014 嫌な予感
私は薬草園で怪我に良く効く薬草を、多めに育て始めていた。なんとなく……戦闘職にある皆様に役に立って欲しくて。
「……早く大きくなってね。皆の怪我を治そうね」
水やりの時に声を掛けてあげると、本当に良く育つような気はしていた。
そして、ヴィルフリートから色々と聞いた後になっては、この温室へと私が配属になったのも理解出来るような気がする。
ここには日光が降り注がないし、屋外が職場のはずの庭師見習いになっても私の肌は白いままだった。貴族令嬢には日焼けは厳禁だから、今のままでドレスを着ても違和感はないはずだ。
だから、私は何も知らないままで、ヴィルフリートに守られていた。
それによくよく考えてみると、私の父母が娘の私をすぐに諦めるとは思えず、婚約破棄されて退場する流れだったとしても、その事件について再調査を依頼することに不思議はなかった。
国外追放だと城を追い出されて、私は命の恩人であるヴィルフリートへお礼を言うためにすぐに聖竜騎士団の屯所へと向かったけれど、それもきっと良かったのだ。
……もしかしたら、フロレンティーナはその後に、私をどうにかしようとしていた可能性だってあるもの。
あれは『彼女』にとって、予想外な展開だったに違いない。
もし、感謝を言いたいとヴィルフリートに会わなかったら……ゾワッと冷たいものが背筋を通り抜けて、私は首を横に振った。
「何を考えているのかしら。あの時はそうだったかもしれないけど、今はそうではないもの……悪いことは考えないようにしないと……」
私はそう思った。鬱々と悪いことを考えていれば、それはきっと、悪いものを連れて来る。わかっているのに。
……けれど、どうしても嫌な気持ちは拭えない。
ここ数年ずーっと延々付き合って来たものだから、それは仕方ないのかもしれないけれど……私が消したいと思って消えるものなら、既に消えているのだから。
◇◆◇
上司ジョニーに日誌を渡した帰り道、その姿を久しぶりに見た時、やっぱりそうだったと思った。
……だって、今日はなんとなく、悪い予感はしていた。
だから、それが当たったのだと思った。
昨日はフレデリックが来ていたし『彼女』もそれは、知っているはずだ。二人はお互いに信じ合い、誰よりも愛し合っているはずなのだから。
「久しぶりです……ブライス様」
城の広い廊下の真ん中でにっこりと微笑む、金髪碧眼の美少女は聖女フロレンティーナ……まるで天使のようだけれど。
……私には、まるで悪魔に思える人。美しい容姿を持つフロレンティーナの背後に見える昏くてどす黒い何かは、世界で私にしか見えないのかもしれない。
「フロレンティーナ……」
私は周囲を見回した。やっぱり……誰も居ない。
そうなのだ。私と彼女が二人になる時、必ず誰も居なくなる。
ああ。怖い……どうして、忘れられていたんだろう?
フレデリックから婚約破棄を宣言されて、やっと逃げられたと思ったのに。
「……まだ、元気そうで無事で良かったわ。フレデリックから話を聞くまでは、私はすぐに騙されて外国にでも売られているのかと思ったの。こうして無事な姿を見ることが出来て、とっても嬉しいわ。ふふふ」
「っ……」
愛らしい笑みを浮かべて語られる心配の言葉だけど、私にはそれに裏があることを良く知っている。
コツコツコツと可愛らしい足音が近付き、私へと近付いた。
「さっさと居なくなれば良いと思っていたけれど、居なくなったらそれはそれで、退屈なのよね。ここに居たのね……また会えてとっても嬉しいわ。ブライス」
「フロレンティーナっ……」
その時に私を見た彼女の目が合い、ゾッとしてしまった。
透き通るような、青い目の奥が昏い……深い闇。
「ふふふ。そんな風に嫌がらないでよ。私だって、傷ついてしまうわ」
鈴の鳴るような可憐な声なのに、私には地の底から響くような恐ろしい声に聞こえる。
余裕の微笑みを見せて、私の身体を下から上へと舐めるように見た。まるで、獲物を品定めするような猛獣だった。
これまでは私はドレス姿だったけれど、今は庭師見習いの格好をしているので、彼女はわかりやすく見下すような目つきになっていた。
「私にもう二度と、近寄らないで。私はもうフレデリックの婚約者でも、なんでもないのよ……婚約破棄された悪役令嬢なんて、用はないはずでしょう?」
彼女と私の関係性は、それだけのはずだ。フレデリックの婚約者である私は嫉妬に狂い、フロレンティーナに嫌がらせを重ね、彼女を毒殺しようとしたところがバレて、断罪されてしまう。
そうして、悪役令嬢ブライス・ルブランは退場してしまうはずなのだから、ここでもう会えなくなっても何の問題もない。
「あら! けど、ヴィルフリートと仲良くしているんでしょう? どうしてくれるの。ブライスのせいで彼に私が悪いイメージを持たれてしまうわ」
フロレンティーナは、胸に手を当てて悲しそうに言った。
そうだった……ヴィルフリートは、フロレンティーナが築く逆ハーレムの一員。それなのに、彼はいま私の味方をしている。
それが、フロレンティーナにとっては、とても面白くないはずだ。
「……ヴィルフリートは、私を助けてくれただけよ」
消え入りそうな声で私は言った。まだ、自分は良い。悪役令嬢として転生しこういう役目を背負わされたというなら、それはそれで仕方ないと思う。
けれど、これが原因でサブヒーローの一人であるはずのヴィルフリートに、何かされてしまったら……。
フロレンティーナは私の言葉には何も返さずに、無言のままで微笑んで去って行った。




