520・イルティミナの発熱
第520話になります。
よろしくお願いします。
「ただいまぁ……っと」
帰ってきた自宅の扉を開けて、僕は、誰もいない家の中にそう言った。
隣で、イルティミナさんが「ふふっ」と小さく笑っている。
時刻は夕方。
僕らは、ついさっき2週間ほどのクエストから帰還して、冒険者ギルドへの報告も終えて、自分たちの自宅へと帰ってきたところなんだ。
夫婦一緒に玄関内に入る。
「おかえりなさい、マール。そして、ただいま」
僕の奥さんがそう微笑んだ。
あ……。
僕も笑った
「おかえりなさい、イルティミナさん」
お互いに帰宅と出迎えの挨拶をして、幸せな気持ちを分かち合った。
2週間の留守だったけれど、家の中はそれほど汚れてはおらず、まずは家中の窓を開けて換気を行った。
(ん、風が気持ちいい)
夏だけど、夕方の風は少し涼しい。
僕らは、それぞれに冒険に持っていった荷物を片付けて、そのまま夕食作りに移行することにした。
……ん?
イルティミナさんがおでこに触りながら、天井を見ていた。
視線の先には、特に何もない。
「イルティミナさん、どうかしたの?」
「あ、いえ」
気づいた彼女は、こちらを見て、
「何でもありません。すぐに料理を作ってしまいましょうね」
と微笑んだ。
少しだけ、真紅の宝石みたいな瞳が潤んで見えた。
(???)
僕は「うん」と頷いて、一緒に台所に立つ。
…………。
2人で他愛のない話をしながら、1時間ほどで完成だ。
途中、珍しくイルティミナさんが料理を焦がした一幕もあったけれど、それ以外は問題なく、美味しそうな料理がテーブルに並んだ。
「いただきます」
「ふふっ、いただきます」
一緒に手を合わせて、食事を食べる。
モグモグ
うん、美味しい。
イルティミナさんの作ってくれる料理は、やっぱり最高だ。
(でも、いつもより、ちょっと味が濃いような……?)
そんな気がした。
気のせいかな?
料理が美味しいのは変わらないので、僕は、そのまま食べ続ける。
イルティミナさんは、ゆっくりと食事をし……でも、その手が止まって、長い吐息をこぼした。
(???)
イルティミナさん?
その頬が少しだけ赤く、気だるげな雰囲気はどこか色っぽい。
「…………」
僕は立ち上がり、対面の席にいる彼女の元へと向かった。
「……あ」
近づかれて、イルティミナさんは、ようやく僕の動きに気づいた。
持ち上がった美貌。
その額にかかる柔らかな前髪を、僕は手でソッとどかして、自分のおでこを押し当ててみた。
(……熱い!)
びっくりするぐらい、熱があった。
「あぁ……マールは冷たくて気持ちが良いですね」
瞳を伏せて、彼女はそう微笑む。
こんなに熱があるのなら、これまでにも兆候はあったはずだ。
(それに気づかないなんて……っ)
悔み、自分を責める。
けど今は、それは後回しにして、僕はイルティミナさんを休めるため、彼女に肩を貸しながら寝室へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇
「ごめんなさいね、マール。少し熱っぽいだけですから」
ベッドに横になったイルティミナさんは、そう申し訳なさそうに謝った。
ペタッ
その額に、僕は濡れタオルを乗せる。
実はイルティミナさん、クエストから帰る途中の昨日から、少し体調を崩してた自覚があったらしいんだ。
でも、大したことないと思っていたらしい。
僕を心配させるのも申し訳ないので、黙って、平気なふりをしていたんだって。
(なんてこった……)
言って欲しかったし、気づけない自分も情けなかった。
イルティミナさんは微笑み、
「すぐ治ると思ったのですが、自宅に帰れたことで緊張の糸が切れて、症状を悪化させてしまったのかもしれませんね」
そう言いながら、僕の頬を白い手で撫でた。
病気になっても、心配する僕を気遣おうとしてくれる。
キュッ
頬に添えられた手を、僕は両手で握り締めた。
熱い手だ。
いつものイルティミナさんの体温とは明らかに違って、なんだか泣いてしまいたくなった。
(馬鹿っ)
泣いてる場合じゃないだろ!?
イルティミナさんが病気な今、僕が、ちゃんとがんばらなければいけないんだ。
えっと、えっと……。
(まず医者だ)
でも、どこにいるか僕は知らない。
前世なら電話とかできるけど、この世界にはそんなものはないんだし……そうだ、冒険者ギルドだ。
(ムンパさんに連絡して、手配してもらおう!)
それが一番確実だろう。
ついでに、次のクエストも、イルティミナさんが治るまで延期にしてもらわなきゃいけない。
いや待てよ?
医者よりも『魔法使い』を手配してもらった方が、回復魔法で病気を治してもらえるかもしれないぞ。
ここは異世界なんだ。
そうだ、そうしよう。
ソルティスがいたら彼女に頼めたけれど、生憎、彼女とポーちゃんは、クエストで王都ムーリアを離れてるんだ。
でも、他の『魔法使い』ならきっと見つかる。
だって、冒険者ギルドだもん。
金額がいくらかかるかわからないけれど、イルティミナさんのためなら、貯金を全部使ったって惜しくない!
(よし)
決断した僕は、彼女の手を握り締める。
「ちょっと冒険者ギルドに行ってくるよ。大丈夫、すぐ戻ってくるから待っててね?」
大きく頷きながら、そう語りかけた。
そして、すぐに立ち上がって行こうと思ったんだけど、
「マール!」
ギュッ
繋いだイルティミナさんの手が、強くの僕の手を握って、その動きを引き止めた。
(わっ?)
つんのめる僕。
イルティミナさんの潤んだ瞳は、そんな僕を見つめて、不安そうな表情をしていた。
「行かないでください」
「え?」
「私は大丈夫です。自分の身体ですから、ただの風邪だとわかっています。だから……どうか、そばにいて」
「…………」
イルティミナさんの声は震えていた。
驚いた……。
1人ぼっちになるのが怖いみたいだ。
もしかしたら、体調を崩してしまったことで心も弱くなってしまったのかもしれない。
「でも……」
僕は、迷った。
やっぱり、医者や魔法使いを頼んだ方がいい気がしたんだ。
けど、
「お願いします、マール。どうかお願い……私を……このイルティミナを1人にしないで」
潤んだ瞳に、涙が溜まっていた。
泣きそうな顔だ。
こんなイルティミナさん、初めて見るかもしれない。
まるで幼子に戻ったみたいで、そんな奥さんを1人にしておくことは、僕にはできなかった。
「わかったよ」
彼女を安心させるように微笑み、ベッドの脇に座った。
イルティミナさんは「あぁ……マールっ」と嬉しそうに声を震わせ、僕の手を握った指により強い力を込めてくる。
幸い、この家には常備薬もあったはずだ。
(うん、とりあえずは、それで様子を見よう)
もしも駄目だったら、その時にギルドに行けばいい。
「大丈夫。僕は、ずっとそばにいるよ、イルティミナさん」
僕は笑う。
片手で彼女の手を握りながら、もう一方の手で、その深緑色の綺麗な髪をゆっくりと撫でてあげた。
サラサラした感触だ。
その下にある頭皮は、少し熱っぽい。
頭を撫でられたイルティミナさんも、どこか安心したように笑って、瞳を閉じた。
…………。
こうして僕は、体調を崩してしまったイルティミナさんのため、数日間の看病を行うことになった。
ご覧頂き、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




