009 救助
「……やあ、おはよう。ブライス」
温室の奥から背伸びをして出て来る男性を見て、私ははあっとため息をついた。
人の寝顔を見る趣味はないので、私も居るか居ないかをわざわざ確認したりもしないけれど、また今日も、ここでサボって昼寝をしていたらしい。
「夕方ですよ」
朝の挨拶はあまりにも似つかわしくない夕日の光の中で、私は呆れて言った。
この文官の男性は、自ら名乗らないので名前は知らない。私も別に興味もないので、彼に名前を聞いたりしなかった。
何故、彼の方が私をブライスだと知っているかと言うと、たまに上司であるジョニーがここに来るので、私の名前はそこで話をしているのを盗み聞き知ったらしい。
この人が何の仕事をしているのか知らないけれど、こんなにも空き時間があるのなら、楽な仕事なのだろうなと思う。
私は今は一日に数時間働いて給金を貰う庭師見習いではあるけれど、それなりにやることがあって一日が早い。
彼のように怠惰な生活をしていると、とてもではないけれど忙しない仕事はこなせそうになかった。
けれど、彼は背も高くて容姿も良いので、女性に人気があるだろうことは間違いない。
……恋愛する気のない私には、まったく価値のないことだけれど。
「ブライス。良かったらお茶でもしようよ。食事でも良いよ。好きなものを用意させようか」
「結構です。お茶も食事も一人でしたい派なんです」
なんだか不思議な現象で、私が断れば断るほどに、私への彼の興味が増していくような気がする。
興味を削ぐために、一度、お茶に付き合ってみるべきか……? そう思ったこともあるけれど、何も興味のない人と何故時間を過ごさないといけないのかと思い直してやめることにした。
「可愛いのに、強情なんだね。ブライス。では、何ならば一緒にしても良いと思うんだ?」
甘い表情に甘い言葉、こういう話を、し慣れているのだろうな……と冷静に思う。
そうは口にしなくても態度や空気が『良かったら、僕と恋愛しませんか』と、言外に告げている。
「っ……何もないです。私は恋愛に興味がありません。これからも一人で生きて行くつもりなので」
本当に、そう思っていた。
私はもう、男女の恋愛沙汰に巻き込まれるなんてこりごりだし、別に好きな人もいない。誰かと男性を取り合うこともしたくないし、勝手にやっていて欲しい。
ただ、穏やかに一人で生きていきたい。
「それは、もったいないね……一回、行くだけ行こうよ。それが終わったら、諦めるからさ」
もう。なんなの。この人、何を言っても面白がるだけだわ。
「あのっ……」
私がよりはっきりとした拒否の言葉を口にしようとしたその時、背後から声が聞こえた。
「あの、オルランド様。すみません。この人、俺の女なんで手を出さないでもらって良いですか」
え?
思いもしない声がして、水やりをしていた私はパッと顔を上げた。
「ヴィルフリート……」
そこに居たのは、整った顔に嫌な表情を浮かべていたヴィルフリートだった。聖竜騎士団の青い制服を着たままなので、もしかしたら勤務中に抜け出して助けに来てくれたのかもしれない。
しかも、ヴィルフリートはオルランドと呼ばれた文官姿の彼と知り合いのようだった。
「なんだ。ヴィルフリートと付き合っていたのか。それならそうと、早く言ってくれれば良いのに」
気安い態度でオルランドは肩を竦めて、ヴィルフリートはさりげなく私の前に出て彼と対峙した。
「すみません。俺の恋人は照れ屋なんですよ。それにしても、この温室を昼寝場所にするなんて、センスありますね。薄暗くて……良く眠れそうだ」
ヴィルフリートは、温室の屋根を見上げた。
透明な硝子で出来ている屋根は、陽光をある程度遮蔽する魔法がかかっているので、どんなに眩しい昼間でもこの温室に降ってくる光量は一定だった。
「まあね。ヴィルフリートは使うなよ……わかっていると思うが」
「わかってますよ。俺は何もかもわかっている男なんで」
二人だけがわかり合うような視線を絡ませ合い、オルランドは苦笑して温室を出て行った。
「……あの、助けてくれてありがとうございます」
二人きりになって、私はまず感謝の言葉を口にした。
「おい。嫌なら、はっきり言え。しっかりしろよ。これから、一人で生きて行くんだろ? ブライス」
「っ……!」
はっきりと拒否の言葉は、何度も言いました……! 聞いてくれなかっただけで!
「ちっ……違います! それは……っ!」
これまでの顛末を全部説明しようかと思った私に、ヴィルフリートは右手を翳してそれを制した。
「悪い。ゆっくり話している時間はないんだ。仕事に戻る」
なっ……何。私からの説明もさせてくれないなんて、どういうことなの!?
私は心の中で叫んだけれど、ヴィルフリートは息をついてから温室を去って行った。
もう……酷い。おそらくは、あのすぐ前のオルランドの言葉も私が断った言葉も、彼は聞いていただろうに。
私は断っていたのに! それなのに、何度も何度も繰り返し誘って来るから、どうしようと思っただけで……!
あ……けど、朝食の時に私が愚痴を言ったから、ヴィルフリートはわざわざ助けに来てくれたんだ。
聖竜騎士団の竜騎士は強大な力を持つ竜を持つことになるから規律にとても厳しいと聞いているし、ヴィルフリートはその中でも精鋭で出世頭のはず。
勤務中に抜け出して、団長に怒られても良いからと、助けに来てくれたんだ……。




