なんなんだ…こういう人、日本にいるだろうか?



「名前がないと不便でしょう」


ミカエルさんはまた正面に座ると話し始めた。

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