008 植物
「はーっ……」
私は食堂で朝ご飯を食べながら、大きなため息をついた。
あれからというもの、温室で昼寝をして仕事をサボっていた文官の男性は、度々温室に来るようになってしまった。
一応は関係者以外立ち入り禁止ではあるのだけど、温室は温室なので入場制限もなく、扉も常に開放されている。誰かが入ってもおかしくない状態だった。
けれど、庭師を取り纏める責任者である上司ジョニーに相談することは躊躇われた。私はこのひと気のない職場が気に入っていたし、今育てている薬草にも愛着が湧いて来だしたところだったからだ。
植物は私を裏切らない。人は何かと裏切るけれど。
植物は命を繋ぐための水をやれば必ず喜んでくれる。人はそれぞれ考え方や好むものによって喜ぶことが違う。
扱いの難易度が、あまりにも違い過ぎる。
そうよ。結論として、私は人より植物が好き。
「おい。元気なさそうだな。ブライス。早々に働くのが嫌になったか? 最初のあの勢いは、どこ行ったんだよ」
私がため息をついてしまったところを目撃したのか、ヴィルフリートは揶揄うように声を掛けて来た。
聖竜騎士団の一人である彼は、各地遠征や交替の哨戒任務などもあるらしく、毎朝食堂に居るという訳ではない。
だというのに、ため息をついたところをちょうど見られてしまった。
「……なんだか、変な人に気に入られてしまったんです。仕事中の温室にやって来るので、どう対処しようかと」
望んでもいない興味を抱く謎の男性の対応にだいぶ疲れていた私は、事の次第をヴィルフリートに正直に話した。
本当に疲れていた。だって、いくら断っても断っても、柳の枝が強い風にしなるように聞いてはもらえないのだから。
「はあ? なんだよ。良くわからない奴に気に入られたのか」
「そうです。最初は温室で昼寝していたんですけど……私が水やり中に薬草に話し掛けていたのが、面白かったみたいで……」
「はあ? なんだよ。先に言えよ……それは間違いなく、面白いだろ」
ニヤリと悪く笑ったヴィルフリートは私こそが何を言ってるんだと、言わんばかりの反応だ。
薬草に話し掛けるのは適切な発育のためであって、私自身が話し相手に困っているという訳ではないのですけどね……!
「そういう……私が面白い面白くないとかの、話ではないんです。何度も何度もお茶に誘って来るんですけど、断っても断ってものらりくらりとするばかりで……困っているんですが、諦めてもらえなくて……」
はあっともう一度ため息をついた私を一瞥して、ヴィルフリートは無言のままで肩を竦めて去って行った。
……え。何もなし……? これを聞いて、何か良いアドバイスでもしてくれるのかと思って居た。
……いえ。私だって彼に助けて欲しいなんて思ってはいないけど、何か言ってくれても良くない……?
そして、私は慌てて頭を横に振った。何を考えているんだろう。
ヴィルフリートは何もかもを失った私に衣食住を用意してくれた人で、恩義しかないと言うのに。
これ以上を求めてしまうなんて、それはいけないことだと思う。
おそらくは、私の頭の中にフロレンティーナに恋をしていたヴィルフリートが、先入観として残っているからだと思う。
ヴィルフリートは口の悪いドSだけど、フロレンティーナに恋をしたら様変わりする。彼女を何より大事にするようになって、フレデリックと結ばれることを祝福したりする。
……あ? あれ。なんだろう。胸が痛い気がしておかしい。
作品の中での時系列で言うとヴィルフリートは、そろそろフロレンティーナに出会うはずだ。私が彼に事前情報を流してしまっているけれど、よくよく考えるとそれって何の意味もないことかもしれい。
何故かというと、これまでに私が『実は……』などと打ち明けたところで、誰も信じてはくれなかったからだ。
いつも正しいのはフロレンティーナで、間違っているのは私なのだ。
「そうよね……そうだったわ」
私は朝食のスプーンを置き、ふうと息をついた。
目線を少し上げれば人が集まる騒がしい食堂の中で聖竜騎士団の面々は、私のことをどう説明されているものか、特に珍しがったり私に話し掛けたりする様子なども見られなかった。
別に無視をしたり避けたりもしないけれど、良い距離感で放って置いてくれる。
これまでに色々とあって人間不信気味の私にとっては、それがとても助かっていたし、ただ温室で薬草の世話をしていれば良い、ここでの生活には問題はなかった。
……けれど、ずっとここに居るわけにもいかない。温室のようにぬくぬく居心地が良いとしても。
庭師としての仕事に慣れて、お金をある程度貯めることが出来たら、早く出て行こう。
ヴィルフリートはやがてフロレンティーナに関わることになるのだから、彼の傍に居たら私がここに居ると彼女にバレてしまう可能性が高くなる。
彼女と離れられたからこそなのか、またあんな目に遭うことを考えて、背筋がゾッとしてしまった。
心底嘲る視線に、心を突き刺すような酷い言葉、それは、あくまで悪役令嬢である私にだけ向けられていたものだった。
私以外には天使に見える聖女フロレンティーナは、私にだけは残酷な悪意を向ける。
もう……あんな場所に、フロレンティーナの近くに帰りたくはない。
とにかく、王城の庭師の給金は、当然のごとく相場よりかなり高い。それに、実際に薬草を育てて思ったことだけど、設備を整えて要領を得てしまえば違う土地で自分でも育てられそうだった。
ということは、薬草を売ることも出来るということだ。何処の土地で住むことになっても種さえ購入すれば、薬草を育てては売りで、私一人だけであれば生きていくことは可能だと思う。
あと、数ヶ月我慢して働いて……すぐに出て行こう。




