596・精神干渉の魔法
第596話になります。
よろしくお願いします。
僕らは、リマちゃんの部屋を退室した。
あの子の世話をしてくれる獣人の王国騎士さん2人は、実は軍のカウンセラーも担当しているそうだ。
精神面のケアも任せられるので安心だった。
「…………」
廊下で立ち止まって、ふと振り返る。
あの子の家族を……日常を取り戻してあげたい。
そして、それを壊した竜国軍が許せない――そう強く思った。
ポン
そんな僕の肩を、イルティミナさんの白い手が優しく叩く。
彼女は頷いた。
同じ気持ちを共有していることが伝わり、僕は気持ちを落ち着け、頷きを返した。
そして、今、やるべきことをやるために再び歩きだしたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
街の中心部には、運動場のような公園があった。
そこでは今、たくさんの資材が運び込まれ、多くの王国騎士たちに手によって急ピッチの建造が行われていた。
建造されているのは、『対竜国用の魔法装置』だ。
まだ始まったばかりで、基礎となる土台部分を工事している段階である。
大きさとして、家が4~5軒はありそうなサイズだ。
その建設現場近くに造られた仮設小屋で、僕らは、その陣頭指揮を執っていたハイエルフのお姉さんと面会していた。
「……それは多分、精神干渉系の魔法……かな?」
簡易椅子に座る彼女は、そう言った。
リマちゃんの話から、街の人々が操られ、自発的にどこかに行ってしまったという現象を、コロンチュードさんに相談したんだ。
その答えがこれだった。
「精神干渉?」
「そ」
聞き返す僕に、コロンチュードさんは頷いた。
コロンチュードさんのそばには、彼女の手伝いに来ていたソルティス、ポーちゃんもいて、ポーちゃんはみんなの分のお茶を淹れてくれていた。
お茶がみんなに配られる。
それを受け取って、ソルティスが言った。
「要するに、人の心に作用して、その行動をある程度、操ることのできる魔法よ」
「そんな魔法があるの?」
僕は驚いた。
人を操るって、とんでもない魔法じゃないか。
でも、ソルティスは肩を竦めて、
「言ったでしょ、『ある程度』って。あるにはあるけど、大したことはできないわ。例えば、食べ物の好き嫌いを少しだけ変化させたり、とかね」
「…………」
「しかも、意思が強い相手には通じない。本当に些細な力しかない魔法よ?」
……それじゃあ。
僕が言わんとすることがわかったのか、コロンチュードさんは頷いた。
「さっきの話みたいなことは、普通は無理」
「…………」
僕らは沈黙する。
コロンチュードさんは、義娘が淹れてくれたお茶をフーフーしてから、すする。
それから、こう続けた。
「でも、竜国の魔法技術は普通じゃないから、可能性は高いと思う。少なくとも現象だけを見たら、『精神干渉系の魔法』以外の理由は思い当たらない……かな?」
(そう……なんだ?)
ソルティスも、ハイエルフさんの見解に頷いている。
その隣でポーちゃんも『うんうん』と頷いているのは、多分、真似っ子だからだろう。
それにしても、
(……それが本当なら、グノーバリス竜国の魔法はとんでもない脅威だ)
僕は、背筋を震わせてしまう。
イルティミナさんが少し考えて、
「では、その魔法がこの街で行われたと仮定して、あのリマという少女が1人だけ、魔法にかからなかった理由は何ですか?」
そう問いかけた。
あ……それは確かに。
僕とキルトさん、ソルティス、ポーちゃんの視線も、ハイエルフの『金印の魔学者』に集まる。
コロンチュードさんは、中空を見つめる。
そして、
「多分、体質……かな?」
と呟いた。
(体質?)
僕らはポカンとなった。
コロンチュードさんの説明によれば、精神干渉の魔法というのは、一種の催眠術みたいなものなのだそうだ。
催眠術には、かかり易い人とかかり難い人がいる。
魔法なので、精神干渉がかからないということは滅多にないそうだけれど、それでも、極めて低確率でかからない人もいるのだそうだ。
100万分の1の確率。
それぐらいの確率で、リマちゃんは偶々、精神干渉の魔法が効かなかったのではないか、との推論だ。
(そんなことって、あるの?)
僕とイルティミナさんは、思わず顔を見合わせてしまう。
ソルティスは言う。
「精神干渉っていうのは、脳への作用なのよ。でも、脳の構造って人それぞれだから、極稀にそういう人がいたとしてもおかしくないわ」
「…………」
僕は、リマちゃんの顔を思い出す。
痩せこけて、弱っていて、儚く見えたけれど、あの子は1人で、何ヶ月も森の中を生き延びた強い精神力のある子だった。
あの強い光の灯った瞳。
壊れそうな心でも、必死に家族を心配して、助けを求めた眼差しは、今も僕の心に突き刺さっている。
キルトさんが吐息をこぼす。
「あの子のおかげで、わらわたちはこの地で何があったかを正確に知り、新たな竜国の脅威を知ることができた。まさに奇跡のようなことじゃの」
「うん」
僕は頷いた。
みんなも頷いている。
コロンチュードさんは、仮設小屋の窓から見える建設現場を見て、
「恐らく、『精神干渉系の魔法』もそういった『魔法兵器』による攻撃だと思う。あの装置が完成したら、その影響も大きく減衰できると思うから」
だから、そこまで心配しなくていいとのこと。
ただ、魔法の減衰はできても、完全な無効化はできない。
多少の精神干渉はあるだろうから、心を強く保って、それに抗えるように心構えしておくようにと注意された。
僕らは頷いた。
「わかった。ロベルト将軍にも伝え、全軍で備えておくように伝達してもらおう」
キルトさんもそう告げた。
…………。
そんな感じで、コロンチュードさんとの面会は終了した。
彼女もまだまだ忙しいとのことで、僕らはお礼を言って、仮設小屋をあとにしたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
僕らと入れ替わりに、現場責任者らしい人が仮設小屋に入っていく。
中で、コロンチュードさんと建造についての話し合いが行われるのだろう。
(……大変そうだ)
本当に休む間なんて、なさそうな感じである。
そんなハイエルフさんを手伝いに来たソルティスとポーちゃんは、コロンチュードさんの代わりの僕らを見送ろうと、一緒に仮設小屋を出てきてくれていた。
「ま、夜には戻るから」
ソルティスは、そう気軽に言う。
(うん)
それまで、2人ともお別れだ。
今日も、僕とイルティミナさんとキルトさんは、3人で周辺の探索を行う予定になっていた。
「お互いがんばろうね」
「えぇ」
なんて言葉を交わし合う。
その時、僕はふと思った。
「それにしても、精神干渉ってどんな感じなんだろう?」
と呟いた。
途端、みんながこっちを見る。
そして、
「気になるなら、ちょっとやってみる?」
とソルティス。
(え?)
返事をする前に、彼女は手にした白い『竜骨杖』をこちらに向けて、先端の魔法石を輝かせた。
ピカッ
「わっ?」
目が眩んだ。
でも、すぐに視力が回復する。
「どう?」
ソルティスが聞いてきた。
他の3人も僕を見ている。
いや、どうって言われても……特に変わった感じはしないけど。
そもそも、ソルティスがどんな風に精神干渉しようとしたのかすらわからないんだ。
その時、
「大丈夫ですか、マール?」
イルティミナさんが心配そうに声をかけてきた。
え?
その声がいつもより甘く聞こえた。
その顔を見たら、ドキンッと胸が高鳴って、いつも美人だと思ってたけど、今日は何だかそれ以上に魅力的に感じられた。
「マール?」
不思議そうに首をかしげる。
柔らかく、綺麗な深緑色の髪が揺れて、肩からサラサラとこぼれていく。
それだけなのに、凄く色っぽい。
なんだか、勝手に頬が赤くなってしまった。
それに気づいて、イルティミナさんも驚いた顔だ。
「え? あ、あの……マール?」
僕から潤んだ視線を向けられて、なぜか彼女の頬も赤くなっていく。
思わず、見つめ合う。
すると、
「成功したようね」
とソルティスが言った。
(ほえ?)
思わず、得意げな顔をしている少女を見る。
「要は、そんな感じよ。イルナ姉を好きって気持ちを増幅させたの。まぁ、ちょっとした媚薬みたいな効果ね」
「…………」
「…………」
こ、これが精神干渉なのか。
夫婦で唖然としてしまった。
「ただ、マールがあっさりかかったのは、本人に、その気持ちに抵抗がなかったから。もしイルナ姉が嫌いって気持ちを増幅させようとしても、多分、失敗したんじゃないかしら?」
「…………」
「いくら魔法でも、そういった本人の嫌がる方向には操れないのよ」
彼女は、あごに指を当てながら、そう説明してくれる。
(そうなんだ……)
初めて体験したけれど、凄く不思議な感じ。
自然なんだけど、自然じゃないというか……心が勝手に流されていったみたいだった。
チラッ
イルティミナさんを見る。
まだ魅力的に見えて、ドキドキしてしまう。
「え、えっと、ソルティス? この効果って、いつまで続くの?」
「ん?」
彼女はキョトンと僕を見た。
「10秒ぐらいで切れるわよ?」
「え?」
10秒って……じゃあ、もう魔法は切れてるの?
唖然となる僕。
そんな僕を、みんなが見つめた。
あ……じ、じゃあ、今もイルティミナさんが魅力的に見えてるのは、魔法じゃなくて僕自身の心によるものなんだね。
(あはは……)
僕は誤魔化し笑い。
イルティミナさんは恥ずかしそうに頬を染め、「マ、マール……」と口元を手で隠していた。
「やれやれ、ごちそうさまじゃ」
キルトさんが苦笑する。
ソルティスも苦笑しながら両手を広げ、ポーちゃんはその仕草を真似ていた。
僕とイルティミナさんは、見つめ合う。
そして、また赤くなった。
それから別れ際、イルティミナさんはこっそり妹に近づき、
「……コホン……その、ソル? あとでで構いませんので、その魔法のやり方を教えてくれますか?」
と、小声で聞いていた。
ソルティスは苦笑しながら、「あとでね」と答えていた。
ドキドキ
そんな奥さんに、僕の心臓はそれだけで高鳴る。
もしかしたら、僕ってチョロいのかもしれない……。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




