1大好きなのは炭酸水
学校から真っ直ぐ帰ると自室へ直行して勉強…
それは理想なのだけどね。
進学校の濃い授業をびっちり受け、私はエネルギーを使い果たしてしまうのだ。だから、部屋に入ると絶対寝てしまうのでとりあえずリビングで休憩することにしていた。
冷蔵庫から炭酸水を出してぐいっとあおる。
これよ。生き返るわー。
制服のまま寝転んでソファーでぼんやりしていたら数真が帰ってきた。
両親は二人とも旅行関連の雑誌の仕事をしていて撮影や取材やらで出張が多い。会社を変わったここ数年は一年で数えるほどしか家にいない。
もう親がいないのが淋しい歳ではないからあまり気にならないけど、大変な仕事だと思う。
仕事って大変だ。実は高三のくせに私はまだ進路をきっちり決めていない。
なんとなく親みたいに旅行関係の仕事もいいなと思うけど、大変そうだし私に出来るかどうかわからない。
とりあえずお金のかからない公立の大学に行ってから進路はそれから考えよう…それ自体が先伸ばしに過ぎないのはわかるけど。
正直、いまは受験勉強についていくのが精一杯で何がしたいのかなんてことまで考える余裕がなかった。
私の日常は、勉強してるか、こうやってごろごろして…気力体力回復を図っているか、毎日そんなのばっかりだ。
ちっとも青春してないとミヤの姉に言われるがほっといて欲しい。
「和音ちゃん?」
肩を叩かれ、それが軽い感触だったのにもかかわらず私はひゃっ!?と悲鳴をあげて炭酸水をこぼしそうになった。
忘れてたすっかり。
そうだ、帰ってたんだよ。
「お帰り、数真」
にっこり笑うと数真も輝くような爽やかな微笑で答えてくる。
「ただいま、姉さん」
少し長めの前髪からのぞく端正な顔立ちが溢れるばかりの爽やかさを主張している。
ホントに無駄な美貌だよ。
目と鼻から生まれたみたいにきちっと整った表情の読めない…どんなときも変わらない、寝起きですら非のうちどころのない顔。
別に外人みたいではない、すんなりとした肉づきの薄い小さな顔。数真のモデルなみの背の高さ、肩幅の広さ、脚の長さというパーツにはむしろ色気がヘンにあるくせに、淡泊な爽やかな容貌が年相応でアンバランスな感じがする。
ミヤは数真の人気の秘密はそこだというが。
どこよ。どのへん?
爽やかお天気お兄さんにしか私には見えない。
つまり。
にこやかにお天気情報を喋ってるのをただ見ているぶんにはいい。
でもだからといってそれだけだ。チャンネルを変えなくても天気予報はすぐに終わる。
こんな誰にでも優しいヤツは実がない気がするのだ。ホントうさんくさい。夢中になる連中の気がしれない。
「和音ちゃん?どうしたのぼーっとして」
和真は私を不思議そうに見下ろしたまま澄んだ瞳で瞬きした。手には学校指定のカバンを持っている。
部活は今日は休みなのか。
ずいぶん早い…まだ夕御飯作ってないぞ当然…
まあ二人分だから時間そんなにかからないけどな。それとも今日は数真が作る日だっけ?ならいいが。
「ちょっと休んでいただけだよ。数真くんが帰ってきたの気がつかなかった。ごめんね」
考えを一滴もこぼさずほんわか微笑を繰り返す私。
タヌキだよ…もうね。
なんせ10年モノですからね、板についてるってもんです。
優秀な弟の姉は…平凡人畜無害な癒し系。数真を狙うファンに許され親や周囲も納得するのは、そんな私だからだ。数真はもちろんこちらの思惑なぞ気づくはずもなくうれしそうにコンビニの袋を掲げて見せてきた。
「いいよ。俺こそ驚かしてごめんね。それよりさ、新製品のプリンが出てたんだ」
プリン!?
私はソファーから素早く身体を起こし弟に向き直った。
プリンときいてはいつまでもダラけてても仕方ない。大好物のプリンに私は弱いのだ。
「えー嬉しい!ありがとー数真!」
確かに見たことないパッケージ。美味しそうだ。
とりあえずプリンを受け取りひとさじ掬い上げ口に落とす。
「おいしいっ…」
甘く広がる至福のひと時。
はあっと溜息をつくと、ふと数真と目があった。
正しくは、こちらを凝視している弟に気付いた。なぜか切なげに、顔を美麗にしかめている。
見ているのだ、数真は。
でも何を?
「数真…?」
私は気付いてしまった。
「姉さん…」
掠れた数真の低い声。
数真の気持ちがわかった。欲しいのだ、彼は私が…
私の持っているこのプリンが。
そうか。たぶん、プリンを数真は一つしか買って来なかった。だからさっきから私に何か言いたげなんだろう。
ひとくちよこせ、と。
人が食べてるの見てると欲しくなるというものだし…確かに。
「わかったよ、数真」
数真に優しく言った。本意じゃないが仕方ない。
「ね…半分こしよう」
「は?」
間抜けな声を数真があげる。
「そんな物欲しげにみなくてもあげるから」
「え…えっと?」
半分では不満か?
数真はこちらに伸ばしかけていた綺麗な手をぴたりと制止させた。
…ちっ、やっぱり不満なのか。
たぶん食パンと牛乳も買ったからお金足りなかったんだな。朝、買い物頼んだ時忘れてて数真にお金渡さなかったし。半分わざとだけど。
つらつらと考えていると数真は固まった微笑をぎくしゃく繰り返してきた。
「あープリンのことか」
「そうだけど?どうしたの」
まさかいまさら牛乳と食パン代払えとかはなしね。
だって、おろして来ないとお金いまない。300円しかない。あー数真がコンビニ行ったなら、キャッシュコーナーでいくらかお金おろすの頼めばよかったか?
「いや…あの和音ちゃん」
プリンを断った数真を尻目にぱくぱく食べる私を見下ろす秀麗な顔は、困惑と焦燥が混ざった複雑な表情を浮かべていた。
普段穏やかな微笑ばかりなくせに、ここまではっきりした感情を躊躇なくみせるとは。何かあったのだろうか?
プリンをしっかり最後まで食べ終わってから私は数真に声をかけた。
「どうしたの?」
まあプリンごときでぐちゃぐちゃいうヤツではないだろうし。
仮にそうでももう遅いから。私の胃袋に聞くがいい。
数真はまたまたじいっと私を凝視してきた。
なにか?
静かにただクエスチョンマークで答えると、なんだか暗い顔をされてしまった。
なんなのだ?ホントに。
「あのさ…くだらない話なんだけど」
「うん」
数真はどこか疲れたように目を伏せて言ってきた。
「姉さんさ…ニブイとかって言われたことある?」
「は?」
今度は私が間抜けな声をあげる番だった。
「姉さん…いや和音」
私が握っていた空になったプリンのカップをそっと取り上げ、いつの間にか隣に数真が座っていた。
確かカバンやらコンビニの袋やら持っていたはずなのに数真は身体ひとつで私に擦り寄るようにもたれ掛かってくる。
「ちょっと…地味に重いよ、数真くん?」
「姉さんはさ、これでもなんとも感じない?」
「重いわよ」
「だからそうじゃなくて!」
なんなのー!もー!
怖い顔して睨む必要はないでしょうが。
それにさっきさりげなく名前で呼びやがった!?弟のクセに生意気、数真のクセに生意気な…
私はまたイラッとしてきた。
まぁ顔にはだしませんがね。
「やっぱり激ニブだよ、姉さんは」
突然、隣の数真の身体がふわりと広かったような気がした。
「ちょっ、苦しいよ、数真」
「抱きしめてるからね、姉さんを」
「いい歳してまだプロレスごっこ?もーやめなさいよ…」
「違う!」
「違わないでしょーあんたはいつもプロレスごっこしてきたじゃないの私に…特に中学の頃は毎日毎日…」
痛いし苦しい…がきっちり言ってやった。昔の繰り言なら無尽蔵に沸いて来るぞ。プロレスなんて今の中学生は見ないのだろうがウチの父が昔大ファンで家には録画がごろごろあったのだ。
それにしても顔を数真の胸辺りに押し付けられているので、息がしにくい。
「話をそらすな!」
「だからなんなのってさっきから…うっ、言ってるじゃないの」
なんの技か知らないがこれはけっこう効果がある。
息が十分に出来ないせいでぼーっとしてきた。
「……あの頃はわからなかったんだ。女なら誰でもいいと思っていたのかどうかも、自分でも自信なかったんだ」
ぼんやりと聞こえてくる。
力を緩めずに訳のわからない喋りを始めた弟の声。
数真の胸は固くて温かくていい匂いがする。数真のくせにメロンか何か…スイカみたいな夏のフルーツが入ったマリン系の香水か何かをつけている。
悔しいが私の好きな香りだ。
「でもね、やっぱり俺はあの頃から姉さんに触れたかったんだ…いつも理由をつけてね。だからこの間はあんなことしてしまって…ごめん」
「数真」
数真の腕の力が緩んだ隙に私は彼の頭を撫でてやった。
「姉さん…」
情けないほど瞳を潤ませている、数真。
ま…可愛いとこもあるのだ。
所詮、17の少年か。
こないだのことは…ちょっとだけビックリはしたがアレで数真が私にさらに頭が上がらなくなるのならなんてことはない。
うん…なんてことない。
むしろチャンスと言えなくもない。
数真の、年相応の衝動を、彼の恥ずかしい過去として押さえとくのも悪くないだろう。今のところ数真は私の言うことをよく聞くしお互い仲良し姉弟な訳だけど……
後々なにかに使えるかもしれん。
ここはひとつ、なんだかおかしな歪みを生じたこの空気をこの姉が制圧せねば。
「反省してるならもういいよ」
「和音…」
「よしよし。許したげる」
もとより怒ってないし。
「でも。和音、じゃなくて。姉さん、でしょ」
「うん…ねえ和音ちゃん」
わかったのかわからないのか弟はきゅっと今度は優しく抱擁してきた。
なに?と聞き返そうと口を微かに開いたら。
数真の端正な顔がなぜか近づいてきていた。
…?
戸惑う間もなく、頭を撫でていた右手を掴まれて身体ごとさらに引き寄せられている。
「…え?」
「許してくれてありがと」
耳元で呟かれた。
くすぐったい甘い囁きが忍び込んで…背中の奥がぞくりと震えた。
と思ったら。
すぐに、生暖かい唇の感触に私は閉じ込められていた
―――…これはアレ?
……キスかよ!?
「ん…む゛んっ!?」
ちょっとさっき反省してるとか言いませんでしたあなた!?
しかも舌まで…この動めいているナマコみたいな熱いのは舌だよね!?
くぅ…息が出来ない。
数真に抱きしめられ、キスされてる!?
混乱した感情。心臓がなぜ逆回転しているのか?
…私は頭の稼動をキリキリとあげた。
呑まれちゃダメだ!
そう。
数真の魂胆を考えろ!
コイツは…私を自分に陥落させるつもりなんだ。
こないだの件では飽きたらず…そういうことか。
姉が自分にめろめろにならないから自尊心が傷ついてるとか何とかそういうわけかね。
負けるもんか。ちょっとばかし顔とかスタイルとか頭とか…くそぅなにもかもいいからって…
女がみんなあんたに惚れるなんて考えるのは大間違いだからね!
だいたい、血の繋がった姉弟に恋愛感情が挟まる余地はいちミクロンもないだろうが。
なのに私にこだわる数真はホントおかしい。ナルシストにも限度がある。
ますます激しさを増す数真のキスを受けながら私は必死に頭を巡らす。
今両親が帰ってきたらマズイだろう。
誤解される!絶対私が悪者になるに決まってる!
そう。
数真はただただ自分激ラブなナルヤローなだけで私を屈服させたいだけ。
私は姉として数真に対する優位性を守りたいだけ。
だから、はっきり嫌だと拒絶できない。周囲から一目置かれる数真を手なずけて従わせて言いなりにさせて、昔、私を見ようとしなかった連中を見返してやりたい。
あくまで私の心理的に…の話だけどね。バカらしいこだわり、現実的でない、ねじまがった形を変えたある意味ブラコンなのかもしれない。
ミヤはいつも私達を『シスコンブラコン姉弟』とからかう。
わかってる、わかってるのに。
数真はいけ好かないが可愛い弟ではあるし嫌いではないし嫌われてはダメなのだ、絶対。
頭をぐるぐると思惑が巡る…巡り過ぎて訳わからなくなってきたよ。
ぐったりした私をどうとったのか数真は…さらに大胆な行動に出た。
つまり。あろうことに…
数真の手が私の制服のブラウスの中に滑り込み、胸のその…
先っぽを怪しい手つきで撫でてくるのだ!
「和音ちゃん…気持ちいい?」
私の顔を覗いてくる数真に見られないように顔を背ける。
な、なんてことすんだよ!?
さらに怪しい手つきは下へも伸びてきた。またまた数真に濃厚なキスをされながら胸やら…もう片手はお腹から下へ下へと浸蝕してくる。
指の動きにぼうっとしてしまったのはいかんともしがたい…でもでも言い訳をさせて欲しい。
『この間』のことだ。
数真はこの間、私が寝ている部屋に入ってきて似たようなことをしてきた。
最初は他愛ない学校の話だったのがいつしか恋バナになり、姉さんはどのくらい経験があるのかとなぜか数真に真剣に詰め寄られていたのだ。
真面目に聞かれては正直には言えない。恋愛の話題なんて数真にしては珍しいことだったし。
まさかキスもまだなんて…言えなかった。
勉強でも見た目でも弟と比べて惨敗な姉として…せめて人生経験ぐらいは上を行っていると思われなくては、立場ないじゃない。姉として。
だから嘘をついたのだ。キスも初体験もとっくに済ませているのだと。
そしたら数真は豹変した。
いきなりベッドに押し倒し濃厚なキスをかまし、体をまさぐってきやがった。まあその時はたまたま両親が家にいた日だったからそれだけで終わったけど。
いや、ファーストキス奪われていろんなトコ触られてそれだけもないんだけど。
とにかくあれはかなりビックリした。数真が数真でないみたいだった。
本気でヤラれるかと…びびった。
あれからけっこう時間がたった。
明くる日から一切その話題が数真から出ないので、私もすっかり記憶から消して、無かったことにして安心していたのだ。
毎日同じ家に暮らす弟がいままで通りの『弟』じゃなくなるなんて。それは絶対有り得ないから。
両親はアフリカかどっかに行っていて、こんな真昼間に急に帰ってくることはないだろうことは私にも想像がついた。
小賢しい数真のことだ。
どうせ親にはメールで所在確認くらいやっているに違いない。
て…つまり。
この家には姉を襲う気マンマンな弟とふたりっきり!?いやもう襲われてるし。
なんてこった…
まさかまさか優等生の数真が再びこんな暴挙にでるとは!
そんなに姉に初体験先を越されたことに腹がたったのか?
…しかしなんで今日なのか。
その疑問にはナイスタイミングで数真が質問で解決してくれた。
「和音ちゃん…今日は安全日だよね?」
狙いすましたように言ってくる数真。
そういうこと!?
なんで人の…を把握してるの!?
リビングの壁面に置かれた鏡に私と数真が映っている。なんていうかなんていうかもう…むちゃくちゃやらしい。下手に数真が夏服をきっちり着ているぶん、ほとんどいろんなトコが隠しきれてない格好の私は、どこの女子高生モノかというほど、エロい。エロすぎる。
おまけに。
さっきから執拗に数真に胸と股間をやらしく刺激されてヘンな気分になってきてしまった。
「姉さんの、グショグショだ。ぴちゃぴちゃ音たててるね」
恥ずかしいこと言うなー!
「それに、すっごい締め付けてきてる」
…うぅ。
「勝手に腰が動いてるし…まだ動かすなよ」
あーもぅ言わないでよ!
泣きそうマジで…
「そろそろか」
ちょっとちょっと!?
何が『そろそろ』なの!?
いいかげん冗談じゃなくヤバイと抵抗しようにも、私の口から出るのは訳のわからない声だけ…
喘ぎ声ってヤツ…。
ああもう白状するけど。
この時私は何も考えられなくなってました!
ええ。たぶんもう数真のヤツに言われれば『お願い』でもなんでもしてねだったに違いないです!
数真はクスっと笑うとそういえば姉さん、と話しかけてきた。
「姉さんさ、プリンも好きだけどアイスも好きだよね?」
もちろん、唸っていた私に返事は期待していない。
「イチゴアイスバー」
クスクスっと楽しげに囁く数真。
「意味わかるかな…今からあげるからゆっくり味わってよ。仕上げは練乳がけ…姉さんと俺のでね」
数真のクセに数真のクセに…!
オヤジくさい台詞に怒りを震わせながら、私はとうとう数真によってムリヤリ『オトナ』にならされてしまったのでした…




