081・ヤーコウルの神狗
第81話になります。
よろしくお願いします。
「まず始めに、アルドリア大森林・深層部にあった、あの塔の遺跡は、400年前の古代タナトス魔法王朝の時代に建造された物でした」
うん、やっぱり。
僕は頷く。
「祀られていた神の名は、ヤーコウル。神魔戦争の時代に降臨された、女神の1柱です」
「ヤーコウル?」
ドクン
その名を聞いた瞬間、僕の心臓が跳ねた。
(いや、マールの心臓が、かな?)
でも、温かな、優しい感情が、胸の中いっぱいに溢れてくる。
なんだか、泣きそうだ。
思わず、心臓の上の服を、ギュッと握る。
「……それって、狩猟の女神ヤーコウル?」
聞き返したのは、ソルティスだ。
少女は、口に手を当てて、必死に記憶を探っている。
ムンパさんが、微笑んだ。
「フフッ、ソルティスちゃん、よく知ってるわね?」
「まぁ、神来録とか、読んでるから……。でも、どの文献でも、名前ぐらいしか出てこないマイナーな神様、ですよね」
「そうね。私も、一昨日、初めて知ったわ」
そ、そうなんだ。
……この、ちょっと寂しい気持ちは、なんでしょう?
「塔で見つかった本の中から、当時の神官の記した書物がでてきたわ。それで色々とわかったの」
「神官の記した書物?」
「えぇ」
彼女は、白い獣耳を揺らして頷き、
「あの塔は、その女神ヤーコウルの信者たちが暮らしていた場所でした。――ある目的のために」
「ある目的?」
驚く僕に、彼女は頷き、こんなことを言った。
「マール君は、『神狗』って言葉を知ってる?」
「しんく?」
トクン
胸の奥で、何かが反応する。
「狩猟の女神ヤーコウルには、忠実なる7匹の猟犬がいたの。それが『神狗』。神官の書物からは、神魔戦争でも、多くの悪魔やその眷属を殺したとあります」
「…………」
7匹の神の狗。
そして、僕の知る、7人の光の子。
ムンパさんは、話を続ける。
「神魔戦争が終焉し、神界へと帰る前に、女神ヤーコウルは、信者たちにこう言ったわ。――この地には、災いの種が残された。それが芽吹く時、『ヤーコウルの神狗』のための門が開かれる、と」
「もしかして……それが?」
気づいた僕に、彼女は頷いた。
「そう、あの石の台座よ」
…………。
そばにいる3人は、驚いたように僕を見ている。
ムンパさんは、言う。
「あの塔はね、その召喚された『神狗』のための住居だったの。信者たちは、その世話役としていたのね」
「…………」
「塔周辺の地面の中からは、畑を耕す道具や、井戸の痕跡なども見つかったわ。『魔学者』たちによると、多分、50人前後の人が暮らしていたと推測されています」
50人も……。
誰もいない廃墟だった塔を思い出して、なんだか不思議な気持ちになる。
「実際に稼働していたのは、およそ100年間。300年ほど前から、あの塔に人はいなくなっているわ」
「…………」
ソルティスが、呟く。
「ま、あんな森の生活じゃ、みんな、嫌になるわよね」
それはそうだ。
いつ起きるかわからない『災いの種』に備えて、神魔戦争を経験していない世代の人が、いつまでも女神の言葉を守るとは思えない。ちょっと悲しいけど、仕方のないことなんだろう。
イルティミナさんやキルトさんも、同じようなことを考えてる顔をしてる。
でもムンパさんは、白い髪を揺らして、首を横に振った。
「違うわ。人がいなくなったのは、そんな理由じゃない」
「……え?」
彼女は言った。
「今から300年ほど前に、実際に芽吹いてしまったのよ――その『災いの種』が」
は?
思いもよらぬ言葉に、僕らは4人とも、呆然となった。
◇◇◇◇◇◇◇
「その『災い』が何なのかは、わかりません。でも、それに反応して、『7匹の《神狗》が目覚めた』と神官の書物にあるわ」
「……神狗が、目覚めた?」
つまり、7人の光の子が召喚された?
(それも、300年も前に?)
3人は、僕を見つめる。
そして、イルティミナさんは、ムンパさんに聞いた。
「いったい、何があったのです?」
「詳しいことは、本当に書いてないの。ただ『黒き者』を滅ぼすために、『7匹の神狗』は現れた――そうあるわ」
黒き者……。
ふと、『闇の子』を連想してしまう言葉だ。
「『7匹の神狗』は、『黒き者』と戦ったわ。最終的には、『7匹の神狗』が勝っているみたい。でも……」
「でも?」
ムンパさんは、言い辛そうに言った。
「書物には、それまでに『《黒き者》によって《6匹の神狗》が殺された』とあります」
「…………」
心が冷えたのを、感じる。
(胸が……痛い、苦しい……)
きっと、『マールの肉体』が泣いているんだ。
仲間の死を悲しんでいる。
気づいたイルティミナさんが、一生懸命、僕の手を握りしめ、背中をさすってくれた。
(……ありがと)
僕は、顔を上げた。
ムンパさんは、痛ましげな表情で僕を見ながら、話を続ける。
「塔の周辺からは、信者たちと思われるたくさんの遺体も見つかりました。きっと、『神狗』と一緒に戦ったのね」
「…………」
「生き残った人も、いたかもしれないわ。でも、森の生活を続けるのは、環境的にも……そして精神的にも、厳しかったのかもしれないわね。代々の神官の書物も、そこで途切れています」
ムンパさんは、大きく息を吐く。
そして、僕を見る。
真っ白な美しい獣人さんは、紅い瞳に僕を映して、告げた。
「きっと、マール君は、その『神狗』の1人」
「…………」
「この世界には、今また、『災いの種』が芽吹いたのでしょう。私はそれが『闇の子』だと思っています。マール君は、その『闇の子』と戦うために召喚された……だから、その目には、姿を消した『闇の子』が見つけられたのだと」
…………。
そうかもしれない。
でも、
(僕は……不完全だ)
完全な『神狗』であるマールを、僕の自我が邪魔している。
僕の意識が……。
(この『僕』という存在が、世界を救う『神狗』の枷になっている?)
その事実に、心が震えた。
自分の足場がなくなっていくような、不安な感覚が襲ってくる。
と、その時、
ギュッ
「失礼ですが、ムンパ様? この子は、『神狗』ではありません。――私のマールです」
(……え?)
イルティミナさんが、僕を抱きしめていた。
ムンパさんが驚いている。
いや、キルトさんとソルティスも、同じようにポカンと口を開けて、僕を抱く彼女を見つめている。
「出自の理由も、正体も、関係ありません」
「…………」
「今、ここにいる彼こそが、この子の全て。私の大切なマールです。それ以外の重荷を負わせることは、ムンパ様であれ、そして、例え神であれ、このイルティミナ・ウォンが決して許しません」
凛とした、静かな気迫の声。
そして、
「大丈夫ですよ、マール? 貴方は、私が守ります」
僕に向けられる、いつもの優しい笑顔。
(……あ)
心の足場が戻った。
その温もりに、泣きたくなった。
イルティミナさんは、もう一度、強く僕を抱きしめて、頭を撫でてくれる。
「よしよし」
世界から責められる自分が、許された気がした。
キルトさんとソルティスが、頷く。
「そうじゃな。こやつは、わらわの大事な弟子じゃ」
「そうね。『神狗』でも何でも、どうせコイツは、私がそばにいないとダメダメな、ただのボロ雑巾だしね?」
そう言って、2人は笑った。
(……みんな)
僕も、つい泣き笑いになった。
ムンパさんは、そんな僕らを見つめて、そして柔らかく苦笑した。
「そうね」
彼女は頷き、
「ごめんなさいね、マール君。変なこと言って」
「ううん」
「貴方の人生は、貴方の物よ。マール君自身で選んで、望んだように生きてちょうだい」
優しい真っ白な獣人さんは、そう言うと、僕の頭を撫でる。
そして、
パンッ
と、両手を打ち鳴らした。
「はい、これでお話はおしまい」
そして、雪のような髪と尻尾をこぼれさせながら、ソファーから立ち上がる。
キルトさんは、目を丸くする。
「なんじゃ、話好きのそなたが、自分から話を切るとは珍しい?」
「フフッ、色々とあるのよ、私も。各方面と、たくさん調整しないといけないことがあるから」
「そうか」
頷き、キルトさんは、僕らを見る。
「では、わらわたちも暇を乞うかの」
「うん」
「はい」
「わかったわ」
パーティーリーダーの言葉に、僕らも立ち上がった。
ムンパさんが笑う。
「とにかく、みんな無事でよかったわ。しばらくは、ゆっくり休んでね?」
「うむ、そうしよう」
キルトさんが答え、僕らは歩きだす。
(…………)
僕は、ふと立ち止まって、真っ白な美しい獣人さんを振り返った。
ムンパさんは、キョトンとする。
「あの、自分じゃわからないけど、僕にできることがあるなら協力するから!」
「…………」
「僕は、みんなが好きだから、みんなを守りたい。そのために役に立つなら、なんでもするよ。――だから、いつでも言ってね?」
3人は驚き、苦笑する。
ムンパさんは笑って、頷いた。
「わかったわ。――ありがとう、マール君」
「うん」
僕も笑う。
そして、改めて、出口へと歩きだす。
優しく手を振るムンパさんに見送られながら、僕ら4人は、ギルド長室をあとにした。
◇◇◇◇◇◇◇
ギルド長室を出たら、窓の外は、もう夕暮れだった。
(……なんか、疲れたな)
強行軍で帰ってきたせいか、それとも、今の話のせいか、両方か、よくわからない。
ただ、妙に心も身体も重い感じだった。
前を歩くキルトさんが、振り返る。
「そなたら、これからどうする? 家に帰るか?」
「そうですね――」
イルティミナさんは、手を繋いでいる僕のことを、チラッと見た。
「いえ、もしよかったら、このままキルトの部屋に泊めてもらえませんか?」
「構わんよ」
頷くキルトさん。
ふと見たら、ソルティスも『よかった~』という顔をしている。
彼女も疲れていたんだね。
と、キルトさんは、荷物の中から部屋の鍵を取り出して、それをイルティミナさんに渡す。
「わらわは、一度、外出してくる。好きに使え」
「え?」
「おや、どこに?」
驚く僕らに、キルトさんは、寂しそうに笑った。
「エルに、別れの挨拶をしてこようと思っての」
……あ。
烈火の獅子エルドラド・ローグさんの遺体は、冒険者ギルド『黒鉄の指』にあるって、ムンパさんが言っていたっけ。
一瞬、僕も行こうかと思った。
でも、キルトさんの顔を見たら、邪魔をしてはいけないと感じた。
だから、
「いってくる」
僕らは黙って、金印の魔狩人の背中を見送った。
「…………」
「…………」
「……さて、キルトの部屋に行きましょうか?」
年下の僕らの背中に、ポンポンと触れて、ここで一番年長のイルティミナさんが笑いかけてくる。
「うん」
「そうね」
僕らは頷いて、キルトさんの部屋に向かった。
相変わらず、大きな部屋だ。
イルティミナさんは、さっそくキッチンを借りて、簡単なパスタ料理を作ってくれる。
いい匂い。
テーブルに、できあがった料理たちが並ぶ。
「いただきます」
「いっただっきま~す♪」
「はい、召し上がれ」
遅い昼食、あるいは早めの夕食を食べ始める。
モグモグ
(ん……美味しい)
なんだか、疲れた身体に染みていく感じだった。
そうして心が落ち着いたら、ふと先のことも考えてしまう。
「これから、どうなるんだろう?」
「さて? それを考えるのは、もっと上の人間たちでしょう。少なくとも私たちは、命じられるまでは動けません」
イルティミナさんが答えてくれる。
僕は、食事の手を止めた。
「そうなの?」
「『烈火の獅子』が亡くなりました。同じ金印であるキルト・アマンデスまで失わないように、ギルドだけでなく王国からも、行動に制約がかかるでしょう。『金印』の死とは、それだけのことなのです」
ソルティスも頷く。
「それに来週は、国王の生誕50周年式典があるもの。キルトも参加しなきゃいけないしね」
「そっか」
「つまり、しばらく私たちは、ゆっくりできるということです」
イルティミナさんは、そう穏やかに笑った。
(ゆっくり……か)
僕は、壁一面のガラスから、夕暮れの空を見る。
「ゆっくりしてて、いいのかな? 『闇の子』の脅威があるのに」
「…………」
「…………」
2人も、食事の手を止めた。
「マール? それは、『ヤーコウルの神狗』としての責任からですか?」
「…………」
どうだろう?
わからない僕には、答えられない。
イルティミナさんは、僕を見つめて、言う。
「マールは、マールです。それを忘れないでください」
「…………」
「人は、生まれを選べません。男か女か、どのような種族か、容姿でさえ、生まれながらに決められていることは多いですが、結局は、ただの個性にすぎません。――人は、そこにある自分だけが全てです」
僕は、彼女を見る。
「負うべき責任は、それまでの自分の人生分だけです」
「…………」
「それ以外は、無視しなさい。それでマールが責められるならば、その者たちから、私がマールを守りますからね」
イルティミナさんは、優しく笑う。
ソルティスも、頷いている。
2人は、『魔血の民』だ。
生まれながらに、悪魔の血が流れていると、人々に差別をされてきた姉妹だ。
(ここにいる自分が、全て……か)
人間でも、神狗でも、転生でも、不完全でも――僕は、もう僕でしかない。
少しだけ、肩にかかっていた重さが消えた。
僕は、笑った。
「ありがとう、イルティミナさん、ソルティス」
「いいえ」
「アンタは、真面目すぎ」
2人も、そんな僕に笑い返してくれた。
それから、イルティミナさんは、少し表情を戻して、
「それに『闇の子』に関しては、ギルドも王国も動いています。下手に私たちが手を出しては、その動きの邪魔にもなりかねません」
「……そうかな?」
「そうよ」
ソルティスが断言した。
手にしたフォークを僕の方に揺らしながら、
「ムンパ様が言っていたじゃない、シュムリア王国とアルン神皇国が、連携することになったって」
「うん」
「あれ、どう考えても、動きが早すぎるわ。私たちがオーガの報告をしてから、1月も経ってないのよ? きっと報告する前から、王国は『闇の子』について知っていて、色々と調査していたはずよ」
……え!?
イルティミナさんも頷く。
「ムンパ様も言っていました、『各方面と調整しなければ』と。恐らく、王国と関係の深い『聖シュリアン教会』も1枚、噛んでいるのでしょうね」
「…………」
そ、そうなんだ。
自分が『闇の子』関連の最前線に立っていたと思ってたので、ちょっと恥ずかしい。
(この世界の人も、みんな、すでに戦ってたんだね)
あの『闇の子』と。
「『キルトの右手』も、王立魔法院に提出されました。やがて、『人を魔物に変える力』に対抗する手段が見つかるかもしれません」
「そうそう。使う魔法式が判明したら、消えた姿を見破る方法だってわかるかもよ?」
2人は、言う。
そして、イルティミナさんが優しく微笑んで、
「しばらく待ちましょう。物事の解決には、時間が必要なこともありますから」
「うん、そうだね」
僕は、大きく頷いた。
そんな僕を、ソルティスは、じっとりした横目で見つめて、
「それにしても、『神狗』ねぇ」
「…………」
「ね、マール? しばらく時間もありそうだし、ちょっとだけ、そのマールの身体、私に研究させてよね?」
おぉ……。
「い、いいけど……痛くしないでね?」
「やった!」
「…………」
イルティミナさんがフォークを咥えたまま、停止している。
コホン
彼女は、1つ咳払いして、
「わ、私も、一緒に調べさせてもらっていいでしょうか?」
「え?」
「……駄目ですか?」
だ、駄目じゃないけど、イルティミナさんって、そういうのに詳しかったっけ?
ソルティスが、ちょっと呆れている。
「……ううん、いいよ」
「よかった」
嬉しそうなイルティミナさん。
(ま、いっか)
その笑顔を見たら、細かいことはどうでも良くなった。
――久しぶりの日常を味わいながら、僕は、この2人の姉妹と他愛ない話をしながら、食事を続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
食事を終えると、窓の外は、完全に日が暮れていた。
湖に建つ神聖シュムリア王城は、ライトアップされて、もう光の城となっている。
それを眺めながら、僕は思う。
(……キルトさん、遅いな)
彼女は、まだ帰ってこない。
ふと見たら、デザートを食べ終えたソルティスが、こっくりこっくり、舟を漕いでいる。
おやおや。
(彼女も、疲れて……ふぁ~あ)
おっと、こっちも欠伸が出てしまった。
「フフッ」
あ、イルティミナさんに見られてた!
は、恥ずかしい。
「2人とも、今日はもう休みましょうか」
「う、うん」
「ふぁ~い」
促されて、3人で一緒に客室に向かう。
ポフン
冒険者ギルドのスタッフさんが、ピシッと整えてくれた真っ白なシーツの、柔らかなフカフカベッドに横になった。
あ、ソルティスが、速攻でノックダウンされた。
「ふんが~」
いびきをあげる妹に、イルティミナさんが毛布をかけて、優しくその髪を撫でてやる。
それを眺める僕のまぶたも、重い。
(ふぁ……おやすみなさい)
そして僕も、温かな闇の中へと落ちていく。
その途中で、
「おやすみなさい、私のマール」
甘やかな彼女の声が、眠りゆく僕の耳を、優しく撫でていった。
…………。
…………。
…………。
ふと目が覚めた。
「…………」
まだ夜中だ。
ベッドから身体を起こすと、イルティミナさんが、なぜか同じベッドに寝ていた。
(隣に、自分のベッドがあるのに……もう)
苦笑して、でも、ちょっと嬉しい。
彼女を起こさないよう、僕の腰に回されていた白い腕を、ソッと外す。
更に隣のベッドでは、ソルティスが、なんか物凄い寝相をしていた。
どうやったら、こんな姿勢になるんだろう?
そんな姉妹を残して、僕は、客室を出た。
さっきまで食事をしていたリビングに行くと、そこにキルトさんがいた。
(…………)
月光に照らされる彼女は、美しい。
彼女は、灯りもつけず、ただテーブル席に座って、1人、壁一面のガラスから外を眺めながら、グラスのお酒を飲んでいた。
テーブルには、もう1つ、お酒の入ったグラスが置いてある。
その白い美貌には、いつもと違って、壊れそうな儚さがあった。
「……マールか?」
振り向かず、彼女は言った。
「うん。――おかえり、キルトさん」
「ただいまじゃ」
キルトさんは、ようやくこちらを見て、微笑んだ。
「どうした、こんな夜中に?」
「なんか、目が覚めた」
「そうか」
彼女は頷いて、
「少し、一緒に月でも見るか?」
「うん」
僕は答えて、彼女と同じテーブルの椅子に座る。
そして、テーブルに置いたままのグラスを見て、
「これは、エルドラドさんの分?」
「うむ」
彼女は苦笑し、それから、自分のグラスを一気に飲み干す。
僕は、近くにあった酒瓶を傾けて、空になった彼女のグラスに、琥珀色の液体を注ぐ。
キルトさんは、嬉しそうだった。
「すまんな」
「ううん」
僕は、首を振る。
「エルドラドさんには、無事に挨拶できた?」
「うむ」
別ギルドの者だったけれど、彼と同じ『金印の魔狩人』ということで、特別に面会を許してもらえたそうだ。
まるで眠っているみたいだったと、彼女は言った。
そして、またグラスをあおる。
僕は、お酒を注いで、聞いてみた。
「エルドラドさんって、どんな人だったの?」
「ふむ」
彼女は、少し考える。
烈火の獅子エルドラド・ローグ。
年齢は、33歳。
キルトさんと3つ違い。
髪と瞳が、燃えるような赤い色をした、大柄な男の人だという。
でも、笑う顔は、子供みたいなんだって。
恐ろしいほどに強くて、敵には容赦なく、けれど味方には、驚くほど情に厚く、どんな状況でも決して見捨てない。
「いい男であったよ」
キルトさんは、そう笑う。
その手のグラスを揺らして、中の琥珀色の液体が、ゆっくりと回っていく。
「年も近かったしの、若い時から、自他共に認めるライバルであった」
「ふぅん?」
黄金の瞳は、懐かしそうに細められる。
「エルがいたから、わらわも負けじと己を磨いた。今の強さまで届いたのは、あの男がいたからなのは、間違いない。それは、エルも同じかもしれぬがな」
「…………」
「金印になったのは、わらわが先じゃ」
その時の、奴の悔しそうな顔は痛快じゃった、とキルトさんは笑う。
そして、
「2年遅れで、エルが金印になった時、祝いをよこせと言われた」
「祝い?」
「うむ。――求婚された」
え?
(求婚って……えぇええっ!?)
驚く僕に、キルトさんは苦笑する。
「そんな顔をするな。男と女じゃ、そういうこともある」
「う、うん」
それで?
それで、どうなったの?
「わらわは、断った」
「どうして?」
「どうしてかの……しかし、その時のわらわにとって、エルはそういう対象ではなかった。特にアレは、女好きであったしな」
女好き?
「獅子と呼ばれるだけはある。当時から、ハーレムを作っておったからの」
「…………」
うわ~。
呆れるけど、男としては、ちょっと羨ましい。
キルトさんは苦笑しながら、グラスを傾け、
「本命は、キルトだと言っていたが、さて?」
「……本当かもよ?」
「ふむ、そなたにはそう見えるか?」
彼女は、小さく笑った。
そして、キルトさんは、大きく息を吐く。
「それから7年、エルとは、同じ『金印』として日々を戦った」
「…………」
「正直に言うとの、『金印』という肩書きは、とても重い。このわらわでもの。――エルは、その重さを分かち合える、唯一の男であった」
そう言って、窓の外を見る。
そのキルトさんの横顔は、とても悲しそうなものだった。
カロン
グラスの氷が解けて、小さな音を響かせる。
「エルドラド・ローグは、このキルト・アマンデスの戦友であった」
「…………」
戦友。
そのエルドラドさんが、死んでしまった。
今日まで見てきたけれど、『金印の魔狩人』のことを、みんなが頼りにしている。
すがられて、願われて、それに彼女も応えている。
でも、
(それじゃあ、キルトさんが苦しい時、彼女は誰に頼ればいいんだろう?)
僕は、彼女を見る。
彼女はただ寂しそうに、テーブルに置かれたグラスを見つめていた。
…………。
「一度、会ってみたかったな、そのエルドラドさんに」
「……ふむ、そうか」
キルトさんは、小さく笑った。
「わらわも、会わせたかったの」
「うん」
僕らは、笑い合った。
そしてキルトさんは、何かを吹っ切ろうとするように、またグラスの中身を一気に飲み干す。
熱い吐息をこぼす。
僕は、そのグラスにお酒を注いだ。
キルトさんは、いっぱい教えてくれた、エルドラド・ローグさんのことを。
僕は、それをいっぱい聞いた。
今の僕がキルトさんにできるのは、それだけだった。
――心が傷ついて、泣いている金印の魔狩人のそばに、ただ一緒にいてあげることしか、できなかったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




