492・それぞれの日常へ
第492話になります。
よろしくお願いします。
(ん……?)
翌朝、キルトさんの部屋の客室のベッドで、僕はふと目が覚めた。
窓の外は暗い。
まだ夜明け前だ。
同じベッドには、僕を抱き枕にしていたイルティミナさんが、スヤスヤと眠っている。
(……寝顔も美人さんだなぁ)
僕はほっこり、心を温かくした。
それにしても、なぜ、こんな時間に目が覚めてしまったのかな……? いつもは、こんなことないのにね。
(もう一度、寝るか)
そう思って、目を閉じる。
カシャ カシャン
そんな僕の耳に、かすかな金属の擦れるような音が聞こえた。
(ん?)
なんだろう?
気になった僕は、ベッドから起き上がって、部屋を出た。
暗い廊下を歩いていくと、前方のリビングの照明が点けられていて、明るくなっていた。
そこに、黒い鎧姿の女性がいる。
「……キルトさん?」
僕は、声をかけた。
彼女は、長い銀髪を揺らしながら振り返り、「む?」と驚いた顔をしていた。
足元には、サンドバックみたいな荷物。
そして、背中には、赤い遮雷布に包まれた『雷の大剣』が背負われている。
完全な旅立ちの装備だ。
……え? 何してるの?
戸惑う僕の前で、キルトさんは、少しバツが悪そうに苦笑していた。
「なんじゃ、起こしてしまったか」
その手が、銀髪をかく。
……もしかして、
「キルトさん、僕らに黙って、旅に出るつもりだったの?」
そう問い質す。
キルトさんは視線を逸らして、
「いや、まぁ……改まって見送られるのも恥ずかしいしの。しかし、書き置きぐらいは残しておくつもりじゃったぞ」
そう言いながら、指先で鼻の頭を擦った。
書き置きって……。
いやいや。
いやいやいやいや。
「……キルトさん」
僕は、多分、物凄く据わった目でキルトさんを見つめた。
キルトさんは慌てて、
「待て待て。今度はシュムリア国内にいるのじゃぞ? そんな大事ではあるまい?」
と弁明。
……そんなわけない。
(国内だって旅に出てしまえば、何ヶ月、会えなくなるかわからないんだ)
それなのに、黙って出ていくつもりだった?
睨み続ける僕。
キルトさんは、上下左右に視線を彷徨わせて、
「……すまぬ」
最後は素直に謝ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
すぐにイルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんも起こして、事情を説明した。
案の定、
「ちょ……何考えてんよ、キルト!」
ソルティスは大声で怒った。
イルティミナさんも「貴方という方は……」と氷点下の眼差しを銀髪の美女に送り、ポーちゃんも呆れた雰囲気だった。
キルトさんは苦笑する。
「わらわが悪かった……。見つかった以上は、もう黙っては行かぬよ」
「当たり前でしょ!」
ソルティス、再びのお叱りです。
……全くもう。
(自由人として生活し過ぎて、感覚がおかしくなっちゃったのかな?)
僕は、ため息だ。
とにもかくにも、そうして僕らは、無事にキルトさんの見送りを行えそうだった。
…………。
人気のない冒険者ギルド前に、5人でやって来る。
日の出前だ。
周囲は暗くて、キルトさんは、ランタンを片手にしていた。
見送りの僕ら4人を、キルトさんは振り返る。
「では、行ってくる」
僕らは頷く。
「うん」
「いってらっしゃい、キルト」
「気をつけてね」
「良い旅を、とポーは告げる」
僕らの言葉に、キルトさんは、白い歯をこぼして笑った。
「これから、どこへ向かうの?」
僕は問う。
キルトさんは少し考え、
「そうさの。まずは南の方に向かってみるかの。そのあとは、気の向くままじゃ」
と答えた。
(そっか)
本当に思いつくままに旅をするつもりなんだね。
キュッ
ソルティスが両手を握りながら、
「月に1回ぐらいは、私たちに顔を見せに王都に戻ってきてよ? 同じシュムリア国内なんだから」
と言った。
キルトさんは「月1か?」と苦笑して、
「2ヶ月に1回ぐらいで許せ」
と訴えた。
ソルティスは不満そうだったけれど、「じゃあ、手紙は月1よ」と妥協してみせた。
キルトさんも「わかった」と了承。
それから、キルトさんは、イルティミナさんとポーちゃんの2人を見る。
そして、
「2人とも、マールとソルのこと頼んだぞ」
と告げた。
「もちろんです」
イルティミナさんは、大きく頷く。
「マールは私のものなのですから、頼まれなくとも、あらゆることから守りますよ。ご心配なく」
「そうか」
キルトさんは苦笑した。
それから表情を戻して、
「しかし、あまり守りすぎるな」
「え?」
「守るだけでなく、そなた自身がマールに守られることも、ちゃんとするのじゃぞ」
「…………」
イルティミナさんは意表を突かれた顔だ。
キルトさんは、
「良いな」
と念を押す。
イルティミナさんは思わずといった様子で「わかりました」と頷いていた。
(……僕が守る、か)
ちょっと驚いたけど、うん、僕もがんばろう。
夫婦なんだしね。
心の中で、大きく頷いておく。
そしてキルトさんは、
「ポーの方は……まぁ、大丈夫であるかの。ソルと仲良くの」
「…………」
コクッ
ポーちゃんは、いつもの無表情で頷いていた。
そうしてキルトさんは、こちらに背を向けた。
「ではの」
軽く笑うと、暗闇の街へ、その足を踏み出していく。
コツッ コツッ
石畳を叩く足音が響く。
街灯に照らされる彼女の姿が現れては消え、現れては消え、それを繰り返して、遠くなっていく。
「キルトさんっ」
思わず、その背に呼びかけた。
でも、彼女の歩みは止まらない。
そのまま振り返ることなく、軽く片手をあげて、銀髪の美女の姿は通りの奥へと行ってしまった。
…………。
行っちゃった。
なんだか寂しいような、切ないような気持ちだ。
(……今生の別れじゃないのにね)
心の中で苦笑する。
イルティミナさん、ソルティスの姉妹も、同じような表情だった。
その時、ふと東の空から光が差した。
夜明けだ。
輝く太陽の光が、王都ムーリアの街並みを照らしていく。
……眩しいな。
それに青い瞳を細めて、もう一度、通りを見るけれど、キルトさんの姿は、もうどこにも見当たらなかった。
キルト・アマンデスの旅立ち。
涼やかな早朝の風に吹かれながら、僕らはそれを見送ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
キルトさんと別れてから少しあと、僕ら4人も冒険者ギルドを出ることになった。
半年ぶりの家へと帰るのだ。
「それじゃあね、イルナ姉、マール」
「…………」
ソルティスとポーちゃんが、ギルドの建物前でそう言った。
僕は頷く。
「またね、2人とも」
そう笑った。
長い旅を終えたばかりで、しばらくは休暇だ。
だけど、それを終えたら、僕らは『魔狩人』として、またそれぞれに魔物との戦いの日々に戻っていく。
(次、会えるのは、いつかな?)
キルトさんほどではないけれど、2人ともしばらく会えないだろう。
少しだけ、寂しい。
でも、昔と違って、これが今の僕らの生活なんだ。
「ソル、ポー、それではまた」
イルティミナさんも微笑みながら、血を分けた妹とその相棒となる幼女を見つめて、そう別れの挨拶を告げた。
ソルティスとポーちゃんも笑った。
それから2人は、自分たちの家へと通じる道を歩きだす。
「ばいば~い」
途中、何度か振り返って、手を振って来るので、こちらも手を振り返した。
…………。
遠くなっていく背中。
彼女たちは2人で何かを話したりしながら、そのまま通りを曲がって見えなくなる。
それを見届けて、
「……僕らも帰ろうか?」
「はい」
声をかけると、僕のお嫁さんは微笑み、頷いてくれた。
僕らも帰路につく。
手だけを繋いで、特に会話もないままに歩いていった。
…………。
20分ほどで『イルティミナさんの家』へと半年ぶりに帰ってきた。
(庭の草、伸びてるなぁ)
ちょっと苦笑してしまう。
それから僕ら夫婦は、「ただいまぁ」と久しぶりの我が家に入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇
その日は、そのまま恒例の大掃除となった。
(ふぅふぅ)
いつものことだけど、長く家を空けると本当に掃除が大変だ。
丸々1日かけて、庭の雑草も抜いて、大掃除を終えた。
そのあとは、お風呂だ。
もちろん、イルティミナさんと一緒に入って、汚れてしまった身体を綺麗にした。
…………。
ま、まぁ、ちょっとエッチなこともしちゃったけどね。
でも、仕方がない。
旅の間は、2人きりになれる時間があまりなかったから、こうして遠慮なく一緒にいられるのは、本当に久しぶりだったんだ。
「ふふっ、マール♪」
イルティミナさんも嬉しそうだった。
我慢していた反動か、その日の夜から、彼女はずいぶんと甘ん坊さんモードになっていた。
ずっと離れない。
離してくれない。
「……1人にしないで、マール」
そう瞳を潤ませながら、上目遣いで訴えられてしまったら、もちろん嫌だなんて言えないよ。
いや、そもそも嫌だなんて思わないけどさ。
(むしろ、嬉しいし……)
そんなわけで、僕ら夫婦は3日間ぐらい、ずっと家で2人きりで過ごしたんだ。
…………。
4日目からは、残念ながら仕事だ。
僕の奥さんは、王国が誇る『金印の魔狩人』だった。
だから、彼女の力を必要とするたくさんの依頼が待っていて、僕らは活動再開しなければいけなかった。
(仕方ないよね)
でも本音は、もうちょっとイチャイチャしたかったけど……。
イルティミナさんも、
「もう少し、2人の時間を楽しみたかったですね……」
と、頬に白い手を当て、残念そうにため息をこぼしていた。
あはは……。
そんなわけで、僕ら2人は、いつものように支度を整えて、冒険者ギルドを訪れる。
受付で『金印のクエスト』を受注。
(ふむふむ?)
今度は、北部山地に出現する『赤熱の巨人』の討伐クエストか。
カシャッ
イルティミナさんは、白い槍を片手に僕を見た。
「それでは、今回もよろしくお願いします、マール。お互いに怪我のないように、集中して参りましょう」
そう声をかけてくる。
(うん)
僕は頷いて、
「よろしくお願いします、イルティミナさん」
と笑った。
イルティミナさんも微笑み、頷いてくれた。
そうして僕らは、北部山地へと向かう馬車か竜車をチャーターするため、冒険者ギルドを出る。
(……ん)
建物を出ると、強い日差しが降り注ぐ。
ドル大陸への旅をしている間に、季節は初夏を迎えていた。
「マール、行きますよ」
「あ、うん」
先を行く彼女に優しく呼ばれて、太陽の輝きに青い瞳を細めていた僕は、慌ててあとを追いかけていった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




