358・少女の稽古
第358話になります。
よろしくお願いします。
「さぁ、行きましょうか」
翌朝、外出の準備を整えた僕らは、イルティミナさんの家を出発した。
服装は、普段着だ。
冒険者としての装備も持っていない。
(……遠出する訳じゃないみたいだ)
そんなことを思いながら、彼女と手を繋いで、王都の市街地の方へと歩いていく。
チラッ
彼女の横顔を伺う。
イルティミナさんは穏やかな表情で、僕の視線に気づくとニコッと笑ってくれた。
出かける目的地も理由も知らない。
(……でも、いいか)
僕はイルティミナさんを信じている。
それに、
(一緒にお出かけできるだけでも、嬉しいんだ……)
その幸せに、つい僕は笑ってしまった。
イルティミナさんも笑ってくれる。
僕らは、2人きりのお出かけを楽しむ気持ちで、のんびりと道を歩いていった。
◇◇◇◇◇◇◇
やがて辿り着いたのは、思わぬ所だった。
目の前には、よく見慣れた、白亜の塔のような建物がある。
(……っていうか、『月光の風』だ)
僕らの所属する冒険者ギルドの前へと、僕とイルティミナさんはやって来ていた。
僕は、隣のお姉さんを見上げる。
「ここが目的地?」
「はい」
イルティミナさんは笑って、頷いた。
それから彼女は「こっちですよ」と言って、歩きだす。
(おや?)
向かった先は、建物の入り口ではなく、建物の外周に沿って造られた小道だった。
石畳の小道。
周囲には、綺麗に剪定された木々や草花が茂っている。
僕ら以外に人はなく、やがて進んでいくと、広い庭園へと辿り着いた。
「へ~?」
こんな場所があったんだ?
(初めて知ったよ)
芝生と花壇、ベンチなどがあって、奥には雄大なシュムリア湖の景色が広がっている。
見惚れていると、
「マール、こちらへ」
とイルティミナさんに呼ばれた。
彼女は、シュムリア湖の方へと向かっている。
僕も、すぐに追いかけた。
やがて、湖畔の岸辺が見えてくる。
そこに辿り着く直前で、イルティミナさんは足を止めると、そばにある木の影へと身を隠した。
(?)
そこから手招きされる。
訳がわからないけれど、僕も素直にその木の陰に身を隠した。
イルティミナさんは唇に人差し指を当てて、僕を見る。
それから、視線を湖畔へと送った。
僕も、そちらを見た。
(……あ)
そこには、木剣を持った2人の人影があった。
その2人とは、
「キルトさんとソルティス……?」
僕もよく知った、大切な仲間の2人だった。
◇◇◇◇◇◇◇
「やっ! はっ!」
カッ ガチン
ソルティスは掛け声と共に、キルトさんに木剣を振り下ろす。
キルトさんは余裕を持って、それを受け、
「踏み込みが甘い! 恐れず、もっと思い切り来い!」
そう叱咤する。
……どうやら、2人は剣の稽古をしているみたいだ。
(でも、なんで?)
いつも、キルトさんが午後に僕の稽古に来てくれた時に、ついでのようにソルティスも剣の扱いを教わっているのは知っている。
でも、それはほんの短時間。
手習い程度の稽古だ。
こんな風に、2人で本格的な稽古をしているなんて、僕はまるで知らなかった。
そんな呆然とする僕の耳に、
「ソルには、口止めされていたのですけどね」
イルティミナさんの声がした。
彼女は、妹のがんばりを見つめながら、
「ここ最近、あの子が『キルトの部屋』に泊まりに行っていたのは、私たちに気を使ってだけではなかったのですよ。キルトに稽古をつけてもらいに行っていたんです」
と教えてくれた。
(そうだったの?)
僕は驚いた。
改めて、キルトさんとソルティスを見る。
「たぁ!」
ガツン
少女の剣は、昔、僕と稽古をした時に比べて、遥かに洗練されている。
甘いところもあるけど、
(でも、本物の剣士らしくなってるよ)
その事実に、より驚いてしまう。
だって、彼女は『魔法使い』なんだから。
「だからこそ、ですよ」
その姉は、そう言った。
「魔法使いの弱点は、魔法の発動前に距離を詰められ、攻撃されることです。その弱点を克服するために、あの子は剣の稽古をしているのですよ」
「…………」
僕は、黙り込む。
でも、そうさせないために、いつも戦闘の時に、僕がソルティスの護衛をしてるのに……。
イルティミナさんは言う。
「ソルは、それが嫌なのですよ」
「…………」
「貴方に守られるのが嫌なのではありません。貴方の実力を認めているからこそ、その戦力を、自分のために戦線に投入できなくなることが嫌なのです」
そうなの?
……確かに、ソルティスが自衛できるなら、僕も前線で戦える。
だけど、
(その分、ソルティスが危険になるよ……?)
僕は、少し複雑な心境だ。
イルティミナさんは苦笑した。
「そのための稽古ですよ」
「…………」
「ほら、見ていてください」
促されて、僕は視線を、2人の仲間の稽古に戻した。
ガツッ ガキン
木剣がぶつかり合う。
当たり前だけれど、ソルティスの剣は全て防がれ、キルトさんにはまるで届かない。
その時だった。
ヒュン
ソルティスが両手ではなく、片手で木剣を振った。
少女の筋力は凄まじい。
『魔血の民』である彼女は、右手1本でも、重い木剣を素早く振り抜いていた。
ガチン
その剣を、キルトさんはあっさり受け止める。
でも、
(……え?)
ソルティスの左手の人差し指が光っていた。
指輪だ。
その指輪の宝石が光っていて、ソルティスの指の動きに合わせて、空中に光るタナトス魔法文字を描きだしたんだ。
「弾けろ! ――フレイム・アロア!」
キュババッ
魔法文字から、『炎の矢』が3本、噴き出す。
「ぬっ!」
キルトさんは、間一髪で首を捻って『炎の矢』の1本をかわし、残りの矢も木剣で叩き砕いた。
ボシュシュッ
炎が散り、白煙が舞う。
その中で、ソルティスは両手で剣を握り、
「おりゃああ!」
渾身の振り下ろしを放った。
「甘い!」
ガキィイン
キルトさんの木剣が凄まじい勢いで振り上がり、ソルティスの手から木剣を弾き飛ばした。
カララン……ッ
シュムリア湖の湖畔に、木剣が落ちる。
キルトさんの木剣は、無手となった少女の顔の前へと突きだされていた。
「くぅ……負けたわ」
ソルティスは悔しそうだ。
キルトさんは笑った。
「魔法のタイミングは悪くなかった。しかし、狙いが雑じゃったの」
そう言って、剣を引く。
少女は、
「発動速度を重視してるから、精度が落ちるのよ……」
と唇を尖らせる。
「今後の課題じゃの」
「そうね」
「どうする? まだ続けるかの?」
「もちろん!」
銀髪の美女に、鼻息荒く応えて、ソルティスは落ちていた木剣を拾った。
キルトさんも木剣を構える。
「よし、来い」
「うりゃあああ!」
ソルティスは雄叫びをあげながら、再びキルトさんへと襲いかかっていった。
…………。
今の光景に、僕は唖然となっていた。
(なんだ、今の……?)
剣の攻撃と合わせて、魔法を発動した?
そんなことができるなんて……。
今まで、多くの人を見てきたけれど、そんな戦法を使った人は誰もいなかった。
「ソルが編み出したんですよ」
イルティミナさんが教えてくれた。
「あの子は、自分が剣士として、そこまで実力がないことを自覚しています。ですから、それを補うために、あの高速魔法を作りだし、剣技の合間に繰り出せるように練習しているんです」
「…………」
「いうなれば、魔法剣士。あの子は今、それを目指しています」
魔法剣士……。
少女の目指している高みに、僕は、少し震えてしまった。
そんな僕に、
「わかりますか、マール?」
イルティミナさんが問いかけた。
「あの子は、あの子なりに強くなっているのです。もちろん、私も、そしてキルトも。皆が鍛錬し、日々、強くなっています」
彼女は、僕の青い瞳を見つめる。
僕の両肩に手を置いて、
「確かに、貴方は『闇の子』や『タナトス王』に及ばないかもしれません。ですが、貴方は1人ではありません。私たちが一緒にいます。他にも、力を貸してくれる者はいるでしょう」
落ち着いた、けれど力のこもった声だ。
その声が、僕の心に染みる。
「冒険者がパーティーを組むのは、1人では勝てぬ魔物にも、皆の力を合わせれば勝てると知っているからです」
真紅の瞳は、とても優しくて、力強い。
そして彼女は微笑んで、
「強さを追い求めるあまり、どうか私たちのことを忘れないでくださいね」
そう大切なことを思い出させてくれた。
僕は、
「……うん!」
大きく頷いた。
相手の強さに焦るあまり、大事なことを忘れていたみたいだ。
そんなこちらの表情を見つめて、イルティミナさんは、どこか安心したように微笑み、僕の頭を優しく撫でてくれた。
カツッ ガチンッ
湖畔の稽古は、まだ続いている。
(あ)
一瞬、キルトさんがこちらを見た。
僕らの存在に気づいていたみたいだ。
(さすが、キルトさん)
イルティミナさんは、彼女へ軽く会釈する。
ソルティスの方は、稽古に夢中で、こちらには気づいていないみたいだった。
(…………)
しばし、その姿を見つめる。
それから、
「行こうか、イルティミナさん」
「はい」
僕とイルティミナさんは笑い合い、こっそりとその場をあとにした。
カッ ゴツッ
「やぁああ!」
少女の掛け声が遠く聞こえてくる。
広大なシュムリア湖の湖畔からは、いつまでも、その熱心な稽古の音が響き続けていた――。




