635・水守の亀
第635話になります。
よろしくお願いします。
この異世界に転生してからだいぶ経つけれど、『喋る亀』に出会ったのは初めてだった。
僕は、咄嗟に何も答えられなかった。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティスの3人も驚いた表情で固まっていた。
ポーちゃんは無言、無表情。
そんな僕らの反応に、小亀さんは首をかしげた。
『おや、どうしました? 神龍様、神狗様?』
そう問いかけてくる。
(…………)
この小亀さんは、僕とポーちゃんを知っているの?
あ……そういえば、400年ぶり、とか言っていた気がする。
つまり神魔戦争の時代の僕ら、マールとポーではなくて、神狗アークインと神龍ナーガイアの知り合いなのかな?
僕には記憶がない。
でも、ポーちゃんなら知っているかもしれない。
そう思って、僕は隣の金髪幼女を見た。
ポーちゃんは小亀さんへと両手を伸ばして、『お?』と驚く彼を持ち上げた。
目線を合わせて、
「お前は誰? と、ポーは問う」
と言った。
ポーちゃんも知らなかったみたいだ……。
小亀さんは『ガァ~ン!?』と表現できそうな人間臭い表情をして、それからガックリとうなだれた。
……な、なんか可哀相。
僕は慌てて、
「ごめんなさい。実は僕ら、『魔の眷属』との戦いのせいで記憶を失っているんです」
と、言い訳みたいに説明した。
実際には少し違うんだけど、僕が転生で記憶を失ったのは本当だし、ポーちゃんも『闇の子』との戦闘で脳に損傷を負ったのは本当だ。
それに小亀さんは、「な、なんとっ?」と驚いた。
すぐに目に涙を浮かべて、
『おいたわしや……。そして、そのような目に遭いながらも世界を守り抜いたこと、それがし、深く感謝いたしまするぞ』
と、感極まったように言ってくれたんだ。
……うん、よくわからないけれど、悪い人……いや、悪い亀さんじゃなさそうだ。
僕は笑って、
「ありがとう、亀さん。今の僕は、マールと言います。こっちは、ポーちゃん」
と、改めて自己紹介した。
ポーちゃんも「ポーは、ポーだ」と頷いた。
小亀さんは、小さな頭を上下させる。
『さようでしたか。それがしの名は、ジジガメルと申します。改めまして、お見知りおきを』
カパッ
小さな口を開けた。
多分、笑ってくれたのかな?
そんな僕らのことを、後ろからイルティミナさん、キルトさん、ソルティスが見守っていた。
そして、キルトさんが腕組みしながら、
「それで? そなたはいったい何者なのじゃ? 何の用で、わらわたちの前に姿を現した?」
と問いかけた。
ジジガメルさんは『むっ?』と警戒した顔をした。
僕は、すぐに言う。
「あ、この人たちは、僕の仲間です。警戒しなくて大丈夫ですよ」
『おぉ、そうでしたか』
小亀さんは、すぐに安心したように頷いた。
僕の後ろの3人を見て、
『なるほど、人間の従者を連れておられたのですね。しかし、あまり礼儀がなっておらぬようですが……』
と呟いた。
どうやら神の眷属に仕える人間と勘違いされたみたいだ。
ジジガメルさんの言葉に、ソルティスは「は……? 従者?」と額に青筋を浮かべた。
キルトさんは特に気にした様子もない。
そしてイルティミナさんは、
ガシッ
唐突に、ジジガメルさんの甲羅を片手で鷲掴みにして、自分の顔の高さまで持ち上げた。
『な、何をする!?』
と、ジジガメルさんは亀の手足をバタつかせた。
そこに、鋭い冷気がぶつけられた。
動きが止まる。
小亀さんの視線の先には、氷のような眼差しをしている美女の姿があった。
「初めまして、ジジガメル。私はマールの妻のイルティミナ・ウォンと申します。以後、お見知りおきを」
『つ、妻!?』
ジジガメルさんは愕然だ。
イルティミナさんは、薄く笑った。
「それで、礼儀がなっていないとのことでしたが……さて、それはどちらなのでしょうね?」
ミシッ
掴まれた甲羅が嫌な音を立てた。
ジジガメルさん、亀なので顔色がわかり辛いけど、人間なら多分、真っ青だ。
このままだと、本当に甲羅が砕けて、ジジガメルさんが大変なことになりそうなので、僕は慌てて仲裁に入った。
「マールは優しいですね」
そう言って、彼女は引いてくれる。
ポーちゃんの手に避難した小亀さんは、身体をガタガタと震わせていた。
(ご、ごめんね)
僕の奥さん、ちょっと夫に過保護なんです。
キルトさんは苦笑し、ソルティスは『いい気味だ』という風に笑っていた。
僕は、小さくため息だ。
それから改めて、ポーちゃんの手のひらに乗る小亀さんを見て、
「驚かせて、ごめんなさい。それで、ジジガメルさんはどういった方なのか、改めて教えてもらえますか?」
と話しかけた。
同時に、僕の後ろでジロリと、僕の奥さんが真紅の瞳で睨みを利かせた。
ジジガメルさんは震えあがる。
そして、
『そ、それがしは、偉大なる水の神アバモス様より、この聖なる海域の管理を任された〈水守の亀〉にございます……っ』
と、震える声で答えたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
(水守の亀……?)
聞いたことのない名称だ。
そんな僕らに、ジジガメルさんは詳しく教えてくれた。
400年前、この海に顕現された水の神アバモス様は、とても優しい女神様だったそうだ。
特に、この海に生きる人間たちを愛し、その営みを守るために、自分がいなくなったあとも人に害意ある魔物がこの海域に近づけないような聖なる力を残されたという。
それは、まさに伝承の通りだ。
ミーシャさんを始め、ヴェルツィアンの人々は、その力に守られた海で今も暮らしているのだ。
(400年も続く愛……か)
アバモス様の慈愛の深さを感じるよ。
ただ、その聖なる力は、女神の残した『聖遺物』から発せられていた。
それが壊れては、力も失われる。
なので、その聖遺物を守り、力が消えないように管理するために『水守の亀』という存在が選ばれた。
それが、
『それがしでございます』
とジジガメルさん。
実は、ジジガメルさんはただの亀ではなく、その正体は『魔物の亀』なんだそうだ。
僕らは驚いた。
ソルティスは「魔物が近づけない海なんじゃないの?」と突っ込むけれど、ジジガメルさんは『やれやれ』と首を振る。
彼は、この海域に近づけないのは『人に害意ある魔物』と言った。
つまり、
『人に害をなさない魔物は、この海にいられるのでございますよ』
と教えてくれた。
なるほど、人を襲わない限りは、魔物もこの海に入れるんだね。
そういえば、ホテルの大浴場から見たガラスの向こうの海には、海竜が泳いている姿も見られたっけ。
あの海竜も、人は襲わないのだろう。
魔物の亀は、長命だ。
ジジガメルさんは400年以上も生きているし、人語を解するだけの知性もあった。
こう見えて、力も強いという。
だからこそ、魔物とはいえ、水の神アバモス様に認められて、この聖なる海を管理する役目を与えられたのだそうだ。
魔狩人の3人は、驚いた様子だった。
彼女たちにとっては、魔物は人間の敵なのが当たり前だったんだものね。
(……でも)
僕は思い出す。
何年も前に、妖精鉄を求めてテテト連合国に行った時、僕は『妖精』に出会ったことがあった。
実は、妖精も魔物の1種だ。
だけど、彼らは人懐っこくて、無邪気で、無垢で、スノーバジリスクに襲われた僕とレヌさんを助けてくれた存在だった。
人と共存できる魔物。
それがこの世界には、少数だけど存在しているのだ。
そして、ジジガメルさんも、そうした魔物の1人……というか、1体なのだろう。
「…………」
ジジガメルさんが語っている間、ポーちゃんはなぜかその小さな魔物の亀を頭の上に乗せていた。
そしてその上で、
エッヘン
語り終えたジジガメルさんは、誇らしげに顔を逸らしていた。
なるほど。
この喋る亀さんの正体は、よくわかった。
でも、ジジガメルさんは、なぜ僕らの前に姿を現したのだろう?
そう聞くと、
『実はそれがし、神魔戦争の折に神龍様、神狗様をお見かけしたことがございましてな。その懐かしい神気を感じて、こうしてご挨拶に参った次第でございます』
と理由を教えてくれた。
お見かけ……?
ということは、ちゃんと会っていないのかな? あるいは、少し挨拶したぐらいだったとか。
だから、ポーちゃんも覚えていなかったのかもしれない。
そのポーちゃんは、ジジガメルさんを頭に乗せたまま首を傾けて、ギリギリ落ちないようにして遊んでいたりした。
(って、ポーちゃん!?)
ジジガメルさん『あわわ……っ』と落ちないように大慌てだ。
な、何してるんだか……。
可哀相になった僕は、小亀さんを両手で掴んで、砂浜の上へと下ろしてやった。
『ほっ……』
ジジガメルさん、安堵の吐息。
頭から亀がいなくなったポーちゃんは、少し残念そうだった。
あはは……。
それから、ジジガメルさんの小さな瞳は、僕らを見つめた。
そして、
『実は、もう1つ理由がございまして……そのアバモス様の聖遺物に、神龍様、神狗様の〈神気〉を注いで頂くことはできないか、そのご相談にも参った次第でございます』
なんて、思わぬことを言ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
思わぬお願いに、僕ら5人は顔を見合わせてしまった。
それから、
「どういうこと?」
とジジガメルさんに確認した。
それを受けて、ジジガメルさんは僕らに説明してくれた。
彼の管理する聖遺物には、水の神アバモス様の神気が大量に……それこそ海のように注がれていた。
その神気によって、聖遺物は聖なる力を発揮して、この海域への人に害意ある魔物の侵入を防ぐ役目を果たしていた。
けど、その月日は400年に及んだ。
この海域全てを400年も守り続けるほどの奇跡は、どれほどのエネルギーを必要とするものか……聖遺物に注がれた神気は、すでに枯渇しかかっているという。
まだ10~20年は持つだろう。
けれど、そのあとは?
この世界で『神気』を扱えるのは、神々と神の眷属しかいない。
けれど、神々も神の眷属も、皆、天上の世界におわして、神気を補充したくてもすることはできないのだ。
いつかは神気も枯渇して、聖遺物は役目を負えるだろう。
でも、『水守の亀』としては、少しでもその時期は後ろに伸ばして、この聖なる海を長く守っていきたかった。
そして、そんな折、
『お2人が現れたのでございます』
と、僕とポーちゃんを見て彼は言った。
この400年間、1度もなかった補充のチャンス。
アバモス様ほどの神気の量は望めないとしても、少しでも補充してもらえるならば、それだけで聖遺物の寿命は50年は延びる。
今を逃したら、次はないかもしれない。
『そう思って気がついたら、それがし、お2人の前に飛び出してしまっておりました』
ジジガメルさんは、少し恥じ入るようにそう言った。
…………。
僕らはまじまじとその『水守の亀』を見つめてしまった。
本当に責任感の強い亀さんなんだ。
だからこそ、アバモス様も、ジジガメルさんをこの聖なる海の守り手として選んだのだろう。
僕は、隣の幼女を見る。
「ポーちゃん」
「…………」
コクン
僕の気持ちが伝わったのか、彼女は頷いた。
彼女自身も、きっと同じ気持ちだったのかもしれない。
僕らの様子に、イルティミナさん、キルトさんは優しく微笑んでいるし、ソルティスは『やっぱりね』って顔だった。
僕はジジガメルさんを両手ですくい上げた。
目線を合わせる。
「わかりました。僕らの神気が役に立つなら、聖遺物に注ぎます」
そう伝えたんだ。
ジジガメルさんは『おぉ……』と感じ入ったように声を漏らした。
それからペコッと頭を下げて、
『感謝いたします、神狗様』
とお礼を言った。
僕は笑って、首を左右に振った。
…………。
こうして僕ら5人は、突如、ジジガメルさんの守る聖遺物の元へと向かうことになったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




