351・魔隠の遺跡
第351話になります。
よろしくお願いします。
季節は、冬から春に変わろうとしていた。
最近は、寒さの緩む日もある。
けれど、上空の空気は冷たくて、僕らはそれを切り裂きながら、シュムリア王国の空を西へと向かっていた。
ヒュゴオオオッ
強い風圧が、僕の身体を叩く。
僕らがいるのは、高度2000メードの青い空、そこを飛ぶ『竜』の背中だった。
アルン神皇国との国境付近にあるという『魔の勢力』の拠点、そこへと向かって、僕らは今、移動している最中なんだ。
一緒にいるのは、『シュムリア竜騎隊』。
レイドルさん、アミューケルさん、ラーナさんの3人とその騎竜3体、暗黒大陸に向かった時のメンバーだった。
先頭を飛ぶレイドルさんの赤い竜には、キルトさんが乗っている。
真ん中の紅い竜には、僕と姉妹が乗り、そして最後尾の紫色の竜には、旅の荷物が積まれていた。
「寒くないっすか?」
紅い竜の頭部に座る竜騎士――アミューケルさんが、そう声をかけてくる。
僕は、
「大丈夫です!」
風に負けないよう大きな声で返事をする。
寒さ対策で、防寒ローブはしっかりと着込んでいた。
(風圧で、ちょっとバタバタするけど……)
でも、おかげで上空の寒さにも耐えられる。
あと、竜自身が凄い体温が高いみたいで、座っている座席の下からも、ほんのりした温かさが伝わってくるんだ。
ペタッ
その鱗に触る。
手のひらには、じんわりとした熱が感じられた。
(うん)
力強い生命力を感じて、僕は笑った。
そうして鱗を撫でていると、隣の席に座っているソルティスが呆れた顔をしていた。
「アンタ、本当に竜が怖くないのね」
(ん?)
見たら、イルティミナさんも苦笑している。
2人とも、やっぱり竜の近くにいるのは苦手みたいだ。
……そんなに怖いかな?
でも、確かにライオンとか熊とか、鮫とか、そういう生物が近くにいたら怖いかもしれない。
僕は、竜が好きだ。
それは前世の世界から続く『憧れ』みたいなもので、だから、僕としては単純に嬉しいんだけど、この世界の一般的には、『竜』は『人喰いの恐ろしい生物』という認識になるのかもしれない。
僕の反応に、アミューケルさんは笑った。
「マール殿は、竜騎士の素質があるかもしれないっすね。いっそ冒険者を辞めて、竜騎士にならないっすか?」
なんて誘われた。
(あはは)
冗談でも、そう言ってもらえると嬉しいな。
ちょっと真に受けてしまったのか、イルティミナさんは慌てて「だ、駄目ですよ!」と僕を抱きしめ、アミューケルさんを睨んだ。
ソルティスは呆れている。
アミューケルさんは苦笑して、
「どっすか?」
と、もう一度、僕に問いかけた。
僕は頭を下げる。
「ごめんなさい。僕は、まだ冒険者でがんばります」
「…………。そっすか」
アミューケルさんは、少し残念そうに笑った。
イルティミナさんは、ホッと息を吐いている。
それから僕へと甘く微笑みかけ、慈しむように髪を撫でてくれた。
(ん……気持ちいいな)
僕は、つい青い瞳を細めてしまう。
そんな僕の様子を眺めて、アミューケルさんは、
「ま、気が変わったら、いつでも言って欲しいっす」
と付け加えた。
そうして、手綱を鞭のように振るう。
パシッ
それは紅い鱗で弾け、竜は短く『グォオン』と吠えると、空を飛ぶ速度を上げた。
「わっ?」
「……くっ」
「きゃあ!?」
驚く僕ら3人。
そうして僕らを乗せた巨大な紅い飛竜は、他の2体の竜と共に、アルン神皇国との国境を目指して、一路、空を突き進んでいった。
◇◇◇◇◇◇◇
やがて、3体の竜は低空を飛び始めた。
ヒュウウウッ
地上から生える木々まで、数メードしかない。
鍛え上げられた竜と竜騎士は、見事な飛翔で地表スレスレを移動して、やがて、山脈の中の1つの山の中腹へと着陸した。
「ここからは歩くよ」
レイドルさんは、そう言った。
僕ら4人と竜騎士3人、それに竜3体は、山の木々の中を歩いていく。
やがて、到着したのは、着陸した中腹からグルリと山を回り込んだ、反対側の中腹だった。
そこでは、5人ほどの王国騎士さんたちが、野営を行っていた。
彼らは、到着した僕らに敬礼する。
僕らは会釈して応えた。
「状況は?」
「変化ありません」
レイドルさんの問いに、彼らはそう答える。
それからレイドルさんは、アミューケルさんとラーナさんに休憩するように伝え、僕ら4人を誘って、茂みの奥へと向かった。
「お疲れっしたね」
「ゆっくりしててぇ」
2人の女性竜騎士は、自分たちの竜に優しく声をかけたり、首を撫でたりしている。
(いいなぁ)
それを見ながら、僕は、レイドルさんのあとを追いかけた。
◇◇◇◇◇◇◇
「あそこが連中の拠点だよ」
茂みの中に身を隠すようにしながら、レイドルさんはそう言った。
……どこ?
彼が示す先にあるのは、ただ広大な森林の景色のみだった。
困惑していると、
「はい、これを使って」
と、レイドルさんに望遠鏡を渡された。
3人も受け取る。
僕らはそれを目に当てて、改めて、森の景色を眺めた。
そんな僕らの耳に、
「ここから南西に10000メード。そこに小高い丘があるだろう? それが拠点だよ」
そう説明する声が聞こえた。
(……って、10キロ!?)
想像以上の距離に驚くけれど、これ以上、近づくと見つかってしまう危険があるのだとか。
連中は、魔物になれる。
魔物の索敵能力は、人間よりも遥かに鋭敏なので、これぐらいの注意が必要なんだって。
(そうなんだ……)
その脅威を、改めて認識だ。
山の反対側に着陸したのも、それを警戒してだったんだね。
そんな説明を受けながら、僕らは望遠鏡のレンズに映る景色を確かめていく。
(……あれかな?)
しばらく探して、その丘を見つけた。
森にある、ただの丘だ。
木々が生い茂り、草葉の間に、岩のような大地が見えている。
(……いや?)
あれは、岩の大地じゃなくて、遺跡だ。
多分、タナトス時代のもの。
その古代遺跡が、長い年月で森の木々に飲み込まれ、小さな丘になってしまったんだろう。
「!」
その遺跡の窓に、人影があった。
青い刺青。
それがはっきりと確認できる。
外の見張りをしているみたいで、でも、こちらには気づかれていないみたいだ。
もう1人、姿が見えて、すれ違いざまに会話を交わした。
その相手にも、あの刺青があった。
……間違いない。
(あそこは、『魔の勢力』の拠点だ)
そう確信する。
僕らは、望遠鏡を外した。
同じものを見ていたようで、キルトさん、イルティミナさんは険しい顔をしている。
ソルティスは、顔色が悪い。
そんな僕らに、レイドルさんが教えてくれた。
「あの拠点にいる『刺青の男女』は、20人前後。『闇の子』と『タナトス王』は6日前に拠点を出てから、まだ戻っていない」
……あの2人はいないんだ?
そのことに、少し安心している自分を感じる。
正直、『究極神体モード』で『タナトス王』に敗北し、その『タナトス王』を『闇の子』が打ち破ったことで、僕は2人に勝てる自信をなくしていた。
(……認めたくないけど)
あの2人は、今の僕らよりも強い。
だから、その不在に、僕は安心してしまったんだ。
…………。
でも、あそこには20人もの『刺青の男女』がいる。
その1人1人が、かつての『銀印』だったイルティミナさんと互角か、それ以上の強さなんだ。
あの2人がいなくても、
(……楽観はできないよね)
僕は、自分を戒める。
歴戦の『金印の魔狩人』であるキルトさんは、竜騎士の隊長を見つめた。
「作戦はあるのか?」
そう問いかける。
レイドルさんは「あぁ」と頷いた。
◇◇◇◇◇◇◇
レイドルさんは、地面の上に、この周辺の地形が描かれた地図を広げる。
その指が、地図上に置かれた。
「現在地がここ」
「うむ」
「そして、拠点の位置はここだ。その間は、木々の密集した森になっている」
彼は、僕らを見た。
「キルトたちには、この森を抜けて、地上から拠点に接近して欲しい」
と言われた。
そして彼の指は、拠点を挟んで、僕らのいる中腹とは反対側の空間を示す。
それから、
「俺たちは、この空を飛ぶ」
と言われた。
「拠点を探しているふりをしながら、あえて連中の注意をこちらに引き寄せる。その間に、キルトたちは拠点に到達して欲しい」
(なるほど)
そうして、見張りの目をかい潜るんだね。
そのあとは、
「奇襲か」
キルトさんは呟いた。
(うん)
そうすれば、『シュムリア竜騎隊』と僕ら4人で挟み撃ちもできるんだ。
だけど、
「いや、それは最終手段だよ」
と、レイドルさんは苦笑した。
(え?)
驚く僕らに、彼は言った。
「俺たちの一番の目的は、あの拠点にある『魔の勢力』に関する情報を入手することだ」
それから説明されたのは、こういう内容だ。
これまでに発見、調査された『魔の拠点』からは、目ぼしい情報が入手できなかった。
それは、それらの拠点がすでに放棄されていたからだ。
連中は、放棄する際に、自分たちに関する情報を全て処分していた。
そのため、『闇の子』の目的はわかっていても、そのための手段、実行されている計画などは、全く掴めていなかった。
けれど、
「あの『魔の拠点』は、まだ生きている」
そこには、これまで入手できなかった『魔の勢力』の情報が残されている可能性が高いんだ。
それがわかれば、人類側は、大きく有利になる。
(そっか)
つまり、『拠点の制圧』ではなく、その『情報の入手』が今回の目的なんだ。
「なるほどの」
キルトさんも頷いた。
けれど、そこには考え込むような表情があった。
「しかし、それはかなり厳しいの。戦闘が始まれば、連中は、それを恐れて、情報となるものを全て処分するかもしれぬ」
あ……。
「時間との勝負じゃ。……しかし、連中の戦力を考えれば、それはずいぶんと分が悪い話であるぞ」
確かに。
20人の敵を倒すには、どうしたって時間がかかる。
その間に、処分されてしまったら?
(充分、あり得る話だよね)
イルティミナさんも、その可能性は高いと思っているみたいで、とても難しい顔だった。
レイドルさんも頷いた。
「その通りだよ」
そして、その金色の瞳は、僕らを真っ直ぐに見つめて、
「だからこそ、キルトたちには敵に見つからず、拠点内に侵入して、連中を1人1人、隠密行動で暗殺していって欲しいんだ」
そう続けたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
(暗殺……!?)
その不穏な言葉に、僕は驚いた。
もちろん、レイドルさんの僕らを見つめる目は、真剣だ。
真剣に、暗殺行為を求めている。
目的を考えれば、間違った提案じゃない。
だけど、
(……キルトさんは、どう思うんだろう?)
僕が知る限り、彼女のこれまでの戦い方は、実に正々堂々、どんな相手であっても正面突破をしてきたのだ。
最強の『金印の魔狩人』キルト・アマンデス。
それが暗殺。
物陰に隠れて、背中から襲い、殺す。
…………。
なんというか、これまでのキルトさんの戦いっぷりからは、想像もできない戦い方だ。
僕は、キルトさんの横顔を伺う。
イルティミナさん、ソルティスも同じ思いだったのか、2人も自分たちのリーダーを見ていた。
「…………」
キルトさんは沈黙していた。
そして、
「わかった」
静かに了承した。
それを聞いて、レイドルさんは少しだけ安心したように息を吐く。
「ありがとう」
そう微笑んだ。
キルトさんは肩を竦める。
「礼を言われるには、まだ早いぞ。正直、暗殺など慣れておらぬからの。途中で発見され、作戦が破綻する可能性もあるのじゃ」
「そうだね」
レイドルさんは認めた。
「その時は、殲滅戦だよ。情報は諦めて、敵戦力を少しでも減らすため、全滅させる」
そう淡々と言い切った。
キルトさんも頷いた。
それから僕らは、アミューケルさんたちのいる野営地点まで戻ることにした。
(…………)
草葉の茂みを進みながら、銀髪の揺れるキルトさんの背中を見つめる。
それから、自分の手を見た。
「……暗殺って、どうやればいいのかな?」
ふと、そう思った。
今回の作戦では、自分も同じ暗殺行為をするわけで、でも、そんな経験はもちろん僕にはなかった。
すると、
「マールは何もしなくていいですよ」
イルティミナさんが、僕の頭を撫でながら、そう笑った。
その美貌を見上げる。
「暗殺は、少数で行うもの。それなら、私とキルトの2人で充分です。マールとソルは、ただ気配を殺して、万が一の場合に備えて待機していてください」
「…………」
「…………」
僕とソルティスは、顔を見合わせた。
(……それでいいの?)
なんだか、申し訳ない気分。
でも、
「時として『魔狩人』は、気配を殺して隠れ、魔獣を殺すこともあります。暗殺は、その応用。今回は失敗は許されませんので、私たちが行いますが、2人もただ待機するのではなく、後学のため、その動きをしっかりと見て、覚えてくださいね」
と付け加えられた。
僕とソルティスは、大きく頷いた。
「うん」
「わかったわ」
僕らの返事に、イルティミナさんも満足そうに微笑んでくれた。
と、先を歩いていたレイドルさんが、
「育てがいのある後輩だね、キルト」
と笑った。
キルトさんは頷いて、
「まぁの」
僕らを優しく見つめたあと、竜騎士の隊長にそう答えた。
(……えへへ)
すぐに嬉しくなってしまう、単純な僕である。
ソルティスも明るい表情だ。
そうして僕らは、野営地点に戻った。
それから作戦を実行するため、僕らは身体を休めながら、日が暮れて夜中になるのを待ったのだった。




