311・シャクラのご両親
第311話になります。
よろしくお願いします。
シャクラさんは、僕がイルティミナさんに出会って間もない頃、メディスの街から王都ムーリアに向かう旅路で一緒になったエルフさんだ。
その恋人は、人間のクレイさん。
人喰鬼に千切られた彼の右腕を治すため、『癒しの霊水』を使ったお礼に、僕は『白銀の手甲』をもらったんだ。
そのシャクラさんのご両親が、目の前にいる。
(ちょっと感動だよ……)
世界は広いようで狭いんだね。
瞳を輝かせて自分たちを見つめる人間の子供に、2人は困惑しているみたいだったけど、でも詳しい話が聞きたいということで、お2人の家へと招待されることになった。
(わ~い!)
喜ぶ僕の姿に、イルティミナさんがため息をこぼしている。
そうして案内されたのは、コロンチュードさんの家と同じような『大樹の家』だった。
リビングに通され、蜂蜜の入った果実水を用意される。
「美味しい!」
僕は、その甘くて爽やかな味と香りに、満面の笑みになってしまう。
シャクラさんのご両親は、なんだか顔を見合わせていた。
ちなみに、お父さんのお名前は、キュードルさん。お母さんの名前は、シェルミナさん、だそうだ。
2人とも、エルフなので外見も若い。
(シャクラさんの兄弟や姉妹だって言われた方が、ずっと違和感ないよね)
そうして果実水を飲む僕に、シェルミナさんが質問してきた。
「それで貴方は、娘とは、いったいどんな関係なのですか?」
あ、はいはい。
僕は姿勢を正して、シャクラさんとの出会いや『白銀の手甲』をもらった経緯を説明した。
2人とも、真剣に聞いている。
その間、イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、コロンチュードさん、ポーちゃんの5人は、黙って、蜂蜜入り果実水を飲んでいた。
やがて、話を聞き終え、
「そうですか……」
シェルミナさんは、大きく息を吐いていた。
「では、娘は元気なのですね」
そう言いながら、口元を押さえる。
娘の安否がわかって、緊張の糸が切れてしまったみたいだ。
目元に涙を浮かべる妻の背中を、キュードルさんが微笑みながら、その手で優しく触れている。
…………。
クレイさんを励ますシャクラさんの仕草にそっくりだ。
(やっぱり父娘なんだね)
そして、ご両親が遠い異国にいるシャクラさんを心配し、心から愛していることが伝わって、嬉しくなった。
お2人に、今度は僕から訊ねてみた。
「シャクラさんは、どのぐらい前にこの国を出たんですか?」
2人は僕を見る。
キュードルさんが懐かしそうに、
「もう80年ほど前になります」
と教えてくれた。
シャクラさんは、この400年の間にエルフの国で生まれた9人の子供の1人だった。
「幼い頃から活発で、好奇心の旺盛な子でした」
ご両親は、そう笑う。
そして、そんなシャクラさんが外の世界に興味を持つのは、当然のことだった。
もちろん、最初は、キュードルさんもシェルミナさんも、そんな娘を窘め、外の危険さを伝えて、その気持ちを忘れさせようとしたそうだ。
でも、駄目だった。
外の危険さを伝えたつもりが、逆に、シャクラさんはより人間に興味を覚え、国を出る決意を固めてしまった。
(へぇ……?)
僕が出会ったシャクラさんは、大人しいイメージだったので、ちょっとびっくりだ。
もっと一緒にいる時間が長ければ、そんな彼女の姿も見られたのかな?
そして、頑固な娘に、ご両親も諦めた。
それで、せめてもの娘の安全のためにと『白水晶の狼』と契約を交わして、その精霊の宿った『白銀の手甲』を旅立つ娘に渡したのだそうだ。
それが、
(今、僕の左腕にある手甲なんだね)
僕とご両親、そして他のみんなの視線が、僕の左腕に装着された『白銀の手甲』に集まる。
キュードルさんが苦笑した。
「しかし、そうか……サイズが合わなくなって、人に譲ったのか」
その声には、自身の配慮の足りなさを自嘲する響きと、もう1つ、幼かった娘が知らない間に成長していたことを知らされた親の悲哀のような響きがあった。
シェルミナさんも吐息をこぼし、
「それも……まさか、人間の恋人を作るだなんて……。あの子は本当に、もう……」
なんだか寂しそうな微笑みだ。
…………。
娘が人間の恋人を作っていても、2人は嘆いた様子はなかった。
(もしかしたら、中立派なのかな?)
そう思った。
いや、ひょっとしたら、娘が外の世界に行ってしまったからこそ、自国が鎖国をしている現状に悩んで、中立派になったのかもしれないね。
どちらにしても、2人ともシャクラさんに会いたいのだろう。
(……ん)
僕は、自分の荷物をガザゴソと探った。
そして、紙と筆とインクを取り出す。
「?」
お2人は怪訝な顔だ。
でも、僕の仲間たちは『あぁ……』と、僕が何をする気なのかわかったみたいだ。
「ちょっと待っててくださいね」
僕は、そう笑いかけた。
それから、もう1年半以上前になる記憶を、必死に呼び起こして、紙に筆を走らせた。
シャッ
シャシャ……
やがて15分後、
「できた」
僕の絵は完成した。
それを、キュードルさんとシェルミナさんに見える向きにひっくり返して、差し出す。
「これは……」
「まぁ!」
2人は、とても驚いた顔をした。
そこに描かれているのは、僕の出会った大人になったシャクラさんの似顔絵だ。
ご両親にとっては、初めて見る成長した娘の姿。
「そうか……しばらく会わない内に、こんなに大きくなっていたんだな」
「あぁ、とても綺麗になって……」
2人とも、その絵を見つめている。
その瞳には、薄く涙の膜が張っていた。
(……少しは役に立てたかな?)
そう思っていると、そんな僕の髪を、イルティミナさんの白い手が優しく撫でてくれる。
「良いことをしましたね」
見上げると、そう微笑んでくれた。
(うん!)
僕は嬉しくなって、頷いた。
みんなも穏やかな表情で、キュードルさんとシェルミナさんを見つめていた。
そして、お2人は、描かれた娘の顔を見つめ、その紙の表面を、愛しい我が子に触れるかのように、優しく、いつまでも撫でていた。
◇◇◇◇◇◇◇
それから僕らは、しばらくシャクラさんのご両親と話をした。
シャクラさんが冒険者であること。
恋人のクレイさんは、とても誠実な人柄の冒険者で、シャクラさんを大切にしていること。
2人は、シュムリア王国の『冒険者ギルト・黒鉄の指』に所属していること。
などなど。
もし、お2人がシャクラさんに会いたくなった時に困らないよう、色々と伝えておいた。
(だって……ねぇ)
もしクレイさんとシャクラさんが結婚したり、子供が産まれたりしたら、お2人とも会いたいだろうと思うのだ。
でも、エルフの国は鎖国中。
人間が恋人のシャクラさんは、こちらには戻れないんだ。
(もしも会うなら、ご両親の方から出向かないといけないんだもんね)
その辺を思ってのことだ。
「…………」
「…………」
そんな配慮を、お2人は感じたのかもしれない。
話している間に、『人間』や『魔血の民』に対する警戒は薄れて、今は、とても穏やかな視線で僕らを見てくれている。
それも、なんだか嬉しかった。
そして、
「娘のことを、色々と教えてくださって、ありがとうございました」
キュードルさんとシェルミナさんは、僕らに頭を下げてきた。
(わわ……っ)
僕は、ちょっと慌てて手を振って、
「いやいや、僕の方こそ、シャクラさんのご両親に会えて嬉しかったです。シャクラさんの子供の頃の話とか、興味深かったですし」
と笑顔で伝える。
それに、お2人も微笑んでくれて、
「こんな素敵な絵や、娘の話をしてくれたお礼に、何か私たちにできることがあれば、おっしゃっていただきたい」
キュードルさんが、そう言ってくれた。
思わぬ提案だ。
僕は思わず、仲間の方を振り返る。
キルトさんたちも、ちょっと驚いている顔だ。
でも、誰も何も言わなくて、お礼をされるのならマールの好きなようにしろという感じだった。
(と、言われても……)
僕は困ってしまった。
すると、そんな僕を見兼ねたのか、イルティミナさんが苦笑して、お2人へと顔を向ける。
「それでしたら、1つ」
「はい」
「お2人がこの『白銀の手甲』を作られたそうですが、このサイズを変更することは可能でしょうか?」
あっ。
「最近は、マールも成長してきて、サイズが合わなくなってきているのです」
「なるほど」
「どうでしょう?」
お2人は顔を見合わせる。
それから、キュードルさんが代表するように、
「お時間を頂ければ、可能です」
と答えた。
(おぉおお!)
「ほ、本当ですか?」
「はい」
「やった! ぜひ、お願いします!」
これで、精霊さんとこれからも一緒にいられる! そう思ったら、僕は、勢いよく頭を下げていた。
お2人は驚いた顔をする。
それから、柔らかく微笑んだ。
「わかりました。こちらこそ、ぜひ、やらせてください」
その頼もしい言葉には、万歳したくなった。
(まさか、まさか、探していたエルフの鍛冶師さんに、こんな風に出会えるなんて……)
本当に予想外。
でも、嬉しい!
そんな喜ぶ僕の姿に、みんな、笑っていた。
「イルティミナさんもありがとう!」
「いいえ。少しでもマールのお役に立てたのなら、私も嬉しいです」
僕には思いつかない提案をしてくれたイルティミナさんは、僕の感謝に、穏やかな微笑みで応じてくれる。
僕は、左腕に視線を落とす。
(精霊さん……)
その輝く『白銀の手甲』を、愛しさを込めて、僕の指はゆっくりと撫でた。
すると、
ジ、ジジ……
嬉しそうな精霊の囁きが、僕らの鼓膜を優しく震わせたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「――では、2日後に」
サイズの変更のため、『白銀の手甲』は預けることになった。
受け取り日の約束をした僕らは、シャクラさんのご両親の家をあとにする。
お2人は、家の外まで見送りに出てくれた。
シェルミナさんが、小さく手を振ってくれる。
それに嬉しくなって、僕も大きく手を振り返す。
イルティミナさんやキルトさんは、会釈を返し、それを見て、ソルティスとポーちゃんも慌てて姉たちの真似をする。
そんな僕らの様子を、コロンチュードさんだけは、ただ眠そうに眺めていた。
(2日後が楽しみだ)
ウキウキ気分で歩く僕。
「よかったですね、マール」
笑いかけてくるイルティミナさんに、僕は満面の笑みで「うん!」と頷いた。
みんなは苦笑している。
そうして僕らは、コロンチュードさんの家を目指す。
(ん……?)
その途中に、青い水の水路を越えるための長い橋が架けられていたのだけれど、その途中に、1人のエルフさんが立っていた。
その人物は、僕らに気づくと、
「やぁ」
朗らかに笑いながら、片手を上げてくる。
……あの人は、確か、
(ベルエラさん?)
だった。
3大長老の1人であり、中立派のエルフさん。
見た目は、20代ぐらいで、スラリとした長身の男エルフさんだ。
金色の長い髪を三つ編みにしていて、その青い瞳に僕ら6人を映しながら、端正な美貌に柔らかい笑みを浮かべている。
中立派だからかな?
彼の視線からは、差別的な印象は受けなかった。
(でも、好意的でもない気がする……)
笑顔だけれど、目の奥は笑っていない感じ。
むしろ、研究対象を観察しているような、そんな感じの視線に思えるんだ。
「……どうしたの?」
コロンチュードさんが問いかける。
彼は肩を竦めて、
「アービタニアと一悶着があったって聞いてね。心配して駆けつけたんだよ。でも、もう大丈夫みたいだね」
「……そ」
コロンチュードさんは、眠そうに応じた。
ベルエラさんの青い瞳は、僕を見る。
「君が、精霊を使役したという人間の子供かい?」
「…………」
コクン
僕は無言のまま、頷いた。
彼も頷く。
「なるほど、興味深いね。人間というのは、本当に私たちの想像を超えることを簡単にしてくるよ」
「…………」
「……話は、それだけ?」
コロンチュードさんは、僕の前に猫背の身体を進めながら、そう言った。
彼の視線から、僕を守ろうとしている――そんな風に感じた。
ベルエラさんは、
「そうだよ」
と、あっさり言った。
「……そ。……じゃあ、私たちは行く、ね」
コロンチュードさんはそう言って、長い橋を歩きだす。
僕らも、そのあとに続いた。
サラサラ
青い水の流れる音がする。
それを耳にしながら、ベルエラさんの前を通り抜け、そのまま歩いていく。
と、その時、
「ねぇ、知ってるかな?」
不意に、ベルエラさんが口を開いた。
「『好き』の反対は『嫌い』じゃない。『無関心』なんだよ」
「…………」
歩きながら、僕はベルエラさんを見た。
それに彼は微笑んで、
「アービタニアは、もともと、人間が大好きだったんだ」
(!)
思わず、足を止めてしまった。
そのせいで、他のみんなも足を止めざるを得なくなってしまった。あ……。
そんな僕らに構わず、ベルエラさんは独り言のように続ける。
「かつてのアービタニアは、人間の考え方が大好きで、その文化も大好きだった。だから、多くのエルフが外の世界に行くように推奨もしていたぐらいだったんだよ」
「…………」
「だけど、400年前、人間は過ちを犯した」
(……神魔戦争)
ベルエラさんは笑顔だった。
でも、その瞳には、光がない気がした。
「結果、多くのエルフが犠牲になった。その時のアービタニアの気持ちは、どんなものだったろうね? 自分が多くのエルフを外の世界に送り出したせいで、そのほとんどが死んでしまうことになったのだから」
「…………」
「彼自身も、大切な人を失った。生き残った大勢のエルフも、大切な人を失った」
彼は瞳を閉じる。
静かな風が森を吹き抜け、僕らの肌を撫でていく。
青い水の流れる音だけが、鼓膜を打つ。
ベルエラさんは笑みを消し、瞳を開いた。
「彼らの心は、もう誰かを憎むことでしか、生きることはできなかったんだよ」
重く、静かな声だった。
…………。
保守派となったエルフさんは、誰かを憎むことで生きていられた……? もし、憎むことを許されなければ……?
(自殺……していた?)
世界に絶望して、未来に絶望して。
「…………」
僕は、なんと言っていいのか、わからなかった。
ただ中立派だという3大長老の1人の顔を、見つめてしまう。
「……それで?」
コロンチュードさんは、静かに訊ねた。
「……だから、罪なき人を憎み……罪なき赤子を殺してもいい?」
「まさか」
ベルエラさんは、また笑みを作った。
「私は、そんなことは望まないよ。ただ、自分たちに災いが降りかからないならば、その行為を無理に止めることもしないだけさ」
その声は、空っぽだった。
(…………)
この人も神魔戦争で、傷ついたんだ。
でも、人間を憎むことはできなくて、だからこそ、空虚な心のままなんだ。
いってしまえば、投げやりなんだ。
それが、中立派だというエルフさんの正体……なのかな。
と、
「そなたらの気持ちは、わからぬでもない。しかし、このままでは全員が死ぬぞ。それほどの災いが今、この世界には起きている」
キルトさんが口を開いた。
それは『金印の魔狩人』としての声だ。
ベルエラさんは肩を竦めた。
「『人間』というのは、本当に困ったものだね。400年経っても、まだ人間の起こした災いが続くのか」
「そうじゃな」
キルトさんは認めた。
「じゃが、今の人間は皆、400年前にはいなかった。その災いの発端があった時代に生きていたのは、むしろお前たちの方であろう?」
「…………」
彼は驚いた顔をする。
「なぜ、止められなかったのか? わらわたちも、そうお前たちを憎むこともできなくはないがの」
「…………」
「じゃが、それは意味のない行為じゃ」
気高い声だ。
「そんなことをしている暇があるならば、今、目の前にいる大事な人を守るために全力を尽くす。憎んでいる暇も、静観している暇もない。わらわはそう思い、そして今も、このエルフの地に立っておる」
それは、人々のために戦い続けてきた者の重い言葉だ。
…………。
そんなキルトさんの周囲に、僕が、イルティミナさんが、ソルティスが、コロンチュードさんが、ポーちゃんが立っている。
その僕らの姿を見て、ベルエラさんの空っぽな笑みが歪んだ。
その表情を見られるのを嫌うように、彼はうつむく。
やがて、長い吐息をこぼした。
「はぁぁ……本当に、人間という種は……」
小さな呟き。
なんだか、彼の姿が一気に老け込んで、一回り小さくなってしまった気がする。
「……行こ?」
コロンチュードさんに促され、僕らは歩きだした。
1人残されたベルエラさんは、橋の上に立ったまま、うつむき続けていた。
(…………)
その姿は、なんだか泣いているみたいに見えて、僕の胸は少しだけ痛かった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




