006 口利き所
私はヴィルフリートに用意してもらった装飾の少ないドレスを着て、城中にある口利き所で壁に貼られた何枚もの張り紙を順番に確認していた。
それに、灯台もと暗しとは良く言ったもので、ヴィルフリートは城に近い場所に居た方が、より見つかる可能性は低いと言っていた。
……だって、この前国外追放になったばかりの公爵令嬢が、まさかこんな場所に居るとは思わないだろう。似ていると思っても、きっと他人の空似よで終わってしまう。
ヴィルフリートは『一人でも生きて行けるようになれば』と言っていたけれど、私にとってはそれが意味するところは、手に職を付けることだと考えた。
手に職さえあればお金を稼ぐことが出来るし、十分なお金を準備して、異国での生活を始めることが出来る。
それに、婚約破棄された興奮状態で勢いづいていたせいか、身ひとつで異国に行ってもどうにかなるだろうと思っていたけれど、落ち着いて考えればかなり無謀な賭けだったかもしれない。
お金がほとんどないのに生活を軌道にのせて上手く適応するためには、かなり多くの幸運に恵まれなければならない。
けれど、ヴィルフリートが匿ってくれたおかげで、私は準備万端整えて、この国を出て行くことが出来る。彼が提案してくれたことだけど、ある程度落ち着いた今はとても感謝はしている。
……けれど、私はヴィルフリートとなるべく関わりたくはなかった。
だって、ヴィルフリートは小説の中では、いずれ、総愛されヒロイン、フロレンティーナを好きになる人。
手に職を付けたら、お金を稼いで、早く彼から離れないといけない。
私は恋愛なんてもうどうでも良い。ただ、自分たちの恋に酔って、私を不幸にするあの人たちと離れて、おだやかに生きて行きたい。
私の望みはそれだけなの。
『庭師見習い募集中』
壁に貼られた求人の張り紙の中に、この文字を見付けた時、私は直感的に『これだ!』と思った。
だって、庭師になるならば、人と話さなくても良いもの。
もう人と何かを揉めたり争うなんてしたくない……けれど、現代知識も持つ私は、それは同性の居る環境では難しいと感じていた。なんたって、そういう場では協調性を重視されるから。
庭師なら大体男性で、ちゃんと仕事さえしていれば、文句は言われないだろう……と。
私はその張り紙を壁から剥がして、指定された責任者の居る温室へと向かった。
「……その困ったね。お嬢ちゃん、見るからに良いとこの出だろう? 庭師なんて汚れ仕事、難しいんじゃないかい」
私から庭師募集の求人の張り紙を手渡されてジョニーと名乗った男性は、困り顔でそう言った。彼の目線を辿った先にある私の白い手は、確かに日に灼けたことなどない。
「お願いします! 私は絶対に庭師が良いんです!」
今は白い手が、日に灼けても良い。だって、私はもう庭師になりたいと思ってしまったのだから。
「まあ……本人の強い希望なら……良いのかね」
そして……困り顔の庭師責任者に粘りに粘って、私はとある薬草園のある温室担当になることを勝ち取ることが出来たのだった。
◇◆◇
「……ブライス!」
「あ……ヴィルフリート……様」
朝、食堂を出て出勤しようとしているところ、ヴィルフリートに私は呼び止められた。彼はかっちりとした青色の聖竜騎士団の制服を着ていて、それはそれは格好良かった。
けれど、彼を恋愛対象にする気のない私にとっては、格好良いですね。ただそれだけのことだった。
「ヴィルフリートで良い。庭師になったんだと? 俺はてっきり、女官にでもなるのかと思ったよ。もしくは、メイドとか……城の仕事って、高給で楽らしいし。競争率が高くて、人気あるらしいぜ」
庭師見習いが意外だったらしいヴィルフリートは私が楽な仕事をして、手に職を付けるのだろうと思って居たらしい。
いえ。きっと、彼でなくてもそう思うわよね。私だってこれまでの事がなければ、そうしていたはずだもの。
「人と関わることが、もう嫌なんです」
私がそう言えば、ヴィルフリートは片眉を上げて、なんとも言えない表情になっていた。
着の身着のままで働くしかないのに、『こいつ何言ってんだ』と、思ってそうだけど仕方ない。
これが私の何も隠さない本音だもの。
「まあ、ブライスのこれまでを思えば、そこは納得するか。頑張れよ。もし、これから一人で生きて行くなら、泣き言など言っている暇はない。そんな暇があるのは、貴族だけだ。物陰でめそめそ泣いていても、飯は食えないぞ」
「……わかっています」
ヴィルフリートの厳しい言葉は、確かにその通りだった。私がもし働いたこともない貴族令嬢であれば、この正論に傷ついたかもしれない。
強い言葉だけど一人で生きることになった私を、励ましてくれているのかなと感じた。
「へー。良い返事だな。なあ、ブライス。立派な庭師になって、俺の部屋に良さそうな鉢植えの木でも育ててくれよ。出来るだろ? それだけのやる気があるなら」
「無理ですよ。私が担当しているのは、薬草の温室なんです!」
彼の言葉に応えるのが一拍遅くなってしまったのを揶揄うようにされ、私は慌てて言った。
あの温室には、城の治療室で使用する大事な薬草が揃っているので、誰かの私用で鉢植えの木なんて育てられないわよ。
「ははは。じゃあ、二日酔いの薬草でも頼むか。まあ、深窓のお嬢様育ちだからなー、期待しないで気長に待っとくわ」
「……! すぐにお礼に差し上げます!」
ヴィルフリートは私のイラッとした言葉を聞いて、何故か満足そうにひらひらと手を振って去って行った。




