017 不穏
「屋上から背中を押されて落とされて、ヴィルフリートに助けてもらわなければ死んでいたかもしれない……と、そう聞いたが大丈夫なのか?」
「え……あ。そうです。ちょうど、ヴィルフリートが騎乗訓練中で……そうでなければ、私は助からなかったかもしれません」
オルランドはまるで私に確認するかのように聞いたので、何度か頷いて答えた。
どうして、彼が知っているんだろう? とは、不思議に思ったけれど、ヴィルフリートと彼が仲が良いのだから、情報共有していても不思議なことではないのかもしれない。
それも、あんなにも大きな出来事だったのだから。
「いや、そうか……人の目がある城の中で人殺しを企むなど、常軌を逸しているように思えてな。目撃して救助したヴィルフリートや被害者であるブライスを疑っているわけではないのだが、僕には理解しがたい事象だったから話しを聞きたかったんだ」
「それは……っ」
私は……私だけは、フロレンティーナが、それをしようとした理由を知っている。
『彼女』は聖女フロレンティーナの身体が本来持つ能力を利用して、人を操作することが出来る。
だから、屋上には私と彼女以外居なかったのだろうし、目視で顔を判別出来る距離に居る誰かも窓を見ていなかったはず。
元々、聖女に選ばれるような善性のある人であれば、悪辣な使用方法は決してしないはずだ。小説の中のフロレンティーナだって、そんな風に特殊能力を使う描写は見られなかった。
けれど、フロレンティーナに転生し、後天的に前世の記憶を取り戻した『彼女』は、聖女であることを最大限に利用しようとしている。
悲しいことに、その最大の被害者となったのは私なのだ。
「……ブライスは、何かを知っているのか?」
「いえ。その……」
ここでオルランドにすべてを打ち明けて良いものか、私は悩んでしまった。
どう言えば良いのだろう……何かを言ったところで、無実の聖女を貶めて自分をよく見せようとする悪役令嬢になってしまわないだろうか。
これまでも、そうだったのだ。誰かにフロレンティーナからされたことを打ち明けても、誰も信じてはくれなかったのだから。
「オルランド様! ……申し訳ございません。急ぎの知らせがございます!」
そこに、白髪の初老男性が現れて、彼の隣に居る私の存在を確認したのか、はっとした表情を浮かべていた。
「……悪い。ブライス。話の続きは、また今度聞かせてくれ」
緊急の知らせに眉を寄せたオルランドは、初老男性と共に温室を出て行った。
何か急を要する用件なのだろうけど、あんな風に誰かに迎えに来てもらうなんて、オルランドはやはり高官なのかもしれない。
◇◆◇
終業時間を迎え、私は仕事道具を片付けて聖竜騎士団寮へと帰ることにした。
ヴィルフリートはまだ帰っていないかもしれないけれど、同じ場所に住んでいるのだから、任務でどこかに行っていない限りはいつかは会えるはず。
いつも通り食堂に行けば、なんだか重苦しい空気が漂っていた。普段なら談笑して楽しげな笑い声が聞こえてくるのだけど、今日は何か悪いことでもあったのかもしれない。
……何なのだろう。その時、やけに嫌な胸騒ぎがした。
ヴィルフリートの部屋を訪ねても、扉を叩いても彼は居なかった。急な仕事で遅くなる時もあるだろうし、部屋に居ないこと自体はそうおかしなことでもないのかもしれない。
けれど、良くわからない嫌な予感がした。虫の知らせのような、そんな根拠のないものだけど。
オルランドを温室に迎えに来たあの男性、食堂での重苦しい雰囲気、それにヴィルフリートがまだ帰って来ていない。
……もしかして、ヴィルフリートに何かあった?
フロレンティーナには、ヴィルフリートは操作出来ない。彼の意志がとても強いからだと思う。
フレデリックは初期段階でフロレンティーナに好ましい印象を持っていたので、彼女に対する何もかもに肯定的なのだと思う。
ヴィルフリートには姉が居ると言っていたし、女性に対する耐性などもあるのかもしれない。
小説の中でヴィルフリートがフロレンティーナに好意を持ったのは、彼女が言葉の通り聖女に相応しい女性だったからだろう。
そうよ……フロレンティーナはもし、ヴィルフリートが自分の思い通りにならないと思えば、彼に何をするだろう?
自分の邪魔になる存在ならば、たとえ、サブヒーローであろうとも排斥するのではない……?
そう思い至った私は、慌てて食堂に行った。そろそろ遅い時間になったのもあって人が少なく、数人しかそこには居なかった。
「あの! ヴィルフリートは……ヴィルフリート・レイドさんは、何処に居ます?」
私の声を聞いた彼らは顔を見合わせ、短髪で精悍な顔つきの男性が立ち上がり、代表して答えてくれるようだった。
「あー。俺はここの団長だ。君のことは承知しているし、ヴィルフリートと恋仲だとか」
「いえ。恋仲ではありません」
私は神妙な顔で訂正を入れた。皆からそう見られていることはわかっているけれど、違うものは違うのだ。
団長は首に手を置いて、困ったように微笑んだ。
「そうかそうか。それで、君が探して居るヴィルフリートなんだが、ウィルタリア王国への反逆の意思ありとされて……今は、逃亡している。ここには居ない」
「……っ!!!」
私はあまりのことに驚き過ぎて、声が出なかった。




