016 待機
この世界に悪役令嬢ブライス・ルブランとして転生してからというもの、人心掌握術に長けたフロレンティーナにやられっぱなしで、私のことを少しでも理解しようとしてくれた人が誰か一人でも居たとは言い難い。
いまは両親は娘を助けようとしてくれているらしいけれど、私にとっては話が出来る人たちではなかった。
何故か、ヴィルフリートは可憐な容姿を持つフロレンティーナには、興味をまったく持ってはいないようだった。その理由はわからないけれど、私にとっては喜ばしいことに違いない。
ヴィルフリートは私の言ったことを、信じてくれる……フロレンティーナが何を画策していても、私のことをわかってくれる。
そのことが、どんなに嬉しいことか、たとえようもなかった。
けれど、彼は高所から落とされたことを怖がり私が泣いていると思っているようなので、困ったように背中をさするだけだった。
「泣くなよ。ブライス。もう大丈夫だから」
私自身にだってどうしてこんなにも涙が溢れてくるのか、よくわからない。
けど、ヴィルフリートは私がフロレンティーナにされたことを伝えても、頭ごなしに否定したりなんかしない。駄目なのは私のせいなのだと、突き放したりしない。
結局なかなか泣き止むことが出来ずに、聖竜騎士団の寮の近くへと降りて、ヴィルフリートは私を部屋へと送ってくれた。
そして、寝静まるまでは傍に居ると言ってくれて、その通りにしてくれた。
ヴィルフリートは……約束を守ってくれる。
暗い部屋の中で逆光に浮かぶ彼の影を見て、安心感を得て目を閉じた。
その日は、珍しく暗い闇が押し迫るような悪夢は見なかった。
◇◆◇
朝起きれば当然のことだけれど、ヴィルフリートは居なかった。
あれは、夢だったのかもしれないと思った。私にとても都合の良い夢。ようやく、理想の理解者が現れるという願いが叶った夢。
そこに、机に置き手紙があった『無理をしないように』。文字は男性らしく角張っていた。名前はないけれど、それはヴィルフリートのものだろう。
「……夢じゃなかった」
夢じゃなかった。ヴィルフリートは私の置かれている状況をわかってくれて、虎視眈々と狙うフロレンティーナにはきっと騙されない。
だって、彼は私を殺そうとしたフロレンティーナを、その目で目撃したのだから。
ほっとして胸に手を当てた。わからない。ここ数年間、わかってもらえない事が日常だったから、まだまだ現実感がない。
ううん。本来ならば、私の処遇について彼が王族に掛け合ってくれたと聞いた時に、彼を信じるべきだったのかもしれない。
ヴィルフリートはずっと孤立無援だった私の味方をしてくれる。
ほっと息をついた。ヴィルフリートにお礼を言えていない。彼を探さないといけないけれど、そろそろ庭師見習いとしての出勤の時間が近づいていた。
私も庭師見習いとしての仕事があるし、ヴィルフリートにも竜騎士の仕事がある。
今日の仕事が終わってから、彼を探しに行けば良いのだわ。同じ場所に住んでいるし、お城にいることは確かなのだから。
私は身支度をしてから朝食を済ませると、温室へと向かうことにした。
整然と広い温室に置かれた薬草たちは、今日もすくすくと育っている。
上司ジョニーに成長速度が早いと褒められ、これは私が喋りかけているおかげだと胸を張れば、彼は真面目な顔をして『それはそうかもしれない』と、妙に納得してくれていた。
庭師一筋の熟練の庭師も認めてくれることとなったので、私も心おきなく水やりをしながら、薬草たちに話し掛けることにしている。
温室で使う如雨露はさすが高級品で、霧雨のような細かな水になって出て来る。如雨露を揺らしながら水を掛けると、なんとなく薬草たちが喜んでいるように思えるのだ。
「……皆、良いこだね。元気に育ってね。いろんな人の、怪我を治してあげてね」
嬉しそうに見えるのは、気のせいだとわかっているんだけど……根拠なんてあるわけがなくて、すべてはなんとなく……なんだけど。
「ブライス。おはよう」
私は彼の声が温室の奥から不意に聞こえたことに対して、もう驚かなかった。
謎の文官オルランドは、この温室でよく昼寝をしている。起きて出て行く時に私が居ても、彼が急いでいると、ここに居ることが当然のように挨拶のみでいなくなってしまうこともあったからだ。
人けのない温室を格好のサボり場所だと思っていることは、間違いなかった。それにオルランドはヴィルフリートの知り合いでもあるので、怪しい人物であれば彼が既に排除しているはずだ。
「あ……お仕事、大丈夫ですか?」
今は仕事始めの午前中で、大抵の人は、一番に忙しい時間帯だ。
もしかして、オルランドはここで夜も眠っていたということ……家に帰ってベッドで眠ったら良くない?
「大丈夫だよ。ご心配をおかけして申し訳ないが、僕の仕事は書類を投げてからの待ち時間が長いんだ。ブライスにそう思われても仕方ないけど、別に日々仕事をしていないわけでもないよ」
私の疑わしげな視線に気が付いたのか、オルランドは苦笑してそう言った。
「いえ。それは良いんですけど……温室よりも、ご自分の部屋で眠った方が良くないですか?」
私は普通にそう思った。温室は温度が一定に保たれているけれど、ふかふかなベッドが用意されているわけでもない。
「いや、今日は実は、ブライスのことを待って居たんだよ」
「え? 私のことを……ですか?」
私が疑問を感じて首を傾げると、オルランドは苦笑いのままで頷いた。




