007・イルティミナ・ウォン
第7話になります。
よろしくお願いします。
色々と諦めた僕は、隠れていた女神像の後ろから出る。
イルティミナと名乗ったその女の人は、そんな僕へと近づくと、ゆっくりと床に片膝をついた。
子供の僕を威圧しないように、目線を下げてくれたんだ。
(うん……やっぱり、いい人かも)
マール査定の評価を上げる、お姉さん。
その桜色の唇が開いて、
「マール、また教えて欲しいのですが……」
「?」
首をかしげる僕の前で、その真紅の瞳は、ゆっくりと礼拝堂の中を見回した。
「ここに、なぜ私がいるのか、貴方は知っていますか?」
あ、そうか。
イルティミナさんにしてみれば、森で倒れたはずが、目が覚めたら突然、この見知らぬ場所にいたんだ。
(それは、びっくりしたよね)
そう納得しながら、僕は、素直に頷いた。
「うん、知ってる。僕が、ここまでイルティミナさんを運んできたんだ」
「……貴方が? 私を?」
彼女は、目を丸くする。
どう説明したものか、僕は悩んだ。
(あ、そうだ)
「こっち来て」
「?」
不思議そうなイルティミナさんを手招きしながら、僕は螺旋階段へと駆けていった。
◇◇◇◇◇◇◇
「これは……っ」
見張り台の眼下に広がる、広大な森の世界を見つけて、イルティミナさんは驚きの声を漏らした。
(あは、いい顔するなぁ)
なぜか、ちょっと嬉しい。
僕は、そんな彼女の腕を引っ張って、ちょうど反対側にあった巨大な崖の方を、小さな指で示した。
「あそこ、崩れているのがわかる? 僕は、あそこでイルティミナさんを見つけたんだ」
「あれは……トグルの断崖」
(……トグルの断崖?)
そういう名前の崖だったのかな。
吹き抜ける風が、彼女の美しい髪を長くたなびかせる。
それを手で押さえながら、彼女は、しばらく自分の発見場所となった崖の部分を見つめていた。
「そうですか……私は、森の深層部に落ちてしまったのですね」
独り言のような、小さな呟き。
それから、彼女は僕を見た。
さっきまでと違って、少し怖い表情だった。
「マール」
「ん?」
「もしや、そこには赤い竜がいませんでしたか?」
(赤い竜というと、あれかな?)
僕は頷いた。
「いた。死んでた」
「…………。そうですか」
僕の答えに、彼女は、とても安心したように息を吐いた。
(え……まさか?)
その反応に、僕はふと思ってしまった。
恐る恐る、訊ねてみる。
「あの……もしかして、あの竜をやっつけたのは、イルティミナさんなの?」
「はい」
当たり前のように頷くお姉さん。
(えぇえええ、本当に!?)
衝撃の事実に、まじまじと、その美貌を見つめてしまう。
この綺麗なお姉さんは、その美しい見た目に反して、思った以上の武人さんだったようだ。
正直、信じられない。
いや、嘘を言っているようには見えないんだけれど、見た目とのギャップが大きすぎて、すぐには受け入れられなかったんだ。
僕の視線に、イルティミナさんは、少し困ったように笑っていた。
やがて表情を改めて、
「私を見つけた時、そばに白い槍は落ちていませんでしたか?」
こんなことを訊ねられた。
(白い槍?)
「私の槍です。先端の方に、鳥の翼のような大きな飾りが付いているのですが、見ませんでしたか?」
キョトンとする僕に、手ぶりも交えて説明する。
(…………)
僕は、首を横に振った。
「ごめんなさい、覚えてない」
「…………」
「僕が見つけた時、イルティミナさんは大怪我をしていたんだ。それで……他のことなんて、気にする余裕はなかったから」
「大怪我……」
彼女の白い手が、自分の脇腹に触れた。
その部分の鎧には、大きな穴が空いていて、その下にある白い素肌が見えてしまっている。
イルティミナさんは、その傷口を見つめ、それから僕を見る。
「貴方が治してくれたのですか?」
「…………」
「赤牙竜に不覚を取り、その牙でここを貫かれたことは覚えています。もしや、マールは、回復魔法が使えるのでは?」
「ううん、違うよ」
変な誤解をされないよう、はっきりと否定する。
「助けたのは、それ」
僕の小さな指は、イルティミナさん自身を示す。
正確には、その大きな胸の谷間にある『灰色の石』のペンダントだ。
「これは……?」
その存在に気づいていなかったらしい彼女は、白い手にそれを取る。
数秒、それを見つめ、
「え……? まさか、これは『命の輝石』!?」
驚愕の表情で叫んだ。
信じられないものを見つめる顔で、色々な角度から眺めて、やがて大きく息を吐いた。
「……間違いありません、本物です」
凄い反応だった。
(もしかして、貴重なアイテムだったのかな?)
よくわからない僕は、首をかしげてしまう。
でも、それを伝えた以上、僕は、やっぱり自分の罪も告白しなければいけなかった。
「ごめんなさい、イルティミナさん」
「……え?」
謝る僕を、彼女は驚いたように見る。
僕は言った。
「あの時、僕は何もできなくて。……そのペンダントに任せて、大怪我したイルティミナさんが死ぬのを、そのまま待っていたんだ」
「…………」
イルティミナさんは生き返った。
でも言い換えれば、それは彼女を一度、見殺しにしたということだ。
(…………)
怒られるだろうか?
呆れられるだろうか?
軽蔑されるだろうか?
心の中では、不安がいっぱいだった。
うつむいた顔が上げられない。
でも、僕は甘んじて、その怒りを受けなければならないと思った。
沈黙が落ちる。
穏やかな陽光の差し込む見張り台なのに、僕には、とても暗いように感じられた。
「頭を上げてください、マール」
美しい声がした。
緊張しながら顔を上げると、そこには優しく微笑むイルティミナさんの姿があった。
「それでは、マールは、死んでしまった私を、こうして生き返らせてくれたのですね」
「いや、それは――」
僕じゃなくて、そのペンダントが。
ギュッ
そう続けようとした僕の身体が、突然、イルティミナさんに抱きしめられた。
(……え?)
「ありがとう、マール」
白い手が、優しく髪を撫でてくれる。
「こんな見知らぬ女のために、貴方は『命の輝石』を使ってくれた。私を助けてくれた」
「…………」
少しだけ身体が離れる。
僕の両肩に白い手を置いて、その真紅の瞳は、真っ直ぐに僕の青い瞳を見つめた。
「このイルティミナ・ウォンは、その恩を決して忘れません」
ギュッ
また抱きしめられた。
(…………)
触れ合う身体が温かかった。
その優しい声に、心が震えた。
突然、異世界の森に転生してから、ずっと1人ぼっちだった心に、その人肌の温もりはとても懐かしかった。
(……っ)
その胸の中で、僕は少しだけ泣いてしまった。
ご覧いただき、ありがとうございました。




