001 再会
「どうも、お待たせし……た? ……は!?」
ヴィルフリート・レイドは何気なく扉を開け、それと同時にソファから立ち上がった私を目に留めると動きが固まった。
私が彼と会うのは、これで二度目になるけれど……初回は慌ただしく、竜で飛行して去って行った。
そして、間近で見ると、これまでに思っていた以上に美青年だった。
切れ長の青い瞳と光を受けて輝く金髪に、鼻筋が通った凛々しく整った鋭利な面差し。とても背が高く鍛えられた肉体を持っていて、こうして目の前にすると驚くほどに素敵な男性だ。
けれど、ヴィルフリートがこうした美青年であることには、とある理由がある。
彼は小説『恋愛ゲームなんて、聖女の私には簡単です!』の中で、逆ハーレムを築く聖女ヒロインの相手役となる一人。
つまりは、彼はメインヒーローではないもののサブヒーローの一人なので、こうして外見が素晴らしく整っているのは当然のことだった。
しかし、こうして動きを止めてしまうと、息をしているのかと心配してしまうほどに、良く出来た人形にも思えてしまう。
とはいえ、驚き過ぎて動きを止めたヴィルフリートと、見つめ合っている場合ではないわ。
「あの……先日、命を助けていただいた者ですが……」
ヴィルフリートに会いに来た理由は、彼へとお礼を伝えることだった。ついこの前に巨大熊に襲われそうだったところを、近くで任務中だった彼が偶然助けてくれたのだ。
命の恩人に感謝も伝えずに異国へと去るなんて、死に際までの後悔になりそうだったから。
「いや……いやいやいや、待て待て待て。それは一旦、どうでも良い。まずは、何がどうしたんだ。その恰好は!」
おずおずと話し出した私の姿をひと目見て、明らかに驚いているヴィルフリートが早口で疑問を呈するのも無理はない。
私がいま着用している赤い夜会用のドレスは、みっともなく薄汚れていた。二日前から地下牢に閉じ込められた上に、兵士に乱暴に城から追い出されたからだ。
……着替えなんてする間もなく、このまま、ここへと来るしかなかったのだ。
「あ。これは……城を追い出される時に汚れてしまって。私はこの国を、すぐに離れなければいけなくて……けれど、どうしてもレイド様に感謝の言葉をお伝えしたく、失礼を」
命を助けて貰ったのだけれど、ヴィルフリートはすぐに騎竜で飛行して去ってしまった。
何もかも失って王都の路上に捨てられるように放置された私が、ふらふらとして歩き出して、この国を出る前にこれだけは……と思ったのが、彼に感謝を伝えることだった。
「そうではない……とりあえず、君の身には何が起こったんだ! 先にその理由を話せ。気になりすぎるだろう!」
眉を寄せたヴィルフリートは、イライラとした強い圧を込めて言った。これは彼の性格によるもの、作内ではドS竜騎士と称されるヴィルフリートだから仕方ない。
生来の基本属性がドSなので、私の反応が彼の思った通りではなかったから……きっと、気を悪くしたのね。
「その……私はフレデリック・オーキッドの……元、婚約者です。二日前に、夜会の途中で婚約破棄をされて……」
あ。そうだったわ。もう私は、フレデリックの婚約者ではなかった!
ああ……本当に良かった。安堵が広がった胸に両手を当てて、思わず息をついてしまった。
これまでにあった数多くの悪い出来事が頭をよぎり、背筋がゾクリとしてしまった私は、自分自身を抱きしめるように腕に手を回した。
ええ。ええ。そうよ。これで、良かったのよ。
本来、貴族令嬢ならば、死刑宣告に等しい婚約破棄だったとしても……あの人から、あの底の見えない闇のような黒い感情から、逃れられるなら。
「オーキッド……? ああ。オーキッド公爵家の……いやいや、待て。婚約破棄を、されただと? 婚約解消ならばまだしも、破棄はそうそう聞く話でもない。婚約破棄の理由は一体、何だ。貴族令嬢にとって致命的で、あまりにも非道。いい加減、詳しくさっさと話せよ」
圧の強い青い瞳で見つめられ、私はひくっと怯んだ。
『恋愛ゲームなんて、聖女の私には簡単です!』略して『れんかん』の悪役令嬢……つまり、私ことブライス・ルブランは、物語中盤でフレデリック・オーキッドから婚約破棄をされることが役割だった。
真っ直ぐな長い黒髪にまるで血の色にも似た深紅の瞳、けれど、姿は美しく妖しい魅力を醸し出す悪役令嬢らしい貴族令嬢。
それが、私。ブライス・ルブラン。
ブライスが悪役令嬢であることは、物語上既に決まっていることで、転生してフレデリックと婚約した当時に記憶を取り戻した私も、いつかは彼に婚約破棄をされるだろうと思っていた。
だって、『れんかん』は幼少期からすぐにヒロインが登場し、前世知識を持っている悪役令嬢でもつけいる隙なんてなかったのだ。
けれど、まさか……転生ヒロインに悪役令嬢であるブライスが虐められてしまうなんて、記憶を取り戻したばかりの私はまったく思いもしなかった。
ああ……そうだ。そうだった。婚約破棄は成された。私はもう、あの二人と関わらなくて良い。
「……私が……その、フレデリックと親しい女性を殺そうとしたと」
「は? 君は恋敵を……殺そうとしたのか?」
ヴィルフリートはまた、気分を害したように眉を寄せてそう言った。
「ち! 違います!」
ヴィルフリートは私にとって命の恩人だ。そんな人間を自分は助けてしまったのかと、後悔されたくはなかった。
それに、咄嗟に否定した私は、きっとずっと誰かに、自分の中にある『真実』を訴えたかった。
私は何もしていないと……そう訴えたかった。けれど、出来なかった。何をしても悪循環で、悪いのはすべて私だった。
この物語の中、転生ヒロインの希望通りに『悪役令嬢』という役割を、完璧に演じきったとも言える。
それに、今はもう真実を話しても許されると思う。
……だって、ここには『彼女』の目は届かないのだから。




