019 無駄
私が居るから何も悪くないヴィルフリートまで、巻き込んでしまう。彼をこのまま、お尋ね者にするわけにはいかない。
……どうしてだろう。何をしても上手くいかない。幸せにはなれない。私はそういう運命なのかもしれない。
だって、ブライス・ルブランは悪役令嬢……ヒロインを虐めた罪で断罪されるのが、定められた役割なのに。
それなのに、救われたいだなんて、思った私がおかしかったのかもしれない。
私はヴィルフリートを黙ったままで見つめた。彼は言葉を掛けたのに、何も言わない私を不思議そうに見て居る。
優しい人だ。私のせいでこんなことになったのに、責めもしないし、むしろ気持ちがわかるとまで言ってくれた。
凜々しくも整った顔立ちに鍛えられた肉体を持ち、私に関わらなければ、何の問題もなく生きて行ける人だ。
命を救ってくれたヴィルフリートにお礼を言いに行こうと心に決めたあの時、彼をこれから巻き込むつもりなんて本当になかった。
だって、何をしても消えない黒い霧のようなフロレンティーナの悪意から、私はあの時逃げられたと思っていたのに。
「ヴィルフリート……私、貴方を不幸にしたくない」
「は?」
私の言葉を聞いてヴィルフリートは、呆気に取られた表情になっていた。
彼から見ればいきなり何言い出したんだと思ったのかもしれないけれど、私はかなり本気で思っていた。
このまま、ヴィルフリートに頼りっぱなしで良いの……? 私は彼に、何も返すことは出来ないのに。
「だって、私がヴィルフリートに関わらなければ、こんなことにならなかった! どうしてあの時、お礼を言おうと思ったんだろう……会わずに行けば良かった。そうしたら、こんなことにはならなかったのに」
もしかしたら、あの時もフロレンティーナが罠を張り巡らせていたかもしれないけれど、それも確たる証拠はない。上手くすり抜けていたかも知れないし、どうにかして、異国に行けば割と幸せに暮らしていたかもしれない。
「ブライス。落ち着けよ。待て待て……どうせ、私が居なければというマイナス思考にでも陥っているんだろう。それは、大間違いだから。とりあえず落ち着けって。向こうが全面的に悪いのは、誰が見ても明白なんだから」
ヴィルフリートは私が完全に興奮してしまっているのを見て、なんとか宥めようと真剣に言った。
「何をしても無駄なの! これまで、言葉を尽くしてもわかってくれる人なんて、居なかった! いつも私が悪いの! 私が……私が! もう、放っておいて!」
涙が溢れてきた。私だって好きで、こんな身分になった訳ではない。
フレデリックの婚約者になり記憶が蘇った時も、フレデリックとフロレンティーナが幸せになるなら身を引いても良いと思って過ごして居た。
けれど、フロレンティーナから『悪役令嬢を演じろ』と言われ必死でこなしたかと思えば、婚約破棄までされても、まだまだこんな風に邪魔される。
もう、本当に嫌になっていた。こんな自分も、こういう展開も、全部全部。
「いやー、何言ってんだよ。そんな訳ないだろ。俺が指名手配犯になったからか? 気にするなよ。すぐに容疑は晴れる。反逆を企んだこともなければ、証拠もない。しかも、そんな事になれば俺の父上とて黙ってはいまい」
ヴィルフリートは困った顔をして、宥めるようにそう言った。
その通りだろう。私だってそう思う。彼がここに逃げたのは、おそらくはこれを企んだフロレンティーナの意図がわからずに警戒して逃げただけだ。
彼はフロレンティーナに対抗出来る。けれど、それは私さえいなければ、しなくて良いことだったのに。
「もう良い……もう良いの!」
「おい。何がだよ。いい加減にしろよ。ブライス」
ヴィルフリートはイラッとした口調で言った。そうだった。彼は気が短い。私だって、それは知っている。
先んじて……知っているのだ。
「私さえ、居なかったら……ヴィルフリートはただ、聖女フロレンティーナを好きになるだけだっただろうし、それで良かったはずなの。私があのまま……大人しく国外追放されていたら……それならっ」
涙が流れた。ぽたりぽたりと音を立てて、地面に落ちていく。私はどうして、もっと早く諦めなかったんだろう。
もっと早く諦めていれば、誰も巻き込まずに済んだのに。
「お前、いい加減にしろよ! 俺があんな良くわからない女を、好きになるわけがないだろ!」
怒りの表情になったヴィルフリートは吠えるように言った。
……違う。それは、フロレンティーナよりも先に、私のことを知ったからだ。
フロレンティーナはヒーローたちの前では、完璧な聖女であるはず。
「……いいえ。私は知っているの。私が居なければ、ヴィルフリートはフロレンティーナのことを好きになるのよ。最終的には振られてしまうけれど、貴方は彼女のことが好きだったの!」
私はそう言い放つと、後ろを振り返って走り出した。名前を呼ぶ声が聞こえたけれど、それは無視した。
そうなの。私が私だけが邪魔者なの。それなのに、ヴィルフリートにわかってもらえると思って、何か勘違いをしていた。
私が駄目なの。助けてくれると思って甘えて、彼に迷惑を掛けているということに、気が付かないままで。
その時、ぬかるんだ地面に足が取られて、私はみっともなく転んでしまう! と思った。けれど、片足をついたのは冷たい水の中。
自分が川に落ちる水の音を、どこか他人事のように聞いていた。




