004 初対面
――――私がフレデリックと婚約し、その時に記憶を取り戻してからすぐの十歳の頃のこと。
「……ああ! ブライス。こんな所に居たのか。紹介するよ。僕が今度世話係をすることになった聖女フロレンティーナだ。フロレンティーナ。こちらが僕の婚約者のブライスだよ」
こうして、高位貴族が聖女の世話係をするということは、彼女の後見人になるということだ。
不思議な力を持つ聖女は、遠い昔に貴族同士の取り合いが起こって争いのため悲劇が起きたこともあり、幼い頃から世話係となって衣食住の面倒を見て何不自由なく育てることを条件に、彼女の後見人となる権利を持つ決まりがあった。
だから、将来的に公爵となるフレデリックが、聖女の後見人になることは何もおかしいことではなかった。
私はフロレンティーナを見たその瞬間に、何故か背筋がゾワリとしたことを覚えている。
……これは自分にとって、危険な人物だと告げる本能的な感覚が、身体を突き抜けた。
目の前に居るのは、金髪碧眼で可憐な容姿を持つ少女。彼女は虫も殺さぬような、愛らしい笑みを浮かべているというのに……私は何を考えているのだろうかと、そう考え直したのも覚えていた。
「……こんにちは。初めまして。私はフロレンティーナ・リキエルと申します」
「ブライス・ルブランです」
礼儀通り軽くカーテシーをして私が挨拶をすれば、フロレンティーナは隣のフレデリックを感激の眼差しで見た。
「まあ! ……なんて、素敵な女の子なのかしら! 私なんて平民出身で神殿で暮らしていましたし、こんなにも優雅な女性の前で、なんだかお恥ずかしいですわ。フレデリック様」
「そんなことはないよ! フロレンティーナ。ブライスも可愛いが君も同じように愛らしい。礼儀作法はすぐに覚えるだろう」
フレデリックは婚約者の私と『同じように』可愛い聖女に、メロメロのご様子だった。
まあ……これでは、いつか婚約者が邪魔になってしまうほど、こちらの聖女へと気持ちが傾くわねと、今からとてもわかりやすい態度。
記憶を取り戻していて婚約者となったフレデリックに、あまり良い感情を持てていない私は、その時に妙な違和感を覚えていた。
フロレンティーナは清らかな聖女でとても性格も良くて、だからこそ、逆ハーレムを築けるくらいに全方位に好かれる愛されヒロインだ。
だというのに、フレデリックの視線が私に向けられた時に、視線が合った優しげな青い目には、強烈な敵意を宿していた。
ゾッとした。
……その敵意を宿した目を見て、もしかしたら、彼女が私と同じ転生者かもしれないと思った。
そのことに気が付いた私はフレデリックの婚約者であることから、なんとか逃れようともがいた。彼女のあの目は、尋常ではない。出来れば、フレデリックとの婚約は解消してもらい穏便に悪役令嬢の役目を降りたかった。
「あの……ブライス様。お話があります」
お茶会の時、席を外した私を追い掛けて、フロレンティーナはやって来た。
「……何かしら?」
彼女を避け続けていたことに自覚があった私は、それとなく周囲を見回した。けれど、不思議と人は居ない。
その時にやはり思ったのは、彼女は不思議な力を持つ『聖女』であること。
元々、フロレンティーナの身体は聖女として選定されるほどに、不思議な聖魔力を保持していた。
使い方を知る『誰か』が悪用しようと思えば、それなりのことが出来てしまうほど。
「このままだと、ストーリーがおかしくなってしまうでしょう。ちゃんと悪役令嬢しなさいよ」
「っ……! 貴女」
愛らしい声で紡がれた言葉を、とても信じられなかった。
私は出来るだけ『悪役令嬢』という身分から逃れたかったし、フレデリックとフロレンティーナがどんなに仲睦まじくても、特に反応することなく完全に無視していた。
それは、フレデリックの婚約者としては、相応しい振る舞いではなかった。両親にも苦言を呈されたこともある。
たかだか『平民出身の聖女風情を、良い気にさせおって』と。
……だって、来るべき断罪の日を避ける方法は、それが一番に手っ取り早かったのだ。
コツコツと軽い足音が近づき、唖然とした私の耳に囁き声が聞こえた。
「聞こえなかった? ……ちゃんとしなさいよ。愚図。私と貴女の立場は、わかっているでしょう?」
息をのんだ私を見つめるフロレンティーナの目は、明らかに敵意を剥き出しにしていて、私……いいえ、ブライス・ルブランから、婚約者含むすべてを奪うつもりであることを隠さなかった。
それから……私には、もうどうしようもなかった。
だって、私はルブラン公爵令嬢ではあるけれど、不思議な力を持っていない。美しくて清らかな聖女フロレンティーナは、意志の弱い者であれば行動を操作したり記憶を改ざん出来たりするだなんて誰が思うだろう。
婚約者フレデリックは信じてくれない。両親だって、何を言ってるんだと思うだろう。それに、操作された人にも自覚はない。ただ、フロレンティーナに従うだけだ。
そんな状況でも、多少は足掻いたことはあった。彼女の考えることの裏をかけたなら……と、けれど、そんな私の目論見をあざ笑うかのように、彼女は私を『悪役令嬢』にした。
いつのまにか校舎裏で取り巻きのような令嬢たちが居て、フロレンティーナを囲んで虐めていることになっていたり、階段から落ちる彼女を目撃したと思ったら犯人に仕立てあげられたり。
そんなことが続く数年間のどこかで、私はもうこの事態をどうにかすることを諦めてしまった。
何をしても無駄。何をしても変わらない。フロレンティーナの思うとおりに事は進んで行く。
……早く悪役令嬢として、断罪されたい。




