550・摩訶不思議な夢
第550話になります。
よろしくお願いします。
神帝都アスティリオの散策から帰ったあと、僕らは、それぞれの客室でのんびりした時間を過ごした。
やがて太陽が西に沈み、夜が来る。
その頃にはダルディオス将軍も屋敷に帰っていて、僕らはみんなで夕食の卓を囲みながら、昼間の話で盛り上がった。
「くぅっ、ワシも行きたかったわい」
将軍さんはそう嘆く。
大袈裟に嘘泣きする姿は、みんなの笑いを誘っていた。
そんな将軍さんを慰めるため、その日の夕食のデザートには、お土産に買ってきたフルーツタルトが並べられて、その甘い幸せに将軍さんも満足してくれたみたいだった。
よかった、よかった。
そうして食事も終わり、僕らは、また自分たちの客室に戻る。
僕は、イルティミナさんとの2人部屋だ。
歯磨きやお風呂も済ませて、あとは就寝するのみとなる。
(おやすみ、ラプト、レクトアリス)
寝台脇のナイトテーブルに、今日、アルゼウス大神殿で購入したラプトとレクトアリスの『お守り』を置いて、僕は微笑んだ。
それぞれ、2人の特徴である『2本角』と『3つ目』の絵柄が描かれたお守りだ。
せっかくなので、悪夢除けのつもりで置いてみたんだ。
まぁ、本当にご利益があるのかはわからないけどね。
そんなことをしている僕を、イルティミナさんは優しい眼差しで眺めていた。
そして、部屋の灯りを落として、ついに就寝の時だ。
「ふふっ、マール。さぁ、おいでください」
先に寝台に横になったイルティミナさんが艶やかに笑いながら、片手で布団を持ち上げて、夫である僕を誘ってくる。
ドキドキ
ちょっとエッチな顔のイルティミナさん。
とはいえ、ここは将軍さんのお屋敷なので、我慢、我慢。
今夜も抱き枕だけだ。
奥さんに誘われるままに寝台に横になると、すぐに白い腕が僕の身体に回されて、優しく抱きしめられた。
「ふふっ……いい匂いです」
僕の髪に鼻を押しつけ、そう呟く。
僕の背中には、彼女の弾力のある双丘が押し当てられ、柔らかく潰れている。
……僕は紳士。
自分に言い聞かせ、僕を抱くイルティミナさんの白い手を取って、その指に軽くキスをした。
ピクン
触れ合う彼女の身体が、電気が流れたみたいに震える。
「おやすみなさい、イルティミナさん」
微笑みながら、そう囁くような声を口にした。
数秒だけ間があって、それから「おやすみなさい、私の可愛いマール」と、どこか切なそうなイルティミナさんの声が応えてくれた。
それから僕ら夫婦は、ゆっくりと眠りに落ちていった。
…………。
…………。
…………。
どれだけの時間が流れただろう?
ふと気がついたら、僕は、どこまでも青い空と、足元が真っ白な煙に包まれた世界に立っていた。
(ここは……?)
ぼんやりと不思議に思う。
それから、『あぁ……これは夢の世界だ』とようやく理解したんだ。
理解したとはいえ、目が覚めることもない。
(明晰夢って奴かな?)
白い雲に包まれたような大地は、360度、地平の果てまで続いていた。
頭上を振り仰げば、太陽も雲もない、ただただ吸い込まれそうなほど蒼く、恐怖さえ覚えるほどの雄大さを感じる空があった。
…………。
さて、どうしたものだろう?
夢だとわかっても、何をしたらいいのかわからない。
いや、何もしなくてもいいんだろうけど、なんとなく、このままここに立っているだけというのも落ち着かない気がしたんだ。
どちらかに向かって歩こうかな?
でも、目標物は何もない。
どこまでも果てのない白い大地と青い空の世界だけが、永遠に続いていそうだった。
(――――)
その時、ふと誰かに呼ばれた気がした。
後ろ?
そう思って、振り返る。
すると、雲のような白い大地の遠い向こう側に、2つの人影が見えたんだ。
片方は子供。
もう片方は大人みたいだ。
豆粒みたいなその2つの人影に目を凝らして、
「――あ」
夢の中の僕は、思わず声を漏らした。
子供の方は、金髪に美しい碧眼の10歳ぐらいの少年だった。
大人の方は、柔らかく波打った紫色の髪に、糸みたいに細い真紅の瞳をした20歳ぐらいの綺麗な女性だった。
少年の頭からは、2つの角が。
美女の額には、3つ目の瞳が。
そんな2人の全身は、その肉体自体が発光しているような神々しい輝きを放っていた。
「ラプト! レクトアリス!」
僕は叫んだ。
気づいた僕に、2人は優しい微笑みを浮かべた。
あぁ……。
懐かしさに胸がいっぱいになり、僕は、2人のいる方向へと駆けだした。
走る。
走る。
けど、どれだけ走っても、不思議と2人の元に辿り着けない。
(どうして!?)
夢だから?
見えている2人までの距離は、どれだけ走っても縮まらない。
手を伸ばしても、届かない。
……なんて意地悪な夢だろう?
(せめて夢の中ぐらい、ラプトとレクトアリスに会わせてくれてもいいじゃないか)
ちょっと泣きたい気分だ。
そんな僕に、2人もちょっと困ったように笑っていた。
それから、ラプトが口を動かした。
(え?)
何かを言っている。
でも、その声が聞こえない。
続けて、レクトアリスも赤い唇を開いて、僕へと何かを語りかけていた。
でも、やっぱり聞こえない。
世界には、静寂だけが満ちていた。
…………。
2人は、僕に何かを伝えようとしていた。
その意思だけが伝わる。
歯痒くて悔しくて、僕は自身の体内にある力の蛇口を開いてみた。
(――神気開放っ)
パチッ パチチッ
茶色い髪の中からピンと立った獣耳が生え、お尻からはフサフサした長い尻尾が伸びてくる。
周囲には、放散した『神気』の白い火花が散った。
溢れる力。
それによって、縮まらない距離を一気に詰めるように、その現象を打ち破るように、僕は全力で大地を蹴って跳躍した。
タンッ
吹き飛ぶ視界。
強い風圧が全身を襲い、僕は数十メードの距離を一気に跳んで、着地した。
……けど、2人との距離は縮まらなかった。
(くそぅ)
悔しい。
だけど、『神体モード』になって聴力にも変化があったのか、2人の声がかすかに聞こえた気がした。
『……ワイらの門』
『……伝えたいこと……来て』
『……待ってるで』
『……待ってるわ』
耳に響いた声というより、意識に届いた声だった。
そして、それが伝わったと同時に、強い風が吹いて、足元の白い煙が舞い上がり、視界いっぱいを埋め尽くした。
2人の姿も見えなくなる。
真っ白な世界。
僕は驚き慌てて、2人に向かって右手を伸ばした。
「ラプト! レクトアリス!」
ガタッ
視界が暗転し、次の瞬間、僕の目の前には、ダルディオス家の客室の天井が見えていた。
僕の右手は、そこに伸ばされている。
…………。
僕の動きは、そこで止まってしまった。
頭が混乱し、ドクドクと脈打つ自分の心臓の鼓動が、暗くなった室内で妙に大きく響いている。
「……マール?」
僕の行動で、一緒に寝ていたイルティミナさんを起こしてしまったみたいだ。
半分眠った視線が、僕を心配そうに見つめる。
あ……っと……。
僕は「ごめんね」と謝り、彼女の柔らかくてサラサラした髪を撫でてやる。
「……ん」
イルティミナさんは気持ち良さそうに瞳を閉じて、安心したように大きく息を吐いた。
甘えるように、撫でた僕の手に頬を寄せる。
……可愛い。
その様子に心癒され、同時に、浮足立っていた自分の心も落ち着いた。
「…………」
今の夢は、何だったんだろう?
ただの夢?
それとも……?
わからない。
僕は大きく息を吐きだす。
視線を巡らせれば、窓から差し込む淡い月光に照らされて、2つの角と3つ目の描かれた『お守り』が静かに佇む姿が目に入ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
夜中に目が覚めたあと、僕は、もう一度、眠り直した。
そのあとの眠りでは夢を見ることもなく、気がついたら朝になっていて、朝日の中、イルティミナさんのキスで起こされたんだ。
「おはようございます、マール」
陽光に輝く彼女は、本当に美しい。
……えへへ。
僕の自慢の奥さんに、心の中で見惚れながら「うん、おはよう、イルティミナさん」と笑顔を返す。
それから着替えたり、顔を洗ったりして、朝食までの時間を過ごす。
その時に、
「まぁ、ラプトとレクトアリスの夢を見たのですか」
「うん」
と、昨日の夢の話をしてみたんだ。
イルティミナさんは微笑んで、「2人の社殿にお参りをしたので、そのお礼に、2人もマールの夢まで顔を出してくれたのかもしれませんね」なんて言っていた。
その反応に、
(やっぱりただの夢だったのかなぁ)
なんて思えてくる。
でも、少しだけ気にかかるんだよね。……なんでだろう?
そんな自分でもよくわからない不思議な気持ちでいると、やがて、メイドさんがやって来て、朝食の準備ができたことを知らせてくれた。
メイドさんの案内で、食堂へとやって来た。
そこには、僕ら以外のみんなも集まっていて、何やら楽しそうに話をしている姿があったんだ。
(???)
なんか盛り上がってるね?
僕とイルティミナさんは顔を見合わせ、そちらへと近づいていく。
話の輪の中心となっているのは、ソルティスだった。
と、彼女はこちらに気づいて、
「あ、おはよう、イルナ姉、マール」
そう笑いかけてくる。
僕らも笑顔で「おはよう、ソルティス」、「おはようございます」と挨拶を返しながら、自分たちに割り当てられた椅子へと腰かけたんだ。
他のみんなとも挨拶を交わしてから、
「なんだか盛り上がってるみたいだけど、いったい何の話をしていたの?」
と、僕は聞いてみた。
それにソルティスは「ふふっ」と楽しそうに笑いながら、隣の席にいるポーちゃんの頭をキュッと抱きしめる。
ポーちゃんは無表情で、されるがままだ。
そして、
「実はね、昨日、ポーの夢の中に、ラプトとレクトアリスの2人が出てきたらしいのよ」
(……え?)
ソルティスの言葉に、僕とイルティミナさんは驚いた。
それに気づかず、少女は言う。
「まぁ、夢の話なんだけど、2人はポーに何か話しかけてたらしいんだけど、残念ながら聞き取れなかったらしくてね」
「…………」
「それで、何を言ってたんだろうね……って、みんなと話してたの」
そうして、そのまま皆で、その予想をしたり、かつてラプトとレクトアリスがいた時の思い出話などで盛り上がってしまったらしい。
みんなも笑顔で頷いている。
誰もが、ただ懐かしい友人たちの夢をポーちゃんが見た……それだけだと思っているみたいだ。
ポーちゃん自身は無表情なので、どう考えているのかわからない。
「…………」
「…………」
僕とイルティミナさんは、お互いの顔を見る。
それにキルトさんが気づいた。
「どうした?」
その声で、他のみんなも気づいて、視線が僕らに集中する。
あ、うん。
確信が持てなかったので、少し返事が遅れてしまった僕の代わりに、イルティミナさんが口を開いた。
「実は……マールも昨夜、ラプトとレクトアリスの夢を見たそうで」
「何?」
「そうなの?」
キルトさんとソルティスは驚いた顔をする。
フレデリカさんと将軍さんは、思わずといった様子で顔を見合わせ、ポーちゃんの水色の瞳は、真っ直ぐに僕の顔を見つめてきた。
僕は、
「うん、そうなんだ」
と頷いて、昨夜の夢の中で聞こえた2人の断片的な言葉についても、みんなに話したんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
僕の話を聞き終えても、みんなは黙ったままだった。
僕は問う。
「これって、ただの夢かな?」
「わからん」
キルトさんは短く答える。
「わからんが、マール自身は違うように感じておるのじゃろう?」
「……うん」
自信なく、僕は認めた。
すると、キルトさんは諦めたように笑い、皆を見た。
みんな、彼女を見て頷きを返している。
それを受けたキルトさんは、
「ならば、ただの夢ではないかもしれぬな。マール、そなたの勘はよく当たる。その夢は、ラプトたちからの何かしらの伝言じゃと考えた方が良いじゃろう」
そう明るく言った。
えっと……僕の勘なんて、そう大したものじゃない気がするんだけど……?
でも、なぜかみんな納得した顔をしていて、
「まぁ、マールですからね」
と、イルティミナさんなんかは、ちょっと得意げな顔でそう言い切っちゃったんだ。
…………。
ま、まぁいいか。
自分に自信はないけれど、なぜかイルティミナさんに言われると受け入れてしまえる。
(……僕は、自分の奥さんには弱いんです、はい)
そんなことを思っている僕を他所に、ソルティスが口を開く。
「でも、そうなると、レクトアリスたちは何をマールに伝えたかったのかしら? 聞こえた言葉って、そんな大した内容じゃないわよね?」
あ、うん。
『……ワイらの門』
『……伝えたいこと……来て』
『……待ってるで』
『……待ってるわ』
聞こえた2人の声は、これだけだ。
ラプトは訛りが強かったから、『ワイらの門』っていうのは『自分たちの門』って意味だと思うけど……それが何なのかはわからない。
(門……ねぇ?)
みんなで首をかしげていると、ソルティスが「あ」と呟いた。
「そっか、『神界の門』だわ」
え?
あ、そうか。
僕も思い出した。
僕やラプト、レクトアリス、ポーちゃんたちも含めた『神の眷属』は、神界から地上世界に顕現する時に『神界の門』と呼ばれる魔法装置を通るんだ。
僕の場合は、アルドリア大森林・深層部にあった『石の台座』だった。
ラプトたちにも、似たような物があったはずだ。
それを踏まえて考えると、
「自分たちの『神界の門』に、伝えたいことがあるから来て欲しい。待っている……ってこと?」
僕は呟いた。
ソルティスも「そうなるわね」と頷いている。
キルトさんは「ふぅむ」と唸り、将軍さんも、
「伝えたいこととは何だ?」
と、大きな手で顎を撫でながら、疑問を口にした。
……わからない。
わからないけど、だからこそ、行かなければいけないんじゃないだろうか? 僕はそう思った。
僕の奥さんは、軍服のお姉さんを見る。
「フレデリカ。4年前、ラプトとレクトアリスが召喚された場所がどこか、わかりますか?」
「無論だ」
フレデリカさんは頷く。
執事に指示して、地図を持ってこさせ、それを朝食の並んだテーブルの空いている空間に広げた。
アルバック大陸の地図だ。
フレデリカさんの指は、神帝都アスティリオを示して、そこから右上の方向へと大きく滑らされていく。
やがて、その指が止まった。
「ヒュパルス寺院」
彼女は言った。
「400年間、敬虔なるアルゼウス信徒の一族が守っていた古き寺院だ。4年前、ラプトとレクトアリスが召喚された時も、2人を『神の子』として保護してくれていた」
へぇ……。
ちなみに、僕の召喚されたアルドリア大森林・深層部では、人が皆いなくなってて、僕は1人ぼっちだったっけ。
…………。
ま、まぁ、今は僕のことは置いておいて。
地図を見ながら、イルティミナさんが形の良い眉根を寄せた。
「かなり遠いですね」
「あぁ」
頷くフレデリカさん。
「神帝都から北東におよそ120万メード。人気のないかなりの深山渓谷の奥地にある」
120万メードって、
(約1200キロ!?)
物凄く遠い場所じゃないか。
これは簡単には行けないぞ。
ソルティスも『うへぇ……』って顔をしている。
将軍さんは、同じように地図を覗き込んでいるキルトさんの横顔を見つめ、問いかけた。
「どうする、鬼娘?」
「…………」
キルトさんは答えなかった。
……悩ましい所だろう。
気になる夢を見たから、その確認をしたい――そのためだけに移動するには、あまりに距離があり過ぎるもの。
皆の視線が彼女に集まる。
やがて、キルトさんは豊かな銀髪を揺らして、大きく息を吐いた。
そして、
「これは、レクリア王女に判断を仰ぐしかあるまい」
と言った。
(レクリア王女に?)
そう思って、すぐに気づいた。
今の僕らは、パディア皇女殿下の誕生祭に訪れた『シュムリア王国の使節』の一員という立場なんだ。
何をするにも、まず王女の許可がいる。
「それに、レクリア王女がヒュパルス寺院に行くように判断したとしても、次にはアルン国内で活動する許しを、皇帝陛下にも頂かねばならぬな」
と、キルトさんは続けた。
なるほど。
(そうなると、すぐに動けるわけじゃないんだね)
将軍さんは頷いた。
「あいわかった。陛下には、先にワシの方から話を通しておくわい」
「頼む」
キルトさんは、アルンの大将軍に軽く頭を下げる。
彼は笑った。
「構わんわい。あの2人の伝えたいことなら、ワシも気になるからの」
「うむ」
キルトさんも頷く。
将軍さんは、料理の並んだテーブルに視線を落とし、それから一同を見回した。
「まぁ何にしても、まずは朝食にしようではないか。シュムリアの王女様に会うのも、そのあとでもよかろう?」
言われて、僕らはまだ朝食前だったことを思い出す。
グゥ……
思い出した途端、僕のお腹が小さく鳴った。
(って、おい!?)
やめてよ、僕のお腹!?
みんなの視線が集まって、僕はお腹を両手で押さえて、真っ赤になってしまう。
次の瞬間、皆が弾けるように笑いだした。
……うぐぐ。
心の中で唸る僕の肩を、ポーちゃんの小さな手がポンポンと慰める様に叩いた。
「さすがマール、と、ポーは感心した」
「…………」
か、感心しなくていいから!
僕は、ちょっと涙目だ。
そんな僕を見て、みんなはまた笑う。
そうして不思議な夢の話はひとまず置いておいて、僕らは、まずは美味しい朝食を食べることから始めることになったんだ……。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




