002 提案
「……いいえ! まさか。そんなわけはありません。すべて誤解なのです。ですが、私の話を聞いて貰えるような状況ではありませんでした」
そうだった。私の言葉に耳を傾けてくれる人なんて、誰も居なかった。
だから、絶望した。
どんなに言葉を重ねても、誰もわかってくれないと、心を閉ざした。
夜会中に、企んでもいない殺害未遂を突然告発されてフレデリックに婚約破棄された私は、こうして城から着の身着のままで路上に放り出されてて、国外追放されることになった。
それは、罪によって与えられた罰であるかもしれないけれど、私にとっては誰の味方も居ない世界からの解放を意味していたのだ。
「要するに、君は誰かに陥れられた……と? だから、婚約破棄をされてしまったと? ああ。そうだった。すまない。先に名前を聞こうか」
ヴィルフリートに矢継ぎ早に質問されて、そういえば名乗っていなかったと思い至った。とにかくお礼を言わねばと気が急いてしまって、すぐに事情説明に入ったからする暇がなかったのだ。
ヴィルフリートは姿を見せないことで、とても有名なのだ。彼が私のことだって知らないのも無理はない。
レイド公爵家の跡継ぎ嫡男だというのに、何故か社交界に出て来ないことで有名だった。
彼はウィルタリア王国にある聖竜騎士団の一員で、公爵家の跡取りという身分なのに竜騎士として勤務していた。だから、ウィルタリア王国貴族としての日々より竜騎士として過ごす時間が多い。
そして、ヴィルフリートは逆ハーレム内サブヒーローだし中盤を過ぎてからの登場なので、当然のことながら出番は少ない。
作中では私が婚約破棄された後に物語は一区切りして、ヒロインであるフロレンティーナは謎めいたドS竜騎士と出会い彼は恋に落ちるのだ。
……そういえば、思い出すとヴィルフリートの人嫌いの理由は作中でも謎のままで、明かされることはなかった。
「私は、ブライス・ルブラン。ルブラン公爵ヘンリーの娘です。ああ……本日、国外追放の罪を受けることになったので、もう貴族ではないかもしれませんが……」
……そうだった。私は悪役令嬢というよりも『元』悪役令嬢で、断罪されて終わった。
本当に良かったのだわ。これで……そうよ。苦しめられた役割から解放されて、もうどうにかしようともがくことはない。
「……いや、確たる情報を聞くまでは、それは判断しない方が良い。まだ何も聞いていないなら、どうなっているかわからんだろう。君の父君には、話は?」
「いえ。ルブラン公爵である父に会うことは、許されませんでした。オーキッド公爵令息より、これは王命だと……」
私は父に会うことも、ルブラン公爵邸へと戻ることすら許されなかった。だから、貴族令嬢なのに着の身着のままの状態で、城の外に出されることになってしまった。
とは言え、ルブラン公爵家から迎えの馬車が来ていない状態で、その理由はお察しなのかもしれない。
殺害未遂の罪で国外追放、挙げ句にその場に居た婚約者から婚約破棄をされ、家の恥として、私はきっと、家族にも捨てられてしまったのだわ……。
「もう一度聞くが、どうして、オーキッド公爵令息と婚約破棄になった? 貴族が犯した殺人未遂ならば、取り調べのために長い期間が掛かるだろう。それも、親にも会えぬ国外追放など聞いたことがない」
立ったままのヴィルフリートは、腕を組んで不機嫌そうだ。理解不能な事態を前に困惑しているのだろう。
そうよね。誰しもそう思うはずだ。けれど、仕方ない。
主人公は物語の中でただ唯一の『特別』なのだから。
「……私が聖なる力を持つ女性を虐めて……それに、毒薬で殺そうと画策したと……それは、許し難いことであると」
言いにくい……けれど、これが起こったことすべてなのだ。
ヴィルフリートは目を見開き、口に手を当てた。
「……やったのか?」
疑わしい目線を向けられて、私は慌てて首を振った。
「していません! ……けれど、私がどんなに否定しても、聞いてもらえる状況ではありませんでした。彼女は美しい聖女で、私の婚約者も特別視して心酔していました。何を言っても言い逃れだと思われてしまい、犯人にされてしまったのです」
彼女に恋をしているフレデリックには、操作があってもなくても、私が何を言おうが同じことだった。
『あの清らかなフロレンティーナが、そんなことをするはずがない。おかしいのは彼女を嫌うブライスだ』
誤解だった。すべて、誤解だったけれど、誰も私の言葉を信じてくれなかった。
婚約者……ああ。元婚約者の、フレデリックさえも。
「おい。冤罪だとわかっていながらも、逃げるのか? どういうことだ。通常であれば濡れ衣を晴らす方向だろう。簡潔に説明しろ」
理解し切れない状況に苛立ったのか、ヴィルフリートに鋭く睨まれて、私はふうっと息をついた。
こうなったら、彼に話してしまおう、すべてを。
国外へと逃れてしまえば、彼とはもう二度と会う事もない。フロレンティーナへ恋する予定の彼に『彼女の真実』を教えること。
これは……彼女への復讐になってしまうのだろうか。
「被害者であるはずの彼女から、私は以前から多くの嫌がらせを受けていました。聖女の世話係として選ばれたフレデリックと婚約者であったことが、気に入らなかったようで……そして、ついには殺人未遂罪の濡れ衣を着せられ、私はフレデリックから婚約破棄を宣言されて、その結果、こうして国外追放になりました」
私の話を聞いたヴィルフリートは、何か変な物でも食べたような顔をした。
「うわ……なんだよ。それ。聖女の世話係だと何だとしても、婚約者の女性を優先することは当然の話だ。あまりにも酷過ぎるだろう。何かをやり返すことは、不可能だったのか?」
「……無理です。彼女は清らかで美しくて……私の目以外には、ひとかけらの悪意も感じさせぬ天使に映るのです」
整った顔にはけぶる長い睫毛に無邪気な微笑み、名工の手による磁器人形のように、うっすらと紅色に色づいた白い頬。
ああ……私だけにとっては、恐怖の対象だった可憐な聖女。
「いやいや、あまりにも酷すぎる。俺が代理で、その女に復讐してやろうか?」
ヴィルフリートは好戦的な表情を浮かべて、フロレンティーナへの復讐を私へと提案した。




