475・切った髪
第475話になります。
よろしくお願いします。
航海の日々は、順調に進んだ。
シュムリア王国とアルン神皇国の大型船2隻は、仲良く並走しながら、ドル大陸への海上を進んでいる。
そのシュムリア大型船の甲板では、連日、僕らの稽古が行われていた。
「やっ! はっ!」
ガッ カィン
僕の振るった2つの木剣を、フレデリカさんの木剣が丁寧に防ぎながら、カウンター剣技を放ってくる。
それを間髪でかわして、懐に飛び込み、
「やっ!」
最速の技である『柄打ち』を繰り出した。
ガチン
読まれていたのか、なんと僕の『柄打ち』にフレデリカさんも『柄打ち』をぶつけてきた。
(うわっ!?)
予想外の反撃。
そして、体重の軽かった僕の方が後方に弾かれた。
シュン パシン
姿勢の整っていなかった僕の右手の木剣が、フレデリカさんの木剣で弾き飛ばされ、遠い甲板に落ちる。
「くっ」
残った1本を、焦って両手で構える。
でも、間に合わなかった。
パカァン
脳天に、フレデリカさんの木剣が叩き込まれた。
痛い……っ。
実戦だったら、頭蓋を割られて、僕の負けだ。
「……参りました」
痛みで涙目になりながら、僕は降参した。
残心を忘れず、木剣を構えていたフレデリカさんは、大きく息を吐いて、ようやく木剣を下ろした。
「ふぅ」
熱そうな吐息。
それから、満足そうに笑って、
「どうやら、年長者としての威厳は保てたようだな。私も、まだまだマール殿には負けるわけにはいかない」
とおっしゃる。
うぅ……。
フレデリカさん、本当に強いや。
(……僕も、それなりに強くなったと思ったんだけどなぁ)
だけど、結果はこの通り。
結局、神体モードを使わない地力は、僕は、フレデリカさんの領域にも届いていなかったみたいだ。
……正直、ちょっと悔しい。
「私は、これでもパディア皇女殿下の近衛騎士だ。アルン国内でも上から数えた方が早い力量ではあるんだぞ?」
軍服の美女は、そう苦笑する。
「マール殿の剣も見事だった」
「…………」
「私もキルト殿との稽古では自信を失いかけたが、なかなかどうして、やるものだろう?」
そう、からかうように言う。
僕も苦笑して、頷いた。
「うん、フレデリカさん、本当に強かったよ」
「そうか」
フレデリカさんは、とても嬉しそうだ。
それから彼女の視線は、同じ甲板上へと向けられた。
そこでは、僕らと同じように、キルトさんがイルティミナさんと、ソルティスがポーちゃんと稽古をしている姿があった。
カッ ガィン パァアン
激しい衝突音が響く。
ポーちゃんは、ソルティスの攻撃を余裕をもって受け、かわしている。
指導稽古、そんな感じだ。
一方で、キルトさんとイルティミナさんは、それこそお互いの力量をぶつけ合い、更なる高みを目指している感じだった。
ほぼ実戦。
その領域は、あまりに高くて、僕は少し遠い目になってしまった。
「……あの2人の強さは、本当に規格外だな」
呆れたようなフレデリカさんの声。
僕も「……うん」と頷いてしまった。
まぁ、仕方がない。
あの2人は『魔血の民』で、僕とフレデリカさんは違う。僕らは、自分たちのペースで強くなるしかないんだ。
上には上が。
世の中には、更にポーちゃんみたいな存在もいるんだしね、うん。
「少し休憩しないか、マール殿?」
他のみんなを見つめる僕の横顔を眺めて、フレデリカさんがそう提案してきた。
ん、そうだね。
日差しを遮るもののない甲板で、汗もいっぱいかいた。
「うん、そうしよっか」
僕は頷いた。
水分補給も大事だもんね。
フレデリカさんは笑って、「ああ」と頷いた。
それを見て、僕も笑顔になる。
そうして僕とフレデリカさんは、甲板で稽古をするみんなを残して、一度、船室へと戻ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
船内食堂で、テーブルを囲んで果実水を飲む。
魔法で冷やされた飲み物は、とても冷たくて、日差しに焼けた身体にはとても心地好かった。
そうして休憩しながら、僕は、フレデリカさんと話をした。
「キルト殿は、少し変わられたな」
とアルン神皇国のお姉さんは言った。
(……変わった?)
僕は首をかしげる。
「自分が背負ってきた重荷を、イルティミナ殿が引き継いでくれた。それによって、ようやく自分らしく生きられているように思える」
「…………」
「自由を満喫している、と言えば良いのか……雰囲気が、とても明るくなった」
そうなんだ?
フレデリカさん曰く、前は張り詰めた何かがあって近寄りがたいものがあったが、今のキルトさんは、とても大らかで柔らかく、話しかけ易くなったそうなんだ。
(ふぅん)
アルン神皇国で暮らしているキルトさんは、そう見えるんだね。
シュムリア王国を旅立ってからのキルトさんを、僕らは知らない。だから、そうした話を聞けるのは興味深かったし、嬉しかった。
フレデリカさんは小さく笑って、
「だからという訳ではないが、ダルディオス家に滞在している彼女には、貴族からの求婚の手紙がよく届く」
(ふぇっ!?)
僕は驚いて、口に含んでいた果実水を吹きそうになった。
目を丸くする僕に、彼女は笑う。
「アルン、シュムリアの両国国家に認められ、国民からも信奉される英雄だ。当然、自分たちの家に引き込みたいという者も多いだろう。キルト殿は美人でもあるしな」
そ、そっか。
(言われてみれば納得だけど、ちょっとびっくりしちゃったよ)
僕は「ほぇ~」と息を吐き、
「キルトさんは、どう返事してるの?」
「全て断っている」
バサッと切り捨てるように、フレデリカさんは答えた。
あらら……。
ようやく自由になったのに、堅苦しい貴族の仲間入りなどするものか、とキルトさんは僅かの検討もすることもなく、全ての求婚を断っているそうだ。
貴族であるフレデリカさんは、苦笑ばかりだ。
僕も苦笑してしまう。
「まぁ、キルトさんらしい、かな」
「そうだな」
僕らは頷き、そして笑い合ってしまった。
そして、フレデリカさんの碧色の瞳が、少し細められながら僕の顔を見つめる。
「私も、よく縁談の話を受けている」
「え!?」
僕はまじまじと、目の前のお姉さんを見つめてしまった。
彼女は微笑み、
「これでも、名門ダルディオス家の娘だしな。私の夫となる者は、ダルディオス家の次期当主にもなる。貴族界隈では、それなりに人気なんだ」
そ、そうなんだ?
フレデリカさん自身も、もう23歳。
年齢的には、もう婚期が遅い方だそうで、父親である将軍さんからもそういう話を持ち掛けられているのだそうだ。
「ま、私も全て断っているがな」
と、フレデリカさんは言った。
(……どうして?)
そう問いかける視線に気づいて、彼女は笑みをこぼす。
「私は、皇女殿下の近衛騎士になったばかりだ。結婚をすれば、その役目を辞さねばならない。皇家に対して、そのような不忠な真似はできん」
凛した答え。
僕は「おぉ……」と唸ってしまった。
さすが、アルン神皇国の騎士様だ。皇帝陛下や皇女殿下への忠誠は、とても深いものみたいだ。
と、
「それに私の身体は傷だらけだ。女としての価値はないに等しい。……伴侶への思いもなく、貴族としての実利だけで、ただ情けをかけられるような結婚はしたくないのだ」
そう自嘲するように言った。
(……えぇ?)
女としての価値がないって、そんなことないと思うけど……。
フレデリカさんの指が、自身の青い髪に触れる。
短くなった髪。
一見すると、青年と間違われてしまいそうなほどの長さだ。
「この髪も、私が女を捨てていることを示し、少しでもそういった縁談を持ち掛けられることが減るようにと切ったんだ」
そんな理由で……?
(もったいない)
フレデリカさんの青い髪は、とても綺麗で、素敵だった。
今の髪型も似合っているけれど、そういう理由で、切ってしまったのだとしたら、僕はもったいないと思えてしまったんだ。
僕は言う。
「フレデリカさんは、素敵な女性だよ」
彼女は、少し驚いた顔をする。
「縁談を申し込んだ人の中には、ちゃんとフレデリカさん自身に惹かれて、結婚したいと思った人もいると思うよ? そんな思い込みで断ったら、なんだか悲しい気がする」
「…………」
「もう少し、フレデリカさんは、自分の魅力を自覚していいんじゃないかな?」
そう言いながら、僕は、彼女の美貌を見つめた。
確かに、頬に傷がある。
服の下にも、たくさんの傷があるんだろう。
(でも、それがなんなのさ?)
それでフレデリカさんの魅力が損なわれるわけでもない。むしろ、これまでの彼女の立派な人生を感じさせるものだ。
僕は、そう思う。
きっと同じように思ってくれる男の人はいるはずだ。
そんな思いを込めて、彼女を見つめた。
「…………」
フレデリカさんは、僕の視線を受けて、少しだけ切なそうに微笑んだ。
「マール殿は優しいな」
「…………」
「そう言ってもらえるだけで、私としては充分だ。その思いがあれば、私はこれからも1人で生きていける」
「…………」
「ありがとう、マール殿」
嬉しそうに、でも、どこか悲しそうに笑うフレデリカさん。
その顔を見ていたら、僕もこれ以上、何も言えなくなってしまった。
と、その時、
「こんなところにいたのですね、マール?」
船内食堂の入り口から、そんな声が聞こえた。
(え?)
振り返れば、そこには、僕のお嫁さんであるイルティミナさんが立っていた。
彼女は、僕を見つけて、ホッと息を吐く。
「マールとフレデリカの姿が見えなくなっていたので、探してしまいました。もう……どこかに行くなら、私にも一声かけてください」
そう言われてしまった。
心配させちゃったのか。
(ごめんね、イルティミナさん)
でも、ありがとう。
同じ船の中にいるんだから、そんな心配することもないだろうけれど、イルティミナさんは僕にちょっと過保護なところがあるからね。
まぁ、そこも可愛いのだ。
イルティミナさんは、少しだけ剣呑な眼差しでフレデリカさんを見ている。
フレデリカさんは苦笑した。
「水分補給がてら、少し話をしていただけだ。貴殿は、マール殿の妻として、もっと余裕を持ったらどうだ?」
そんなことを言う。
イルティミナさんはかすかに瞳を細めて、
「相手が貴方でなかったら、私もこれほど心配はしないのですが……ね」
と低い声で応じた。
それは予想外の言葉だったのか、フレデリカさんは、驚いたように瞳を見開いていた。
イルティミナさんは息を吐く。
それから、僕へと微笑みかけて、
「さぁ、マール。休憩が終わったようでしたら、次は私と稽古をしませんか?」
「うん、いいよ」
イルティミナさんの誘いに、僕は笑って頷いた。
席を立つ。
「それじゃあ、またあとでね、フレデリカさん」
「あぁ、また」
フレデリカさんは頷いた。
僕は、イルティミナさんの元へと駆け寄って、一緒に船内食堂を出ていった。
(…………)
その間、フレデリカさんの視線がずっと僕の背中を追いかけているのを感じて、なんとなく落ち着かない気持ちになった。
◇◇◇◇◇◇◇
イルティミナさんと一緒に、甲板へと向かう船の廊下を歩いていく。
彼女は、僕のすぐ右斜め前にいる。
その背中では、歩みに合わせて、太ももまで届くほど長く艶やかな深緑色の髪が柔らかく揺れていた。
(…………)
僕は、彼女の横顔を見上げて、
「イルティミナさんは髪を切りたいって思ったこと、ある?」
「え?」
少し驚いたように、僕の奥さんは振り返った。
僕の顔を数秒見つめ、
「そうですね。若い頃は、動く時に邪魔になりそうで切りたくなった時もありましたが」
と答えた。
(そうなんだ?)
彼女は微笑む。
「ですが、冒険者をしていても自分が女であることを忘れないようにと、結局は伸ばしていましたね。長い髪というのは、私にとって女らしさの象徴でもありましたので」
その理由は、母の影響だという。
イルティミナさんにとって、母親のフォルンさんは、最も美しく女性らしい憧れの存在で、そんなフォルンさんも髪の長い女性だった。
だからイルティミナさんも、髪が長く綺麗な女性になりたいという思いがあったそうなんだ。
(へ~、そうなんだ?)
それは初耳だ。
でも、確かにイルティミナさんの髪って綺麗だし、とても長くて素敵だよね。
その光沢のある髪を、まじまじ見てしまう。
そんな僕を、イルティミナさんもジッと見つめてきた。
そして、
「もしかして、マールはフレデリカのような短い髪の女の方が好みでしたか?」
と聞かれた。
(え?)
その表情は柔らかいけれど、その瞳にある光は真剣だ。
…………。
僕は、正直に答えた。
「長くても、短くても、その人に似合っているならそれでいいと思う。だから、僕の好みは、髪の長さは関係ないよ」
「そうですか」
イルティミナさんは、瞳を伏せる。
そんな彼女に、僕は続けた。
「でも、強いて言うならば、僕の好みは『イルティミナさんの髪』かな? イルティミナさんの髪なら長くても短くても、僕は大好きだよ」
そう笑う。
イルティミナさんは驚いた顔だった。
真紅の瞳を丸くしていて、やがて、僕の言葉の意味をわかってくれたのか、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、マール」
安心したような声。
そのまま白い手が伸びてきて、僕の手をキュッと握る。
僕の指も、彼女の手を握り返した。
僕らは、笑い合う
「さぁ、行こう?」
「はい」
そうして僕とイルティミナさんは、お互いの手をしっかりと繋いだまま、光が差し込む甲板への出入り口に向かって歩いていった。
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※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




