607・魔光の雨
第607話になります。
よろしくお願いします。
グノーバリス竜国との国境までは、10日ほどの距離だ。
僕らは王国軍3万と共に、草原と森の広がる大地に作られた広い街道を北上していく。
(……少し肌寒いな)
吐く息も白い。
季節的には夏だけど、これだけ北の大地だと気温も低いみたいだ。
更に北にある竜国は、もっと寒いだろう。
それを思うと、グノーバリス竜国というのは極寒で暮らしの厳しい国なのかもしれない。
(だから、戦争を……?)
いくら『闇の竜王』の扇動があったとしても国全体が戦争を望むのは、そうした下地もあってのことかもしれないと、ふと思った。
移動初日の夜が来る。
太陽が沈み、僕らは平原のあちこちに篝火を焚いて野営を行っていた。
炊き出しのビーフシチューをもらいに行くと、灰色の髪をした竜騎士アミューケルさんに偶然、出会った。
「うっす、マール殿」
彼女の挨拶に、僕も「こんばんは」と笑った。
すると、アミューケルさんの紅い瞳が、僕の顔を凝視する。
(???)
不思議に思っていると、
「……なんか疲れてるっすか、マール殿?」
「え?」
「表情が暗いっす」
「…………」
そう?
でも、もしそうなら、それは肉体よりも精神的な疲れだ。
僕は苦笑して、
「アミューケルさんも、ちょっと疲れた顔してますよ?」
と言った。
これは本当。
美人のアミューケルさんだけど、今は少しだけやつれた雰囲気がある。
でも、それが余計に美人度を増している気もするんだけど……。
彼女は自分の頬を撫でた。
「そっすか? まぁ、そうっすね。ここ2ヶ月、隊長と2人でずっと哨戒任務してるっすから。……まとまった休み欲しいっすね」
(……そっかぁ)
言われてみれば、その通りだ。
今も見上げれば、暗闇の上空には、巨大な竜が翼を羽ばたかせながら飛んでいて、その音が地上まで響いている。
あれは、竜騎隊隊長のレイドルさんだ。
竜騎隊は、3万の王国軍の目となって、常に上空で監視活動を行ってくれていた。
現在、竜騎隊は2人。
つまり、神経をすり減らす12時間の活動を、彼女たちは毎日、休みなくしているのだ。
(そりゃ、疲労も溜まるよね)
僕は頭を下げ、
「大変な任務をいつもありがとう、アミューケルさん」
そう感謝する。
アミューケルさんは「うえっ?」と驚いた顔をした。
すぐに照れ臭そうに頬をかいて、
「いや……これが自分らの任務っすから。つか、そのために日々、鍛えてるんすから、心配しなくても大丈夫っすよ」
と、そっぽを向く。
…………。
僕は、そんな彼女の横顔を、温かな気持ちで見つめてしまった。
アミューケルさんは居心地悪そうだ。
そして、
「そ、それよりもマール殿。この先は、特に気をつけるっすよ?」
「え?」
「以前、自分らが偵察任務をした時は、アル・ファンドリアまでだったっすから。ここから先は、マジの未知の領域っす」
「…………」
語る彼女の瞳は、真剣だ。
確かに、その通りだ。
アル・ファンドリアで獣国の地図は手に入れてあるそうだけど、実際の地形、状況などを目視確認した者は、僕らの中で誰もいないんだ。
どうなっているか、わからない。
これまでは、竜騎隊が先に偵察してくれた。
でも今回は、急な出発だったから、それも行われていないんだ。
リスクを負っても、時間を欲した結果だ。
少しでも竜国の意識をこちらに向けて戦力を分散させ、ヴェガ国の安全を高めるために。
その分、僕らの危険性が高まるのは覚悟の上だった。
僕は頷いた。
「うん、気をつけるよ」
「っす」
素直な返事に、アミューケルさんも頷いた。
それから僕らは、手に持っていた木製の深皿に炊き出しのビーフシチューをよそってもらって、そのまま挨拶して別れた。
イルティミナさんたちのいる篝火の方へと戻る。
「おかえりなさい」
笑顔で迎えてくれる僕の奥さん。
でも、その表情が「ん?」と怪訝そうにしかめられた。
「マール? 誰かと会いましたか?」
「え?」
何でわかるんだろう?
そう思いながら、僕は「うん」と頷いて、アミューケルさんと偶然出会ったことを話した。
イルティミナさんは「なるほど」と頷いた。
「他の女の気配がしたと思ったのですが、アミューケルでしたか。……まぁ、彼女ならばいいでしょう」
「…………」
僕は目を瞬いた。
キルトさん、ソルティス、ポーちゃんは顔を見合わせている。
(えっと、女の勘かな?)
思わず、感心してしまうよ。
イルティミナさんは何事もなかったように微笑んで、
「ここを出る前と今で、マールの表情が違っていましたからね。――さぁ、食べましょうか?」
「あ、うん」
隣に座りながら、僕は頷いた。
ビーフシチューに配給のパンを浸しながら、みんなで食事をする。
そのあとは、すぐに就寝。
見張りは王国騎士団がやってくれるので、僕らはそのまま眠ることができる。
(…………)
イルティミナさんの抱き枕になりながら、ふと夜空を見上げれば、翼を広げた竜が僕らを守るように飛んでいた。
心の中で、深く感謝を。
そのまま、まぶたを閉じて、明日に備えて眠りに落ちていく。
そうして、移動初日の夜は過ぎていった。
◇◇◇◇◇◇◇
移動3日目。
(……ん?)
僕は、自分の鼻に感じる異臭に気づいた。
何かが焼け焦げた臭い。
それに腐敗臭。
そして、金属と血の混じり合った臭いだ。
「マール?」
僕の様子に気づいたイルティミナさんに、すぐに伝える。
すると、キルトさんを経由して、ロベルト将軍にも報告が行った。
同時に、上空にいた竜が警戒を促すように吠え、竜騎士レイドルさんからの目撃情報が僕らの元にも届けられたんだ。
…………。
しばらく進んで、その光景を目にする。
そこにあったのは、大量の獣人の死体だった。
恐らく、獣国の兵士たち。
広がる草原は焼き払われ、死体は黒焦げで、森の木々も焼かれて黒い立木としてまばらに乱立していた。
(……戦場跡、だ)
侵攻してきた竜国軍を、ここで獣国軍は迎え撃ったんだ。
そして……。
見渡す限りの死体は、この世のものとは思えない景色だった。
魔狩人として、戦いには慣れている。
死体だって、目にしている。
でも、これは別物だ。
ソルティスも気分が悪くなったのか、口元を押さえていた。ポーちゃんがその背中をさすっている。
「…………」
僕も、胸の奥が苦しい。
ギュッ
イルティミナさんが、僕の手を強く握ってくれた。
熱い手だ。
握る力は強くて、少し指が痛い。……でも、それが彼女の心にも生まれた苦しみだと感じられた。
キルトさんは、その黄金の瞳を細め、その光景を見つめていた。
…………。
その日は、移動は中止し、獣国の兵士たちの埋葬を行った。
地面に穴を掘り、そこに納めて埋める。
簡易的な供養しかできなくて、申し訳ない。
最後に、皆で黙祷を捧げた。
「よし、全軍出発だ!」
ロベルト将軍の号令で、僕らは再び歩み始めた。
戦場跡の空気は冷たくて、なのに、空は残酷なほどに青く澄み渡っていた。
(…………)
僕は前を向いて歩く。
でも、感じた臭いとその光景は、しばらく僕の記憶から消えなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
移動4日目は、曇天だった。
風は強く、空を埋める灰色の雲はうねるように動いている。
(…………)
その日は、朝から妙に落ち着かなかった。
なぜだろう?
グノーバリス竜国との国境まで、あと半分という距離まで来て、緊張してきたのかな?
キルトさんも、今朝から妙に険しい表情だ。
鬼姫の勘で、彼女も何かを感じているのかもしれない。
「なんか、雪が降りそうね」
ソルティスが空を見ながら呟いた。
言われて、僕も顔をあげる。
確かに、夏だというのに気温は低く、昼だというのに世界は薄暗い闇に覆われていた。
雪が降ってきても、おかしくない空気だ。
――その時だった。
遥か前方に見える山脈から、白い光の筋が空へと昇った。
(……え?)
今のは何だ?
思っている間に、光の筋は灰色の雲へと消えていく。
それを見たのは、僕だけじゃなかった。
王国騎士たちの多くもそれを目撃していて、行軍する足が止まったり、鈍ったりしていた。
イルティミナさんの美貌も、怪訝そうにしかめられている。
その時、キルトさんがカッと目を見開いた。
「――敵襲じゃ! 全員、防御態勢を取れ! 魔法が来るぞ!」
鼓膜が痺れるような声量。
一拍遅れて、僕はその意味に気づいた。
(!)
灰色の空に消えた光の筋は、遠大な放物線を描きながら、やがて僕らの頭上の雲を光らせ、恐ろしい光量の魔法の光となって王国軍に降ってきたんだ。
それは、まるで流星だった。
直径50メードはある魔法の光弾は、呆けたように見上げる僕らに向かって落ちてくる。
(う……あ……)
あまりの迫力に、咄嗟に動けなかった。
天変地異で死ぬ時は、こんな感じなのかもしれない。
どうやっても免れない死を感じた。
ガバッ
イルティミナさんが僕を庇うように抱きしめてくる。
呆けているソルティスの前にも、ポーちゃんがその少女を守るように立ち塞がった。
でも、無理だ。
あれが直撃したら、どうにもならない。
その時だった。
バシュッ バシュシュッ
落下してくる巨大な光弾が何かにぶつかったように揺れ、削り落とされたようにサイズを小さくした。
(……え?)
更に、小さくなった光弾は、衝撃に耐えきれなくなったように砕け、光の雨となって落ちてくる。
ドパァン ドパパァン
光の雨は、地面に落ちると爆発を起こした。
王国騎士たちが吹き飛ばされる。
僕らの近くにも、何滴かの光の雨が落ちた。
ドパパァアン
「うわっ!?」
「くっ」
「きゃああっ!?」
「っっ」
「ぬうっ!」
爆風で吹き飛ばされ、僕とイルティミナさんは抱き合ったまま、地面を転がった。
衝撃と痛み。
口の中には、土が入った。
でも、
(生きてる……?)
あの絶望的な魔法の光弾に襲われて、でも、僕らは生きていた。
王国騎士たちも負傷者はいても、死者はいない様子だった。
これは……?
驚いていると、キルトさんが不敵に笑いながら立ち上がった。
「よくやったぞ、コロン」
(……あ)
その一言でわかった。
今の魔法の光弾は、竜国の『魔法兵器』の攻撃であり、それをコロンチュードさんの造った『対竜国用の魔法装置』が威力減衰してくれて、僕らは助かったのだ。
ガシャッ
キルトさんは、背負っていた『雷の大剣』から赤い遮雷布を外し、構える。
「皆、立て! 奴らが来るぞ!」
鋭い声だ。
それに僕らだけでなく、周囲の王国騎士まで反応して跳ね起きる。
シュラ シュラン
僕も立ち上がり、左右の手で『妖精の剣』と『大地の剣』を鞘から抜いて、正面に構えた。
僕の隣で、イルティミナさんも『白翼の槍』を構えている。
ソルティスも『竜骨の杖』を構え、ポーちゃんは無手の拳を握って、戦闘態勢を取っていた。
王国騎士たちも武器を手にしている。
…………。
キルトさんと僕らの睨む先、灰色の空に、黒い翼を生やした影たちが浮かんでいた。
――竜人だ。
その数は、1000人以上。
全員、その背に金属の黒い翼が広がり、手には『漆黒の槍斧』が握られていた。
(……竜国軍っ)
僕は、息を呑む。
初めて目にした竜国の兵士たちは、灰色の空を背景に、まるで堕天使の如くに僕らを冷たく見下ろしていた。
ズズン
(!)
いや、空だけじゃない。
草原の遥か先の森から、鎧を着た四足竜に騎乗する竜人の地上部隊も姿を見せていた。
こちらは、2万はいるか。
シュムリア王国軍3万に劣らぬ人数と迫力だった。
「全軍、防陣隊形!」
ザザンッ
ロベルト将軍の指示で、王国軍は半円状の陣形を組んだ。
僕ら5人は、騎士ではないため陣形から外れている。
(……僕らは、どう動く?)
そう迷った時、
「地上は、王国軍に任せる。わらわたちは空を狙うぞ」
キルトさんが低い声で言った。
僕はハッとし、そして頷く。
みんなも頷いた。
灰色の空の下、冷たい獣国の大地で、両軍は睨み合う。
この戦争が始まって以来、僕らにとっては初めての竜国軍との戦闘が行われようとしていた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




