030・お目覚め少女
第30話になります。
よろしくお願いします。
防具店をあとにした僕らは、冒険者の宿屋『アルセンの美味い飯』へと戻ってきた。
扉を開けると、1階の酒場のカウンター奥にいた小太りの店主アルセン・ポークさんが、すぐに僕らを見つけてくれる。
「おかえりなさい、イルティミナさん、マール君」
「ただいま戻りました」
「ただいま、アルセンさん!」
僕らが挨拶すると、彼はにっこり笑う。
それから彼は、ふっくらした手で『おいで、おいで』と僕らを手招きした。
「?」
僕は、イルティミナさんと顔を見合わせ、そして、一緒にカウンターへと近づいていく。
アルセンさんは、酒場にいる他の冒険者には聞かせないためか、少し声を小さくして、
「ソルティスちゃん、無事に目が覚めましたよ?」
「え?」
「本当ですか?」
驚く僕らに、アルセンさんは「はい」と大きく頷いた。
「もう、すっかり元気みたいです。お昼の食事も、3人前は食べていましたから」
「さ、3人前……?」
「もう、あの子ったら」
ポカンとする僕と、苦笑するイルティミナさん。
でも、それだけ元気になった証拠だろう、うん。
(よかった、ソルティス……)
横にいるイルティミナさんも、鎧の上から、大きな胸に白い手を当てて、大きく息を吐いている。
(うん、元気になったなら、彼女にお礼を言いたいな)
森で、僕を助けてくれたこと。
ちゃんと、ありがとうって、伝えておきたかった。
アルセンさんが、ウズウズした僕に気づいて、優しく笑う。
「お2人とも、早く顔を見せてあげてください」
「はい」
「うん。――イルティミナさん、早く行こう、行こう!」
僕は、急かすように彼女の手を引っ張る。
イルティミナさんは、「マール、そんなに慌てないで」と、苦笑しながらついてくる。
そうして僕らは、1階の酒場を通り抜けて、3階へと続く階段を上っていく。
その途中、前方で、銀の煌めきが散った。
「おう。2人とも、戻ったか?」
そこに銀髪のキルトさんが立っていた。
階段を降りる途中だったんだろう。
今の彼女は、雷の大剣も黒い鎧も装備してなくて、ノースリーブのシャツにズボンというラフな格好だった。豊かな銀色の髪も、今は頭の後ろで結ばれて、ポニーテールになっている。
なんだか、新鮮だ。
(こうして見ると、キルトさんも、普通の女の人に見えるよね)
新しい魅力のキルトさんに、僕の視線は、思わず、吸い寄せられてしまう。
イルティミナさんが確認する。
「キルト。ソルの意識が、戻ったのですよね?」
「うむ。そなたらが出た直後じゃったな。ほとんど、入れ違いのように目を覚ましよったわ」
笑いながら、頷くキルトさん。
僕も、つい聞いてしまう。
「じゃあ、ソルティスは、もう大丈夫なの?」
「問題ない。脳への後遺症も、なさそうじゃ。……昼飯も、よう食っておったからの」
ちょっと遠い目のキルトさん。
あはは……3人前って、やっぱり本当なんだ?
(でも、よかった)
僕とイルティミナさんは、互いに顔を見合わせて、笑い合ってしまう。
「ふむ……」
手を繋いで笑う僕らに、キルトさんは、少し考え込む顔になる。
なんだろう?
少し気になったけど、それよりも今は、ソルティスに会いたかった。
「じゃあ、キルトさん、僕らはソルティスに会ってきます」
「またあとで、キルト。――では、マール。行きましょう」
僕らは、キルトさんの横を抜けて、階段を上がろうとする。
けれど、
「待て」
その白い手が、イルティミナさんの肩を押さえていた。え……?
キョトンと振り返る僕らに、キルトさんは言った。
「マールは、そのまま、ソルに会ってやってくれ。――じゃが、イルティミナ。そなたには、少し話がある。1階の酒場まで共に来い」
「え?」
「話、ですか?」
驚くイルティミナさん。
キルトさんは、生真面目な表情で、大きく頷いた。
――その黄金の瞳には、断りを許さない、強い光がある。
「わかりました」
パーティーリーダーの命令に、イルティミナさんは頷くしかない。
そうして彼女は、僕に笑いかけると、繋いでいる手を、反対の手でポンポンと優しく叩いて、
「またあとで、マール」
「うん」
その白い指が、離れていった。
2人の美女が、階段を下りていくのを、僕は、その場で見送る――と、キルトさんの視線が、ふと僕を振り返った。
「…………」
その黄金の瞳は、鉄のように硬質で、でも、なんだか悲しそうな目だった。
よくわからない不安を感じながら、僕は、彼女たちの姿が視界から消えるまで、そこに立ち尽くしていた――。
◇◇◇◇◇◇◇
3階にある角部屋の、扉の前に立った。
「すー、はー」
僕は、一度、深呼吸する。
なんだか、ソルティスと1人で会うとは思わなくて、ちょっと緊張してきたんだ。
同世代の女の子と1対1なんて、前世でもなかった気がする。
(いや、本当の僕はもう、大人なんだけどさ)
でも、前世の記憶が、曖昧だからかな?
僕の精神年齢は、このマールの肉体に引っ張られて、かなり幼くなってる気がするんだ。
(それに、ソルティスって、結構、気分屋なところがありそうだし……)
ま、嫌いじゃないけどね。
「よし」
僕は、パンパンと頬を叩いて気合を入れた。
そして、扉をノックする。
コンコン
「どーぞー」
思ったより、気楽そうな少女の声が返ってきた。
それに誘われるように、僕はドアノブを回していく。
「ただいま、ソルティス」
声をかけながら、室内に入る。
部屋の中は、出かける前と、特に変わりはない。
いや、あの清潔なベッドがもう1つ、増えている。きっとアルセンさんが、僕の分も用意してくれたんだろう。
そして、その隣のベッドには、もう眠っている少女は、いなかった。
「あら? なんだ、ボロ雑巾じゃないの。――おかえり」
驚いた声は、部屋にある机に向かって座っている少女からだった。
(あ、眼鏡してる?)
ソルティスは、丸くて大きな眼鏡をかけていた。
服装は、ワンピースの腰を、腰帯で押さえただけの格好で、裾は膝上ぐらいの高さ。
柔らかそうな紫色の髪は、今、首の後ろで2つに分けられ、紐で結ばれている。毛先は、身体の前に落とされていて、膨らみ始めた胸を優しく隠していた。
なんだろう?
眼鏡をかけてるだけで、この子が、大人しい知的少女に見えてくる……。
詐欺のような容姿の彼女は、今、机の上に広げられた、数枚の紙の束を眺めていた。
(あ、そうだ。お礼を言わないと)
思い出した僕は、ソルティスの背中に声をかける。
「あのさ、ソルティス?」
「ん~?」
「昨日のことなんだけど、えっと、その、森の中で僕のこと助けてくれて、あり――」
「ストーップ!」
……え?
突然の大声である。
思わず停止した僕を、彼女は、睨むように振り返った。
「それ以上、言わないで」
「え? でも、僕はただ、ありが――」
「だぁあああああっ! 言うなって、言ってんでしょーがぁああっ!!!」
詐欺師の仮面が、剥がれた。
「はぁ、はぁ」と肩で息をするソルティスを、僕はポカンとして見つめるしかない。
彼女は、額の汗をぬぐい、
「あのね? アンタがそれ言うと、ガドから助けられた私も、同じ台詞を言わなきゃいけなくなるの。わかる?」
「う、うん」
「でも、私は、ボロ雑巾にそんなこと言うの、ぜ~ったいに嫌!」
「…………」
「だから、お互い様ってことで、この件に関しては、今後ノーコメント。いい? わかった? わからなかったら、魔法、ぶちこんであげるから」
「わ、わかったよ」
その目に本気の光を感じて、僕はコクコクと頷いた。
「なら、よし」
彼女は、両手を腰に当てて、満足そうに頷く。
そして、ひっくり返した椅子を戻して、何事もなかったかのように机に向かう。
う~ん。
(……なんて過激な、照れ隠しなんだろう?)
脅迫までしてくる照れ隠しは、初めての経験だ。
僕は、半分感心、半分呆れながら、なんとなく、自分のための新しいベッドに腰を下ろした。
ソルティスはもう、こちらには興味がないようで、手元の紙の束ばかりに意識が集中している。その真面目な横顔を見ていると、なんだか、声もかけ辛かった。
(……イルティミナさん、早く戻ってこないかな?)
遠い目で、そんなことを思ったり。
ペラ ペラ
時々、ソルティスの紙をめくる音がする。
「ふぅ~ん?」
なんだか、感心したような声を漏らして、不意に、彼女はこちらを振り返った。
「ねぇ、アンタ……マールだっけ?」
「ん?」
「これ描いたの、アンタなんでしょ? もうちょっと詳しい話、聞かせなさいよ」
え?
彼女は、読んでいた紙の束をヒラヒラと揺らしている。
それは、墨で描かれた何かの風景画のようで、
(あ……それ、深層部で僕が描いた、塔の風景や石の台座のスケッチだ)
僕は、ポカンとした。
「なんで、ソルティスがそれ、持ってるの?」
「イルナ姉の荷物から、勝手に漁ったわ」
「勝手にって……」
おいおい?
「いいじゃない。姉妹なんだから」
ソルティスは、悪びれた様子もなく、にっこりと笑ってらっしゃる。
うん、まぁ、ウォン姉妹の関係に、僕は口挟む権利はないけどさ。
「そんなことより、これよ、これ。ちょっと説明しなさいよ?」
言いながら、彼女は僕の座ったベッドの横に、ボフンと座る。
腕同士が触れ合って、ちょっとドキッとしてしまった。
子供だけど、ソルティスは凄い美人で、その横顔は、信じられないぐらいに整っている。眼鏡少女というのも、ちょっと狡い気がする。
「ちょっと聞いてる?」
「あ、ごめん。何?」
「もうっ! これよ、これ!」
僕は気を取り直して、顔の前に突きつけられたスケッチを受け取った。
(あぁ、女神像?)
「これ、手から何か出てるけど……何?」
「あぁ、うん。これは、癒しの霊水だよ。ここから、ずっと出てるんだ」
「癒しの霊水っ!?」
ソルティスは、とても驚いた表情だ。
僕は「そう」と頷いた。
「手首に、小さな穴が開いてて、そこから出てたんだ。下にある貝殻の台座には、この部分に、排水溝があって、地下に流されてるみたいだった」
「へ~?」
彼女は、感心したように呟いて、別の紙に筆を走らせる。
どうやら、僕の話をメモしているみたいだ。
「じゃあ、こっちは?」
「これは、石の台座だね。塔の近くの森の中にあって、全部で7つあった。でも、6つは壊れてて、1つだけが無事だったよ。――スケッチに、地図なかった?」
「えっと、これかしら?」
そうそう。
「ここが塔で、こっちが石の台座。距離は、直線で1000メードぐらいかな?」
「ふんふん」
「あと、これがトグルの断崖で、ここに壁画があった」
「壁画?」
「うん。多分、神魔戦争の壁画だろうって、イルティミナさんが言ってたけど」
「へぇ~、こんなところに?」
なんだろう?
彼女の目が、凄くキラキラしている。
身体の寄せ方も、かなり大胆になってきた。
髪の甘ったるいような匂いとか、子供らしい熱い肌とか、ちょっとドキドキする。
でも、当のソルティス本人は、気にした様子もなくて、
「じゃあじゃあ、これは何? これは?」
「あぁ、塔の居住スペースだよ。僕、ここで暮らしてたんだ。……そういえば、イルティミナさん、ここの本を何冊か、持ってきてたはずだけど」
「え? 嘘っ、どこ!?」
彼女は、ダーッと部屋の隅に走って、あの大型リュックの中身をポイポイ放り出していく。
あぁ、イルティミナさんが、あんなに丁寧にしまってたのに……。
(あとで怒られても、知らないぞ?)
しばらく漁って、
「あった! これね!」
彼女は、それを見つけ出して、そのまま床の上に広げて、四つん這いで読み始めた。
僕も立ち上がって、隣に座る。
「何よ、これ? 古代タナトス王朝時代の魔法陣の図案集じゃない……え? これ、本当に無傷の完品? え、本当に!?」
「この表紙の魔法陣なんだけどさ」
僕は、本の隣に、石の台座のスケッチを置く。
「こっちと一緒に見えるんだ」
「…………。そうね、一緒っぽい! 待って待って、え~と、ラー・クリウス・ティット、アラー・ム・ティリス……うぅ~、スケッチの字、読み辛い! 比べるの、大変じゃないの!」
「ご、ごめん」
「あ、いいのいいの! これだけでも、凄い収穫なんだから!」
そう明るく笑うと、彼女は上半身を起こして、今度は、難しい顔で腕組みする。
「でも、しまったな~。タナトスの魔法文字の辞典、王都に置いて来ちゃったわよ。……まさか、こんな遺跡が見つかるなんてな~」
…………。
「あのさ、ソルティス? 王都に行ったら、この魔法陣の文字の意味とか、わかるの?」
「そりゃね。王都ムーリアには、王立図書館もあるし、ギルドには専門の『魔学者』たちもいるし、時間はかかっても解読できるんじゃないかしら?」
「…………。そっか」
僕は、考える。
(じゃあ……王都に行かないと、ね)
僕は、自分の手を――マールの手を見つめる。
僕はもっと、神魔大戦のことを、この塔や石の台座のことを、タナトスのことを知らないといけないと思った。
夢の中で見た、死んでしまった6人の光る子供たちの分も、僕が、やらないといけない――理由もわからないけれど、なぜか、僕の中には、そんな感情が強くある。
(わかってるよ、マール。ちゃんと答えを見つけるから)
そう自分の手に語りかけていると、
「ね、マール? 他にも、知ってることがあるなら、教えなさいよ」
グイグイと、ソルティスに肘を引っ張られた。
見上げる瞳は、なんだか、キラキラと輝いて見える。
僕は、小さく笑って、考え込む。
「他って言われても、そうだなー。あとは、骸骨王のこととか、魔法のペンダントのこととか、かなぁ?」
「何それ、何それ? もっと詳しく教え――」
そうやって、ソルティスが催促した――その時、
ドンドンドンッ
突然、部屋の扉が激しくノックされた。
「マール君、ソルティスちゃん、いますか!?」
とても慌てたような声は、
「アルセンさん?」
僕は、ソルティスと顔を見合わせる。
立ち上がって、部屋の戸を開けると、ふっくらした顔に汗を滴らせ、とても焦った顔のアルセンさんがいた。
「どうしたんですか、アルセンさん?」
「ど、どうしたもこうしたも、た、大変なんです! マール君もソルティスちゃんも、来てください! キルトさんとイルティミナさんが……っ!」
「えっ!?」
イルティミナさんたちに、何かあったの!?
僕とソルティスは慌てて、アルセンさんの横を抜け、1階の酒場へと階段を駆け下りていった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※更新は、月水金の週3回になります。次回更新は、明後日、金曜日の0時頃を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




