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◇30目眩それとも何処かへ落ちてゆく

私はそれほど酷い形相なのだろうか。自分ではわからないが、田中さんは私を厳しい表情で見据えると、首を静かに振った。



もう、でも…かまわない。

取り繕う気持ちが嘘のように消えてゆく。


残るのは、たった一つの想いだ。


「これ以上話しても仕方ありませんよ?退出しましょう倉橋さん」



田中さんが促してくる。

それは…出ていけ、ということなのだろう。


「嫌です、ご免なさい」


「倉橋さん?」


私は田中さんに必死で訴えた。


「私は…数真に会うためにここに来たんです」


ちっぽけな、つまらない、後ろ向きな私の想い。


「私は…」



たった一つの、願い。

馬鹿げてるとしか言い様のないこの気持ち。


真っ直ぐに見上げると、マサハルくんの瞳に吸い込まれそうになった。


なぜだろう。

私はこの人を知っている。


「あなたは…誰に会いたいのですか?」


それとも、私はこの人を知って『いた』のだろうか?


わからない。



「私は…」


田中さんが何かを言っている。


聞こえない。


頭がガンガンする。


どうしたんだろう?


目の前にいるはずの二人がよくみえない。


緑色の引き幕が無理矢理下ろされたかのように不鮮明に、周囲のトーンが暗く染まる。


私、どうしたんだろう?


めまいが、する。


貧血なのだろうか?


すごく気分が悪い。


胸がむかむかする。頭が痛い。気持ち悪い。



足元が沈んでゆく感覚。 立っていられない。ああ、これは倒れる…気分が悪いくせにやけに冷静に思った。頭を打たないように倒れないと危ない。


誰に会いたいのかって?

まだ聞いてくる声がした。


会いたい―――――


『数真』に会いたい。




ほんの僅かな時間だったのだろう。



「…わかりました」


マサハルくんの声だ。


「確かに、確認しました。あなたの『意志』を」


うれしそうに呟く彼の笑顔まで見えそうな、朗らかな声が、脳裏に響いてくる。


私は意識を手放し、辺りは全てが暗転した。


◇◇◇





澄んだ空気の香り。枯れ草が夜露に混じった匂い。


ひんやりとした、土の匂い。


秋の匂い。

音は、何も聞こえない。


不気味なほどに無音静寂。


月のない闇夜では何も見えない。


押し潰されそうな闇の中。目を凝らしてみても、何もわからない。


今着ている薄手のトレンチでは間違いなく風邪をひいてしまうだろう。

幸い、デニムとショートブーツは季節を無視した冬物だからそれなりに暖かい。


羽織るものをもっと持ってきたらよかったかな。



…いや待って。



なんで私、外に居るんだろうか。ブーツまで履いてるし。確か、施設の個室に居たんじゃなかったか?


どこかの道の真ん中に立っているみたいだった。


道と言ってもアスファルトで舗装された道路じゃない。土を固めただけの代物だ。



触ったらしっとりとした冷たい土の感触だった。


さっきまで室内にいたはずなのになんで?

なんでいきなりこんなところにいるんだろう。

さっぱりわからない。


とりあえず迷った時は動かないのが鉄則だけど、そもそも迷う以前にここにいる経緯の、記憶がない。もしかしたら長い白昼夢を、あのバスを降りた時から観ていたとか?


そんなことを考えているうちに私は大切なことを思い出した。



確かポケットに携帯があったはずだ。


充電は…まだある。


「えっ」


喜んだのもつかの間。表示された文字に絶句する。


『圏外』


使えない…ってここはいったいどこなんだ……?

さっきまでは…あの施設では使えたはず。



私は目を閉じた。


状況が良くないのはわかった。なぜこうなったのか経緯はやはりわからないが、これはヤバい事態だ。


再び目を開ける。

見たところ…ようやく暗闇に目が慣れたけど辺りは何もない暗闇。星明かりではよくわからないがおそらく、道に、草原、林…森?


黒ずんだ視界は人工の建物がいっさいないらしきことを予想させた。



少なくとも電気はない。


これは本格的に遭難だろうか?何処だかわからない場所で、遭難…あり得ない非常識な事態だけれど。


「うっ…」


また、だ。

頭を殴られたような衝撃。それに続く脳の揺れに、思わず息をつめる。


気持ち悪い…

例えばエレベーターに乗った時に目を閉じて逆立ちしたらこんな感じなんだろうか?目眩にしてはかなりの振動。これ以上揺れが続くと吐きそうだと思ったら、しだいに収まった。



代わり映えのしない暗闇。ひんやりとし始めてきた青臭い雑草と枯れ草が醸し出す香り。夜露の匂い。それらを感じようと、見ようと、した。自分の姿勢もよくわからない。貧血で倒れた時みたいだ。倒れる前に意識を失って、気付いたらあらビックリなんで私寝てるのみたいな。


…え?


目を開けた私は思い切り口も大きく開けていた。


また場所が変わっている?


なぜかいきなり目の前で、横転してゆく箱馬車。


まるでスローモーションの落としコマのごとくゆっくりと、しかし確実に馬車は沈んだ。

遅れて、地響きのような辺りを揺るがす轟音が、全てを支配する。


追走してきた馬上の男が自分の馬の手綱を引き、叫んだ。



「エリアン…!!」


馬車を遠巻きに眺めつつ、口々に何事かを叫んでいる町の人たち。飛び出してきた体格の良さそうな男たちが、こちらへ走ってきた。


「事故かっ!!」


「中は大丈夫かっ!?」


「手を貸してくれっ」


「わかった!!」


車中の人物の名を叫びながら、屈強そうな数人の男たちと扉を探して無理やりこじ開けた先ほどの男は、手に触れた感触に顔を歪ませ、叫んでいる。


「エリアン!!」


生温かいぬらりとした液体。

それがいまだ滴り続ける血だという事実に恐らく、慄然と顔を強張らせている。


引きずりだされた男性は、血まみれだった。

かなりの出血だ。助からない可能性も強い。



「あの女がいきなり現れて馬が驚いて馬車がひっくり返ったんだ!!」


一斉に皆が私を見る。誰かがヒステリックに叫んでいる。


「え?」


「いきなり現れたんだよ!?」



認識するのに、どのくらいの時間を要したか。


皆が言っているのは私のことなのか?


町の人…なのだろうか。変わった服装の人たちが私を何か恐ろしいものを見るように遠巻きにヒソヒソと話している。ざわざわと耳障りな声たち。祈りを捧げる声。罵る声。怯える声。


声。声。声。


「光ったんだ。白い光りが眩しくて目を閉じて次に開けたらあの女がいた」


私は倒れていた。

でも誰かに支えられている。


彼か彼女かわからないが外人だ。端正というか端麗過ぎて表情が見えない。

その人に自分が抱き起こされる体勢だなんて、信じられないと私の脳が理解を拒絶していた。


「…」


しかも。目の前に息が詰まりそうなほどの美形が何人か並んでいる。


いつのまに?



町の人たちとは違う雰囲気。ざっと三人はいる。

私の周りを囲んでこちらを…見下ろしている。髪の色も容姿もそれぞれに違いがあるが今はそれどころじゃない。


だいたい、さっきいたのは草原みたいな場所だったのに今度はなんだ?中世の田舎町みたいな、舗装されていない大通り。真っ暗じゃない。

太陽の光りもなく薄暗いが、顔の輪郭だけでなく瞳や顔立ち、髪色までしっかりわかる。道の何処かに常夜灯が点在しているのだろう。月も…出ている。


地面に倒れた私を抱き抱えたその外人と目が合う。やんわりと微笑してきた。

知らない外人に抱き起こされそのうえ囲まれて…いる。



私を抱き抱えている麗しき金髪の外人とあと三人。


なんなんだこれは。

いったいどういうことなのか?さっきまで誰もいなかったのに、どうしてこうなるんだ?



私は深呼吸して、金髪美形を見上げた。



ホントに外人だ。


見とれている場合じゃない。が、綺麗な女ならよく見るけど、男で、しかも北欧系の端麗甘口な優美な感じの美形なんて、初めて見た。

こちらが見ているからか、相手もじっと見つめてくる。凄い睫毛長いし肌もキレイ。

…でも。近いです、よ?

私は20センチ先の御尊顔から視線をさ迷わせながら、口を開いた。


「あの…ここは…日本、ですよね?」


金髪美形は無表情のままだった。



――遭難よりも事態はマシになったのだろう、か…?

ありがちな展開ですみません。 次回は早めにアップできるかと思います。

ラブラブな逆ハーにはおそらくなりません…たぶん。

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