517・暗穴を歩む師弟
第517話になります。
よろしくお願いします。
「……ル? 大丈夫か、マール?」
気がついたら、キルトさんの美貌が目の前にあった。
(わっ?)
その近さに驚く。
それから僕は、自分が今、地面の上に寝かされていることに気づいた。
……そうだ。
僕は『岩喰い大蜘蛛』の成体に奇襲されて、巣穴の中へと落ちてしまったんだっけ。
落下中、壁に頭をぶつけた気がする。
きっと、その衝撃で気を失ってしまったんだ。
目を覚ました僕に、キルトさんは、ホッと安心したみたいだった。
「よかった……。痛むところはないか?」
「うん」
ぶつけたらしい頭がちょっと痛いけど、手足も動くし問題はなさそうだった。
僕は、周囲を見回す。
「ここは?」
「巣穴の底じゃ」
僕らがいるのは、斜めになった洞窟みたいな空間で、前方に暗く深い穴が斜面となって続いていた。
カシャッ
キルトさんが、手にしたランタンを持ち上げる。
その明かりに照らされて、僕らの後ろには、大量の土砂が天井まで積み上がっているのがわかった。
「わらわたちは、この上から落ちてきた」
とキルトさん。
僕らが落ちてきた穴は、この土砂で埋まってしまったそうだ。
キルトさんの体感では、30メード以上は落下したみたいだって。
(……30メードも)
その言葉を聞いて、ゾッとした。
キルトさんが一緒にいてくれなければ、気を失った僕は、落下死していたかもしれない。
「助けてくれてありがと、キルトさん」
お礼を言うと、キルトさんは何も言わずに笑って、
ポム ポム
僕の頭を2度、軽く叩いた。
(――あ)
そこで僕は思い出す。
「あの、でっかい岩喰い大蜘蛛は!?」
キルトさんは軽く顎を動かして、近くの地面を示す。
視線を向けると、そこに長さ4メードはある巨大な蜘蛛の足の1本が半ばから斬り落とされ、地面の上に転がっていた。
硬直している僕の耳に、
「手傷は負わせたが、逃げられた」
とキルトさん。
その黄金の瞳は、洞窟の奥の暗闇を見つめている。
そっか。
もしかしたら、気を失った僕がいたせいで、キルトさんは追いかけられず、魔物を仕留め切れなかったのかもしれない。
(……情けないな)
本来、僕とイルティミナさんの2人でやるべきクエストなのに、キルトさんに手伝ってもらいながら、その足を引っ張るなんて……。
パン
キルトさんが、そんな僕の背中を軽く叩く。
「ここにいても始まらぬ。あの魔物を追いかけ、倒さねばならぬ。それに地上への出口も見つけなければの」
白い歯を見せて、そう笑った。
頼もしい笑顔だった。
昔、彼女がパーティーにいた頃の懐かしい感覚を思い出す。
「うん」
僕は大きく頷いた。
それから僕は、魔法で『光鳥』を2羽、作りだし、キルトさんと一緒に真っ暗な魔物の巣穴の中を移動し始めた。
◇◇◇◇◇◇◇
直径は10メードぐらいある巣穴の地面には、傷ついた『岩食い大蜘蛛』の体液が点々と残っていた。
僕らは、それを追いかける。
途中で分岐があっても、迷うことがないのはありがたかった。
(……それにしても暑いな)
汗が頬を伝う。
源泉があるということは、この辺の地下には溶岩もあるわけで、その影響で地熱もグッと高いんだ。
湿度も凄い。
長居したら、蒸し料理みたいになってしまいそうだ。
「む」
ふと先を歩いていたキルトさんが足を止めた。
ん?
どうしたの? と声をかける前に、彼女は背負っていた『雷の大剣』の柄に手をかけ、何気なく前方へと歩いていった。
ヒュゴッ
黒い大剣が振り抜かれ、青い放電が暗闇に弾けた。
キルトさんは再び『雷の大剣』を背負い直す。
(???)
不思議に思いながら近づいてみると、前方の地面に、切断された体長1メードほどの子蜘蛛の死体が3匹、転がっていた。
…………。
「ふむ」
キルトさんは、その中を歩いていく。
まるで羽虫をパッパッと手で払ったような感覚なのかもしれない。
一般人にとっては脅威となる魔物が3体、けれど、キルトさんにとっては敵と認識されることもなく駆除されてしまったようだ。
(凄いな、キルトさん)
僕は嘆息をこぼした。
この人は、本当に僕らとは違う常識の中にいる。
目の前にいるキルトさんの背中で、豊かな銀髪が柔らかく揺れている。
それを眺めながら、ふと僕は訊ねてみた。
「あの……キルトさんは、将来、どういう風になりたいとかって夢はあるの?」
「ぬ?」
彼女は、こちらを振り返る。
キルトさんがいるおかげで、この巣穴にいても脅威を感じなくて、少しお喋りしたい気になってしまったんだ。
キルトさんも応じてくれる。
「将来の夢、か。この年でもあるし、あまり考えたことはないの」
そう苦笑する。
この年って、キルトさんはまだ33歳だ。
戦士としても、女性としても、一番、脂の乗っている時じゃないのかな?
僕は聞く。
「世界一の剣士になりたい、とか、お嫁さんになりたい、とか、どこかの田舎でスローライフを送りたい、とか、そういうことを思ったりしない?」
彼女は「ふむ」と考える。
「剣を極めたいとは思うが、世界一にこだわる気はないの。わらわは、わらわの求める剣の極致に辿り着ければ良い」
「ふ~ん?」
「嫁は……まぁ、相手がおらぬしの」
そう苦笑するキルトさん。
いやいや、アーノルドさんもそうだし、他の男の人たちだって、キルトさんと結婚したいって人は大勢いると思うけど。
そう言うと、彼女はおかしそうに笑った。
「わらわをその気にさせてくれる男がおらんからの」
「…………」
「まぁ、家庭に入るということに漠然とした憧れがないわけではない。この年じゃし、焦らなければいけないのかもしれないが、なかなか心はついて来ぬの」
そういうものかな?
首をかしげる僕を、キルトさんは見つめる。
「そうじゃな。マールがイルナと離婚したら、そなたの嫁になることを考えても良いぞ?」
(はい?)
僕は唖然とする。
いやいや、離婚なんて絶対にしませんよ。
「もう、何言ってるのさ」
キルトさんの冗談に、僕は笑ってしまった。
そんな僕に、キルトさんも微笑んでいる。
でも、その金色の瞳には、様々な感情の色が流れている気がした。
(???)
キルトさん?
彼女は、僕の視線に気づいたように瞳を伏せる。
それから前を見て、
「田舎でのスローライフ、か。それは少し魅力的にも思えるが、実際にするならば、もっと先の話になるじゃろうの」
そう呟いた。
先の話……か。
「それって、どのくらい先?」
「そうじゃの。わらわが剣を持って戦えなくなった時……かの」
「…………」
「戦闘による負傷か、あるいは老いか、どちらにしても、そうなるまではスローライフも考えられぬ」
……どうして?
どうしてキルトさんは、そこまで剣にこだわるんだろう?
「剣が好きじゃからの」
彼女は、そう笑った。
それは屈託のない少女のような笑顔だった。
「わらわの人生は、全てが剣によって切り拓かれてきた。もはや、この手から離れられぬ。その生き方は、これからも変わらぬであろう」
自分の手を見つめて、そう言う。
「それにの」
彼女は瞳を伏せて、
「わらわは、人を守り、救うことで自分に価値を見出しているのじゃ」
そう続けた。
僕は目を瞬きながら、これまで多くの人々を助けてきた女性の背中を見つめた。
彼女は語る。
「幼少時の苦痛を覚えておる。それを消したくて、人を救った。助けを求める人々は、幼い頃のわらわなのじゃ」
「…………」
「人を助けることは、自分を助けることと同義なのじゃ。じゃからこそ、わらわは、これまでも、これからも、自分を助けるために戦い続ける生き方をするのじゃろうの」
その黄金の瞳は、いつもより儚く、美しい輝きだった。
僕は何も言えなかった。
キルトさんは笑う。
「ま、性分じゃな」
そう言いながら、僕の頭に手を伸ばして、茶色い髪を少し乱暴にかき混ぜられた。
温かな手だ。
誰よりも強く、優しいキルトさん。
そのキルト・アマンデスの心の内を、僕は少しだけ覗いてしまった気がした。
◇◇◇◇◇◇◇
僕らは『岩喰い大蜘蛛』の巣穴を歩いていく。
時々、現れる子蜘蛛たちは、僕とキルトさんの剣技によって、あっという間に倒されていった。
「ふぅ」
キルトさんが息を吐く。
あごへと伝った汗を、腕でグイッと拭った。
疲労があるわけじゃない。
単に暑いんだ。
地熱の影響で、巣穴の内部温度は30度以上はありそうだった。
キルトさんの豊かな銀髪も、汗で湿って艶やかに輝きながら、重く背中に流れている。
「やれやれ、帰ったら温泉でゆっくりしたいの」
キルトさんは、そう苦笑した。
僕も「うん」と頷く。
せっかく温泉のあるグラドアニスの街の依頼なんだから、そこで、しっかり汗も洗い流したいよね。
お互いそう思って、僕らは笑い合った。
そして、また巣穴を歩いていく。
すると、
「そういえば、マールの方こそ、将来の夢とかあるのか?」
(ん?)
さっきの質問のお返しか、そんなことを聞かれた。
僕は答える。
「夢というか、目標はあるかな」
「目標?」
「うん」
僕は頷いて、
「イルティミナさんに相応しい男になりたい」
と答えた。
キルトさんは驚いた顔をしている。
ずっと昔から思ってきたことだ。
僕のお嫁さんとなってくれたイルティミナさんは、本当に素敵な女性だった。
大人っぽくて、上品で、綺麗で、可愛くて、強くて、物知りで、何でもできてしまうお姉さんで、それなのに、こんな僕のことを大事にしてくれて、愛してくれる。
愛されて、それは本当に嬉しい。
けど、だからこそ、僕は彼女の隣に立っても恥ずかしくない男でありたかった。
……正直、今の僕では、まだ相応しいとは思えない。
身長も低くて、強さも負けて守られてて、何よりも、その高潔な心に追いつけていない。
僕は言う。
「もっと強くなりたい」
2年前の『闇の子』との戦いで神狗アークインの魂は消滅してしまったからか、かつての狂おしいほどの強さへの渇望はなくなった。
でも、強さを追いたい。
剣の才能は、僕の唯一の取り柄だ。
そこでしか、僕は、イルティミナさんと肩を並べられる部分がないんだ。
剣の道を歩いていれば、心も鍛えられる。
だから、もっともっと強くなって、イルティミナさんに追いついて、彼女の隣にいる自分を誇れるようになりたいんだ。
それが、今の僕の人生の目標。
それ以外のことは、そのあとに考えるべきことだと思うんだ。
「そうか」
僕の話を聞いて、キルトさんは静かに頷いた。
彼女は、少しだけ困った顔をして、
「きっとイルナも同じように思って、必死に前へと進んでいるのかもしれぬな。お互い追って、追われて……なんとも難儀なことじゃの」
そう呟いた。
(???)
どういうこと?
首をかしげる僕に、キルトさんは首を左右に振りながら「いや、何でもない」と答えた。
それから僕を見つめて、
「いつか気づく。それまでは精進するが良い」
「うん」
背中を押してくれるような力強い声と眼差しに、少なくとも応援してくれているのだとわかった僕は、大きく頷いた。
◇◇◇◇◇◇◇
「む」
巣穴を歩いて30分ほどが経った。
幾つかの分岐や上下への段差や坂道を越えて、魔物の体液を追い続けていた僕らは、ようやく足を止めた。
前方の暗闇から、気配がする。
(そこに――いる)
キルトさんの呟きと同時に、僕も気づいていた。
師弟で、それぞれの武器を構える。
キルトさんが視線で僕に指示を出し、理解した僕は、すぐさま『光鳥』を1羽、前方の暗闇へと飛翔させていった。
ピィィン
澄んだ鳴き声を響かせ、暗闇が溶けていく。
そこは、これまでの巣穴よりも広い空間になっていて、壁や天井に白い粘液のような糸が張り巡らされ、卵らしい何百もの楕円形の物体が張りついていた。
(産卵場だ)
そう気づく。
そして、その空間の中央には、大量の体液と足の1本を失った『岩喰い大蜘蛛』の7メードほどの巨躯があった。
1つ潰れて7つになった眼球が、魔法の光に濡れたように輝く。
『ギュチチッ!』
魔物の巨体が立ち上がる。
逃げきれないと悟った『岩喰い大蜘蛛』は、ついにここで決着をつける気になったみたいだ。
ザワザワザワ
足元にも、20体近い子蜘蛛が集まっている。
「ふむ、覚悟を決めたか」
それら魔物の群れを眺めながら、キルトさんは『雷の大剣』を肩に担ぐように構えて、平然とした口調で呟く。
僕には、そこまでの余裕はない。
ギュッ
集中しながら『大地の剣』と『妖精の剣』の柄を握り締めて、正眼に二刀流で構えた。
「マール」
不意にキルトさんに呼ばれた。
「そなたが更なる強さの高みを目指すならば、この程度の魔物に決して後れを取るでないぞ」
それは師匠の声だ。
叱咤激励の言葉に、僕の胸も自然と熱くなる。
「はい!」
大きな声で答えた。
キルトさんの美貌に、笑みが浮かぶ。
それはすぐに獰猛なものへと変わって、その瞳に強い殺意の光が灯った。
「よし、行くぞ、マール!」
鋭い声に応じて、僕は、キルトさんと2人で、眼前の『岩喰い大蜘蛛』の群れへと弾けるように襲いかかっていった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




