627・光と闇の言霊
第627話になります。
よろしくお願いします。
玉座のある高台から、竜王オルガードは静かな憤怒を宿した竜眼で、9人の侵入者を――僕らを睥睨した。
ビリッ
視線が合うだけで、痺れるような『圧』を感じる。
それに負けないよう丹田に力を込めて、僕は、強く奴を見つめ返した。
オルガードは、小さく鼻を鳴らした。
侵入者の中に、血を分けた妹の姿を見つけて、
『そうか、お前の手引きか、マリアーヌ。王族としての立場を追われ、みじめな人生を歩むならと見逃していたが……どうやら、その恩を仇で返されたようだな』
と皮肉そうに言った。
マリアーヌさんは、牙を剝く。
『恩……だと?』
その実の兄は、闇に染まった笑みをこぼした。
『父と兄の死に怯え、2人を見捨てて逃げ出した貴様だけは、そのまま見逃してやっただろう?』
『っっ』
その言葉に、マリアーヌさんは反射的に竜王に襲いかかろうとした。
ガシッ
慌てて、3人の護衛が止める。
彼女は、それを振りほどこうとして、その瞬間、キルトさんが口を開いた。
『――マリアーヌ、先の話を忘れたか?』
静かで重い鉄の声。
その重さがズシンと彼女に圧し掛かり、その動きが止まった。
感情を必死に制御する。
そして、
『わかっているわ。安い挑発に乗って、ごめんなさい』
そう謝罪した。
そんなマリアーヌさんの姿に、オルガードは竜の顔をしかめる。
それから、銀髪の美女を睨んだ。
『なるほどな。お前たちが何か手を打ってくるとは思っていたが、まさかマリアーヌを抱き込み、直接、俺の元に乗り込んでくるとは、さすがに予想外だったぞ』
そして、奴は立ち上がる。
玉座の横に立てかけてあった『漆黒の槍斧』を握り締め、ブォンと回転させた。
その先端を、僕らに向けて停止させる。
『いいだろう? それほど死にたいのならば、俺の手で殺してやる』
その言葉と同時に、
ジジッ
槍斧の先端に闇色の光が集まった。
(!)
次の瞬間、そこから紫色の光線がレーザーのように射出された。
キルトさんの大剣が霞む。
キシュン
青い雷が走り、紫色のレーザー光線は、振るわれた大剣の刃に弾かれて、玉座の間の天井へと直撃した。
ドパァン
石造りの荘厳な天井で爆発が生まれ、瓦礫がバラバラと落ちてきた。
爆風が僕らの髪をなびかせる。
その中で、
『――死ぬのは貴様じゃ』
キルトさんの黄金の瞳は、オルガードを見据えたまま、強い殺意に煌めいた。
オルガードの眉間にしわが寄る。
憎々しげにキルトさんを、その左右に並んで戦意を揺るがせぬ僕らを睨みつけ、その牙を剝きながら苛立ちの唸り声を放った。
『……しょせん、貴様らもか ?』
低く呟く。
『貴様らも、あの父や兄のように俺を否定し、平和の生贄として殺すを是とする悪なのか……っ!?』
奴は、そう叫んだ。
……悪?
今、奴は僕らを『悪』だと言ったのか?
自分の行いを棚にあげて、なぜ、このような言葉を口にするのか――僕の中には怒りが吹き上がった。
それは、マリアーヌさんも同様だ。
『ふざけないで! 父も、兄も、愚かであっても貴方を愛していた! それを裏切ったのは貴方じゃないの!』
そう叫び返す。
途端、オルガードは笑った。
狂ったように、泣いている赤子のように、その顔を歪めたのだ。
『あれが愛……? あれは、俺という存在に対する拷問だ!』
その竜眼には、悲しみがあった。
…………。
思わぬ『闇の竜王』の感情に触れ、僕は戸惑った。
奴は、慟哭するように続ける。
『末子のお前は何も知らぬ。何も考えずにあるを許される。だが、俺は違った。俺の存在は、ただ兄を引き立て、輝かせるための生贄として、無能の愚者であることを無理矢理に押しつけられたのだ!』
◇◇◇◇◇◇◇
『父王アルマンドラ、兄ベルガン、どちらも優秀だった。幼い俺にとっても、2人は憧れであり、指標となる存在であったのは認めよう』
奴は、壊れたように笑う。
両の手を震わせ、それは全身へと伝播する。
そして、自らの顔を片手で押さえながら、奴は己の内に秘められた激情を吐き出した。
兄ベルガンは、とても優れた人物だった。
善政を敷いた父王アルマンドラの後継に相応しく、臣下、臣民全てが彼を賛美した。
当時のオルガードも決して悪人ではなく、そんな兄に憧れる弟でしかなかった。
だが……周囲はそれを許さなかった。
オルガードは、兄には及ばぬが優秀であった。
人一倍努力して、それに見合った、いや、それ以上の能力を身につけていた。
だが、その輝きは、兄には及ばない。
教育者たちは言った。
なぜ兄にはできるのに、オルガードにはできないのか?
苦労して乗り越えた結果であっても、兄ベルガンは、もっと幼い頃にできていたと嘆かれ、叱られるのみだった。
臣下も同様だ。
オルガードの努力は、いつだって認められなかった。
兄に比べれば、あまりに無能。
才能の全てを母の胎内で兄に奪われ、その残り滓でできたのが愚弟なのだろう……と。
毎日、毎日……オルガードの耳には、そのような言葉が投げかけられたのだ。
『…………』
マリアーヌさんの顔には、驚きがあった。
それは彼女も知らない、竜王ではないオルガードという青年の幼き日の真実なのだろう。
オルガードは、笑った。
その目から涙をこぼしながら、
『奴らは兄を賛美するために、俺という存在を否定し、父王と次期王である兄に取り入ろうとしていたのだ……』
そう怨嗟の笑みを浮かべ続けた。
権力という名の蜜は甘い。
その蜜を手に入れたい臣下たちは、オルガードの心を生贄にしてでも、兄王を称える行いをしていたのだ。
無論、彼らにも事情はある。
貴族として自らの家族を、守るべき者たちを守り、一族を絶やさぬために権力者に媚びを売ることも処世術として必要なのだ。
そして、そのためならば、たった1人の王族の愚弟を言葉の刃で殺そうとも構わなかったのだ。
そうした貴族の言葉は、世論に広がる。
オルガードの正しき努力は認められず、竜国の民は全てオルガードを愚弟と評し、馬鹿にしたのだ。
そこに真実は必要ない。
彼らには娯楽としての情報であればそれでよく、それが自分たちの次代の竜王の輝きを増すものならば、当然のものとして受け入れられていく。
オルガードの魂だけを犠牲にして。
グノーバリス竜国は、平和で良い国だった。
そして、その平和をより強固なものとして継続するために、オルガードという存在は時代の生贄となったのだ。
(…………)
僕は、言葉もない。
そうした個人ではない、集団での意識の集合体がたった1人の個人を傷つけるとしたら、それはどれほどの魂の傷となるだろう?
オルガードは、その人としての尊厳と魂を汚され続けたのだ。
『お前たちにわかるか……? 俺の苦しみが……悲しみが……憎しみが……。竜国の人々の平和のために、俺自身を犠牲にしようとする世界の歪さが……?』
わかる……とはいえない。
それでも、その一端に触れただけで、その狂気の恐ろしさぐらいはわかった。
それは、みんなの表情も同様だ。
マリアーヌさんは、必死に言葉を紡いだ。
『で、でも……父も、兄も、そのようなことを許す人では……っ!』
その声は震えていた。
オルガードは、スッと表情を消した。
『あぁ、父も兄も否定したさ、オルガードは優秀だと……。だが、それを受けた奴らは、《愚弟を庇うとはなんと優しき父兄なのか》と賛美に変えるのだ』
竜眼に、光はない。
王アルマンドラ、兄ベルガンの言葉は、謙遜と取られた。
そして人々は、こうまで愛されるのに、なぜ弟は愚かなまま、努力もせず、無能であり続けるのか、全く恥を知らないと嘆くのだ。
先ほどのマリアーヌさんの言葉のように。
マリアーヌさんは蒼白だ。
父と兄が自分を庇えば庇うほど、自分は無能の烙印を押される。
それはまさに、愛という名の拷問だ。
オルガードの真実は誰にも伝わらず、ただ作り上げられた虚像のオルガードだけが真実として語られ、それによって彼は傷つけられる。
傷つける人々は、無論、何の罪悪感もない。
…………。
あぁ、彼が歪むのも当然だ。
彼はただ正しく自分を見て欲しかっただけなのに、世間は、彼が愚物であることを望み、強要し、その上で魂の拷問を行い続けたのだ。
その残酷さ、残忍さに、僕の心は恐怖した。
最も恐ろしいのが、それをしている側に自覚がないことだ。
1人1人の言葉は、小さな針かもしれない。
だから、誰もがそれが与える傷は、大したことはないと思い込む。
けれど、それが何千、何万、何十万もの数となったなら?
1本なら耐えられる。
けれど、その何十万もの針を一斉に、1人の人間に刺したなら?
刺し続けたなら?
人は、きっと狂い死ぬ。
オルガードの中にあった善性は、多分、そこで殺されてしまったのだ。
ガチガチ
歯が震えた。
彼の精神は摩耗し、自死を選ぼうともしたという。
だが、彼は王族だ。
その行いはすぐに露見し、王室の医師たちによって助けられてしまう。
死ぬことすら許されない。
そして、その行いによって、また自分を否定する声が大きく広がり、盛り上がっていくのだ。
その絶望の日々は、どれほどのものだったろう?
…………。
けれど、それを語る奴の表情が、ふと変わった。
そして、
『……だが、あの日……俺の目の前に、その全てを破壊する《黒き神》が降臨なされたのだ』
奴は、そう陶然とした口調で告げた。
僕はハッとする。
顔をあげて、奴を見た。
オルガードの全身には、おぞましくも禍々しい青く光る刺青が刻まれていた。
黒き神。
すなわち、それは、
『……闇の子』
僕の口から、その名がこぼれた。
それを聞き、オルガードはまるで子供のように、嬉しそうに笑ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
『あの御方は俺に言った。《自分という存在を否定する【悪】を消すための、大きな力が欲しくはないか?》……と』
オルガードの表情は、神の啓示を受けた者のそれだった。
その声は甘く。
その心の歓喜が伝わってくるようだった。
竜国の安定と平和のために、自分という存在が生贄にされるのならば、そのような『悪の国』は滅ぼせばいい――それは、まるで御伽噺のような出来事だろう。
けれど『闇の子』は、それを実現する力を本当に与えてしまったのだ。
少なくとも、その『魔』はオルガードにとって唯一の救いの『神』だったのだ。
(っっっ)
僕の心がかき乱される。
否定したい。
けれど、否定しきれないことを理解している。
誰もが見捨てた1人の竜人の青年を、たった1人、その『闇の子』だけが見つけ出して救ってしまったのだ。
例え、その裏にどのような思惑があろうとも。
…………。
かつての奴を思い出す。
生まれたくもない『魔の眷属』としてこの世に生を受け、その瞬間から世界に否定される存在となった。
だからこそ、奴は自分の居場所を作るために、自分の世界を作ろうとした。
人類を、神々を、悪魔でさえも敵として、その全てにたった1人で立ち向かい、己の尊厳と生命を懸けて戦おうとした少年だったのだ。
まるで、今の竜王オルガードのように。
「…………」
僕は、目の前の竜人を見つめる。
オルガードは敬虔な信徒として、その闇の子供を崇拝していた。
だからこそ、
『俺は止まらぬ! 我が主のために! 己のために! 強き個人が正しく認められ、生きられる世界を……主の望んだ理想郷を作るのだっ!』
その叫びは、傷つけられた魂の咆哮だ。
その迫力。
その圧力。
それらは僕らの魂を揺さぶり、根幹となる正義を否定していた。
マリアーヌさんは泣いていた。
奴の言葉に同情し、憐れみ、共感できる部分があったからだろう。
僕もそうだ。
泣きたい。
だけど……だけど……。
僕は歯を食い縛り、目の前にいる闇の精神に堕ちた竜王を睨みつけ、手にした『大地の剣』を向けた。
『そんなこと、させない』
僕は断じた。
その声は、玉座の間に静かに、けれど強く響き渡った。
皆が僕を見る。
竜王オルガードも僕を見る。
僕は答えた。
『お前の正義は正しいのかもしれない。けど、僕の正義はそれを否定する。その理由は、お前が今、そうして僕らの前に立っているのと同じだ』
自らの魂の尊厳のため、奴は、僕らの前に立っていた。
同じように、僕にも守りたいものがある。
命に代えても、手に入れたいものがある。
愛する人たちと平穏に生きられる世界、それを求めて、ただひたすらに僕は戦う。
奴の望みは、それを壊す。
僕の愛する人たちを殺してしまう。
それを許す訳にはいかない。
例え、目の前の竜人の魂の苦しみを知ろうとも、僕は、決して許す訳にはいかなかった。
…………。
あぁ……神狗なんて大層な名前で呼ばれているのに。
僕は、無力なんだ……。
世界平和なんて無理だ。
どうしても、どこかで誰かが傷つけあい、時には殺し合う。
僕の小さな手では、どれほどもがこうと、望もうと、その手のひらからこぼれ落ちてしまう人がいる。
それを知っている。
僕にできるのは、ただ大切な人たちだけでも守ろうとする、利己的な情けないことだけ。
それだけに必死で、余裕もない。
だから……だから、かつて彼を傷つけてきた人々と同じように、彼のことを否定しなければならなかった。
僕の青い瞳から、涙がこぼれる。
それを振り払い、奴を睨みつけ、
『お前の生命を、存在を、この僕が狩り殺す!』
そう宣言した。
同時に、僕の全身に虹色の光の粒子が渦を巻き、その中から、虹色の外骨格に包まれた人型の狗が現れた。
リィイン
究極神体モードだ。
その虹色の翼を広げながら、
ガシャン
両手にある『虹色の両刃剣』と『虹色の鉈剣』を奴へと突きつけた。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ポーちゃん、マリアーヌさん、護衛の3人は驚いた顔をしていた。
けれど、イルティミナさんの美貌は、すぐに表情を改める。
静かに、僕の隣で『白翼の槍』を構えた。
同じように、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんも僕の左右に並んで、それぞれの武器を構えた。
全員が覚悟を決めた顔をしていた。
その気迫に押されて冷静さを取り戻したように、マリアーヌさんと護衛の3人は、戦いの邪魔にならぬよう後方へと下がっていく。
竜王オルガードは凄絶に笑った。
自分の敵が。
自分を否定してきた世界の具現となる敵が、今、目の前にいることを理解して。
ジャララン
奴の背にある黒い金属翼が、大きく展開する。
その手にある『漆黒の槍斧』を両手で構え、左足を大きく前方へと踏み出した。
ズン
足元の石床にヒビが走る。
その膨大な殺意が空間へと広がって、視界を歪ませるような錯覚を起こさせた。
……言葉を交わす時間は終わった。
あとは、ただ……お互いの譲れないもののために、全身全霊をかけて立ち向かい、目の前に立つ敵を討ち滅ぼすのみだった。
ジリ ジリ
僕らは、少しずつ間合いを詰めていく。
そして、闇の竜王となったオルガードという名の竜人の青年を殺すため、僕は前方へと1歩、その足を大きく踏み込んだのだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




