645・魔猿神
第645話になります。
よろしくお願いします。
僕とイルティミナさんは、すぐに装備を身に着けて家を出た。
今回は、僕もフル装備だ。
防具に関しては、前もって『金属の胴当て』を購入しておいた。
重量はあるけれど、大人の体格と筋力になった僕には、それを装備しても充分に動ける重さだった。
家の前には、竜車が停まっていた。
僕ら5人はそれに乗り込み、すぐに出発する。
ガラガラ
王都の通りを走り、正面大門を抜けて街道を走りながら、キルトさんから詳しい説明をしてもらった。
「クラダ渓谷じゃ」
そこが、逆探知で判明した場所だそうだ。
王都からは、竜車で2日の距離。
あの『王立魔法院』が総力を挙げて逆探知に成功した結果、呪いの大元となる『呪いの祭壇』はそこにあると確定したのだそうだ。
ただ、問題も1つ。
そのクラダ渓谷には、天然の洞窟が200個以上もあるんだって。
(……200個以上!?)
その数に驚いた。
つまり、その200個以上もある洞窟の1つに『呪いの祭壇』が隠されているのだ。
しかも、猶予は1日。
…………。
その絶望的な状況に、話を聞いた僕は茫然となり、さすがのイルティミナさんも顔色を悪くしていた。
「希望は捨てるな」
キルトさんは、力強く言った。
そして、
「レクリア王女の計らいで、クラダ渓谷の探索に3000名の王国兵が動員されることになった」
と、思わぬ言葉を続けた。
3000名って……。
それは、もはや軍事行動の人数だ。
唖然となる僕に、
「王国も本気なのじゃ。大恩ある『神の狗』を助けようとしての」
キルトさんはそう笑った。
…………。
僕のために……そこまでしてくれるの?
ソルティスが肩を竦めて、
「アンタがしてきたことへのシュムリア王国なりの答えなんでしょ? ま、素直に喜んでおきなさいよ。よかったじゃない」
と、からかうように笑った。
少女の隣で、ポーちゃんも『うんうん』と頷いていた。
……なんだか、胸が熱い。
ギュッ
と、僕の手を、白い手が強く握った。
顔をあげると、イルティミナさんが僕の手を握ったまま、泣きそうな顔で微笑んでいた。
僕を見て、大きく頷く。
(……うん)
僕も笑って、頷きを返した。
…………。
ここまでしてもらえたことは、きっと忘れない。
もし間に合わなくて、僕が死んでしまったとしても……きっと笑って死ねると思ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
それからの2日は、あっという間だった。
冷たい風が吹き、雪の積もった岩石土壌の大地の裂け目が、到着した僕らの前に広がっていた。
ここが『クラダ渓谷』。
その岩の壁面には、なるほど、いくつもの横穴があった。
洞窟は、短いものでは数十メード、長いものでは2万メード(20キロ)もの距離があるそうだ。
3000名の王国兵はすでに到着していて、洞窟の調査に入っているという。
たくさんある洞窟の手前には、探索中の赤い旗、未探索の白い旗、探索済みの黒い旗が立てられて、冬の風にバタバタとたなびいていた。
見る限り、ほとんどが赤と黒の旗だ。
でも、白い旗も、まだ40~50本ほどはためいていた。
あと1日。
それが、僕が死ぬまでのタイムリミットだ。
それまでに『呪いの祭壇』を発見し、破壊しなければ……。
(…………)
間に合うかどうか、本当にわからない。
でも、見つけるんだ。
これだけ大勢の人が協力してくれているんだ――その思いに応えて、生き残ってみせたかった。
何よりも、
チラッ
僕は、自分の隣に立つ白い槍を手にした美女を見た。
何よりも……彼女のために。
キルトさんが言う。
「この白い旗の洞窟の1つを選び、わらわたちも中へと入るぞ。やり直せる時間は、そうない。入ったならば、できる限り早く踏破するぞ」
「うん」
僕は頷いた。
すると、みんなが僕を見た。
どの洞窟を選ぶのか……その決断は、僕自身に任せてくれるみたいだ。
…………。
僕は直感に優れている、らしい。
自覚はないけれど、みんながそう言うんだ。
今回も、その直感で『呪いの祭壇』のある洞窟を選んでみせろ、ということなのだろう。
(……よし)
僕も自分の命がかかっている。
真剣に、無数の洞窟たちを見つめた。
…………。
ん、あれにしよう。
何となく、この渓谷の中で1番暗いような、黒いような気配が漏れている気がするんだ。
……もちろん、気のせいかもしれない。
でも、迷う時間も惜しい。
「あの洞窟に」
僕は、その洞窟を指差した。
キルトさん、イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんの4人は反対もせず、頷いた。
近くにいた王国兵さんに声をかけ、白い旗を赤い旗に交換してもらう。
ザシュッ
赤い旗がはためいた。
それを見届け、
「よし、では行くぞ!」
キルトさんが号令をかけた。
僕らは頷き、そして、その真っ暗な洞窟の中へと入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇
ランタンと魔法の『光鳥』の灯りを頼りに、洞窟を進んでいく。
内部は、結構、広い。
天井までは5メード、横幅も3~4人が並んで歩けるほどの広さがあった。
天井と地面には鍾乳石が伸びていて、岩盤の表面には水滴が流れ、天井からポタポタとこぼれたり、足元に水溜まりを作ったりしていた。
入り口付近は、凍っていた。
けれど、奥に進むと内部はそこまで空気が冷えていなくて、凍った箇所は少なかった。
もちろん、寒くない訳ではないけれど……。
また、洞窟には魔物もいた。
暗闇に適応したのか、目のないサンショウウオのような魔物や体毛のない猿のような魔物、大蝙蝠の魔物などが、僕らの持つ灯りに誘われたのか、襲ってきた。
「ぬん!」
「はっ!」
それらは、お姉さん組2人の大剣と白い槍が簡単に倒していった。
僕の出番はなかった……。
というか、2人とも、僕に戦わせないようにしているみたいだった。
(…………)
僕は、剣の柄を握る指に力を込める。
……弱い。
先日、ゴブリン討伐をした時に比べて、握力が弱まっていた。
生命力の低下。
その影響なのだろう、僕の肉体には重い疲労が常にあって、力があまり入らない状態になっていた。
多少、戦闘力は落ちるだろう。
でも、戦えないほどじゃない。
そう感じているんだけど、
「いけません。戦闘で体力を使えば、それだけ生命力も消耗します。もし戦いたいのならば、その力は『呪いの祭壇』を破壊する直前まで温存しておいてください」
と、イルティミナさんは言った。
キルトさんも同意するように「うむ」と頷いた。
僕を見据えて、
「恐らく、そこにはこの事件の犯人たちもいるじゃろう。その者たちとの戦いまで、体力は蓄えておくのじゃ」
と命じてくる。
…………。
正直、2人に任せっぱなしなのは情けない。
けれど、
「何、この程度の魔物は、私とキルトの2人でも充分ですよ。どうか私たちを信じてください、マール」
そう僕の奥さんに微笑まれたんだ。
……そこまで言われては、僕も頷くしかなかった。
確かに、2人は強い。
僕よりも、ずっと。
なら、この洞窟に現れる魔物ぐらいならば、相手にならないのもわかっていた。
うん、任せよう。
「ごめん。お願いします、イルティミナさん、キルトさん」
「はい」
「うむ、任せよ」
2人の年上の美女は、頼もしく笑ってくれた。
その姿が眩しい。
2人の背中に青い目を細めていると、
パシン
ソルティスが僕の背中を叩いた。
「ほら、さっさと行くわよ? とっとと呪いを解いて、チビに戻んなさいよね」
と、小馬鹿にするように笑った。
彼女なりの励ましなのだろう。
全くもう……。
彼女は「ふん」と鼻を鳴らして、スタスタと歩いていく。
パシン
僕の腰がもう1度、叩かれた。
今度は、ポーちゃんだ。
真似っ子らしく、相棒の少女のように僕を励まして、無言のままソルティスを追いかけていく。
彼女たちの背中を見つめる。
…………。
心に気合を入れ直して、僕は頼れる仲間たちのあとを追いかけた。
◇◇◇◇◇◇◇
洞窟を歩き始めて、1時間ほどが経った。
距離にして、2~3キロは進んだだろうか?
現れる魔物を倒して、奥へ、奥へと向かっていると、不意に先頭を歩いているキルトさんが足を止めた。
「む……」
そのまま、地面にしゃがむ。
指でその箇所を触り、
「人の足跡じゃ」
と呟いた。
(え?)
現役の『金印の魔狩人』であるイルティミナさんもしゃがみ、その場所を確かめて「間違いありませんね」と頷いた。
こんな洞窟に、人の足跡……?
もちろん、王国兵ではないだろう。
となれば……。
僕らは顔を見合わせた。
ソルティスが呆れたように僕を見て、
「アンタのその強運、本当、どうなってんのよ? 200分の1以下の確率を1発で引き当てるんだから、有り得ないわぁ」
なんて言う。
(そう言われてもね?)
でも、僕も苦笑してしまう。
正直、神狗としての直感だとしても、こうまで当たると自分でも怖いぐらいだった。
キルトさんは、洞窟の奥を見据える。
「どうやら、当たりじゃな」
と告げた。
恐らく、この先に『呪いの祭壇』とそれを作った犯人がいるのだ。
イルティミナさんも頷いた。
僕を見て「さすがマールですね」と微笑む。
グギュッ
それから、犯人の足跡を思いきり踏みにじり、
「さて、私の大切なマールに呪いをかけ、死の恐怖を与えた罪人を狩りに参りましょう。決して楽に殺してはやりませんよ……ふふっ」
と、氷の冷笑を浮かべた。
……こ、怖ぁ。
犯人ではないのに、僕の背筋もゾクゾクしちゃったよ。
ソルティスも青い顔だった。
…………。
それから、僕らはより慎重に、気配を殺しながら奥へと向かった。
そして、およそ15分後。
(……あ)
洞窟の先に、僕らとは違う灯りの輝きが見えた。
僕らは、自分たちの灯りを消す。
足音を立てないように注意しながら、そちらへと向かい……そして、その先でついに『呪いの祭壇』を発見したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
青白く濡れた洞窟の行き止まり。
体育館ほどの広い空間に、石と木と、そして、人骨で作られた巨大な祭壇があった。
祭壇の中央には、巨大な3つ目の頭蓋骨があった。
人の物ではない。
そして、祭壇の真下には直径15メードほどの魔法陣が血液によって描かれているみたいだった。
ポワッ
魔法陣は、淡く光っている。
そこから人魂のような小さな光が無数に浮き上がり、巨大な3つ目の頭蓋骨に吸い込まれていった。
(……あれは)
感覚的にわかった。
あの人魂みたいな光が『人の生命力』なんだ。
この『呪いの指輪』を通して装着者の生命力が吸われ、この魔法陣へと届けられ、それがあの3つ目の頭蓋骨へと集められているのだ。
魔法陣の周りには、黒フードの人物が7人集まっていた。
全員が跪き、祈りを捧げていた。
それを見て、
「邪教の信者だわ……」
ソルティスが呟いた。
(……邪教?)
僕らは博識の少女を見る。
彼女は嫌悪感を隠さない表情で、7人の黒フードを睨んでいた。
「大昔からいるのよ、神々に反発して魔を崇拝する破滅願望の奴らが……。しかも、生贄とか平気で使って、魔術的な破壊行為を行う頭の狂った連中よ」
魔を信奉する人……ってことか。
価値観は色々だ。
僕は『神狗』だけど、神々を信じない人がいたって悪くはないと思ってる。
(でも……)
他人を犠牲にしたり、破壊行為をするなら話は別だ。
その行いは見過ごせない。
イルティミナさん、キルトさんも同じ表情だ。
ソルティスは、
「お人好しマールに言っとくけど、説得は無駄よ? それが通じない相手だから『邪教の信者』なんて呼ばれてるの。覚悟を決めて」
と忠告した。
うん……。
僕は頷いた。
価値観が違い過ぎて、言葉が通じない相手はいる。
悲しいけど、辛いけど、お互いの大切なモノのために、剣を手にして向き合わなければいけない相手も世の中にはいるんだ。
深く息を吐き、覚悟を定める。
イルティミナさんが僕の心を労わるように、僕の背中に手で優しく触れてくれた。
(ん……)
ありがとう、イルティミナさん。
キルトさんが黄金の瞳を細め、
「あの祭壇で、連中は何をやっておるのじゃ?」
と聞いた。
ソルティスは、祭壇の下にある魔法陣を見つめる。
しばし考え、
「多分だけど……何かの召喚の儀式じゃないかしら? 集めた生命力を代償に、あの頭蓋骨を媒体として何かを呼ぼうとしているんだわ」
そう推測した。
何か……それはきっと、碌でもない存在だろう。
(そんなもの、呼ばせちゃいけない)
そう思った。
他の4人も、同じように考えたみたいだ。
その表情と眼差しから、それが伝わってきた。
僕らは頷き合う。
それから、僕は、自分の両手を『大地の剣』と『妖精の剣』の柄に当てた。
カシャ
4人も、それぞれの武器を握る。
今度は、僕も戦うぞ。
深く、静かに決意を固めて、僕ら5人は『邪教の信者』たちの方へと走り出した。
◇◇◇◇◇◇◇
「!? 何者だっ!?」
僕らの登場に『邪教の信者』たちは驚きの声をあげた。
けど、向こうもわかっている。
武装した冒険者5人が、自分たちに武器を向けて近づいてきているんだ――すぐに敵だと認識された。
ヒュバッ
7人の手が揺らめき、その指に填められた指輪の魔法石が煌めいた。
放たれるのは、魔法の矢。
その数は100本を越え、まるで白光の雨と化して洞窟内を明るく照らした。
けど、甘い。
「はっ!」
僕は2つの剣で、自分に向かってくるそれを全て斬り裂いた。
バシュッ バシュシュッ
魔法の矢は、光の欠片となって次々と砕けていく。
キルトさんの『雷の大剣』、イルティミナさんの『白翼の槍』も同様に魔法の矢を砕いていく。
ポーちゃんも相棒の少女を背後に庇いながら、神気に輝く白い拳を繰り出して、魔法の矢たちを次々と叩き潰していった。
連中は「なっ!?」と驚いた顔だ。
「おのれ……!」
黒ローブのフードを外して、7人の内の1人が怨嗟の表情で両腕を振るった。
あ……。
それは、10日前、僕に指輪を売った屋台の老婆さんだった。
あの飄々とした笑みは消え、今、彼女のしわがれた顔には醜く歪んだ悪意が溢れていた。
ドパァン
彼女の放った魔法は、僕らの眼前で炎の爆発を起こした。
「く……っ」
足を止められる。
他の6人も、同じように炎の爆発を起こして、僕らの接近を阻むようにした。
けど、それも時間の問題だ。
爆発の炎が消えたら、その間隙を縫って、僕らは彼らを斬り捨てられるだけの技量があるのだから。
その数秒を待つ。
けれど、その数秒の間に、予想外のことが起こった。
僕らが足を止めた瞬間に、7人の『邪教の信者』たちは狂気の笑みを浮かべながら、ローブの内側から短剣を取り出したのだ。
それは逆手に握られ、
ドシュッ
彼らは、その刃を自らの肉体へと突き立てた。
(!?)
鮮血が溢れ、足元の魔法陣にこぼれていく。
老婆が、口から血をこぼしながら、
「くくくっ……さぁ、蘇りくださりませ、偉大なる魔猿神様……この世の全てに破壊と死の安寧を……っ」
ドサッ
そのまま地面に倒れ、絶命した。
突然のことに、僕らは茫然と動きを止めてしまった。
直後、7人の『邪教の信者』たちの血と生命力を吸った魔法陣は、一際強く光り輝き、それは巨大な光の奔流となって巨大な3つ目の頭蓋骨へと吸い込まれた。
ソルティスがハッとして、
「やばっ! 自分たちの生命で、強引に召喚を完了させたんだわ!」
そう叫んだ。
その意味を理解して、けれど、僕らの反応は遅れてしまった。
動く前に、『呪いの祭壇』が崩れ落ち、巨大な3つ目の頭蓋骨だけが空中に浮かんでいた。
頭蓋骨が光り輝いている。
その光は周囲に渦を巻き、何らかの形を形成していた。
それは、肉体だ。
3つ目の頭蓋骨を中心として、光は半透明の巨大な肉体となり、やがて、その輝きが消えていった。
シュウウウ……ッ
白煙が、薄暗い洞窟内に流れていく。
「…………」
僕は息を呑む。
その煙の向こうに現れたのは、受肉した3つ目の巨大猿だった。
体長は4メード強。
漆黒の体毛が全身を包み込み、頭部からは鋭利な角が4本、前方へと突き出すように生えていた。
パチッ パチチッ
角の間で、黒い放電が散っていた。
……あぁ、知っているぞ。
その強烈な『魔の気配』に、僕はすぐにその正体を理解した。
――魔界生物。
あの『悪魔』が存在する魔界に生息している生命体であり、恐るべき強さを持った生物の1種なのだと『神狗』の感覚が訴えていた。
ギョロリ
金色の3つの眼球が動いて、僕ら5人を見つめた。
凄まじい『圧』だ。
「っっ」
下っ腹に力を込めて、それに抗う。
僕は左右の手にある2つの剣を、奴へと構えた。
キルトさん、イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんもそれぞれの武器を構えて、戦闘態勢を取った。
そんな僕ら5人へと、
ズシン
漆黒の『魔界生物』は、強烈な殺意と共に巨大な足を踏み出してきた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




